2026年9月14日月曜日

今日、今年初めて見ましたよ曼珠沙華

  今年は例年にない暑さで、まだまだ暑い日が続いている。九月も中旬になろうかというのに今日も32度の最高気温を記録した。昔の人は「暑さ寒さも彼岸まで」といったが、暑さが治まるのも次月くらいまで後延ばししなければならないだろう。だから彼岸の入り頃から、野山のそこかしこに、ある日を境に赤い色の派手な花であるヒガンバナ目につき始めるが、それも暑さのせいで後に伸びるだろうなと思っていた。

 ところがである。今日、例によって自転車であてどもなくさまよっていると、ほとんどが緑色一色に近い夏草の中に、パッと目立つ大輪の真っ赤な花が目に入った。彼岸花である。私の大、大、大、が三つくらいつくほど好きな花である。日本人は一般的に桜の花が好きである。桜が好まれる理由はいくつかあろうが、その中でも花期が季節に合い、その花期も短いことがあげられる。ところがヒガンバナはその名の示すように季節感にもぴったり合い、その花期も彼岸頃と短いにもかかわらず。桜のようには親しまれない。

 親しまれないどころか、(今の時代はそうでもないだろうが)私の子どもの頃は露骨に嫌がられた。小学校低学年の頃、野山に咲き誇るこのヒガンバナを、時代劇に出てくるお姫様の真っ赤な美しい簪(かんざし)のように感じて、いく輪か手折って家に持ち帰った。するとそれを見た祖母から、縁起が悪い花だから捨てなさい、といわれた。そういえば子ども同士でも「あれは葬レン花じゃ」といっていたようにおもう。手折った茎から立ち上る酔うような香りとともに、なんでこんなにも美しい花を・・子ども心に理不尽に感じた。

 それからは花を手折ることはなかったが、いつだっただろうか、これも小学校時代と思うが(昭和14年に流行った)「長崎物語」の一番目の歌詞に、♪~赤ぃ~花なぁら~、曼珠沙華~~♪がある、誰か私の身近な人が歌ったのをおぼえたのか、だれかに歌を教えられたのか、今となっては定かでないが、花を見るとその歌のそのフレーズを歌った。その癖は今でも続いている。

 それから飛んで、高校時代、特に私の好きな教科は日本史であった。その高校時代の日本史の教科書の副読本である「日本史史料集」の中に、「ジャガタラ文」を発見し、それが実は私の子供時代から歌っていた長崎物語の歌のもとになっていることを知った。

鎖国が始まった江戸初期、長崎で生まれたヨーロッパ人とのハーフである「お春」が、クリスチャンであることとハーフであることを理由に国外追放され、その後、遠い異国の地から望郷の念を切々と訴える「ジャガタラ文」と呼ばれる手紙を日本に送る、その文を日本史史料集の中から発見し、読んだときには、文に込められたお春の気持ちと、歌い知った長崎物語の歌詞が同調し、目が潤む(うるむ)くらい心が動かされた。以下その原文

「千早振る 神無月(かんなづき)とよ、うらめしの嵐や、時雨(しぐれ)とともに、いづくともなき海の原に踏み迷ひ……」あぁ恨めしい嵐と時雨のなか、どことも知れぬ大海原へと迷い出てしまいました……「あら日本恋しや、ゆかしや、見たや、見たや」あぁ、日本の国が恋しい、ゆかしい、一目見たい、見たい見たい……

 なるほど、長崎物語は1~4番まで歌うと、そのお春の悲しい物語となっているのである。以後私は曼珠沙華を見るとそのお春の悲運を思い、その花の前で必ず歌うようになった。ちなみに今でもフルの歌詞で最後まで私は歌える。

 今日野原の中に一点の赤い花が・・・


 近寄ると、あぁ~私の好きな曼珠沙華だ

探すと、数メートル離れたところにもう一輪が・・・


 一年のうちでわずかなこの期間だけしか曼珠沙華は見られません。さぁ、歌いましょう(藤圭子さんの歌です

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