太龍寺にまつわる伝説には2つの龍に関する言い伝えが知られている。その二つは人にとっては相反する龍、つまり「良い龍」と「悪い龍」である。「良い龍」のほうは神武天皇が行幸した折、天から降臨した虚空蔵菩薩を守ったというものである。日本神話と仏教説話がごっちゃになったような話で具体的な細かいいきさつはわからないが、大事なことは虚空蔵菩薩の守護としての龍、つまり仏法の守護者としての龍として理解するほうがいいだろう。
「悪い龍」は干ばつ、嵐、大雨、等々で作物を荒らし、農作物や人命に被害を与えたのである。ここで注意してほしいのは、その被害は悪天に関係しているということである。悪龍と悪天が結び付けられていたのである。この太龍寺のふもと付近の村々はたびたびの悪天(すなわち悪龍)に苦しめられていた。そこへわがスーパーヒーロー「お大師さん」があらわれ、村人を救わんと仏教の秘法を用いて悪龍を取り押さえ、山中(太龍寺山)の岩屋へ閉じ込めたのである。悪龍を封じ込めたため被害はなくなり、めでたしめでたしとなるのである。各地に存在する「お大師伝説」の一つである。
この良い龍、悪い龍、相反する二つの龍であるが、実はこれは二つ結びついて一つの龍としても考えられる。上記の二つの話を読んで感じることは、悪い龍の話のほうがずっと生き生きしていて本来の龍伝説にふさわしいことである。つまり本来の龍の性質は生き物として生きることそのものがその意図には関係なく、悪天(嵐、大雨、干ばつ、とくには竜巻、突風など)をもたらすという因果なものであった。しかし結果として人に被害をもたらすならばなんとかしなければならない。その時、お釈迦さまやお大師様のような宗教的パワーの持ち主は「封じ込め」や本来龍の棲み処である「湖中」や「海中」などに鎮まってもらう、という手を用いるのだが、それよりなおいいのは、龍そのものを仏法に帰依させ、さらにはその超能力を持って「仏法守護者」になってもらうことである。つまり本来は龍は良いも悪いもない人と同じように煩悩も持てば、悪行も善業も積み重ねて生きる生き物である。それが仏法に出会い、仏法に帰依することにより、人に被害をもたらす生き物から、そうではない生き物になるのである(降雨をつかさどると考えられたため、適宜による雨はむしろ人に良い結果をもたらす)
太龍寺の岩屋に閉じ込められた龍は、その後、閉じ込められっぱなしか、それとも仏法に回心して良い龍となったか、そこまではわからないが、仏典の中には一転して仏法の守護者となった龍(生き物の一種と思われていたのでその数も多い)がたくさんいる。このように考えると、悪龍⇒仏法に帰依する⇒良い龍⇒さらには仏法の守護者の龍、という成長(修行か)を遂げ、太龍寺伝説の第一の話、虚空蔵菩薩さまの守護者としての龍伝説にも結び付くのである。
さて龍も人のように煩悩もあるし喜怒哀楽のある生き物であるといったが、現代人は龍などという生き物が実際にいるわけではないと知っている。しかし歴史的に見ると洋の東西を問わず、世界の多くの地域では龍は存在すると信じられていた。西洋では「ドラゴン」と言われギリシャ神話、ケルト神話、北欧神話に登場する。もっとも現代人が「龍」という言葉を聞いてのイメージは中国伝統の「龍」が強いためそれが一般と思われようが、世界各地に存在する龍・ドラゴンのイメージはもっと幅広いものである。でも共通点はある、鱗を持つ、極めて巨大である、爬虫類的特徴を持つ、他特殊なものとして火を噴いたり、鉤爪があったり、また空を飛ぶため翼があるのもある(中国の龍も空を飛ぶが、雲を呼びそれに乗るためか翼などはない)この一般的特徴を広義に「龍・ドラゴン」と規定すると日本神話にも龍伝説は存在する。ご存知、記紀神話の『八岐大蛇』である。原文で読むと八つの頭を持つ大蛇である。
なんでこんなに各地に龍伝説が存在するのかについてはいろいろな研究がありどれももっともなものと思われる。例えば、猛威を振るう自然現象を龍と見立てたことが考えられる、特に豪雨の後の渦巻き迸るような川の流れや、川の段差を飛沫を上げうねるような落ちる太い水流、同じように空気の激烈な流れ、それはつむじ風や竜巻など(山火事時の巨大火炎竜巻も考えられる)であるのだが、その水流や気流(火流)の中に何か巨大な生き物がいて怒ってのたうち回っているように感じることである。その他、現実に存在する巨大爬虫類(大蛇、オオトカゲ、鰐)への恐怖が龍へのイメージを生んだことも考えられている。イメージであるためそれらの生き物を合体し、もっと巨大化して考えられたとしても不思議ではない。中国系の龍などは、顔部分と手足は「鰐」、長い体長は「大蛇」そして巨大なまずの髭や尾びれなどを配せば、ほぼ龍のイメージとなる。
しかしもっと直接的に龍・ドラゴンに似ている生物はいる。いや、正確にはいた!この地球上に存在したがそれは1億年も前の話である。そう恐竜類のことである。時代的に古代人とは結びつかない。しかし、これも龍伝説の説明でよく言われていることだが、その化石は今も存在する。発掘作業などしなくても、岩石の風化や、地震山崩れなどにより、恐竜の化石の骨格(運が良ければ頭をはじめ体の大部分)、あるいはごく一部の「爪」や「歯」でもよい。それが古代人の目に触れることもあったであろう。それを見たとき、これは龍・ドラゴンの死骸の一部であると思うのは自然なことである。
世界各地において龍・ドラゴンのイメージはこのようにして形作られた。日本においては変成岩の多い火山国であるため化石類が目にされることは少なかったであろうが、自然の風水害の猛威時に見る恐ろしい水流、竜巻などは目撃される。また巨大爬虫類はいないがそれでも人間の体長より長いアオダイショウは存在する。みた恐怖心から何倍もの大きさのダイジャとしてイメージが植えつけられるのはありうることである。それが元になって先に述べた「ヤマタノオロチ(大蛇)」伝説となっているのであろう。
世界各地において龍・ドラゴンのイメージはこのようにして形作られた。日本においては変成岩の多い火山国であるため化石類が目にされることは少なかったであろうが、自然の風水害の猛威時に見る恐ろしい水流、竜巻などは目撃される。また巨大爬虫類はいないがそれでも人間の体長より長いアオダイショウは存在する。みた恐怖心から何倍もの大きさのダイジャとしてイメージが植えつけられるのはありうることである。それが元になって先に述べた「ヤマタノオロチ(大蛇)」伝説となっているのであろう。
日本の古代、中国から文物そして仏教が伝来すると今日まで伝わる「龍」もその中に入ってもたらされる。いま我々がイメージする龍もそれである。雲を呼び、風を巻き起こし、雨を降らせる、超能力を持つ龍である。以前のブログに紹介した太龍寺の天井画に描かれた龍はそれである。これとは別にもう一系統の龍も日本に入ってきている。仏教にかかわる龍であり、当然インドにルーツを持つ。インドであるから現実に存在する最悪最強の「キングコブラ」などがそのルーツかな、と思うが、実際にその説はかなり有力なようである。こちらの方は仏教に関心のある人以外はあまり知られていない。
胎蔵曼荼羅にその図象を見ることができる。「龍王」である。胎蔵曼荼羅はいくつかの部分に分かれるがその最外院に龍王がいる。下が胎蔵曼荼羅の外部院の龍王である。南門を守護する「天・神」の四人のうち二人が龍王である。
拡大すると
この龍王は上図の曼荼羅を見てもらえばわかるように最外院の南門を守護する天部である。そう考えると太龍寺の龍伝説第一の良い龍は、虚空蔵菩薩(胎蔵界曼荼羅の虚空蔵院にいる)をも守護するこの龍王であることがわかる。
体は下の二人の阿修羅と変わらないが、後ろから七つの蛇が光背のように生じているので龍王との区別がつく。やはりインドコブラのイメージの強い龍王である。最初に述べた様にこのように仏典(胎蔵曼荼羅)に取り入れられた龍王は仏教の守護者であるし、またこの龍王も「天・神」として人々の尊崇を受ける存在である。龍王はこの図では二人だが龍の王であって龍族はたくさんいるし、また龍王も多数いる。有名なのは「八大龍王」の八人である。上図の難陀龍王を筆頭に八体セットして独自に「八大龍王」として祀られる。
わが町にもその「八大龍王」を祀った神社がある。仏典(曼荼羅)根拠なのになんで神社かとも思われようが胎蔵曼荼羅の最外院ともなれば神々の乱舞する世界である。神仏習合の神々がたくさんいらっしゃる。
下はわが町の南方、四国山地の麓・谷地に近いところに祀られている「八大龍王社」である。御利益はやはり、天気(旱魃・大雨、他風水害に関することである)の願いである。
この神社から少し行くと谷地に沿った道は終点となる。そこにあるのが我が町の名水・龍王水である。
この龍王は上図の曼荼羅を見てもらえばわかるように最外院の南門を守護する天部である。そう考えると太龍寺の龍伝説第一の良い龍は、虚空蔵菩薩(胎蔵界曼荼羅の虚空蔵院にいる)をも守護するこの龍王であることがわかる。
太龍寺伝説の第二の悪い龍は仏法に感化される以前の龍族であろう。太龍寺山麓の村々に対し悪さをしたといわれているが、別の太龍寺伝説では大師が太龍寺山で修業中に龍は美しい娘に化けて修行を妨げんとし、そのため空海によってやはり岩屋に閉じ込められとも言われている。
この岩屋は実際に太龍寺山に存在する(した)。岩屋から想像できるようにかなりな奥行きを持った「鍾乳洞」で人が奥まで行くこともできた。そこは山岳宗教の験者・山伏たちの修行場でもあった。と・・このように過去形で述べなければならないことは大変残念であるが、今この龍の岩屋は存在しない。江戸時代の後期から始まったこの付近での石灰石採掘(太龍寺山付近は石灰岩・大理石埋蔵されている)によって龍の岩屋も石灰石採掘の対象となり昭和30年代に消滅してしまった。昭和の高度経済成長によるセメントの需要増大に伴い、歴史文化の遺跡になどに経済成長第一主義の当時は考慮は払われなかったのである。
下は今に残る数少ない龍の岩屋の写真(昭和30年代)、前に写っているのは照明のライトである。これが今に残っていればなぁ、と当時のセメント会社やそれを許可した県、役場を恨むが、今となっては、せんべんゆうてもせん無いことである。
1 件のコメント:
はじめまして。
現在
私の主人が
桑野町にて
大正造りの民家寺として
「龍の岩屋」の住職をしております。
県庁出版の冊子を
所持しておりますが
鍾乳洞の頃の写真を
拝見させて頂き
たいへん嬉しく思い
コメントさせて頂きました。
現在の「#龍の岩屋」の様子
『アメブロ』にて掲載しておりますので
参考に(なるかな?)覗いてくだされば…
…と存じます。m(_ _)m
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