2012年6月30日土曜日
電気の話 しびれるわ~~
磁気の場合、磁化された鉄の釘を竹筒などに入れて水に浮かべると北を指すことが古くから知られ、方位磁針(羅針盤)に利用されました。これは航海術の向上に非常に役立ったことはご存じのとおりです。
では電気の場合どうでしょう。この場合、昔からよく知られていた摩擦電気(静電気)のことですけど、古代にその現象が注目されて以降、何か役に立ってきたのでしょうか。
摩擦したものどうしの間で火花が飛ぶ。羽毛や髪が帯電した物に吸いつく、これらは不思議な現象を起こす見世物的なものとして扱われ、役立つものに利用されることはずっとありませんでした。
摩擦電気の場合、帯電してもその電気容量は小さく、何かをなす(利用する)ことは難しかったと思います。
皆さん、ガキの時分に摩擦電気(セルロイド製の下敷きで)で遊んだでしょうが、何か利用できましたか?上記のように現象を見て楽しむくらいだったのではないでしょうか。
この状況が変わるのは18世紀の中ごろ、静電気をためる蓄電器、ライデン瓶が発明されてからでした。今日のコンデンサーと同じ原理です。蓄えられる電気容量は「鉛蓄電池」などと比べるとごく微量ですが、静電気の高電圧を蓄えることができます。
ライデン瓶とは?ここクリック
ライデン瓶の作り方は?ここクリック
かなり簡単な装置ですが高電圧を蓄えられるため、科学的性質を究明するうえで役立つものでした。
さて、ここからですが、ある日事故が起こります。ライデン瓶は静電気を繰り返し蓄えることができます。何度も摩擦電気を蓄え、恐らく限界くらいまで蓄えたんでしょう。実験者がその瓶をもって運ぼうとしたとき、その実験者に放電が起こります。持つ場所が悪かったんでしょうね。
恐ろしい電気ショックがその人を襲い、以後、半年くらい半身不随になったそうです。普通の摩擦電気ではこんなことは起こりませんが、さすが高電圧を蓄えるライデン瓶です。このような半死に近いショックを与えます。
しかしこのことはこの「電気装置」がある有用性を持つのではないかとの可能性を示唆しました。つまり、健康な人にショックを与え、恐らく神経系に障害を与え半身不随にするなら、逆にこれを適度に使えば、神経系の病気、麻痺している人などに効果があるのではないかということです。
今日でも電気で刺激を与える電気療法は医学的治療に用いられていますから、この着眼は間違っていませんでした。
そうなのです!歴史的に始めて電気が有用なものに使われた最初は『医学用治療器具』だったのです。
この装置が欧州で治療に使われてから少しして、オランダから渡った装置を改良して、我が日本でもこの装置をつくりました。名付けて
『エレキテル』
作った人は万能の天才といわれている「平賀源内」
下がその装置です。そして治療図
さあ、ここからはやまさんの下ネタ妄想ですから、良識ある紳士淑女の諸君は以下、読み飛ばしてください。
この電気ショック装置、卒中などで麻痺の多い江戸の人たちに施し、これが結構効いて評判になります。
この装置エレキテルを神経麻痺、神経痛、肩こり、他、脳病・ある種の精神病、など神経系の病に使います。しかし源内は別の刺激に着目します。
つまり、電気(当時はエレキといった)のビリビリ感は、性的エクスタスィーに似通っているのではないかということです。
ここで平賀源内の性的嗜好をお話ししなければいけませんね。彼は言わずと知れた「男の子だ~~~い好き」のホモセクシャル。江戸芳町にある陰間茶屋、今でいうオカマバーの常連。またハードゲイも好きという、男となら何でもありのおおらかな(?)好み。
こんな癖のある源内の手にエレキテルがあるのですから、単純に治療にだけ使われたと思うことには無理があります。
さっそく若い男の愛人たちとその装置を試したに違いありません。科学的探究心の強い源内ですから、いろんな部位、強さを変化させ実験したでしょう。
そして・・・・・・
「おお~~っ!鼠蹊部にエレキショックを与えれば陰茎が本人の意思にかかわりなく勃起するぞ!」
「陰嚢の裏あたりにエレキショックを与えれば、本人の意思にかかわらず射精するぞ!」
という科学的知見を得ました。この装置を使いながら男の愛人たちと
「しびれるわ~~」
などを連発しながら楽しんだでしょうね。いや~~源内はん、エレキテルはすごうおまんな。
よい子は真似をしてはいけません
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2 件のコメント:
電動のバイブレーターは女性も密かに愛用しているのではないでしょうか?そんな気がしています(^o^)/
コメありがとうございます。なにかと、お疲れ様です。こんな天気はあまり心身に良い影響をもたらさないんじゃないですか。さわやかになることがあるといいですね。
電気の最初の活用が医療用だとは、ちょっと意外でした。何か別のものを想像してました。
この平賀源内、わが町の北山のトンネルを抜けて讃岐をちょっと走ったところに生まれ故郷があります。意外と近くの人だったんですね。
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