2011年7月27日水曜日

平安京・未知との遭遇 中世説話より

 この世ではありえぬもの、理性で考えれば存在できぬものに人は時として遭遇することがある。

 「見たいものを人は見る。」

 という人もいる。確かに感覚、知覚、認識もすべて「脳内」の脳細胞ネットワークの処理であるから、自己の脳内ですべての見たいものを作り出すこともできる。それゆえ
 「見たいものを人は見る。」
 ということも納得できる。

 愛しながらも死別した人、「神、仏」などは、「見たい、会いたい」という願望が心の底にあるため、人の前に「姿、形」をとって現れるのだろうか。

 しかし、全く未知の「モノ」に遭遇する場合もある。これなどは本当に「脳内」の外からもたらされたものと考えざるを得ない。

 ところが「全く未知のモノ」は「知覚」が極めて難しい。感覚を感じてもそれは「何か?」を知る「知覚」は「全く未知」であるがゆえに、「知覚」に結びかつ収斂しないのである。

 中世においてこのような「未知のモノ」に遭遇すると、中世人は正面からの「知覚」はあきらめ、「見たいものを見る。」という心性に引き寄せる。

 2通り考えられる。望ましいものとしての「神、仏」、忌むべきものとしての「悪魔、鬼の類」である。

 さて、今日はその中世人の未知との遭遇をある「説話」からご紹介します。


これは私が編集したイメージ


平安京は大騒ぎになっていた。
なんと、木の上に突然、仏が出現したのである。

北欧神話などでは「神」は巨木にまるで濃緑の毬のように寄生する「ヤドリギ」に宿る。と言われているが、本邦ではあまり聞かぬことである。

古老などの言い伝えによれば、実のならぬ柿木に仏が現ずることがあるそうである。
 その現れた木も柿の老木であった。

 忽然と現れ、燦然と光り輝き、空中から花びらを降らしたりしたため、
 「仏に間違いなし」
 「ああ、ありがたや」
 手すり、足すり、拝みに大挙して群集した。

 老若男女、おしかけ、拝まれると、増々輝き、馥郁とした香りみち、花びらが降るのも

 「今日はサービスのためちょっとよけいに降らしております。」
 と、言わんばかりの大盤振る舞い。

かくて信仰を集め賑わうこと6~7日になった。

これもイメージ、「一遍聖絵」より、群集する人々

しかし世の中には理性的と云おうか、懐疑的と云おうか、信じない者もいた。
 庶民ならばどうってことないが、この人、大臣だった。

「まことの仏が突如このように木の上に現れなさるはずがない。これはおそらく天狗のしわざであろう。こうした幻術は七日を過ぎることはないから、今日行ってその正体を見届けてやろう」

 牛車に乗り、ペカペカとでかけ、この仏の現じた木に到着した。群集をどかせ、牛車に乗ったまま簾をあげさせ、じっと一刻(2時間)まばたきもせず(ほんまかいな!)みつめた。
 こんなに見つめられたら花も恥じらう18のお姉ちゃんでなくても、「こっぱづかしい」わな。
 しばらくは光を放ったり、花を降らせたりしていたが、耐え切れなくなったのだろう。「クソトビ(鵟)」(ノスリ・鳶の一種)の姿をあらわし、木にぶつけてつばさを折りながら転げ落ちてきた。

 ばたつく「クソトビ」は近所の悪ガキどもによってたかって打ち殺されてしまった。信心深い大人の止める間もあらばこそ、まんで獲物にとびかかるノラ猫のようなガキどもですわ。

 口あんぐりの群集をしり目に

 「おっほほほほほ、アホな者どもでおじゃる。真の仏が突然木の上になんど現れるものか、マロが愚か者の目を覚まさせてやったぞぇ。」

 といいながら威風堂々とご帰還あそばしたとか。

 と話はここまでである。この話、どうもこの大臣の「知力・胆力・真偽を見抜く力」の称賛の話かと思うのですが、これ、見ようによってはひどい話ではありませんか。

 これね、たぶん、鳥類型異星人(エイリアン)ではないでしょうか。木の上にとまり、中世人の信仰深い性格を読み取り、また異星人という知覚ができぬ中世人であらば、和親的な接触方法としてこのようなパフォーマンスをしたのではないでしょうかね。

 優しい、道化者の異星人だったと思います。いらざる大臣が出てきて穴の開くほど見つめられ、うろたえて、結果、ガキにぶち殺されたのはかわいそうです。


3 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

 おもしろい話ですね。鳥型異星人ですか。私がよく紹介しているプレアデス星人は鳥から進化した生命体とのことですので、プレアデス人かもしれませんが、このようなあまり意味のないことをするような人種じゃないので、これは妖精のたぐいではないでしょうか?でも子供に叩きのめされるほど愚かな妖精はいないと思うので、やはりやまさんの言うとおり、道化者の異星人だったのかもしれませんね。

 道化者といえば、最近自分はピエロ役を買ってたのではないかなと思った節があります。おどけ役で最後は悲劇の主人公になり泣いてしまう。観客に笑われ馬鹿にされ涙をながす。同じ道化師ならジョーカーのほうがいいですね。

yamasan さんのコメント...

 しんさまがピエロ役ですか、意外な気がします。ロマンスでは「ヒーロー」、歌舞伎では「立役」と思っていたのですが。

 でもピエロの「ペルソナ」(仮面)はもっとも高度・複雑で芸術的です。二重にも三重にも重なる役どころを演じる人は素晴らしいと思います。
 ただそういう自覚のないのは論外ですが、しんさまはちゃんとわかっていらっしゃる。

 うんとちいさい子供の頃みた映画か何かの体験がインプリンティングされたのかピエロは

 「異界への橋渡し役」

 のようなイメージがあります。

yamasan さんのコメント...

 追伸
 そうなんですよね。ピエロの厚塗りのドーラン化粧を落としたら下から美形の顔が現れる。
 やっぱりピエロはしんさまのように美形が似合ってますよ。

 ピエロの下地がピエロじゃ私の美的イメージに反する。