2021年8月2日月曜日

オリムピク雑感その4 オリムピクと全裸

  東京オリムピクが暑すぎるからどないぞせぇ!ちゅう競技選手たちが話題になっていた。まぁ真夏に全力を出し切る運動をやるのは大変だと思うが、東京の夏の暑いのはわかりきっていたこと、日本人も内心では前のオリムピクの時のように秋口がええんじゃないんか知らんと思ってはいた。しかしこれは日本の都合で勝手に決めるわけにはいかず、IOCやスポンサの意向もあり真夏になったようだ。

 しかし先日ニュスをみていると選手の全部が全部真夏のくそ暑い気候を忌避しているのではないのが分かった。最大のオリムピクの華、100m短距離走の選手の言葉として東京の夏は悪くないといっていた。その選手個人のインタビュだったが、その選手は他の選手の(短距離走)99パーセントもみんなそう思っているといっていた。その選手はちょっと風の少ないカリブ海の気候のようだとも。なんや!、みんながみんな東京の真夏の暑さに参っているわけゃないんや。

 東京の夏の暑さに音を上げギャァスカ文句をいったのはテニスのオランダ人とおもうが、さもありなん、オランダは北緯50度の国、涼しい夏を持ち、住んでいるのは暑さに弱い白人である。そりゃそうなるわなと納得できる。しかし世界には南方の熱帯の国もある。インドなんかの夏は日本の真夏より15°は気温が高い。短距離走者はアフリカ系やカリブ系が多い。もともと体質的に白人よりはずっと暑さに強いだろう。常夏の国の人ならば日本のこの夏の暑さなんかにブースカ文句を言うはずがない。世界にはいろんな気候風土がありみんなそこで適応して住んでいる。世界のさまざまな国々でオリムピクを持ち回りで回すなら、暑いところもありゃぁ、寒いところもある。

 もう二昔くらい前に冬季オリムピクの種目・ボブスレーを題材にした映画『クールランニング』という大変面白い映画があったが、雪など見たこともないカリブの国から、カナダにやってきてボブスレー競技に参加するのだが、そこにはいろいろな苦労はあるが、しかし大活躍する筋だ。これは暑い国⇒寒い国でスポツする苦難だが、当然、涼しい夏の国⇒くそ暑い夏の国でのスポツの苦難もあって当然だ。まぁ殺人的な暑さじゃないんやったら、世界の国々、人々みんなご互いさまっちゅうことでなんとかやりまひょ。

 今、オリムピクの期間中ということで図書館で左のような古代ギリシァで開かれていた古代オリムピクについて説明してある本を借りて読んでいる。この歳まで生きてりゃぁ、雑学的なしょぉもない知識はたまったが、古代オリムピクについては知らないことが多く、面白く読ませてもらった。

 思わぬ一致に、ほぉぉぉ~と感心したのは、古代オリムピクの開会式の日である。近代オリムピクは開会式の日程はガッチリ決まっているわけじゃない。前回の東京オリムピクは10月10日だった。しかし古代オリムピクは場所も開会式を含めた日程もきちんと決まっていて、時・場所は不動であった。

 場所はギリシャのオリムピアということはみんな知っているが日時はほとんどの人は知らない。先ほど日時も不動といった。一体何月何日か、しかしギリシアの開会日時はちょっと複雑で太陽暦の何月何日とは言えない。実は陰暦と太陽暦の絡みからその日時は算出されるのである。一言で言ってしまえば「夏至から数えて二回目の満月の日がオリムピク期間の中日になる」ということである。これを今年に当てはめてみる。夏至は6月21日,そして一回目の満月は6月25日,二回目の満月は7月24日となる。古代オリムピクは全日程が5日間で行われる。中日を24日にとると、五日の全日程は22,23,24,25,26となる。そうすると開会式は7月22日である。なんと!今の東京オリムピクの開会式が23日であるからほぼ同じ日である。

 ギリシアにおいても何と真夏に開催していたのである。日本人の感覚では秋にしたほうがずっと気候がええんちゃぁう?と思うのだがこれは気候風土の違いで地中海式気候のギリシアでは真夏は確かに暑いが晴天続きで湿度が低く、雨はまず降らない。逆に秋口になると気温的にはよくても雨量が多くなるからたった5日間しかないオリンピアの祭典、雨の恐れのある秋や春よりまず間違いない晴天のつづく夏が最もふさわしかったのだろう。

 ほとんど一致した古代と現代東京のオリムピクの開会式、湿度の違いはあっても真夏開催はどちらも同じ、クソ暑いのどないぞせぇ!とブ~垂れる人もいるが、なるほど真夏!これが本来のオリムピクの時期やなぁ、と知った次第である。

 しかし考えれば古代ギリシアのオリムピク、真夏に開催しなければならない必然性は高いといわなければならない。ご存知の方もいると思うがあらためていうと、古代オリムピクに出場の選手たちは、例外なく全員、全裸、素っ裸、もう一度念を押すと、フンドシ一切れも身に付けてはいけない。これじゃ春寒、秋冷の時期など素っ裸はサムイし、また縮こまって体の動きも滑らかにはならんだろう。そんなら服着ぃて別の時期にすりゃぁええが、ちゅうのは現代人の考え、全裸でスポツ競技を行うというのはもうこれは古代オリムピクの第一義的な要件であった。素っ裸には貴族や平民の身分の違い、富の多寡、そんなものにとらわれない全くの一人の赤裸々なギリシャ人という意味があるという人もいるし、また神にささげるスポツ競技ということで身にものをまとわないのだという理由を言う人もいる。また肉体に美を求める傾向は古代ギリシア人に特に強い。美が宿るのは均整のとれた体や顔だけではない、体の動きの美しさもそれにははいる。格闘技で暴力的に相手を打ちひしぐ動作でさえもギリシア人は魅せられ興奮した。だから当然全裸でなければならないのである。

 今日、ギリシアのオリンピアの地には広大な遺跡が広がる。行ったことはないがネットのググルマップだのアースだの使えばパソコンでバーチャル観光ができる。ググルマップで「ギリシア・オリンピア」と入れるとワープして廃墟・遺跡観光を楽しめる。そこからは多くの壺絵が発掘されているが、これもネットで検索し見ることができる。全員例外なく全裸の選手であったことがわかる。下は短距離走の選手たち


 全裸で走るのと衣服を身に着けて走ると、その二つの速さの違いはどうなんだろう?現代のようにパンツ、ランニングシャツを身に着けていた方がよいのか、それとも素っ裸の方が抵抗ないような気ぃするから走りやすいのか?いやいや、誰やらいいよったが、素っ裸で全力疾走すると、股のチンポがブラブラして股に打ち当たったり、股で金玉挟んだりして走りにくいと。私の知り合いに短距離走者ではないがマラソンが趣味の人がいて前にそのことを聞いたことがある。すると「さ~ぁ、どうだろ、ちょっとわからんな」と言っていた。考えると馬鹿なことを聞いたものだ。比較せにゃわからんのに、現代において素っ裸で数百メートルも走れるはずはなかった。

 これも壺絵から、これはボクシングの選手、たぶん試合中ではなく、ボクシングの練習中と思われる。なんか「型」の練習をしているように見える。手には革帯を巻いていて今日のボクシンググローブの代わりをしている。当然これも全裸、チンポブラブラ。


 下は実際のレスリングの試合中。想像図だが時代考証も考えてよく描けているといわれている。


 古代オリムピクは5日間ということもあって種目は現代のように多くなかった。次のようなものであった。

古代オリンピック種目1:ボクシング

古代オリンピック種目2:チャリオットレース(戦車競技)

古代オリンピック種目3:ペンタスロン(円盤、槍投げ、幅跳び、徒競走、レスリング複合)

古代オリンピック種目4:パンクラチオン(何でもありの格闘技をイメジするとよい)

古代オリンピック種目5:ランニング(短、中、長距離に分かれる)

古代オリンピック種目6:レスリング

 古代オリムピクは男ばかり、そして例外なく全裸で行う。全裸はギリシャ以上に日本の夏はそれにふさわしい。『日本古典ギリシャ様式全裸オリムピク』も開催すりゃぁええがと思うが、現代は全裸厳禁である。男ばかりというのも問題である。女性差別となる。現代においては古代オリムピクの真似でさえ非難の的になるであろう。

 西洋人は自分たちの文明の大本はギリシアに始まると言いながら、ヨーロッパの寒い風土のせいもあるのか、中世近世から現代にいたるまで全裸に対する忌避感が強い。幕末、日本人は夏はふんどし一丁、全裸に近く、平気でその辺を歩き回っていた。日本へ来た多くの西洋人はこれをみだらで不道徳とみた。日本人はなんの不都合もなく暮らしていたが、明治政府は西洋人の目もあって服を着にゃぁ処罰するとおどし、それもあって真夏のふんどし一丁は影をひそめるようになった。そしてその成果があったのか、現代においての日本人の裸に対する拒否感は幕末の欧米人のレベルに達した。東北に蘇民祭という裸の神事がある。その祭りの周知広報の為に裸の男が写った祭りのポスターを作ったら潔癖症の方から裸は不快感を与えると抗議がありポスターは没になった。まことに文明開化のお蔭か。

 しかし少数だが幕末に来た欧米人の中にも日本人の裸に理解を示す人もいた、かなりギリシアの古典に造詣の深い人だったのだろう。次のように言った「羞恥だの、不道徳だの、我々の目で日本人を見てはいけない、私は彼らを見ていると、まるでアルカディア(古代ギリシャの理想郷)の住人じゃないのかとさえ思う。私は日本人が屈託なく裸で過ごしているのを見ると古典期のギリシャ人を思い浮かべる」

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