空海特別展が17日までとなっているので16日・日曜日に見てきた
空海の生涯を曼荼羅様の絵図としたもの
空海特別展が17日までとなっているので16日・日曜日に見てきた
空海の生涯を曼荼羅様の絵図としたもの
あらためて先日(7月8日)の歩き全行程の鳥瞰図を示す。全距離23~24km。福井駅出発から由岐駅到着までの所要時間約8時間。
前日にはこのコースを歩く覚悟を決め、リュックと中の荷物、飲料水の入った保冷袋、などを用意し、当日の朝、慌てないようにしていた。
しかし朝起きると、(いつものように老人性の鬱の傾向があるのか)極めて気分が落ち込んでその気にならない、目覚めたのは五時過ぎだが、いっそこのまま安定剤を飲んで二度寝をしたら楽だろうな、と半分あきらめつつあった。しかしトイレを使い、起きてしばらく動いていると落ち込んでいた気持ちも次第に上向きになってきた。
「ええぃ、このまま、リュックを背負って朝一の始発の汽車に乗ろう、出発すれば嫌でもやる気が起こるし、気分ももっと立ち上がるだろう」
ウチの駅を出るこの始発は午前6時ジャスト発車、この路線唯一の牟岐行、乗り換えなし、乗ったままで2時間14分かけて阿波福井駅に着く、汽車の中で用意したパンで朝食を済ます。
福井駅から歩き始めたが、ウキウキとはいかない、さほど気分ものらない、朝食が胃にもたれている、いつもは歩いたり体を動かしていると胃もたれはなくなるのだが、なかなか雲散霧消しない、歩きながらずっと気になる。
数百メートル歩くともう山道に入る、民家が道に沿ってあるが、そのためかいくつかの道に分岐していて、どれが「四国の道」(巡礼道)かわからない、表示をさがす、しかしない場合がある、こちらだろうと見当をつけていくが、間違った道だと厄介だ、すこしイライラする、その道で四国の道の表示を発見したときはホッとする。
初めのうちは気分が乗らないじゃの、胃が持たれるじゃの、内心ブ~たれていたが、そのうち道は細くなり、崩落もあり、登りもきつくなってくると、息も胸も苦しい上、高温多湿で汗みずく、もうただただ、セコイ、セコイ、で細かなことは考えられなくなる。峠がきて、下りになるとホッとするがしばらくするとまた登りの山道、なんぼう上り下りを繰り返したことやら。
後になって総括すると、この行程の前半の道は人しか通らない山道(だが誰一人歩いている人には会わなかった!)、それもいたるところ崩落した悪路のアップダウン、しかし後半は車道を通る、でもこちらはただただ延々と距離を稼ぐためひたすら歩かにゃならん、距離約十数キロ、しかしこれ、今回福井駅出発で由岐へと順路を辿ったからよかったものの、逆の由岐から福井までだと、後半の最終路程が悪路山道になる、その場合、どうなっていただろうと考えると、よくぞこの順路にしたものだったとホッとする。
それでは、この行路をスライドショーにしましたので、順繰りにご覧ください。
巡礼歩きの修行とは大変なもんじゃ!昨日は身をもってそれを体験した。まずは歩いた場所をご覧ください。阿波福井駅出発~アブお水大師~由岐駅ゴール (巡礼歩きというからには、何か宗教的な所を回るのだが、今回は「アブ(阿部)お水大師」である。今回の歩き順路の道筋には石仏やお堂などが少ないのが特徴だった)
78年前、7月3日の深夜から翌日未明にかけて徳島は大空襲に見舞われ、多くの尊い人命が失われ、市内中心地はほぼ焼け野原となった。しかしその時は、もう人の一生の長さくらいの過去となり、次第に生々しさは消え、歴史となって行きつつある。
今、ウクライナで現に市民が惨禍に巻き込まれた痛ましい映像を見るにつけ、「ここ徳島でもそれに勝る被害があったんだよなぁ」、との思いを強くする(公式には死者1000余人、負傷者はおそらく万単位となる)
徳島大空襲のブログをまとめましたのでご覧ください ここクリック
今日は昭和4年の7月1日になくなったモラエスさんの命日である。正午前に墓のある潮音寺にいってみた、なにか記念行事をしているかと思ったが、すでにすんだか、午後からおこなわれるのか、墓前には誰もいないし、特別な香華供物もなかった。
蒸し暑い、外は雨、週末の金曜でDVDが割引なので傘を差して歩いて借りに行く、小雨になるときはあっても、油断は出来ない。ビショコになるほど間欠的に降ってくる。足先の衛生のため、足が蒸れるのは良くない。耐水性の靴に靴下をはいた足を突っ込むより、素足にサンダルで歩く。若い男の子は綺麗な短靴下とこれまたまっさらピンピンげぇな靴を履いている。これはこれで清潔なだろうが、放っておくといつの間にやら長時間はいた靴下で、かつ靴もヨレヨレになるジジイには、雨で地面ビショビショの場合は素足でむき出しの履き物が向いている。今日のワイの足は風通しのよいサンダルだが、これより素足に高下駄が雨の日にはいっちょイイ、風土に培われた高下駄が雨の日には向いている。
若い男の子、なにやら顔の口の前辺りに、大正末年ラヂヲ放送が始まったスタディオの初期のマイクロフォンのようなものを当てている。🔍 こんな形である。「ありゃ、何んぞいな?」、「中継放送でもするんかいな」と思やぁ、これがハンディな小型扇風機、充電式らしい、若い子にファッションとして流行しているんか知らん?そういや汽車の中でよぉ見るようになった。ワイはジジイらしく扇子をもってパタパタ、こっちのほうがセンスあるぅ~。
今日は6月最終日、ありゃリャンリャァ、もう一年半分過ぎてもぉた。今年の年始、物価は上がるし、年金はチョボットやし、このまま貯金を取り崩して行けば二年でアウト、ええわい、あと二年生きたら未練なく死んでこまそ、とおもったが時の流れは早い早い、このままやとあっちゅうまに期限が来てまうやないかぃ。あと一年半とすると満74歳、算えで75歳か、我ながらよ~生きたわとおもうが、いざその時がせまると命は惜しくなるだろうなぁ。75歳を末期とするとそういや、明日は75歳で亡くなったモラエスさんの命日「モラエス忌」じゃ、彼の晩年の随想を読んでいると身につまされますわ。このことについては5年もまえからブログに書いていたが、ヤフーのブログのアホだらめ、一方的にブログを廃止しよった、テキストは(文)は残っているが、貴重な写真や絵図は消えてもた。
今日のことを昔の暦風に言えば「水無月の晦日(みそか)」、なにが水無月なもんか、水は足るびゃぁあるわ、そして厚い雲を突き抜けりゃぁ、今夜は満月前の膨らんだ月が見れるわ(晦日は月はまったく欠けてでないという本来の意味)、もう一つ水無月の末日は昔は半年の厄を払う「水無月祓え」の日、真実!お祓いして厄落としたいわ。明日から後半年がはじまる、エエことあるかな、ないじゃろなぁ。
面白くないニュースばっか、の中、ちょと気色の良くなる話題はアメリカの大リーグでの大谷翔平の大活躍、今日はいわゆる「なおエ」の日で、大谷はアメリカリーグぶっちぎりのホームラン数第一位をキープしながら今日はさらに一本加えて29本をマークしたが、チームは負けてしまった。しかし、すごいなぁ、顔はイイし、性格もいい、何よりあの均整の取れた体で身長は1m93cmでムキムキマッチョ、まったく日本人離れしてる、しかし顔つきは金太郎や武者人形のような典型的な日本の伝統的な若者顔、よくぞこんな日本人が生まれたわと同じ日本人として嬉しくなる。思えば、終戦後、鼻を垂らし栄養失調でガリガリのチビの子どもたち、巨人のようなアメリカ人の乗るジープの後をその子どもが走り「ギブミィ、チョックレ」といった惨めな時代を考えると、隔世の感がある。大谷翔平をみるワイの気分、「超できのイイ可愛い孫を見る気分」
くさぐさ嫌なこと多いし、心身の衰えも激しい。でも足をひこずってでも自由に歩けることはいいなぁ、杖をたよりに弱ろぼいながらでも、死の瞬間まで歩きたいなぁ、なにも海山千里を行くことだけが巡礼修行ではあるまい、気息奄々で苦痛に苛まれながらの歩き、死の直前の一歩はお四国周りに匹敵するだけの修行の巡礼行とはならないか?遍路旅はさまざま、自分で見つければよいんじゃないかな。お大師さん、教えてつかい。
昨日おまいりした上板町佐藤塚の大師堂は単体の大師堂である。大師堂といえば最近では四国遍路の隆盛もあり、八十八ヶ寺の本堂とともにかならず付随している大師堂を思い浮かべるが、単体の大師堂もある、以前のブログでも紹介したとおりである。大師堂はその本尊として弘法大師をお祀りしている。他の仏様も一緒にお祀りしていてもそれは脇仏となる。中世そして近世にわたり弘法大師信仰は広く庶民のあいだにひろがった、とくに四国では弘法大師のふるさとでもあり、また最も重要な修行地がここに存在したこともあり、大師信仰はさかんであり、大師堂は多く存在する。現在でも地元の人の信仰を集めている(高齢者が多く、今後の維持に懸念はあるが)
上板町佐藤塚の大師堂は吉野川の六条橋を渡って土手を降りたすぐそこにある。我が家からは遠い。しかし鉄道もなく、バスの便も悪いので自宅から自転車で向かう。自転車で行くには大変な危険を伴うのが六条の橋である。狭いが自動車の交通量はすこぶる多い。人が一人やっと通れるほどの側道幅しかなく、自転車で渡るにはかなり怖い(命知らずの若者やクソ度胸のある人は通るが)。そのため六条の橋の手前にある給食センターに自転車を置いて歩いて怖々わたる(大型トラックが紙一重で通るが風圧がすごい)。
何人もの犠牲者をだし、やっとのことで自転車道兼舗道をつくる決断をしたようだ。下のように橋の横は舗道を支える鉄骨が作られている。真ん中までわたって下を覗くと足場が作られていて若い鳶職のあんちゃんがいる。ワイが下に向かって「いつごろできるんぇ~?」と聞くと、かなり先だという。数年もしかすると5年かかるかも、あんちゃんも詳しいことはしらないようだ。
渡り切ったところの土手を右へ少しいくと橋も全然無かった江戸時代の渡し場「六条の渡し」の碑がある。
そこの土手を降りたところに大師堂がある。瓦葺きのけっこう立派な大師堂である。
拝礼場所の横にはお不動さん、光明真言碑、青面金剛さん(庚申さん)の石仏があった。新しいお不動さん以外は風化が進んでいて崩れて文字や文様がわからない部分がある。
内部は六畳ほどの畳が敷いてあり、前に大きなお大師さまの尊像があった。左手は念珠を握り、右手は五鈷杵を握っているはずだが五鈷杵はないようだ。
動画