2020年9月1日火曜日

20番札所霊鷲山鶴林寺について その2

 鶴林寺さんにお参りしたわけであるが、鶴林寺にちなんだ3つのキーワードのお話をして一昨日の参拝の感想に代えたいと思う。

霊鷲山

 寺の名は「鶴林寺」といわれるが、寺には別の呼び名「山号」もある。この寺の山号は『霊鷲山』である。この名は実際にある山の名からきている。仏教徒の間では非常に有名で、特に浄土宗、浄土真宗、法華宗の人には特に良く知られ、行ったことはなくてもお経やお坊様の法話などを通じてよく知られている親しみのある山である。この山の所在地はインド・ビハール州のラージャグリハというところにあるそう高くない山(小高い丘のような雰囲気)である。なぜ浄土門や法華宗で重要な山かというとここでお釈迦様は「観無量寿経」(浄土経三部集)、そして法華経をこの山において説法したといわれているからである。前者は浄土門、後者は法華宗の所依の仏典だからである。

 もちろん真言宗も霊鷲山は様々な経典における聖地なので重要に思っている。このインドにある霊鷲山はもちろん仏典類が日本に伝わった1500年以上前から日本人に知られてはいるが、中国の三蔵法師らのように実際、インドの霊鷲山に行ってみた人は一人もいない。仏典に残るわずかの風景描写などを参考に日本人はその霊鷲山をイメージしてきたのである。そのイメージが絵巻となったものがあるので見てみよう。下は鎌倉時代に作られた「三蔵法師絵巻」である。

 なにやら大和絵風の山であり、深山幽谷のような山間で、雉が数羽飛んでいる。山の峰を見るとその形が鷲の形をしている。どうも仏典の一部にあるようにその峰の形が鷲型をしているというのを信じてこのようにイメージして絵巻を描いたようである。

 しかし実際のインドの霊鷲山はこの写真のようなところである。喬木はほとんどなく背丈の低い灌木がまばらに生えている感じで深山幽谷の雰囲気ではない。ゴツゴツした岩、風化して剥がれ、とがった岩などの一部に猛禽類の頭に見えるようなものもあるが、昔の日本人のイメージした霊鷲山とはずいぶん違う。

 寺の言い伝えでは周りの山容が霊鷲山に似ているからそう名づけたとある。霊鷲山はインドの王舎城を山々が取り巻いていてその山の一部が霊鷲山であるから、確かに下の写真に見えるように平地部を取り巻く山々の峰上の20番鶴林寺を霊鷲山に見立てるのはわからなくはない。(取り巻く山々の、右奥の峰上には21番太龍寺もある)

 20番鶴林寺は88ヵ寺の中でも大師が定めた難所修行の寺、6ヵ寺の一つであり、山の聖地でもあるからこのように鶴林寺の山をインドの霊鷲山になぞらえればありがたみも増す。しかしこの鶴林寺のある現代の住所の字名をみて、そもそももとから鷲に関係する地名であったのではないかと思われる。現在の鶴林寺の所在地名は「勝浦町生名(字)鷲ノ尾」であり、鷲の地名を冠している。こちらのほうが本当のところではないのだろうか。

鶴林

 仏教関係で言われる「鶴林」の言葉の意味を最近知ったのだが、これには「死に望む場所」という意味がある。辞典によれば
 『釈迦入滅を悲しんだ沙羅双樹(さらそうじゅ)が枯れて鶴のように白くなったという伝説から》沙羅双樹の林。転じて、釈迦の入滅。』
 この意味合いから「鶴林寺」と名付けたのなら宗教的にはなかなか意味深長な言葉である。しかし考えれば涅槃の場所として鶴林寺の鶴林が意味されるなら、中には死に場所を求めたお遍路さんがここに集まっても不思議ではないが、そんな話も聞かない。寺も涅槃を求めてお遍路さんがやってきてここを死に場所とされても困るだろう。

 そうではなく、前のブログでも少し説明したがこの鶴林という名は大師伝説に基づくものである。大きな霊木(大杉)に雌雄二羽の白鶴が交互に舞い降り何か光るものを守るようにしていた。それが小さな黄金の地蔵菩薩であった。大師は自ら地蔵菩薩を刻みその中にこの黄金仏をおさめて、それが本尊になったとされている。その鶴と霊木のいわれから「鶴林寺」と名づけられたのである。

 しかし私としては「死に臨む場所」としての「鶴林」の言葉に強く惹かれるものがある。お釈迦様はこの鶴林のいわれとなった沙羅双樹の木の下で涅槃に入った。定住場所も持たず、財産も持たず、ただ多くの弟子に囲まれて静かに涅槃に入っのである。最後の言葉は「すべては遷ろいゆくものである、怠らず修行せよ」であった。この寺の鶴林という名の語源はともかく、鶴林は、仏教徒ならお釈迦様が涅槃に入った場所を意味するというのは覚えておいていいと思う。

地藏菩薩

 このお寺は真言(密教)宗のお寺である。仏教にはいろいろな宗派があるが密教系の寺院に祀られているのは釈迦如来ばかりでなく実に他種多様な仏さま方がいらっしゃる。仏様ばかりではなく、日本古来からの「お神さん」とも相性がよく明治以前には境内の中に鳥居があったり、神殿があったりした。仏教の宗派の中にはその宗旨の御本尊以外はほとんど祀らないのがあることを考えると、ある意味、密教寺院は多神教的である。境内に仏さま方があふれ、パンティオン(万神殿)の様相を呈しているのはまず密教(真言・天台)系の寺院であるとみてよい。

 この鶴林寺も真言宗の寺であり、多くの仏さまたちをお祀りしている。境内に三重の塔がある。その塔の前には額がかかっており、五体の仏さま(如来)が祀られていることがわかる。

 真ん中に大日如来、左は阿閦如来、寶生如来、右は無量壽如来、不空成就如来さまである。大日如来は真言宗の根本仏であり、阿閦如来は十三仏の一つだから知っている方もおられるだろう。無量壽如来さまはあまり聞いたことがないかもしれないが別名、阿弥陀如来さまでこっちの別名が有名である。

 この五体の如来さま方は金剛界曼荼羅にもとづいている。曼荼羅は、仏さま方、神がみなどがあふれる宇宙を表しているともいえるが、真言宗で重要なのは金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅の二つであり、タペストリーのような方形の平面に仏さま如来さま明王、天、神などの図象、象徴である三昧耶形などが描かれ、それが秩序だった宇宙を形成しており、密教の修法などにはこの両部曼荼羅を壇横に掛けて行われる。

 さて地蔵さまは菩薩さまであるため、この曼荼羅の中にその位置を占めている。胎蔵曼荼羅では地蔵院というスペースが特別設けられている。(下の黄色の部分)そしてその中心にいらっしゃるのが地蔵菩薩さまである(赤丸)。

 拡大した地蔵菩薩さま

 これを見ると我々のよく知るお地蔵さまとずいぶん違っているのがわかる。有髪でお飾り(瓔珞、腕輪、釧、髪飾りなど)なども付けており、どう見ても地蔵らしくない。

 鶴林寺の御本尊はお地蔵さまである。御本尊は直接拝観できないが、それをかたどったものが本堂前の金色の地蔵像である。下がそれであるが、これが我々のイメージ通りのお地蔵様である。

似ているのは片手に「宝珠」を持っていることくらいである。しかしそもそも地蔵様は菩薩さまである。菩薩系の仏さまがたはむしろ胎蔵曼荼羅の地蔵菩薩の姿のほうが普通で頭を丸めた法体姿のほうが菩薩としては異様である。インドにおけるルーツの地蔵菩薩さまを見ると胎蔵曼荼羅の地蔵菩薩お姿のほうがオーソドックスな系譜をひいているのがわかる。

 中国、日本で生まれた各種の地藏経にあるように、たとえ地獄であっても、すぐに、どこにでも救いに行けるように頼りがいのあるお姿として、インドから東漸するに従いこのように立ち姿・法体姿にかわったのであろう。

 鶴林寺参拝動画

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