2021年7月30日金曜日

オリムピク雑感その3  当時のド田舎の中学生を魅した音楽

 ♪~はあぁ~~~、あの日ローマで眺めた月が~(ソレ、トトントネ)~♪、三波春夫さんの歌う歌は国民歌謡といってもいいほど口ずさまれ、ワイらの修学旅行のバスの中でみんなで手拍子で歌ったのは前に言ったとおり。また女子の美声の持ち主が、♪~富士の高嶺に降る雪ぅきも、京都先斗町に降る雪ぅきも~♪ と車中で歌い先生も含め、「うまい!」と感心させたのも同じ修学旅行であった。

 なんやら音頭だの小唄だの、それが当時の若者の趣味か!と言われそうだが、確かにそんな歌も好んで歌ったのは事実だが、当時のモダンなリズムやメロデェに魅かれ、新しい音楽も聞いていたし、そんな歌手や演奏家のファンも多かった。その時代は新旧の音楽が雑居している時代だった。まだフォークは誕生前、ポップな音楽、ニューミュージク系もまだない。ビートルズは世界的に流行り、国内外で、あばさかったフアンの過激なモーションがニュスになって聞こえてはいたが、なぜかここ四国のド田舎では「ウッチャ、ビートルズの大ファンなんじょぉ」ちゅうような女子はまずいなかった。

 はて?あのころワイら中学生、どんな新しい歌に熱中してたんやろ。ネットで検索すると昭和38年から39年頃大ヒットした歌謡曲やムード、リズム系の音楽(インストゥルメンッ)がずらずらと表示されるが、いやいや、そりゃぁ、全国的一般的にはそうかもしれんが、四国の奥のまだ奥の辺地の中学生が魅せられ、歌い体をくねらした歌・曲とはなんかちゃぁう。あぁ~~あ!、 57年ちゅう歳月の隔たりは大きいわ! あのころのワイにもどってその時のワイの耳にどんなん歌・曲が響いていたか知りたいが、なかなか思い出さんわ。

 なんか思い出す手がかりはないかしらん、となにげに数日前のワイのオリムピクのブログをボンヤリ読んでいると、日本初のサーフィン金メダルとあり、ワイはサーフィンにカッコして(波乗り)と書いていた。その時、はるかむかしきいたリズムと曲にのせた歌のフレーズがよみがえってきた。
 
 ズンチャカ、ドンチャカ~♪、のってけのってけ のってけサーフィン~波に波に 波に乗れ乗れ~♪、これ何の曲やろ? 「のってけサーフィン」のキーワードだけで検索すると一発で分かった。日本人もこの歌詞で歌ってはいたがオリジナルはアメリカのエレキの曲「太陽の彼方に」・アストロノウツである。独特のリズムとエレキ演奏からベンチャァズと思っていたがちゃぁうかった。これこれ、この独特の特徴あるリズムが中学生のワイの体をクネらしたんや。流行を調べると昭和39年前期からとあるからまさにオリムピクの時期と一致する。

 そして、この「太陽の彼方に」のリズムを聞いていると、ある歌手の歌のイントロ部分に同じところがあるのも思い出した。その曲は「チェッ・チェッ・チェッ」歌手は「橋幸夫」である。まず間違いなくアメリカの上記の曲に対するオマージュであろう。

 さらにはっきり思い出したわ、当時の中学生の圧倒的多数の女子(ワイも含めた男子も多く)がファンとなりもてはやしていたのは「橋幸夫」や!  橋幸夫というと今では演歌界の大御所という雰囲気やが、それは後の評価、ワイの中学の頃は、今までに日本では聞いたことのないリズムをもった歌を歌う新しい歌手の一人だった。「チェッ・チェッ・チェッ」も昭和39年だがそれより少し前の「恋をするなら」から大ヒットが始まったから、これも東京オリムピクの時期である。

 のってけのってけのリズム」、「デケデケのエレキ」、「橋幸夫」、これが東京オリムピクのとき四国のド田舎の中学生を魅した新しい音楽やったんや。

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