山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば(百人一首二十八番より)
またもや仏教の話から始まるが、逃れられない本源苦として、お釈迦さんは「四苦」を説いた。四苦は生苦、老苦、病苦、死苦、である。これに愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四つを加え「八苦」とする場合もある。しかし古希を迎えた私の実感からすると私のような年寄りには「四苦」は「貧」「孤」「痛」「弱」ではないかと思う。もちろん高齢者となってもそんな四苦がほとんどない人もいるから本源的な「苦」ではないだろうが。
私の場合、四苦の貧・孤・痛・弱の中で幸いなことに(未だ)貧・痛・弱の三苦は生を脅かすまでにはなっていない。「痛」は体と心の痛みも含み、「弱」は体力だけでなく知力・記憶も含む、この二苦は最近はかなり大きくなっているが、まだまだ耐えられる。「貧」は文字通り貧乏だがさすが衣食住に窮乏することはない、しかし「貧」でも「貪り」の方がずっと心配である。ただこれも今現在であって、これからこの三苦は次第に大きくなり何時まで生きられるか知らないが我が身のすべてを占めるようになるかもしれない。でも今のところ一番苦しいのはやはり「孤」である。
昨夕の気温の急激な低下と台風並みの北風はすごかった。唯一の暖房器であるホットカーペットの設定温度を少し上げ、腰回りに電気毛布を巻いたのでそれなりにポカポカ暖たかい。何が音を立てるのか外ではバタンバタン、カラカラと騒がしく、それとともにヒュー、ゴーという風の音もまじり止む気配がない。もう五時半を過ぎれば外は真っ暗、時雨れの暗雲が垂れ込めているのかいつもより暗い。こんななか一人ポツネンといると魂も細り吹き消えそうである。
こんなひどい天気のなか、ふと思いついたのが、「そうだ、銭湯に行こう、うんと温まろう」、なにもよりによってこんな天気に、と思うかもしれないが、孤独に閉じ込められて家にいるより、外へでて銭湯まで一心不乱に駆けて行く!吹き飛ばされそうな風に孤独も吹き飛べ!がどれだけマシか。
とはいえわが町に銭湯はない。一心不乱に駆けゆく、っつうても行く銭湯は近くでも蔵本の銭湯である。汽車で行かねばならぬ、時刻表を見ると午後7時43分の徳島行がある。簡素な夕食を済ませ、湯道具をリュックに入れて、寒く台風並みの風の中、家を出る。
この銭湯、実は4~5年前までは時々行っていた。しかし最近はずっとご無沙汰であったが、先月11月くらいから、週に一度くらいまた行くようになった。なぜって?歳ぃいってやっぱ孤独を少しでも癒すためかな、いやよくわからん、寒さがこたえるようになってまた銭湯へあしがむいたのかな?
いまでも4・5年前行っていた時の顔見知りもいて、湯船に浸かりながらけっこう長々とおしゃべりする。といってもどこの誰かも知らない、この銭湯だけの顔見知りである。銭湯は体ばかりでなく心も暖め、湯気で舌のすべりも滑らかにするのか、知らぬ同士でも挨拶はもちろん、下世話な世間話にも花が咲く。日によっては誰ともしゃべらぬ日もある中、銭湯へ行けば十分なおしゃべりをする。そして銭湯のおしゃべりはあたりさわりのない、しょうむない内容であるが、しゃべった後、ほのぼのとした満足感がある。
駅の吹きっ晒しのホームの寒いこと、乗った列車はこの時間帯なのに5両もある、だから乗り込んだ私の車両の乗客は私も入れて3人、寂寥感満載の夜寒孤愁列車。でも、ワイはこれからあったか銭湯に行くんだ。むしろこのコントラストがなぜか嬉しい。
蔵本駅前には一見華やかに見えるイルミネーションがあるが、赤や黄色の暖色のイルミでもLEDライトの蛍光は冷たい光、こんな風の強い夜寒には華やかさなど全く感じない、むしろ侘しさや冷たさを感じる。
で、一時間、ゆったりと湯船に浸かったり出たりで体の芯からあたたまる。毎日きているという銭湯での話し相手の(仮に)Sさんもいる、自分でも不思議なくらいこの人とは快活に話ができる。私より十歳下だからもう60歳である。回をまたいでぼちぼち話しを聞くと、彼、京都の有名私大出身だという、年度などから、彼が在学中、ちょうど私も佛教大学の通信教育のスクーリングで一ヶ月びゃぁ京都に短期下宿していた頃、そのころの京都のあちらこちらの見所、食べどころ、遊びどころ、など共通の話題で盛り上がる。
身も心も温まり、帰りの汽車に乗るため寒い強風の中を歩くが、まったく苦にはならぬどころかすこぶる気持ちがいい。まぁ駅から銭湯まで200m位しかないから、駅ですぐ乗れるよう時刻調整すれば湯冷めもすまい。
ふと見上げると時雨れの雲は吹き払われたのか、ほぼ天頂にある丸い月が明るい。そうか、今日は(昨夜)は旧暦の14日、ほぼ満月、月は太陽と真逆の関係で冬至頃にもっとも高度が高くなる。その関係で月はもっとも明るいが、先ほどのイルミネーションと一緒で暖かくなく冷え冷えした冷光である。夏や春のように高度が低く、山並みのちょっと上くらいに出ていれば月もそう孤独な感じを受けないが、天頂にまで上がる12月の月は明るく星々も消し、天頂付近は山も建物もないから、丸い月が小さくいやに孤独に見える。
「狂風(強風)、孤月を吹き・・」とまで口ずさんだが詩心のない私である、あとが続かない。
家に帰って布団に入るまでポカポカ感は消えなかった。
さて、今日(18日)、今、午後8時過ぎ、12月の満月である。見えるかしらん?喫茶店ワイファイでブログを書いているが帰りに見てみよう。
一晩寝るとまた少し鬱状態、孤独感もヒシヒシ、運動すればいいかもしれんと、寒いが陽射しはあるので昼過ぎ持明院跡(今は大滝山)を歩く、薬師寺~観音堂~神武天皇像~眉山周遊路~天神さん~阿波踊り会館
大滝山の由来となった滝は今はチョロチョロ、黄色い花はモラエス花というらしい。
天神さんでは大きな牛の像を見る、そういえば来年はうし年だ。
天神さんの高台から下を見ると七五三を祝った男の子二人がお母さんに連れられてかえるところ
「ワイもあんな孫が・・」
いや、それはいうまい、自らの「業」によって今の自分があるのだ。因果応報は来世にあらず、すべてこの世で果たされるのだ。
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