持病が本復せず、延び延びになっていたが、今日、自転車に乗り蔵本まで持ってきた。石井で少し休んだが、蔵本駅の駐輪場まで2時間半で来られた。
あ、そうそう忘れてた。蔵本のプールでも寄り道した。一緒に職業訓練を受けた仲間がここで監視員をしてると聞き、フェンスの外から声をかけ10分くらい話をした。
彼はとても元気で陽気で、私が死ぬほど落ち込んでいても彼と話すとこっちまで陽気・元気がもらえる。ガタイもよく180cmをこえる身長があり、昔のシュワちゃんみたいなキン肉マンである。
なんかごっつそうだが、優しい人で、恐妻家、子煩悩の父でもある。
しばらく話をつづけ、パワーをもらいたかったのだが、プールの監視という安全にかかわる仕事をしているので私の話で仕事の邪魔はできない。再開を約し別れた。
蔵本駅の駐輪場に自転車をいれると、列車の接近を知らせる第一踏切の警報が鳴り始めた。
「いいタイミングだ。」
家へ帰っても今日からはテレビはもう見られない。無料のBSデジタルはみえるが、ニュースなどはなく、延々流れるコマーシャルか、韓国ドラマが中心でとても見る気にはなれない。
それでラヂヲを聴いている。
「そうなのである!まだラヂヲというもっとも古く、これからも続くであろうアナログ放送があったのだ!」
「いいねえ、アナログの真打、そしてわざと旧かなで書く、ラヂヲ。」
雑音でさえいい。清少納言の言いかたを真似ると
「だいやるなどをまわせども、ととのはず、があ、ぴひ、などかまびすしきなかに、かすかに声きこえたるも、いとおかし。」
それでも動画のニュースも見たいので、ネットのニコ動のニュースを検索しました。
これはすごい!目からウロコものでした。
もうどれもこれも立ち位置がはっきりしてます。右、左、おちょくり、シニカルなどなど、パンチがきいてて、スカッとします。
それに比べると、今まで見てたTVニュースなんかは
「夢の中で屁を踏んづけたようなもの」
立ち位置は右には寄らず、若干左寄りを標榜しつつ中立のフリをする、というややこしい立場をとり、放送禁止用語は絶対使わない。だから面白くない。
「ニコ動のニュースってなんでこんなに面白いの?」
「流れるコメントがまたまたおもしろい」
こりゃ、ネットニュースがおもろいわぁ~
昨日のブログはアナログ放送の惜別だったんだけれど、今日、ニコ動を見てたらアナログの惜別の歌がありました。
おなじ歌がヨウツベにもあったので貼り付けました。
3 件のコメント:
この動画いいですね!何回見ても泣けてきます。
詩の内容は元より、曲がいいです!最初パフュームの新曲かなと思いましたが、ユーミンぽい歌い方と曲で気に入りました。
でもよく考えるとアナログの哀愁を、デジタルの象徴のような初音ミクが歌っているのは、皮肉っぽいですが、作者の狙いかもしれませんね。
ミクちゃん大好きです。彼女の歌う電子音っぽい春日八郎の「長崎の女」は私のIEのお気に入りに入ってます。
しんさま。皮肉ではありませんよ。
すべての根源的な成り立ちは、量子、光の粒子説、空間のまさかの不連続性、などで世界はむしろアナログでは成り立っていません。むしろ
「デジタル的」な構成であるのでしょう。
根源的なデジタルミクちゃんが
「ああ~~~ぁ、なんがさっきの~ぅ~、ひ~ぃとぉ~」
とコブシをまわすところにアナログがあるのでは。
ファジーな壊れやすい人の頭の中の一部分だけにアナログは存在するのかもしれません。
ミクちゃんの歌、小節の最後にビブラートがかかっているのですが、どうやって出しているのか不思議です。この手の打ち込み音楽って無機質になりやすいと考えがちですが、実際は他のアナログ音楽よりも、感情の高ぶりを感じるケースが多いです。一昔前のテクノに始まり、エレクトロニカ、トランス、アンビエントやゲーム音楽のMIDIなどの中に気に入った曲は結構多かったです。
音楽はそもそも波なので、アナログの聖地みたいに思っていました。楽譜とかコード進行とか分析が入った時点で、感性が衰退してしまい感動が無くなってしまう経験から、いまだに楽譜は読もうと思わないし読めないです。
結論的には、アナログとデジタルは見方とか方法論の違いということで、どちらがどうこうということは言えないような気がしています。
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