いちばんよさそうなところは4Km離れたところにある「水神の滝」、
「4Kmか、自転車で暑い中、行くのは大変だ。一昨日の山歩きの筋肉痛もまだ残っているからやめにしよう」
「他にはと、えぇ~と、おお、吉野川があるではないか」
吉野川までだとうちから1Kmもないんじゃないか。ちょうどうちの真北の吉野川は中高生のときよく言った「堰堤」もある。そうじゃそこにしよう。
で、ごく近くということで自転車で行きました。土手に自転車を置いて歩きましたが、流れまでのコンクリの護岸、河原の長いこと。当然そこは水流などはなし、ぎらぎらする照り返しで、暑いことこの上なし。細かい砂が覆ったコンクリや河原を歩いていると
「ここはサハラ砂漠か?」
延々、砂漠状態の河原を歩き、さんざん後悔したころようやく水の流れに到達。でも遠くから聞こえてくる堰堤のゴーゴーいう音は、近ずくにつれ迫力を増し、涼しさを予感させ、オアシスが見えた砂漠の旅人のように元気づける。
「堰堤」、落差のある滑り台のような堰を(洗濯板といいたいが若い人は知らんわな)流れが下る。
水苔や急な流れで滑れば滑り台で下流へつつつつつ~と流される。昔からこれで幾多の人が河童とお友達になり帰ってこなかった。
音も聴いてください。
帰り、土手のすぐ横に立派な建物がある。最新設備でもはや煙突すらない。「火葬場」。やがて私もお世話になる。
火葬は広く日本人に根付いた葬法である。というか特殊な地域、状況下でなければ法律でこれしか選択できない。
なかにははく製や死蠟にしてもらって生前の姿のままとどまりたいという人がいてもいいと思うが、許されない。ちなみにレーニンさんや毛沢東さんはこのような姿を今でも拝めるそうである。
火葬もわるくない。もともと構成された元素に近い形に返るのであるから、自然の法かもしれない。
昔の墓は下のような形をしている。(江戸期以前だが)
死んですべてが5大元素に返るというのは、今の科学論からも受け入れやすい。
ウィキペディアによると
五輪塔は、下から方形=地輪(ちりん)、円形=水輪(すいりん)、三角形(または笠形、屋根形)=火輪(かりん)、半月形=風輪(ふうりん)、宝珠形=空輪(くうりん)によって構成され、古代インドにおいて宇宙の構成要素・元素と考えられた五大を象徴する。
地、水、火、風、空の5大元素である。
死ねばこれに還元される。なんかいいね~。思い切りよくて。
命、尽き、果て、そして5大素に、返る。
ここでちょっと思い当ることがある。それは「葬制」と5大元素である。
地、水、火、風、空、はそれぞれ対応した「葬制」がある。
地 土葬
水 水葬
火 火葬
風 風葬 昔は沖縄奄美、インドネシアにもあった
空 鳥葬 チベットが有名
これは誰かの説ではなくやまさんの思い付きだからね。鵜呑みにしないよう。
2 件のコメント:
風葬っていうのがあったんですね、鳥葬は知ってましたが・・・。風化するまで待つんですかね。すごいな~。最近日本でも自宅の一室でよく似た感じのことがあったような気がしますが、あれはまだ死んでいないと曲解しただけですかね。
自分が死んだあと、もし魂が抜けて肉体を眺めるのでしたら、あっさり火で燃やしてくれるのが一番あきらめがついていいような気がします。
肉体(無知のかけら)は火(アグニ)によって焼かれ五元素(マハブータ)に帰るといった感じですね。
ガキの時分、よく吉野川に泳ぎに行ったんですけど、その行き帰り、この土手横の火葬場を通るのです。
その当時は四角で赤レンガ積みの大きな煙突が平屋の屋根から突き出ているいかにもというような「火葬場」でした。
真夏、土手や畑に囲まれたここは開けた明るい場所なんですが、雰囲気的に暗いイメージでしたね。風がよく吹いてましたけど無常の風ですかね。
悪ガキどももここはちょっと特別な場所でした。心の奥に感じることはいろいろあったんでしょうが、表面上は面白い話のネタでした。
川での水遊びの行き帰り、煙が出てると、それが黒い時は
「ありゃ、生前、わりいことした奴じゃ」
とか、余った骨灰で朝顔なんどの花を栽培してるだの、穏亡が灰の中から金歯や貴金属をくすねるだの、ありもしないことを得々としゃべっていたやつもいました。
ガキではあっても果て果てには自分もここで焼かれると予感していたんでしょうかね。当時のガキの心の中は自分の含めてわかりません。
コメントを投稿