2013年5月17日金曜日

和歌にみる、来ぬ、の二つの読み方


 来ぬ、を「こぬ」と読めば、否定打消しで、来ない、という意味になります。

 また、来ぬ、を「きぬ」と読めば、完了・強意の、ああ、来ちゃった、というような意味になります。

 といっても古典文法などは、もっともわけのわからないもの、何か具体的な例によって述べる方がいいですね。

 ここは古典の中でも比較的馴染みやすい和歌での例をとるのがいいですね。

 そういうわけで和歌をさがすと、ネットで探すことなかったです。私の過去のブログの蓄積の中に和歌の例がありました。

 まず、否定打消しの、『来ぬ』(こぬ)ですが、

 来ぬ人を 松帆の浦の夕凪に 焼く藻塩の身も焦がれつつ

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 次は、完了の『来ぬ』(きぬ)です。

 秋きぬ(来ぬ)と 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる

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2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

 来ぬ人を 来ぬ来ぬ思う 来ぬが来ぬ 
解説1:来てほしいが来ない人を、来た来たと思いたい、でもその人は来ない! ってわかるかな?
解説2:来た人は、来てほしくない人なので、来ちゃったという思いが来た ・・・ 難解ですね。(^.^)

yamasan さんのコメント...

しんちゃんすごい、感心しました。私なんかは自分で詠むのはまるで駄目です。

平安貴族もこういう言葉遊び的な和歌を作っています。

何人かの通ってくる男たちのいる平安女性の切ない待つ悩みを歌ったものでしょうね。
 1も2も本命の愛する人は来ないのですね。
 夜明けまで愛する人をしんちゃんの和歌の上の句のように待ったが結局来ない、その恨みの和歌で有名なのがあります。

今こむ(来む)といひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな

 しんちゃん、たとえ不倫でもこんな思いを女性にさせてはいけませんよ、とそう思いませんか?

ワイはそんなにもてたことないからわからんが・・