2011年1月13日木曜日

江戸時代にワンピースの話が?

 次の二つの絵を比べて見てください。
[ルフィ.jpg]

 この二人のキャラにはある共通したものがあります。
 それは「海賊」というキーワードです。左のキャラは今や世界的に有名なアニメの主人公、ルフィです。
 実は今日初めてインターネットで第1話を見たんですが、このかわいらしい少年、海賊王を目指して樽の中から桃太郎のように飛び出てきました。
 それで右のキャラ、
 「これ、だれ、知らん」
 名前は毛剃九右衛門、海賊の頭目です。実在の人物ではなく創作上の登場人物です。

 いまTVアニメで大人気のワンピースは、海が舞台で、海賊が出てきて、冒険あり、お宝さがしあり、さまざまな悪人キャラ、そして多分ロマンを添えるために美女も出てくるのでしょう。このようなお話、男の子だったら面白くないはずはないですよね。(ごめん、女の子も)
 では、このような面白い海賊ストーリーが、すでに江戸時代にあり、大人気を博していたといったら驚かれるでしょうか。江戸時代は、鎖国していて、封建制で、人々はお上から抑圧されていて、海賊・冒険・ロマン、なんかと縁遠いとの誤解があります。しかしこの認識は間違っています、少なくとも、義太夫狂言や歌舞伎などの、まあ今でいう創作ドラマの中では、海賊や、異国に渡る話、冒険もの、壮大なSFっぽい荒唐無稽なものまで、何でもありだったのです。

 なんと今から300年もの昔、西暦1718年、日本のシェークスピアと言われた近松門左衛門によって書かれた義太夫
 「博多小女郎波枕」(はかたおじょろうなみまくら)
 が海賊の話でその海賊の親玉が、右のイラストのキャラ、毛剃九右衛門なのです。
 後に歌舞伎にもされ、当時ですから、江戸の芝居小屋で舞台上演されました。この舞台、全く破天荒なもので、江戸っ子を唸らせ、やんややんやの大喝采を浴びたのです。海賊もののドラマ仕立てで、これほどの人気、ワンピースファンの遺伝子ってこの時から続いているんじゃないでしょうか。

 幕が開くと一面の青い海原、隠密行動の海賊船だからだろうか、今は夜であり、突き進んでいる。満月のため白波が見え、のこぎり状の幾重もの波が動いている。
 舞台一面には巨大な船が横腹を見せて進んでいる。
 観客はこの動く波、巨大な船の大道具に度肝を抜かれました。
 しかしもっと驚きます。
 江戸時代の日本人の発明である回り舞台を駆使し、横向きの大きな船が、グッグーと90度回転し、舳(へさき)が正面へ、もう、観客は口あんぐりの驚き。
 へさきには、右のキャラの海賊の頭目が両腕を腰に当て、睨みを利かす、大見得。これ、
 「汐見の見得」といって、のち大評判になります。
 まん丸の月を背に受けてのこの舞台の美しさ、頭目の見得、(まあ、大げさともいえるふりの仁王立ち)、それもへさきで、の見事さ。(このへさきの見得って、タイタニックの映画にも使われてますね。オリジンは江戸歌舞伎が先だ)
 大当たりをとります。

 江戸時代はアニメ漫画は存在しませんが、それに代わる破天荒な海賊ものの舞台があったんですね。ワンピさんもやまさんも江戸に生まれてたら、この芝居を見て大喜びしたでしょうね。
 
 そういえば左のルフィ、へさきでの「汐見の見得」の格好ではありませんか。

 
 

2011年1月12日水曜日

やまさんの頭部の人類学的考察

 昨日のブログで鳥居龍蔵の人類学のことを書きました。今日はやまさんの頭部の人類学的分析を非学問・独断・偏見的立場から書きました。

 頭部の人種的分析の指標としてよく目安にされるのが頭長幅指数である。大まかに分けて、長頭、中頭、短頭がある。
 長頭といっても顔が長いことではないですよ。簡単に言えばこれは頭蓋骨の頭頂部を真上から見た形です。縦長の楕円の場合は長頭、横長の楕円に近くなると短頭、円に近いのが中頭と言っていいでしょう。
 ヨーロッパの北西部の人々やアフリカの黒人は長頭が多く。東アジアの人々には短頭が多い。北東アジアから朝鮮半島の中には極めて短頭の人が分布する。日本列島は短頭の人が多いが、アイヌはこの地域では中頭から長頭の部類に属する。たぶん縄文人も同じ。列島でも北へ行けば短頭の割合は減ずる。
 アジア人種は最近、新モンゴロイドと古モンゴロイドに分けて論じられるが、新モンゴロイドは短頭の割合が高く、古モンゴロイドは中・長頭の割合が高い。弥生人は新モンゴ、縄文人は古モンゴ、と言われている。日本人は両者の混血と考えられる。

 そこで、やまさんである。まだ生きているから、しゃれこうべで調べるわけにいかんから、合わせ鏡で頭頂部を見る。
 「えっ、こんなに禿げてたのか。」
 の感想は置くとして、やや縦長に近い円形、中頭に近い短頭。
 やまさんの頭頂幅指数は、新モンゴロイドである弥生人と古モンゴロイドである縄文人が程よく混じったところに来ています。

 日本人は大陸や半島部の人より古モンゴロイドの遺伝子を多く受けていると思われます。縄文人やアイヌ人がその古モンゴロイドです。韓流ドラマを見る人は気づいている人が多いんだけれど、韓国の男性は体毛が少ない人が多いですね。脛なんか毛がなくつるっとしてます。新モンゴロイドの特徴です。
 
古モンゴロイドの特徴としては頭頂幅のほかに

・瞼上部に腫れぼったい脂肪の膜、蒙古襞がないため、二重瞼で目はパッチリしてまつ毛が長い
・体毛が多い。耳垢に粉耳は少なく、飴耳が多い。福耳も多い。
・狭鼻は少なく広鼻が多く、鼻は大きく、眼窩はくぼんでいるため、新モンゴロイドに比べると立体的な顔立ちが多い。
 
 などが統計的に多い身体的特徴です。

 で、やまさん、見事なくらい新モンゴロイドと古モンゴロイドがよくブレンドされた位置にいます。ただ、耳に関しては中間はないので、こちらは粉耳で新モンゴ、形は福耳で古モンゴ、一対一である意味、混ざってます。目も片方づつ一重と二重です。
 太古、縄文人が満ちていた列島に大陸から海を越えて弥生人がやってきました。略奪婚か平和な和姦か知りませんが、二つの人種集団がせっせと子作りに励んだ結果、いま、やまさんがここにいます。
 
 やまさんの顔がここ三か月の間に変化してきました。ヒゲを剃らなくなったため伸びてきて風貌が変わりました。むさい顔になってます。
 弥生と縄文のほどよい混血のため多くもなく少なくもなく、濃い欧米人やアイヌ人のように威厳あるヒゲには程遠いです。私のような平均的日本人のヒゲの濃さだと、昔からよく知られている
 「天神ひげ」
 が日本の初老男子には一番お似合いです。これも伝統の文化でしょうか。
 
 日本人は体の部位の名称は大雑把な把握です。どこもかしこもヒゲでおしまい。英語や中国語には区別があります。漢字では
  くちひげ)、あごひげ(鬚)、ほおひげ(髯)で漢字を使い分ける。
 ヒゲの文化人類学的考察もすれば面白いと思いますが、そんな専門は
 「わたし、せんもん!」
 と親父ギャグでやめます。
 ただ、ヒゲは古来より、霊力の源と信じられていたふしがあります。古事記にスサノオノミコトを高天原から追放するとき、霊力を絶つためヒゲ、爪を切ったとあります。シャーマンや呪術師がヒゲぼうぼうなのはそのためかもしれない。
 やまさんもヒゲを蓄えて霊力は増しませんが、ある意味敏感にはなりました。寝ていて口の周りのヒゲをぺろぺろなめて湿気を与えてやると、どの方角から隙間風が忍び込んでいるのかわかります。ヒゲが微妙な風を感知します。たいした能力ではありませんが。

天神様にあやかったやまさんのお髭
 

  

2011年1月11日火曜日

鳥居龍蔵展示を見ての独断的感想

 鳥居龍蔵が人種学、民族学に興味を覚えたのは幼少の頃、本で世界には5大人種がいると挿絵入りの解説を読んだからだと紹介されている。幼少の時の大きな感動や疑問が後のその人の人生を方向付けることはよくあることである。
 私も子供の頃は、どうして同じ人間なのに黒人や紅毛碧眼の白人がいるのだろう。身体的外見は我々とずいぶん違うが、心なんかは同じなんだろうか。なんで喋る言葉もちがうんだろう、と不思議に思ったものである。
 鳥居龍蔵はこのような子供の時の疑問をあたため大人になって人種、民族学を研究し、成果をおさめたのである。
 
 彼が勉強を始めたのは19世紀末、その学問の定義や対象、目的、手段は欧米から学んだものである。この欧米からの学問であるということに注意しなければならない。当時の世界情勢は欧米による帝国主義の時代である。20世紀の初めまでには、世界の有色人種の地域は後発の非欧米国でもある日本も含めた列強(帝国主義国家と言ってもいいだろう。)に分割されるかあるいは勢力下に入ってしまう。
 そこでそのような支配を正当化する論理が出てくる。今から考えると、なんと傲慢な思い上がりか、と非難されるが、当時は声高に叫ばれていた。それは
 「未開な民族を我々の手で文明化し、幸福にしてやらねばならない。それが我々文明諸国の責務だ。」
 欧米諸国は自分たちの西洋近代文明がもっともすぐれた普遍性を持つものであり、それを敷衍していかなければならないと信じたのである。
 自分たち以外の様々な民族や文化に対して、平気で「未開」という言葉を冠して使ったのである。未開民族、未開文明・・・・などなど。

 そのような世界情勢の中にあって、さまざまな民族や文化を研究する人種学、民族学が欧米人種・欧米文化優位という先入観が付きまとっていたのはやむを得ない思われる。人種学では頭骨が研究対象になるが、例えば、アフリカ、ニューギニアの人の頭骨を調査し
 「このような原始的な形態が額部、眼窩に残っている。」
 「頭骨のこの部分により類人猿に近い形態が見られる。」
 恐るべきレイシストという莫れ、20世紀初頭にはいわれていたのである。今でこそ我らすべての民族は同じ種であり優劣はないが、当時は劣等人種はいると声高に言わない学者でも大部分は本音ではそのように考えていたのである。
 1945年までのナチスドイツの人種政策を補強したのはドイツの人種学、民族学であったことを思い出してもらいたい。程度の差はあれ昔のこの分野の研究者で全く色眼鏡なしで人種や民族を研究できたか、疑問に感じるところである。
  
 鳥居龍蔵がそのようなレイシスト、差別主義者というつもりはないが、一般的に言って、人種学、民族学は学問の分野でも一番時代による制約影響を受ける学問である。研究成果は純粋に中立的なものであっても、国家やある機関に利用されることで帝国主義的支配の助けとなるかもしれない。事実そのようなことは多い。成果は成果として、どの部分が都合の良いようにその筋によって利用されたか、見極めが大切である。

 大日本帝国は、欧米型の帝国主義的国家として版図を広げ、その「帝国」は東アジアに君臨した。その中には、多くの民族を含んだ。
 北方、樺太にはアイヌ、オロッコ、エベンギ、ウイルタ、ニブフなど6民族以上。
 台湾には漢民族のほか13民族の高地山岳民族
 赤道に接する南洋諸島にも3民族以上が
 租借地である大陸の遼東半島部には、満州族はじめ少数民族が
 傀儡国家の満州国にもモンゴル、ツングース系諸民族が
  
 実に25以上の民族を「大日本帝国」は含んでいたのである。
 彼は大日本帝国の版図拡大に合わせるかのようにこれらの民族を調査研究し成果をあげたのである。
 
 ちょっと卑近な話になりますが、今でも時々、懐メロで
 「わたしのラバさん」(私のラバさん、酋長の娘、色は黒いが南洋じゃ、美人・・・南洋民族
 「イヨマンテの」   アイヌ民族     
 を聴いたり
 「オロチョンの火祭り」の行事を見たりしていると
 ああ、昔は、日本も帝国だったんだなあと思います。
オロチョンの火祭り・樺太

 
 


南洋ヤップ島
 

 

2011年1月10日月曜日

無料見学日

 本日、博物館の一般展示と鳥居龍蔵の展示が無料なので見学しました。
その中で、鳥居龍蔵展示の王の墓の内部、博物館一般展示の江戸期の食事の展示を紹介します。


11世紀ごろ中国東北部にあった遼という国の王の墓の内部。
立体展示している。
壁面、ドーム状の天井の絵が素晴らしい。
鳥居龍蔵が現地に行き調査・研究をした。
 彼の調査旅行そして研究は大日本帝国の膨張とともに始まり、版図拡大に伴い研究成果も大きくなっていった。
 その勢力範囲には様々な民族を含み、その民族・文化の調査研究は今でいう文化人類学であった。










博物館のひきうすの展示
私が子供の頃はまだ使っていました。
祖母が米や小麦を挽いてお団子を、麦焦がしをひいてはったい粉を作っていました。















江戸時代の百姓の一般的な食事
麦ごはん。たくあん。煮干し入りの味噌汁のみ
農繁期には夕食に鰯の塩ものが付くぐらいで非常に粗食。
煮干しは今では出汁を取ったら捨てるが、昔は全部食べた。
これも不足しがちなたんぱく質、カルシュウムの貴重な摂取源













これも江戸期の法事の食事
上の普通の食事に比べ豪華
京都の高級料亭の精進料理のメニューといっても遜色ない。
本膳はまったけ、しいたけ、なめたけなどのキノコ類、豆腐、高野、コンニャクなどが主である。
汁はマッタケと豆腐汁
別皿は柿と梨、巻き寿司と寒天と焼き豆腐
酒もついている。

2011年1月9日日曜日

ぞべらぞべらと歩くのは

 田宮のツタヤをうろちょろしてると、若い振り袖姿の(二重語かな、振り袖姿は大概若いわな、でも、都はるみのように60歳過ぎても振り袖着るから、やっぱ、若い振り袖といわにゃ)お嬢様の集団がいた。
 こりゃ、なんぞ?
 披露宴がお開きになったんかいな。
 よく考えると、どうも地域によっては成人式の前倒しが今日みたいだったようで、
 ああ、二十歳の成人の着物姿じゃ。
 
 それからしばらくして、やまさんは徳島駅の階段を上ってました。前を行く若い男衆も珍しくなんと着物、キンキラキンではない地味な羽織袴、三人の一人は着流し羽織の格好、年齢はどう見ても20歳を超えたようには見えないのでこれも成人式帰りだろうか。

 民俗衣装はよろしいですな。伝統に培われた民俗衣装は、やはりその民族が一番似合いますなあ。
 おなごの子の着物姿は時々見るが、若い男子の着物姿なんかめったに見ん、今日はええもんみさしてもらいましたわ。私らの時は男はスーツばかり、それもかなり無理して親が調達してくれました。最近の男の着物姿は、若い男の子の伝統回帰か、見栄か、はたまた、ただあばさかっとるだけとみるべきか。

 若い子にはどんどん着物を着て欲しいと思います。着こなしや歩く格好をうるさく言う人もいますが、全然、気にしない方がいいです。2000年以上にわたって培ってきた着物の臨機応変度、自由度は、明治以降の洋服に劣るものではないですから、どんどん崩し、若い人が工夫して着物を変えていけばいいと思います。
 そういえば、真夏、ぼにおどりの時、若いつっぱったお姉ちゃんが、帯は腰できつく締めてるんですが、胸元あたりをうんと広げくつろいで着てました。だらけたように見えますが、江戸研究家によれば、このような着方は、活動的な江戸娘に一般的だったようです。今の着物はなぜか全体的にきつく締めすぎているようです。それにしゃなりこしゃなりこ歩く必要もありませんよ。着物を着て自分が好きなように歩けばいいと思います。
 
 わかい男女が着物を着て、ぞべらぞべらと歩くのはほんとにいいもんです。日本の国に生まれた喜びを感じます。

 私の好みからいえば、男は直垂を股立ちにした格好。女は壺装束で虫垂れの衣をたらした格好がいいんですがね。

今日と明日、目の正月をさせていただきます。ありがたや。

2011年1月8日土曜日

向こう岸まで全面氷結?

 今朝はかなり気温が下がったみたいで、家の前の江川に氷が張りました。向こう岸まで凍ってます。
 
 「辛卯の歳、新年早々、向こう岸まで全面氷結したこの年・・・・・・・・恐ろしい災いが降りかかる予兆で幕を開けた。」
 
 などと、中世の年代記の作者だったら、このように黙示録的な言い回しで記述したいところですが、川幅はせいぜい2~3メートルぐらい、水はほとんど流れてなくてうちの前のこの辺りは、水たまり状態、氷結しても不思議ではない。ちょっと大げさでした。

 昼前は風もなく、うってかわって暖かくなりました。そこで、今日は自転車に乗って徳島駅から文化の森まで往復しました。

 文書館で古文書の解説パンフレットを読んでいました。近世古文書は活字でなければとても読めません。

 歴史資料を読むたびにいろんなことを考えさせられます。               
文書館の資料についての感想は、またブログに書こうとおもっています。 

 連休中、暖かければ、自転車に乗って、いや、ちょっと無理かもしれんので、列車で小松島まで行って、新春の海を見たいです。

2011年1月7日金曜日

五節句



君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪はふりつつ

 百人一首に入っている光孝天皇の御製である。
 その年の早春、はじめて野に出でた野草、その中でも食べられたり、薬になったりした草である。その若菜を摘み、誰かに送ることは縁起の良いものとして喜ばれ広く行われていたのであろう。しかしまだ春浅く、摘んでいると雪が降ってくる。その情景を歌に詠んだものである。
 
 今日は五節句の一つ、人日の節句である。一年最初の節句である。一般にはお正月の祝いの最後、七草粥を縁起物として食べることで知られている。豊作と無病息災を願い食するのである。
 
 この五節句の行事が行われるたびに、私は不満に思い、どうにかならぬものかと思うことがある。ちなみに五節句はこのほか、皆さんよく御存じの桃の節句、端午の節句、七夕の星祭り、そして重陽の節句(菊花の祭り)がある。それぞれ3月3日、5月5日、7月7日、9月9日と陽数である奇数が重なる日になっている。
 はっきり言って、太陽暦でやるのにはかなり無理があるのである。ちょっと皆さん思い出してください。3月3日に桃の花を、5月5日に菖蒲やアヤメを。9月9日に菊を手に入れるのは難しくありませんか。これらの花はこの時期まだ咲いていません。季節にして40日ほど早いんです。また、7月7日の七夕、星祭なんですけど、太陽暦ではこの頃は梅雨の末期、集中豪雨が多発する時期で、澄んだ夜空とはもっとも縁遠い時期です。これも40日ほど後へずらすと8月の中旬、大陸から初秋の澄んだ空気がもたらされ始め、好天が続きます。
 これを旧暦でやるとすれば、30~40日後にずれますからちょうどぴったりします。というか、もともと五節句の行事は旧暦から外れてやること自体、おかしくて、旧暦の行事なのです。だから、太陽暦で五節句をやることは全く間違いといっていいのです。
 しかし、多勢に無勢といいますか、新暦以外は梃子でも受け付けぬその筋、大きな影響力をもつマスコミも新暦で、桃の、端午の、七夕の節句と大はしゃぎでがなりたてます。たまに申し訳程度に、ほんとは昔は旧暦でしてましたとコメント。
 そうじゃないってば!旧暦でしなければ間違いだっちゅうの!
 こんな私の意見なんか聞く耳もちませんよね。でも平気で季節感のない五節句を新暦に継ぎはぎし祝うのは、どう考えてもおかしい。もっと文化を大切にしてくれないものかと悲しくなります。
 人の脳は右、左と別れ、機能的にも気質的にも複雑です。不合理なもの、感覚でなければ説明できないもの、そしていくつもの違った概念が同時に認識できます。新暦と旧暦を共存させて用いることはなんら難しくはないと思うのですが。
  
 今日もTVなどでは人日の節句、七草粥、と行事を取り上げるでしょうが、春の七草にはまだまだ早いのは、先に言ったとおり。
 新暦では2月9日が、ホントの節句です。この頃になると気温はまだまだ低いですが光の強さから春は訪れ、柔らかい七草も野に出始めます。
 昨日、ニュースで七草パックを都市部へ出荷している農家をやってました。季節的にははやいので促成栽培なのでしょう。縁起物だから高く売れるとのことでした。

 七草粥は縁起物といって、わざわざ高価な七草パックを手に入れてまで粥を作り、食べる人がいますが、野草そのものの七草がおいしいはずもありませんし、消化にも悪いです。パックを売る人に文句を言うつもりはありませんが、伝統ということで、江戸の人々は、この七草粥をどのように作ったか、紹介しておきます。
 縁起かつぎの信心深い江戸の人でも、粥にほんとに七草など入れません。
 ナズナだけほんの少し入れ、主は小松菜を入れて食べてました。
 まったく間違った時期にやるにもかかわらず、馬鹿正直に江戸時代の人でも入れないような七草を入れて、「縁起もんじゃ!」と食べてる人を見たら、江戸の人は笑うでしょうね。