2021年8月13日金曜日

ボニ中の天気、この天のご機嫌どないとらえたらええんや

  いつもなら冷房いれな寝付きもできん寝室もヨンベはもちろん冷房なしで十分涼しかった。それどころか明け方タオルケト2枚重ね着してひっかぶっても寒かったわ。

 目覚めつつぼんやり耳を澄ますと、いつもの夏の朝ならセミが鳴き始めるのだが、ビチャビチャと雨の音、朝からよ~ふる。昼過ぎになってもやまず、ずっと降り続けている。まるで梅雨の初めころの地雨みたいだ。

 今日の一時間天気予報を見ると、アカン!イチンチ雨や!明け方ふるうたはずや、最低気温が21℃そこそこ。


 キニョウも雨、キョウも雨、もしやボニ期間中雨ぇつづくんとちゃうか、ネットの一時間天気予報を下に繰ると、ええっ~~!明日、明後日の天気も雨、やっぱそうや。



 ボニはずぅっと雨ぇぇ~~~

 星の運行、天の気象、地の地象などのいつにない変化をみて運気を占う人がいる。そんな人(易者ちゅうんやろか)がこのいつにない(太陽暦の月遅れのボニ8月12~15日は大体晴れる)荒れた天気にどのような吉凶を見るのであろうか。

 オリムピクにとっては雨に当たらず

 A新聞主催の高校野球はこの分では大幅に雨天延期でずれ込みそう、人が密集するオリムピクなど、やめい!と音頭とったのがA新聞だから、しれっと高校野球は別でおます、と堂々開催、こりゃぁ、バチの一種か、ちょっと小凶

 阿波踊り、これはコロナで野外のは一切中止だから、雨が降ろうが槍が降ろうが関係ないその点では吉も凶もないが、ボニによって潤っていた宿や商店そのほかは今年もトホホの

 諸悪の元凶コロナに対してはどうか?雨ぇでみんな家に引きこもり、音楽鑑賞だの読書など高尚な趣味に向かえば蔓延防止に効果あるが、えぇい!陰気くさ!いっそどっかへ集まってみんな楽しくワイワイガヤガヤやってこまそ!になれば蔓延加速も考えられる、ちょっと今の段階では吉凶はわからん!

 この歳ぃまで生きていると十数年に一回はボニがこのような雨で涼しかったという経験をしている。直近で思い出すのは平成15年(2003年)のボニ、ずっと雨が主流の天気だった、忘れもしないボニの14日の早朝、寒暖計は20℃まで下がって朝震えたのを思い出す。

 この年ワイは県の観光協会で臨時職員をしていた。そのため台湾関係の観光客を相手にしたのでよく覚えているが、この年(平成15年)恐ろしい疫病が中国から広がり台湾人や日本人を恐怖に陥れたのを思い出す。それはサーズ(SARS)致死率も高かった。だから台湾旅行者もそうだが引き受ける日本人もナーバスになっていた。(日本人は幸いなことに患者はなかった)

 なんと雨のボニは恐ろしい疫病を伴っていたのである。なんや今年と似てるわ。

2021年8月12日木曜日

雨のボニ初日、おかげですぅしい

  例年なら今日からにんぎゃかなボニ踊りだがコロナの影響で二年続きの中止である。天も「それなら、遠慮、会釈もいらんわなぁ」とばかりに朝から雨、予報を見るとボニの四日間は雨の日が多そうである。雨でうっとうしいがそのかわり今日はずいぶんと涼しい日になった。

 アミコ地下で「昭和阿波踊りポスター展」をやっていたので見学した。見終わったあと紙パックに入った記念品をもらった。中にはスダチが二個入っていた。

 下はポスター展の昭和31年度ポスター、今は阿波踊りは12~15日だがこのころは旧盆に合わせて行われていた。この河童の漫画家ワイの古い記憶にのこっているわ。ネットで調べると小島功でなく、初代の河童漫画家清水崑である。(清酒、黄桜の広告の河童で有名であった)


 一番古いポスターは昭和9年のもの。このころはボニ踊りと称するのが一般的であった。


2021年8月9日月曜日

県立博物館リニュアルオプン

  西日本を斜めに横切った台風9号、勢力も強くなくここ四国には被害はなかった。かなりの雨は降ったみたいだが夜遅くから未明にかけての強雨だったのでそんなに降ったとは思わなかった。目覚めて居間でごろっと横になりテレビを見つつ窓を見上げると虹が出ていた。


 夜のうちにかなり降ったようだ、昨夕帰るとき鮎喰川鉄橋下は小道のような細い水流だけだったが、今朝は川幅一面に濁流が広がっていた。一晩でこないにも水量が増すんやなぁ。


 今日は県立博物館のリニュアルオプンということで文化の森駅から徒歩で見学に行ってきた。台風の影響が残っていて小雨がぱらつき風もある天気だったが真夏の暑さはなく歩くにはよかった。

 博物館は新装といってもいいほどどれもまっさらピンピン、ガラッと展示内容がかわったコーナーが多く、なかなか見ごたえのあるものとなっている。親子連れが多く、通路も混雑していたので時間をかけてみることはできなかったが、この歳になるといつ来ても無料なのでまた空いているときにゆっくり見に来ようと思う。

 下の写真はエントランス付近、徳島の名産・郷土の特産物・文化財などが展示してある。真ん中に竹竿の先に筅のようなものがついているものがある。母子連れが前で立ち止まり、「お母さんこれなにぇ?」と聞いていた。おかあさんは下の説明板を読み、「えぇ~と脱穀をするゴミョゴニョ・・」、当然だがこんなの若いおかぁさんはしらない。ワイは(子供時代だが)これ、リアルに近所の農家が使っていたのを見て知っている。これを知っているジジババ世代もやがて消えゆくんだから、博物館の使命は重要だ。


 上の写真の大谷焼の大甕の右横に郷土料理が展示してある(ダミー)拡大図が下。「あぁ~ら、おなつかしや!ボウゼの姿寿司」、ワイの子供時代、ばぁちゃんが秋祭りの時、よ~作りよったわ。あと、見えるのは「チッカ」「そば米ぞうすい」「でこまわし」


 こどもに大人気なのが恐竜「レックス」(ティラノザウルス)の実物大の骨格標本、迫力あるわ。


 他にも展示が新しくなったのがいくつもあった。また日ぃあらためてゆるゆる見よや。

2021年8月8日日曜日

山の日

  昨日は立秋、しかし名ばかりで今月中は猛暑が続くとみてよい。そして今日は『山の日』。猛暑の中、1000m以上の山に登って一日過ごせればつかの間の避暑気分も味わえるが、車ないし、去年足首をベシ折って登山もできなくなっている。

 ちょうど十年前、平成23年7月、剣山(1955m)、高越山(1133m)に登った時動画を作成していたので、その二つを貼り付け、その時のことを思い出しながら今日の「山の日」を記念したい。満60歳になったこの年、あぁ~ワイも爺になった、もう(イイ時は)過ぎてしもたわ、とおもったが、70歳になった今思うことは、あぁ~60代はよかったなぁ~である。もぅどちらの山も死ぬまで行けんやろなぁ。

 剣山(BGM、テネスィワルツ)


 高越山(BGM、落陽)

2021年8月5日木曜日

もぉ~、おこらえなしてぇ~!

  午後、こんな田舎でも猛暑、アスハルトの上を歩いていると暑さでボォ~とし、足がもつれる、こりゃ、危ない!影に入ってボトルの水を飲み、頭を扇子であおいで冷やす。

 この暑さ、例年になくワイの体にこたえるのは、マスクのせい。熱中症寸前なのにマスクなんどしとうはなぃ!確かに厚生省のお達しでも、熱中症の危険がある時は、距離をとって、マスクは外してもよいとはいう。しかし駅の歩道を歩いている人を見てもノーマスクはまずいない。みんな我慢強いのか、いやいや、なんとはなくの「マスクせなあきひんちゅう同調圧力」が働いているのとちゃうやろか。室内、汽車の車内ではたとえ距離をとってもノーマスクなんどできる雰囲気じゃない。

 日本は欧米と違って強権的な法律でノーマスクを取り締まっているわけではない。あくまでお願いである。それでも欧米人よりずっと守る率は高い。欧米なら権力と法で取り締まっているから、「もう、やめれや!」と抗議もできる。が日本はそんな強権的に命令する実態(政府、市、法律)がないから、「そろそろマスクやめまへんか」と誰に向かって言ったらよいかわからない。天か、はたまた世の空気か、に向かって言いたい。

 「もぉ~、おこらえなしてぇ~!」

 そうはいってもやっぱ、マスクはなんとなくしている。しかし周りを見るとずいぶんマスクのつけ方がルーズになってきている。やはりお年寄りに多い。一番多いのは

 鼻だしマスク、鼻を出すだけでもずいぶん楽になる


 顎マスク、こりゃぁ、もうほとんどしていないのも同じ、ただ飲料水を飲むときはこのようにする人がいて、飲み終わったらマスクを上げる。ワイなんかは列車の中で手にペットボトルをもって、いかにも今、飲みモン飲んでるからしばらくこらえてね、っちゅうフリでこの顎マスクを長時間つづけている。そんな姑息な言い訳態度までとってもマスクせなあきひんのが情けない。


 鼠小僧マスク、こんな格好のマスクは極めて珍しいが、このあいだ、小松島の海岸通りでスケボーをしていた若い子が、おそらく奇をてらってか、こんなひょうきんな鼻だけマスク(二重に折り返したマスク)をしていて、思わず見て笑ってしまった。「マスクせなあきひんちゅう」世の風潮に対する風刺のきいた洒落としてこんな格好しているならなかなか見所のあるガキだが。


 良い子の正しいマスク

 昔ね、ワイが10歳くらいの頃かな、白黒テレビでSFっぽい活劇があった(ナショナルキッドだの月光仮面だの)、大昔なのでそのどれだったか忘れたが、その中に宇宙人の憎っくき悪役がいた。茶瓶頭でなぜか床屋さんの制服みたいのきて顔の半分以上を覆い隠すデカマスクをしている。そして宇宙語をしゃべるが意味不明の「ケタケタケタケタ・・」そしてぎこちないちょこまかした動きをする、そうそう額の真ん中には仏さんみたいな黒子が一つポツンとあった。いったい何のドラマでなんちゅう宇宙人だったか、いろいろ思いつくキーワードを入れてネットで検索してもわからなかった。誰かこの宇宙人ご存知の方いませんか?60年たって今マスクに苦しめられる毎日、もしや銀河をこえてやって来たこのマスク星人が「悪さ」をしているんじゃないだろうか。

2021年8月4日水曜日

火炎木かとおもったら・・・

  35°近くなった昼過ぎ、ギラギラする陽光のなか、某病院の駐車場にまるで枝から炎が吹き出ているような木があった。


 濃い緋色と炎のような花の形はいかにも今日のような炎熱の日にふさわしい。芥川龍之介の「地獄変」に出てくる絵巻をみるようだ。炎熱地獄に木があったらこんなだろうか。


 近づくまでは火炎木か、と思っていたが、これ前のブログで取り上げた仏さんの木の一つでサルスベリ、フリルのような花がチロチロ燃え上がる炎みたいだ。


2021年8月2日月曜日

オリムピク雑感その4 オリムピクと全裸

  東京オリムピクが暑すぎるからどないぞせぇ!ちゅう競技選手たちが話題になっていた。まぁ真夏に全力を出し切る運動をやるのは大変だと思うが、東京の夏の暑いのはわかりきっていたこと、日本人も内心では前のオリムピクの時のように秋口がええんじゃないんか知らんと思ってはいた。しかしこれは日本の都合で勝手に決めるわけにはいかず、IOCやスポンサの意向もあり真夏になったようだ。

 しかし先日ニュスをみていると選手の全部が全部真夏のくそ暑い気候を忌避しているのではないのが分かった。最大のオリムピクの華、100m短距離走の選手の言葉として東京の夏は悪くないといっていた。その選手個人のインタビュだったが、その選手は他の選手の(短距離走)99パーセントもみんなそう思っているといっていた。その選手はちょっと風の少ないカリブ海の気候のようだとも。なんや!、みんながみんな東京の真夏の暑さに参っているわけゃないんや。

 東京の夏の暑さに音を上げギャァスカ文句をいったのはテニスのオランダ人とおもうが、さもありなん、オランダは北緯50度の国、涼しい夏を持ち、住んでいるのは暑さに弱い白人である。そりゃそうなるわなと納得できる。しかし世界には南方の熱帯の国もある。インドなんかの夏は日本の真夏より15°は気温が高い。短距離走者はアフリカ系やカリブ系が多い。もともと体質的に白人よりはずっと暑さに強いだろう。常夏の国の人ならば日本のこの夏の暑さなんかにブースカ文句を言うはずがない。世界にはいろんな気候風土がありみんなそこで適応して住んでいる。世界のさまざまな国々でオリムピクを持ち回りで回すなら、暑いところもありゃぁ、寒いところもある。

 もう二昔くらい前に冬季オリムピクの種目・ボブスレーを題材にした映画『クールランニング』という大変面白い映画があったが、雪など見たこともないカリブの国から、カナダにやってきてボブスレー競技に参加するのだが、そこにはいろいろな苦労はあるが、しかし大活躍する筋だ。これは暑い国⇒寒い国でスポツする苦難だが、当然、涼しい夏の国⇒くそ暑い夏の国でのスポツの苦難もあって当然だ。まぁ殺人的な暑さじゃないんやったら、世界の国々、人々みんなご互いさまっちゅうことでなんとかやりまひょ。

 今、オリムピクの期間中ということで図書館で左のような古代ギリシァで開かれていた古代オリムピクについて説明してある本を借りて読んでいる。この歳まで生きてりゃぁ、雑学的なしょぉもない知識はたまったが、古代オリムピクについては知らないことが多く、面白く読ませてもらった。

 思わぬ一致に、ほぉぉぉ~と感心したのは、古代オリムピクの開会式の日である。近代オリムピクは開会式の日程はガッチリ決まっているわけじゃない。前回の東京オリムピクは10月10日だった。しかし古代オリムピクは場所も開会式を含めた日程もきちんと決まっていて、時・場所は不動であった。

 場所はギリシャのオリムピアということはみんな知っているが日時はほとんどの人は知らない。先ほど日時も不動といった。一体何月何日か、しかしギリシアの開会日時はちょっと複雑で太陽暦の何月何日とは言えない。実は陰暦と太陽暦の絡みからその日時は算出されるのである。一言で言ってしまえば「夏至から数えて二回目の満月の日がオリムピク期間の中日になる」ということである。これを今年に当てはめてみる。夏至は6月21日,そして一回目の満月は6月25日,二回目の満月は7月24日となる。古代オリムピクは全日程が5日間で行われる。中日を24日にとると、五日の全日程は22,23,24,25,26となる。そうすると開会式は7月22日である。なんと!今の東京オリムピクの開会式が23日であるからほぼ同じ日である。

 ギリシアにおいても何と真夏に開催していたのである。日本人の感覚では秋にしたほうがずっと気候がええんちゃぁう?と思うのだがこれは気候風土の違いで地中海式気候のギリシアでは真夏は確かに暑いが晴天続きで湿度が低く、雨はまず降らない。逆に秋口になると気温的にはよくても雨量が多くなるからたった5日間しかないオリンピアの祭典、雨の恐れのある秋や春よりまず間違いない晴天のつづく夏が最もふさわしかったのだろう。

 ほとんど一致した古代と現代東京のオリムピクの開会式、湿度の違いはあっても真夏開催はどちらも同じ、クソ暑いのどないぞせぇ!とブ~垂れる人もいるが、なるほど真夏!これが本来のオリムピクの時期やなぁ、と知った次第である。

 しかし考えれば古代ギリシアのオリムピク、真夏に開催しなければならない必然性は高いといわなければならない。ご存知の方もいると思うがあらためていうと、古代オリムピクに出場の選手たちは、例外なく全員、全裸、素っ裸、もう一度念を押すと、フンドシ一切れも身に付けてはいけない。これじゃ春寒、秋冷の時期など素っ裸はサムイし、また縮こまって体の動きも滑らかにはならんだろう。そんなら服着ぃて別の時期にすりゃぁええが、ちゅうのは現代人の考え、全裸でスポツ競技を行うというのはもうこれは古代オリムピクの第一義的な要件であった。素っ裸には貴族や平民の身分の違い、富の多寡、そんなものにとらわれない全くの一人の赤裸々なギリシャ人という意味があるという人もいるし、また神にささげるスポツ競技ということで身にものをまとわないのだという理由を言う人もいる。また肉体に美を求める傾向は古代ギリシア人に特に強い。美が宿るのは均整のとれた体や顔だけではない、体の動きの美しさもそれにははいる。格闘技で暴力的に相手を打ちひしぐ動作でさえもギリシア人は魅せられ興奮した。だから当然全裸でなければならないのである。

 今日、ギリシアのオリンピアの地には広大な遺跡が広がる。行ったことはないがネットのググルマップだのアースだの使えばパソコンでバーチャル観光ができる。ググルマップで「ギリシア・オリンピア」と入れるとワープして廃墟・遺跡観光を楽しめる。そこからは多くの壺絵が発掘されているが、これもネットで検索し見ることができる。全員例外なく全裸の選手であったことがわかる。下は短距離走の選手たち


 全裸で走るのと衣服を身に着けて走ると、その二つの速さの違いはどうなんだろう?現代のようにパンツ、ランニングシャツを身に着けていた方がよいのか、それとも素っ裸の方が抵抗ないような気ぃするから走りやすいのか?いやいや、誰やらいいよったが、素っ裸で全力疾走すると、股のチンポがブラブラして股に打ち当たったり、股で金玉挟んだりして走りにくいと。私の知り合いに短距離走者ではないがマラソンが趣味の人がいて前にそのことを聞いたことがある。すると「さ~ぁ、どうだろ、ちょっとわからんな」と言っていた。考えると馬鹿なことを聞いたものだ。比較せにゃわからんのに、現代において素っ裸で数百メートルも走れるはずはなかった。

 これも壺絵から、これはボクシングの選手、たぶん試合中ではなく、ボクシングの練習中と思われる。なんか「型」の練習をしているように見える。手には革帯を巻いていて今日のボクシンググローブの代わりをしている。当然これも全裸、チンポブラブラ。


 下は実際のレスリングの試合中。想像図だが時代考証も考えてよく描けているといわれている。


 古代オリムピクは5日間ということもあって種目は現代のように多くなかった。次のようなものであった。

古代オリンピック種目1:ボクシング

古代オリンピック種目2:チャリオットレース(戦車競技)

古代オリンピック種目3:ペンタスロン(円盤、槍投げ、幅跳び、徒競走、レスリング複合)

古代オリンピック種目4:パンクラチオン(何でもありの格闘技をイメジするとよい)

古代オリンピック種目5:ランニング(短、中、長距離に分かれる)

古代オリンピック種目6:レスリング

 古代オリムピクは男ばかり、そして例外なく全裸で行う。全裸はギリシャ以上に日本の夏はそれにふさわしい。『日本古典ギリシャ様式全裸オリムピク』も開催すりゃぁええがと思うが、現代は全裸厳禁である。男ばかりというのも問題である。女性差別となる。現代においては古代オリムピクの真似でさえ非難の的になるであろう。

 西洋人は自分たちの文明の大本はギリシアに始まると言いながら、ヨーロッパの寒い風土のせいもあるのか、中世近世から現代にいたるまで全裸に対する忌避感が強い。幕末、日本人は夏はふんどし一丁、全裸に近く、平気でその辺を歩き回っていた。日本へ来た多くの西洋人はこれをみだらで不道徳とみた。日本人はなんの不都合もなく暮らしていたが、明治政府は西洋人の目もあって服を着にゃぁ処罰するとおどし、それもあって真夏のふんどし一丁は影をひそめるようになった。そしてその成果があったのか、現代においての日本人の裸に対する拒否感は幕末の欧米人のレベルに達した。東北に蘇民祭という裸の神事がある。その祭りの周知広報の為に裸の男が写った祭りのポスターを作ったら潔癖症の方から裸は不快感を与えると抗議がありポスターは没になった。まことに文明開化のお蔭か。

 しかし少数だが幕末に来た欧米人の中にも日本人の裸に理解を示す人もいた、かなりギリシアの古典に造詣の深い人だったのだろう。次のように言った「羞恥だの、不道徳だの、我々の目で日本人を見てはいけない、私は彼らを見ていると、まるでアルカディア(古代ギリシャの理想郷)の住人じゃないのかとさえ思う。私は日本人が屈託なく裸で過ごしているのを見ると古典期のギリシャ人を思い浮かべる」