2024年8月13日火曜日

三ヶ寺参り

  一昨日11日、大日寺~地蔵寺~金泉寺、の三ヶ寺を歩いてお参りした。猛暑のなか、この炎熱の苦しみも供養のためと頑張って、休憩も入れてのべ6時間歩いた(午前10時~午後4時)


 冷感グッズ(おぉ、偶然か、語呂が霊感に通じるではないか!)のネックリングが熱射病でぶっ倒れるのを予防してくれた。


 地蔵寺で、経木流しをして御霊を供養した。私が小ンまい時、明治生まれの祖父母に連れられてお寺の水場で、おしえられて見よう見まねで経木流しをして以来だから60数年ぶりだ。



2024年8月9日金曜日

ムゥゥゥゥ~~~~

  今日の大手新聞すべての第一面を飾るのは「南海トラフ巨大地震注意」である。


 なんか今年1月1日の元旦に能登・北陸の地震でいやぁ~~~な年明けだったんだよなぁ。新年のまさに打ち立ての第一日に大地震って。そもそも元旦は昔からずいぶん縁起をかついだもので、元旦は安穏に過ごせればとみんな願っていたはずだ。もし元旦に何か少しでもキズになるようなことが起こると今年一年間は凶じゃないかと恐れたものだ。それがよりによって元旦に大地震である。それを思うと、今年を占うというか、予言すれば、今年はいいことはないだろうな、って感想を持った人も多いだろう。

 そしてお盆の直前に、政府・気象庁から出たのが「南海トラフ巨大地震注意」、正確にこの注意報についていうと「新たな大規模地震が発生する可能性が平常時と比べ数倍高まっている」ということだ。そして「申し添え」として県や市からは、一週間程度は、巨大地震が起きたときに備え、避難経路や地震グッズ、耐震状況など、注意を怠らないように、とのことである。

 我々一般人は、これをどうとったらいいのだろう。気象庁がよく出す天気に関する注意報に慣れたものは、あぁ注意報じゃから大したことはないわ、と思うのか、それとも初めて出る巨大地震注意報は、何かよっぽどの予兆(地殻変動やら地電流の異常など)があるから、前例はないが、思い切って出したのだろう、もしそうだとすると我々はかなり真剣に受け止めなければならない。

 いったいどちらと受け止めて、どないすりゃエエんんぞい?一週間わななきながら過ごすのか、ほんなん確率的に低ぅてまず起これへんわと、へらッとして一週間を過ごすのか。このようなはっきりしないモヤモヤがあると、ムー的言説がしゃしゃり出てくる余地がある。

 ムー的言説とは、いわく「三毛猫のオスが町内を徘徊しよった、これが地震の予兆の一つじゃ」、とか「さそり座に、ワイしか見えん暗黒星があらわれ、さそり座の心臓星アンタレスを犯したからじゃ」、さらに文字通りのムー的言説であるが「こりゃ、数万年前、超古代文明を乗せて沈んだムー大陸が、再び海底から現れる予兆としての地震じゃ、世は新文明を迎えるっぞよ、みなみな準備せよぉぉぉぉ~」、もう少しオカルト宗教っぽくなると「これは神からの天罰じゃ、不信心者は大地震の天刑によって滅びる、皆のものぉ~、恐れ、畏まれぇ~、信じる者は救われるぅぅぅ~」などである。このようにムーはんお得意の終末論と結びついたりする。

 大地震の注意報など、政府(気象庁)から出されたことはなかった。地震が来るぞよ、とみょぉな予言者めいたイカサマ師はときどき発作的にあらわれ適当に言ったりするが、今回は権威ある「お上」の巨大地震注意である。そのお上が言うことやからイカサマ師が言うのとは全然重みが違う。注意報をよく読めば「可能性が低くはない」と確率的には今すぐ(今年か来年中)起こるのは小さいのだが、何かというと終末論に結び付けたい人は、「お上もゆうとるぞ、巨大地震が起こるぞ、なんやかやでやがて終末は近いぞ」とその活動を鼓舞されるかもしれない。

 終末論は長続きしない、泡のようにできては消える。そらそうだろう、ホントに終末論が当たったら、世界はそれでお終い。続く世がないんだからそれ以上は終末論は語られない。終末論は外れて、世界はなおも続くから、続々と新しい終末論が生まれるのだ。

 ここでやまさん、はっ!と気づいた

 以前の私のブログに巨大地震の暗示を読んだのである。今年7月30日のブログ「盆と月」である(盆と月のブログはここクリック) このブログでその暗示のキーワードを探すと、「お盆」「海盆」「豊饒の海とはついているが、死の海である月の海」。

 どういうことか、「お盆」は巨大地震が起こる日時、そして「海盆」は?海盆は日本語だが術語で海盆のことを「トラフ」という。つまり地震の巣窟である「南海トラフ」の暗示。そして「死の海である月の海」は巨大地震の大津波によって壊滅する海と沿岸部。

 もしかして、ワイ、今まで気ぃつかなんだが黙示を受ける霊感があるんとちゃぁうやろか。と、まぁ最後の8行はワイの妄想。信じんように!

2024年8月7日水曜日

火炎樹

  昨夜、といってもまだ午後八時前で完全には暮れ切ってはおらず、空全体が暗い水色になっていたころです。私は県立中央病院の、ほとんど車のいなくなった広大な駐車場を目的もなくフラフラ歩いていました。

 すると駐車場の真ん中に暗赤色の不気味な木が立っていたのです。その赤い枝が上に向かってくねくねと曲がっているさまは炎のようでした。すぐ頭には「火炎樹」という言葉が浮かんできました。実際は見たことがないけれども、この木を見て火炎の木をイメージしたのです。近寄ると、それは一本の大きな木を下から赤色灯で全体を照らしているのでした(ライトは数本ありました)

 火炎樹というのが真っ先に思い浮かびましたが、ここは大病院の駐車場で病室からもこの暗赤色の木が見えることを思うと、肺の血管の立体解剖模型を逆さまに立てたと見えないこともありませんでした。私の感想としては、ちょっと不気味で奇体(ケッタイ)なものでした。



 後で火炎樹を調べました。この木はほとんど日本では見られない(巨大温室などは別として)そうで、ベトナムやタイ、インドなど熱帯から亜熱帯地域の木だそうで、その地域に行くとよく見られるそうです。下が本物の火炎樹です(ベトナム)

性なる算数のおベンキョ




 昨日、麻植郡と阿波郡の境を流れる吉野川の河川敷で一夜一千発の花火大会があった。四国の田舎にしては結構大規模な花火だ。十代の若い男女がたくさん群れあつまって夜空に炸裂する大輪の花火を見上げたそうだ。おずおずと前後になり、あるいは距離を少し保って歩く若いアベックは少ないようで、親密にひっつきあい、中には手を絡ませているのもいたそうだ。また格好はと言えば、両者とも浴衣姿の人もぎょうさんいたそうで、なかなか風情があってよろしかったような。と、伝聞調の語尾になるのは見ていないからで、こんなジジイになればわざわざ足を運んでみる気もない。

 ところで、これもまたジジイ同士の伝聞だが、ほれ、あれ、最近の高校生の男女って、処女率や童貞率は、ワイらの時、60年びゃぁも前と違ってずいぶん下がっているそうではないか。もしかしてゼロに近いんか、そりゃそうやはな、ワイらの時と違い、今はスマホとやらで、性に関する知識、えげつない写真、動画も含め、なんでもかんでも見られるから、十代の高校生がそんな知識にさらされ続けたら、センズリやオナァニィだけで満足できるはずもなく、実際にやってみとぅはなるわな。

 そこで、ジジイであるワイのボケ防止の頭の体操としてちょっとした算数をやってみたい。高校生を含めた若い男女が、ヨンベの花火と熱帯のような情熱の夜に刺激されて「性交」に成功したとしよう。若い衆の処女率・童貞率も最近では低いっちゅうことは、つまり経験を積んでいるちゅうことで、初発でうまっくいかず別の穴に入れたり、角度が違って完全に挿入できなかったり、また見切り発射したり、はなく一発でうまく性交したとして話を進めよう。

 それでなんの算数のおベンキョかというと、昨夜8月6日に性交したとして、めでたく懐妊して出産はいつの日になるかということである。

 人類の妊娠期間は40週である。しかしこれは最終月経日が来た日が0週、0日として数えるもので受精日からではない。つまり性交したした日から数えるのではない。それに射精でうまく子宮に入った精子は通常3日、元気のいい精子は5~6日も能力が続く、そして卵子はというと排卵から1日は受精能力がある。

 ということを勘案すれば、昨夜一発性交し受胎しても、射精した精子の活動期間と排卵した卵子の活動期間があるから、受精日は性交日から変動する。なお排卵日と受精日は一日程度の違いはあるがほぼ同じとみてよい。

 そしてそれらを考えて計算すると(皆さんもよかったらやってみてください、そう難しい算数ではありません。なお出産日からエッチした日の逆算早見表はここクリックすると出ます。参考にしてください)、昨夜一発やった結果、赤ちゃんが生まれるのは

 4月27日から5月3日の間と出ました。おめでとうごじゃりまする。

 ヨンベ、吉野川河川敷では一千発の花火が上がりました。大勢の男女の仲、一千発は多くても少なくとも数十発の性交はあったのかしらん。

※ これはあくまでも頭の中だけの妄想の計算で、この地域の若い子ぉらが、みな桃色遊戯に耽るわけではありません。現実、ワイの見るところ若い子ぉらはオボコで素直な子ぉばっかしです。誤解のないように申し添えておきます。

極楽寺

  追悼やお悔やみの定型文句に「ご冥福をお祈り・・」云々、とある。冥福とはなんだろう。文字通りとすれば、冥途(あの世)での幸福ということだろう。あの世で幸福に過ごすとは、極楽や天国を信じる宗教ならばわかるが、しかし、ご冥福云々は、個人が無宗教や、死後の世界を信じていない人に対しても普遍的にお悔やみの文句として使われている。ご冥福をお祈り・・はもっとも一般的というかどの宗教の人にたいしてでも無難な言い方であろう。天国で安らかに、というのもその次くらいに一般的なのではないだろうか。しかしこれが極楽で往生まちがいない・・などと言えば浄土系の追悼となり、極楽とか浄土とを言葉に入れるのは普遍的追悼の文句としてはふさわしくない。まぁお悔やみの言葉としては故人あるいは遺族の信仰によって臨機応変に対処するのがいいのだろうが、誰でもお悔やみの言葉は苦手で、特に急に訃報を聞いた時などは、何と言っていいか迷う場合もあり、思いつくまま(小声で重々しく)お悔やみの言葉を述べた後、普遍的で一般的な「ご冥福をお祈りします」は結びの言葉として使いやすい。

 うちの家は代々真言宗である。真言宗の場合は死後の魂の拠り所として極楽とか浄土とかはあまりいわない。しかし真言宗はそもそも他の仏教宗派に対する寛容性・包摂性が強く、死後の世界として極楽あるいは浄土とか浄土宗系で信じられている死後の世界をいっても、違和感があるわけではない。だから真言宗徒が「南無阿弥陀仏」と浄土系の念仏を唱えてもなんらおかしくない。真言宗の枢要の仏さまは大日如来さまだが、われわれ真言宗徒にそう人気があるわけでもない。ちょっとどれくらいの比率化はわからないが、一番人気はたぶんお薬師さんであろう(薬師如来)。あと観音さん(観世音菩薩)もいる。他、釈迦如来、阿弥陀如来さまもいらっしゃる。なにせ真言宗の仏の世界は曼荼羅(胎蔵、金剛界)で示されているように、上記の仏様も含め多数いらっしゃる。だから「南無薬師如来」とか「南無観世音菩薩」とか「南無阿弥陀仏」とか、「南無〇〇〇〇」と〇〇に仏の名号を入れて祈るのは不思議でも何でもない。ふつうはその仏様にあった真言(マントラ)を唱える、例えばお薬師さんだと「オンコロコロセンダリマトウギソワカ」というのがいいのだろうが、知らなかったり忘れたりした場合は「南無薬師(瑠璃光)如来」さま、と祈念するのも間違いではない。

 真言宗では阿弥陀仏は別名の無量寿仏、あるいは無量光仏と呼ばれることが多い。曼荼羅の五智如来(中央、東西南北に各五体の仏)の中では西方に位置する仏様である。西方というのは西方極楽浄土とイメージしてしまうが、真言宗ではそこまではいわない。しかし浄土宗系の死後の考え方や、念仏の流行もあり、古くから真言宗徒であっても死後を頼む仏としてあがめられている。

 先日、二番札所極楽寺に参拝した。寺の名前極楽寺から本尊は阿弥陀仏であることがわかるが、寺の宗派は真言宗である。上で説明したように真言宗の寺は阿弥陀仏さまも本尊にするのである。真言宗徒も含め庶民が死後をたのむ仏として信仰していたのは、江戸期から続くこの寺の御詠歌を見るとそのことがよくわかる。

極楽の 弥陀の浄土へゆきたくは 南無阿弥陀仏 口癖にせよ

 下は極楽寺山門、仏木・無憂樹にたとえられる百日紅が咲いている。ここで亡き人の冥福を祈った。

2024年8月4日日曜日

夕立かと期待したが

  昨日のブログで夕立でもあれば涼しくなる、と書いたが今日の夕方、巨大積乱雲の真下にウチらの地域が入った。だんだん空は暗くなり、涼しい風が吹き出した、茹だるような暑さが急激に消えていった。このままザッと降ればますます気温が下がり、通り雨のあとの涼しさが期待できる。しかし、夕立は降らず、陰って少し気温が下がっただけだった。


2024年8月3日土曜日

連日の猛暑、まだまだつづく

  連日の猛暑で体調不良になる人も出てこよう。夕立もないため夕方、熱気充満する歩道を歩いていて西日に煎られる身はまさに焦熱地獄だ。ボニは地獄も休みになると聞いている。地獄の猛火もその日は消されるとか、そのボニが近づいている。この娑婆も炎熱地獄から一時でも解放してほしい。

 あちらこちらで炎熱の花、百日紅が目立つようになった。仏さまが生まれたときに咲いていた無憂樹に似ているとして墓地や寺にも植えられている。仏の木の一種と言ってもいいだろう。仏前に飾ったりはしないが、仏縁のある木ではある。(他には沙羅双樹や菩提樹などがある)