外は北風が強く、気温も上がらない、いよいよ冬の到来だ。北国や雪国の人からしたら、この暖国・四国の冬が何が寒かろう、にと笑われるだろうが、そうはいってもここでずっと暮らしている年寄りにはやはり冬は寒い。
昨日、車を持っている友達に会ったが、お互い歳もよく似ているので寒いときはどうしても不活発になる、「今日はサブイから、そとであるくんわ、いやじゃな」で、喫茶店で世間話をする。しかし長々と茶店にいるわけにもいかんので、「ドライブでもするでぇ」ちゅうことで少し走った。太平洋側の冬のいいところは、サブゥても、風がガイに吹っきょっても、日差しは陰ることなくたっぷりある。窓を閉め切った車の中は温室のようで、運転している友達には悪いが日が当たる助手席はヌククて気持ちがいい。
近まの田園地帯を走った、田や野草の原、遠くの雑木林を見ていると初冬の風景だなと思う。広く見渡せる田園を走っていると、ところどころに背の高い黄金色に輝く木がある。銀杏の木だ。銀杏の黄葉は北風にも最後の踏ん張りを見せている。銀杏については昔、たぶん新聞のコラムか何かでこんな話を聞いたことがある。たぶん木屋平村とおもうが
「11月の末か、12月の初旬、初霜が下りた朝、まだ黄金色の葉っぱをたくさんつけていた銀杏は、その日の朝日を浴びると、申し合わせたように一斉に落葉が始まり、冬木立となる、後には一面の金色の絨毯とその真ん中に一本立つ葉を落とした銀杏の木がのこる」
いやぁ、なんとロマンチックで劇的な落葉だろう、見てみたい、とおもいつつ果たせぬまま、車の中でそのことを思い出した。
「あっちこっちの寺社に銀杏の大木が見えているが、どこか見事な銀杏を見にいけへんでぇ」
友人も賛成してくれたのでそちらへ車を進めることになったが、はて、どこがいいだろう、過去にいろいろな場所で銀杏の見事な黄葉をみたが、その場所が思い出せない。探しながら車でウロウロするのも大変なので、近くで行きやすい五番札所地蔵寺の銀杏を見に行った。
地蔵寺の駐車場から東を見ると、なんとこの地蔵寺の銀杏より丈の高い銀杏が一町ばかりの距離にあるではないか、たぶん神社の境内だろうと、地蔵寺の銀杏を見た後、歩いて見に行くと野神社の銀杏だった。
中学一年で初めて英語を習ったとき、「秋」の同義語として二つの言葉を習わなかっただろうか?一つはautumn、もう一つはfall 、アメリカではfall が一般的と聞く、だれでも推察できるように、秋に葉が「落ちる」の現象をイメージしてfall になったようだ。
日本でも凋落の秋、といういい方があるし、「秋」と書いて「時」・トキと読ませたりする。いよいよ亡びの秋(トキ)がきた、などとの言い方は英語のfall と通じるものがある。
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