2025年1月29日水曜日

旧しょんがつ


 今日、29日は旧暦の正月元日、つまり西部阿波弁でいうなら「しょんがつ」である。とはいっても今日が旧暦の正月と認識している人などほとんどいないのが現状である。別に何の行事もないし、暦上の区切りとなるわけでもない。むしろ人々は、大挙して押し寄せてくる中韓ヴェトナムタイの人々が今日を挟んで長期の休みとなるきょうの旧正月元日を「春節」と呼んでいるので、そちらの方が今や日本人にはなじみ深い。

 ワイら小ンまい時には県内の西部や山間地域ではまだ今旧正月を祝う家も多々あった。ウチの家もワイが小学校くらいの時は、もちを用意しおせちを作り、松飾もこの日ためにかざった。学校も冬休みとは別に旧正月は一日休みとなった。

 昔の人は旧暦の何月何日を知るのみで生活していた。と、しかしそう言い切るのはあまりにも単純化した旧暦の解釈である。旧暦では太陽の運行の差と旧暦何月何日がかなり開くため、確かに今日は何月何日かということも大事にしたが、それと同等に二十四節季を旧暦上に記し、それをもとに季節季節の移り変わりを認識したのである。(今年なんどは六月に閏月があるため六月が二度ある。当然六月ころの新・旧暦の季節の差が大きくなる

 そのような意味で、大昔の人が季節で新年の打ち立て(初め)として認識したのは二十四節季の「立春」である。これは太陽の運行上厳密に旧暦でも決められるため、これをもとにすれば季節上の差異はない。だが一月一日は旧暦では空の月は新月でなきゃならん、新月と立春が一致することは少ない。でもできるだけ旧暦一月一日と立春が近いのが望ましい。そこであんまり離れることが確実なときは思い切って閏月をいれ調節し、元日(新月)に立春が近いようにするのである。だから旧暦一月一日は年によって、立春からふらふら前後アッチャコッチャへ動く、今年は立春から五日前が新月の旧一月一日となる。

 そのため年によったら立春から後が一月一日となることがある。二十四節季の太陽運行上昔の人は立春を年の初めととらえることもしていたので、旧暦暦上の年の初めの元日より先に(季節上年の初めと思われた)立春が来た場合、「古い年がまだあるうちに新しい年(立春)もはじまった」というような矛盾した気持ちも味わったのである。平安時代の次の歌(作者・在原元方)

『年の内に春は来にけり一年(ひととせ)を去年(こぞ)とやいはむ今年とやいはむ』

 高校の古典で習ったときは、教師の解説があったに違いないが、何のことやら意味がわからなかった。以上のように考えれば納得がいく。

ふろく

 昔、まだ旧正月を学校や家で祝っていたころの話、新暦か旧暦の元日か忘れたがわざわざ講堂児童全がに集められて「一月一日」という歌を皆で斉唱した。でもそのあと一人一人に紅白の饅頭が配られ、それはうれしかった。講堂では、真面目に

~年の初めのためしとて~♪終わりなき世のめでたさを~まつたけたてて~

 歌っていたが、饅頭をもって家に帰る道々、悪ガキどもと替え歌を歌ったものである。そのうた

~・・まつたけひっくり返しておおさわぎ~云々、なんたらかなんたら~♪

 そこまでしか替え歌を思い出さない、あれは何と歌ったのかなぁ、そんな時、ネットは威力を発揮する「まつたけひっくり返しておおさわぎ」を打ち込むだけで、当時歌ったであろう替え歌が出てきた。

~豆腐のはじめは豆でーあるー おーわり名古屋の大地震 まつたけひつくり返して大騒ぎー いーもを食うこそ へがたれるー  

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