2011年8月7日日曜日

いぬ  話

その1
 ボニである。「いぬ」といえば阿波弁で「帰る」(自動詞)となる。ボニで帰るといえばふつうは「帰省」を思い浮かべる。しかし「ボニ」に「いぬ」という言葉はまた別の意味にも取られる。

 若い人は「ボニじゃ、ボニじゃ。ボニ踊りじゃ」と狂喜乱舞する時期としか見えないかもしれないが、本来は死んだ自分の祖先の「霊」が返ってくる時期なのである。
 死んだ「霊」から言えば、この世にいる子孫の元に「いぬ」時期なのである。

 仏教がでは霊のいる場所は極楽、地獄とか言われるが、民俗学者などによれば、古い古い日本人の信仰では、死んだ霊の行く場所は山奥であるそうな。
 死んで山へ行き、年に一度ボニに子孫に迎えられ帰ってくる。それを繰り返すうちに浄化のようなことになり個々の「霊」は「祖先の御霊」と一体になりわれら子孫を見守る守護霊となるそうである。

 このような死生観は仏教以前からのもので、我らのこころの深いところに根ざす。だから仏教以前のものがボニの風習には残っているのである。

 「迎え火」そして「送り火」は、いぬ霊を迎え、送るものである。

 つい最近までの(昭和初期かなぁ)日本人は思っていたはずである。どこから帰ってくるのか?
 
 極楽のような遠い遠いところじゃない、地獄のようなおどろおどろしいとこでもない。

 「あの山の奥のもうちょっと奥から。」

 このように言う民俗学者の見方を知り、なるほど思い当ると思う私は、

 「すでに、半分先祖霊になってる。」

その2
 「いぬ」は「帰る」の自発的、「いね」はその命令。阿波弁ではそうである。その「いぬ」「いね」の関係は動詞形だけではない。

 「犬」、「稲」と関係があるといえばどうだろうか

 「犬と稲?なんのこと。」

 稲作文化と「犬食」は関連しているのである。

 「ふっふっふ!犬食?誤解ないよう言っておきますが、お犬様が食べるモノ、ではありませんよ。お犬様食べる、ことなのです。」

 と聞いて「卒倒せんばかりの驚愕」の愛犬家の皆様はこれからのブログは「毒」ですから、読まないようにお願いいたします。

 稲作文化・米食文化と「犬食」は密接に関係していることはよく指摘されることである。なんでそうなるかいまいち飲み込めない。 しかし稲作文化・米食文化民族に犬喰い文化があるのは事実である。

 「米ばかり食べて動物性たんぱくが不足するからか?」

 じゃないわな。ともかくそうだからそうなのである。

 確かに中国南方、朝鮮半島、東南アジア、米喰いは犬喰いである。

 ところが日本はちょっと違う。大陸・朝鮮半島では盛んなのにわが国では一部を除いてそう積極的に食べるわけではない。
 仏教や犬にとっての守り神、綱吉将軍の「生類憐みの令」の影響かとも思われようが、あまり犬を食べぬ文化はそれ以前からである。

 実は土着の原日本人ともいえる「縄文人」は犬は飼っているが犬喰いはしないのである。縄文人にとって犬は家族の一員のように愛情そそぐものであって、食べるという考えは持たなかったようである。

 ところが渡来の「弥生人」は稲作文化を持ち、犬喰いをするのである。

 こういうところから日本は昔から大陸・半島に比べると「犬食」文化が根付かなかったのではないだろうか。

 最近の愛犬家は強力な犬保護活動をしているようである。犬虐待を見逃さず摘発している。
 その影響か犬食、犬屠殺の「記事」までも最近の新聞・週刊誌などには見なくなった。犬食文化のあるとこでは未だ犬食、犬屠殺が行われているはずだが、

 「そんな恐ろしいことは、見ず、聞かず、書かず。」

 なのだろう。
 しかし今日本屋で見た週刊誌「SPA」の記事には感心した。恐れることなく犬食、犬屠殺が記事として書かれ、写真、イラストまで載せている。

 実はこの犬食、犬屠殺は日本にも関係している。という出だしから記事ははじまる。
 伝統文化である津軽三味線、浄瑠璃に使う「太棹三味線」。私はあの腹に響くような「ベンベン」という音が大好きである。この三味線に張る胴の皮、細棹三味線は「猫の皮」なのだが、これは「犬の皮」それも大きい犬でなければダメだそうである。

 で、それをたどるとタイの犬食、犬屠殺に行きつくのである。記事は絵入りでリアルに再現してある。
 まず、棒の先に輪っかの紐があるので、犬の首をひっかける。

 「キャン、キャン、キューィン」

 棒でポカリと殴る。

 「キャイン、ポテ」

 気絶する。同じ棒の横から出てる鋭利な刃物で素早く犬の首を裂く。血が

 「ドッピュ~」で昇天。手際よいものである。

 そりゃあ、愛犬家にはジェッタイ、読ませられん記事ですわ。
 でも「犬」を「食べる家畜」とみる文化があることもお忘れなく。
 それから歌舞伎鑑賞の奥様!あのすばらしい「義太夫」の伴奏の三味の音色、その陰には
 犬の

 「キュウィン、ポテ、キャインキャイン」があるのですぞ。

その3
 私が小学校の時、我が「鴨島駅」から、国鉄バスが出発していた。この国鉄バス、車体にツバメのエンブレムがついていた。
 その国鉄バス、鴨島駅始発で主に北岸に3~4路線、走らせていた。その一つに不思議な地名行のバスがあった。

 「犬の墓・行」

 われらは訛って「いんのはか」といってた。妙な地名である。本当に犬の墓があり、そのいわれから命名されたと知ったのは大きくなってからだ。

 今は阿波市にその地名がある。この犬、犬は犬でも、なんか「弘法大師」にゆかりがあるそうで大師がイノシシに襲われるのを命がけで守り、死んだそうである。ほとんど「聖人」に近い犬なのだそうだ。

 犬食文化が日本に根付かずよかった。この話とはギャップがありすぎますものね。やはり日本人は犬を家族とみる民族なんですね。

3 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

私の場合、戌年なんで犬の気持ちはよくわかります。
最近、毎日犬の鳴き声を聞いております。朝から深夜までぶっ続けで、「キャイ~ン、キャイ~ン」です。そのせいか、犬の言葉がわかるようになりました。現在、救出作戦考え中です。
プロフィールの写真、江田憲治さんににてますね。ちょっとちがうかな?f(^^;

yamasan さんのコメント...

←裸の大将放浪記編 20代半ば

 犬のブリーダーも無責任な場合、犬の虐待ですよね。

 そうですか、しんさま戌年ですか。じゃあ、犬を大切にしますね。綱吉と一緒だ。

Unknown さんのコメント...

 相撲部にでも入っていたんでしょうか?80kgの時でしょうかね。坊主似合ってますね!実は私は、坊主にしたことがありませんです。たぶん頭はかなりいびつだと思います。坊主が似合う人はいいな~。そのうち出てくると思いますが、やまさんの長髪期待しています。(^_^)