ちょっと体調が気になることもあり、病院を受診した。病院も医者も大っ嫌いで出来れば死ぬまでお世話になりたくないと普段から思っている。
手遅れになるならそれでもいい。ぎりぎりまで楽しく過ごせたらいいと思っているが、いざ、あれこれと不快な症状があらわれると、心配で普通の人以上に辛抱や我慢が出来ないのも、私である。
で、ここ一週間、不快な症状が去らず、辛抱できず、病院へ行った。
予想していたが、腫瘍マーカーの値の検査をした。一週間で結果は出る。ここ3年ほど時々この検査をやり結果をプロットしてるが、今までグレーゾーンで推移しており、晴れて心配なし、となったことはない。
値が上昇に転じたら次の検査(検査入院といってた)となる。
一週間の検査待ちであるが、こういう状況になるとだいたい悪いほうに考えるもので今日はウンと落ち込んでいる。
ある程度以上の年齢になれば大病そして死と向き合う覚悟もしておかなければと思う。人間、いつかは必ず死で終わるものであり、例外はない。そのためにも普段からの心構えの準備をしておかなければいけない。
しかし、そう思いつつも、まだまだ先だ!と内心思っている。だが病は待ってくれず、予告もない。そういう人は急に大病に憑りつかれれば思いっきり戸惑う。むしろ世の中にはそういう人が多いかもしれない。
いつでも死を受け入れることのできる悟りきった人は少ないのではないか。
ちょっと名前は忘れたが江戸時代の高名な国学者が「伊勢物語」の最終段は人の生き方を教え諭すのによいので、よくよくこの段を心に刻みつけておくとよい。といったが、なるほどと思う。
以下、その原文である。そしてこの和歌が業平の辞世となる。
むかし、をとこ、わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ、
『ついにゆく 道とはかねて ききしかど きのふ今日とは 思はざりしを』
大胆意訳
え~っ、まあ人間いつかは死ぬもんじゃ、とは思うとったが、まさか自分に、すぐそこに死を迎える日が急に来るものとは思わなんだ。まだ心の準備なんど、できとれへん。なぁ~、死神さん、もっと待ってえなぁ~
容姿、知力、胆力に優れた伊勢物語の主人公にしてこれである。まして私などは・・・・・
2 件のコメント:
若いころ何時まで生きようかと思った時に、55歳にしました。理由は若すぎなく、よぼよぼでもないからです。最近思い出してみるともうすぐで、その年は2013年でした。
人は、思ったことが現実化する生き物ですから、ネガティブなことを思うとネガティブが現実化します。ポジティブに考えればポジティブが実現しますが、これは表面上の思考領域というよりか、深い部分の観念の領域の問題だと思います。
もしかしてやまさん、準備ができていないので長生きするかもです。(^_^.)
日本人の平均から言えばずいぶん若く寿命を設定しましたね。でもその理由を聞いて納得するところもあります。
でも中年のかっこよいしんさまのままで(いつか飲み会で少し口髭姿、渋かったわ)「ハイ、さようなら」は贅沢な死のような気がします。いつも小憎らしいいいとこ(この場合最適寿命)とりますね。
上のブログでは業平の辞世をとりあげました。平安貴族でちょっと女々しいとこがあり死にたいする現代人の心性に通じるところがあるからです。
しかし、歴史上の人物として信長のような割り切った、ある意味悟った考えの持ち主もいます。
霊魂・あの世、一切信ぜず、「人生50年」と言い切り、49歳で潔く死を迎えました。すごいですね。わたしはこんなようにはなれそうもありません。
2段落の考えは常々しんさまのいわれていることですね。なんか達観してますね。ちょっと弱っている今、しんさまに手をあわせ救いを求めたくなります。
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