今日、新聞で見たのだがマヤ暦の世界の終末が明後日に迫っているらしい。12月21日である。この日は冬至でもあるがそれと何か関係あるのだろうか。
古代マヤの人がほんとにそんなことを言ったのだろうか。以前も終末論は取り上げたが、各文明圏で終末論は存在するから、マヤの人が終末を予言するのは不思議でない。
生半可な知識だが、どうも何千年ものスパンのマヤの暦の繰り返しが明後日で終わるらしい。それを世界の終末と解釈したらしい。でもこれは古い暦が終わり、(つまり暦の施行ですな、たとえばユリウス暦とか、グレゴリオ暦とか太陰暦などの) その日以後は新しい暦(の施行)が始まるという解釈もできるから、世界そのものは終わらず続くということもできる。古代マヤ人は果たしてどちらの解釈だったのだろうか。
しかし、『終末』はちょっと考えればわかるがこれは何事にもある。何事にもあるといったが、この世に誕生したものは。という意味でのモノである。生まれたものはやがて滅する。その道理はみんなわかっている。
人は平均80年余り、永久不滅のように見える「宇宙」でも数百億年後は滅しているかほとんど滅した状態にある。(ある人は無限の拡散といい、またエントロピー的な死といったりする)
生あり、形あるものでこの消滅を逃れられるものはいない。
大げさに鳴り物入りで「終末論」を吹聴しなくても世界も宇宙も終末は必ず訪れる。ただ終末論ははなはだ短い時間で終末を予言する。そしてだいたい何時何時までと期限を切っている。
この『はなはだ短い時間』というのと『いつ何時までの時』というのが終末論が人に恐慌をもたらす元となる。
わずか80年余りしか生きられない人でも、平常は太平楽に生きて行けるのは「まだまだ死までは時間がたっぷりあるに違いない」、そして「いつ何時までに死ぬということがわからない」からである。
これが何年後の何月何日にあなたは終末を迎えます。といわれれば怖い。普通このような状況に置かれる人は不治の病の告知を医者から受ける人に多い。医者の場合、かなり科学的な根拠に基づくものなのでみんな信じる。
ところが世界の終末論は、科学的根拠はいつも?がつく。信じれば怖いが、科学的な根拠があいまいだというところで人々は
「また今回も外れるわ」
と安心している。しかし、今まで一度も起こらなかったからこれからもずっとないとはいえない。科学は繰り返し起こること、過去に起こったことからある程度未来を予言することはできる。しかし一度も起こらなかった現象について知ることはできない。パソコンがブラックアウトして瞬時にすべてがプッツンするような現象が宇宙にないとはいえない。それは一度起こればその瞬間に宇宙は消滅する。
「宇宙にそんなアホな現象が起こるはずなどない」
というなかれ、小宇宙である「ヒト」自身にしても心臓か脳かまた事故か、原因さまざまだが瞬間死はあるのだから。
さてマヤの終末論の明後日はどうなるだろうか。
4 件のコメント:
なんとぉぅぉうぉ~、あと二日じゃん!
やばいっすうぅ~、やり残したことを考えるとスラップベースとバイオリンそしてギターのカッティング奏法が弾けるようになることですが、サンルームとガーデニングにかかりっきりで、そこまで手が回りませんでした。数ある並行宇宙の中のどのヴァージョンかわかりませんが、そこそこいいところでいるように思います。スラップベースはなんとかしたいと思っています。みてろよ~(((o(*゚▽゚*)o)))/
若い時でなし、今となると、やり残したこともありますが、何か手ごろな目標を定め、これだけはやりたいと思ってます。みんなそんなものを一つや二つ持ってますね。
でも忙しかったり、疲れたりで、
「いつかやろう、明日できるわ」
の繰り返しも多いもの。
そのうちに宇宙の終末ならぬ自分の終末、
そうならないように日々やりたいものですね。たとえ少しずつでも。
12月23日現在、特に何も起きなかった。
13年前のノストラダムスの大予言も結局何も起きんかっただけに、基本的に非科学的な予言はあまり真に受けてませんが。
(MMRという数年前にマガジンでシリーズ連載してた時は、多少真に受けてましたが(笑))
>>としさんへ
こういう話はまた別のバージョンで出てくるでしょうね。
私くらいの歳になると世界の最後より自分の最期がすぐそこだ。
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