梅雨も明け、今日も炎暑の一日となりました。普通は陽が傾き夕方近くになると気温も下がり、日中暑くても幾分しのぎやすくなるものなんですけど、日本の盛夏の夕方の暑さは一入きついものになります。
西日に照らされ焼かれ、風もどういうわけか止まり、暑さも格別耐え難いものになります。
ようやくしのぎやすくなるのは完全に暗くなってからです。
冷房もなかった昔、炎暑から解放される夜がきたらホッとしたでしょうね。
夜がせまってくる薄明時、涼しさに誘われて家を出た。出たときはそぞろ歩きのつもりであったが、歩きはじめてから、夏の宵に咲く花を見に行くことを決め、土手の方へ向かった。
「宵待草」(よいまちぐさ)、正式な名前はマツヨイグサ、黄色からオレンジに近い色の花を夕方から夜にかけて花開かせる。日中はしおれたようにしぼんでいるが、夜が来ると美しく花びらを開かせる。
ロマンチックな感じの花に似合わず、帰化植物で生命力が強く、繁殖力旺盛で、やせ地に原野に広く繁茂し、ほとんど雑草扱いである。
しかし、炎熱地獄のような日中とは様変わりしたホッとする真夏の夜の世界。その夜の世界の訪れを告げるように可憐に花開く「宵待草」。これから見に行くにはこれほど素晴らしいものはないでしょう。
土手に着いた頃にはすっかり暗くなっていました。西の方にわずかに浅黄色の空が残っているだけです。
土手のまわりを見渡しましたが、
「ない、どこにもない」
「宵待草」・マツヨイグサは、海浜や川の土手に雑草状態で自生しています。このあいだからよく行った沖の洲の吉野川堤防上や小松海岸でたくさん見ました。昼だからもちろんしぼんでいました。こちらは遠いので夜は無理です。
当然、我が町の吉野川堤防上にもあると思ったのですが、わかりません。
今から堤防上をあちこち探すには暗くなりすぎています。
失敗しました。昼のうちに群生地をあらかじめ見つけ、目星をつけておくべきだった。
「月の光を浴びて咲く、宵待草、いいだろうになあ~」
土手から見ると、旧暦11日の月はもうすでに中天高く上がっています。これで「宵待草」があればいうことなしなんですけど。残念!
そういえば今月はなんと、旧暦と新暦の日付が一致する珍しい月です。つまり今週の金曜日の15日は旧暦でも15日、つまり満月だ。今月ほど月の形が予測できやすい月はないな。今日は11日だから旧暦11日の上弦の月。
などと考えつつぶらぶら土手を歩いていると、月が大観覧車にかかってきました。そこをパチリ、撮りました。(土手のすぐ横に吉野川遊園地がある。ここはあと一か月で閉鎖になる)
待てど暮らせど 来ぬ人を
宵待草の やるせなさ
今宵は月も 出ぬそうな
暮れて河原に 星一つ
宵待草の 花が散る
更けては風も 泣くそうな (作詞:竹久夢二)
2 件のコメント:
新年から7回目の満月はグルプルニマと言って、インドでは特別な日です。師匠に感謝をささげる日なんですが、今これといった師匠がいないんで、とりあえずやまさんに感謝をささげようと思います。7は吉祥な数字で、満月は満ち足りた知性を現します。グは暗闇、無知、ルは取り除くもの、プルニマは満月で、暗闇を取り除く師匠の知性が、明るいけど太陽の様に熱くなく、冷静で完全性に満ちた満月のような知性によりもたらされるという意味の日です。
なるほどね。インドの風土を考えれば月に対するこの思い入れ、よくわかります。
日本とはけた違いの炎熱の国、炒る太陽が沈み、夜空の満月を見たときどれだけ人々はホッとして、安らぎをえたでしょうね。
「明るいけど太陽の様に熱くなく、冷静で完全性に満ちた満月のような知性」
と月を見るのもよくわかります。
そういえば2年前の今頃、インドでも皆既日食がみられ、インドでは大騒ぎになったと聞きました。何か月に対する思い入れがわれわれとは違うんでしょうね。
来年の5月21日には県南では金環食が見られるとか、是非みたいが生きてるかなあ。
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