2011年12月5日月曜日
夜がはやい
今日あたりが夜の訪れの一番早い極日であろう。徳島では日が沈むのが午後4時52分。冬至ころには日の入りはむしろ遅くなっている。
暮れて夜の来るのが早いほうが太陽の衰えを強く感じる。
今日の4時20分、西の雲に早くも日が入った。夜はもうすぐだ。しばらく見ていたらあたりは急速に暗くなっていく。
空を見上げると中天に上弦の月が見える。
空を低くめぐり衰えを見せる12月の太陽とは逆に、月は12月は最も高度高くめぐり、光もさえてくる。
緯度の高いロシアでは、12月の満月の夜は中天高く冴えた月の光と地上の雪明りで昼より明るい。との諺があると聞いたことがある。(もちろん文学的誇張だろうが)
確かに地軸の傾きは満月では太陽の角度と正反対になるから、冬至の低い太陽とは逆に満月は高く上がる道理である。
弱る太陽、冴える月
いやあ~自然の妙ですねぇ
2011年12月4日日曜日
阿波の鉄砲
今日、徳島城博物館を見学した。(240円も入館料にいったぞ!) 12月のテーマは「阿波の鉄砲」である。
江戸時代、わが阿波藩では多くの鉄砲が作られていた。江戸初期、蜂須賀が阿波を知行したころ、堺、近江の国友村、紀州の根来村などの従来より鉄砲作りが盛んだったところから技術あるいは人を導入したと思われる。
阿波の中で鉄砲鍛冶が一番多かったところは脇町の別所、そのほか私の住んでる麻植郡の川島村、鴨島郷でも作られていたらしい。
正直、驚いた。江戸時代にあってはハイテクの塊のような銃(火縄銃だが)が、わが藩(徳島県)のあちらこちらで作られていたとは!今日初めて知り、わが藩の水準の高さに(財力、技術、人材)驚いたのである。
作られているにしても、城下町・徳島の弓矢町のような職能集団が居住する町屋で作られていると思っていました。
鉄砲の伝来は皆さんご存知のように1543年(日暦・ひごよみ、と語呂で覚えた)。戦国時代真っ盛りにあって瞬く間に生産技術を覚え、たくさんの銃が生産され使用された。
江戸時代が始まる直前、ヨーロッパにも引けを取らぬほどの数の銃が出回っていました。当時の日本は今のアメリカのように『銃大国』だったのです。
ところがその後、パックストクガワーナ(徳川氏による幕藩体制下の長期の平和)で銃は必要なくなりました。
そのため発火方式は火縄銃から進化しませんでした(ヨーロッパでは火打石式となります)。そして人殺しの武器から、技芸、精神鍛錬が重視される芸としての「砲術」として独自の洗練を遂げます。
ほとんど現代のスポーツとしてのライフル競技に似てますね。
こんな文化を作り出した日本人を見てると、日本人は恐ろしい人殺しの銃も平和な目的に変えてしまう能力に長けているんじゃないかと思います。平和愛好民族なんですね。
以下展示物です。
これは火ぶたと火縄の部分、
次が一般的な火縄銃。3匁(12g)の鉛玉の銃。
次は大筒。阿波の鉄砲の特長は銃身が八角形になっているとこだそうです。この発射方式は上図の小銃と違い、腰を落とし両足の間に抱え込むようにしてかなり大きな口径から50匁、というから200グラムの鉛玉を発射させるのである。当たれば頭や手などが吹き飛ぶだろうなぁ。
全景、一部
最後に、やまじいさん、試射させてもらいました。
長身でスーツを着たエグゼクティブな雰囲気のカッコいい男の学芸員が小一時間にわたって、5~6人しかいない見学者について丁寧な解説をしてくれました。(上の写真を撮ってくれました)
もちろん、一番うるさく質問したのは私、やまさんです。
その質問からわかったこと。
火薬は糞尿の沁みたような腐った土、縁の下の土、便所の土、蚕棚・蚕糞の下の土から精製するそうです。私の推測するところ、たぶんアンモニアの含まれた土から硝酸バクテリアを利用し硝石を作るんだろうと思います。
北佐古にそれで作った煙硝(火薬)の保管の蔵があったそうです。
他にもごちゃごちゃ質問しましたが省きます。
こういうアカデミックな人(学芸員)とお友達になりたいと思いましたが、たぶん向こうで嫌がるだろうと・・・・・・
2011年12月3日土曜日
黄葉、紅葉、常緑樹(広葉樹)
木々の紅葉・黄葉も終わりが近づいた。桜などは真っ先に散ったが比較的遅くまで残っている銀杏もどんどん葉を落としている。
今年は気候の関係か紅葉・黄葉ともあまり美しくない。その中でもわりと色鮮やかな木を見つけたので写真に撮った。
まずは全木真っ黄色の銀杏。もうかなり葉を落としている。
次は真っ赤な紅葉。
この紅葉のむこうに桜の老木がある。早くから葉を落としているため枝ばかりの枯れ木のようになっている。
その老木の中でひときわ高い木の枝には濃緑の毬のようなこんもりしたものがある。よく見るとそこだけ常緑の葉っぱが生い茂っている。
そこだけ桜の葉が生い茂っているわけではない。これは寄生植物の「ヤドリギ」である。
全木葉を落とした晩秋から冬にかけて、そこだけこんもりと濃緑の毬のようなヤドリギはよく目立つ。
冬木立のため桜が葉を落とし枯れ木のようになっているのは当たり前であるが、寄生したヤドリギの常緑の葉を見ると、まるで寄生の末、宿主を死に至らしめたかのような不気味な印象がある。
また木の葉を落とした宿主である桜の枝に寄生して膨らんだ黒っぽい塊を見ると、毛細血管の中にできて膨らんだ動脈瘤のようにも見える。もし脳内だとするとこれは破裂の恐れがあり危ない。
逆さに見るとやはり体内の枝分かれした気管支にできた悪性の癌にも見える。
いずれにしてもなにか「死の予兆」を感じさせ不気味である。
しかし見た印象からこのように感じるのは私だけかもしれない。
ちょっとネットで調べてみるとヨーロッパでは生命力のあふれた価値ある木として見られているようです。
緯度の高いヨーロッパではほとんどが落葉します。その中にあって常緑(しかも広葉樹)のヤドリギは生命力の強い格別な木として認識されたんでしょうね。
そういえばハリポタの小説に魔法の小枝はヤドリギで作られている、とかいうのなかったですか?
また今月のクリスマス行事にも使われるそうです。日本ではモミの木や柊が知られてますが、欧米ではクリスマスにヤドリギのリースを飾るのは一般的だそうです。
先にまるで悪性の癌のようなと書きましたが、ヤドリギはその正反対に癌の薬として使われています。抗がん剤もあまり効果のなかった患者にヤドリギを処方したところ癌が縮小したそうです。
それから意外なことを知りました。ヤドリギ、何科かなと思っていたところ、なんとビャクダン科。あの高級香木と親戚関係にあったんですね。
もしかしたらヤドリギもなにかアロマが??
枝をもいで火で燻らせてみたいですが高いところにあるので危ないから取るのはやめておきます。
2011年12月2日金曜日
クリスマス企画 その1 最後の言葉
初めに断わっておきますが私はキリスト教徒ではありません。そのため「聖書」に対し宗教的な思い入れはありません。
聖書をあまり知らない人でもクリスマスは聖書に書かれたキリスト降誕日に基づくものであることは誰も知っているでしょう。信者なら教祖の降誕祭を盛大に祝うというのはわかりますが、ことクリスマスに関しては信者以外の人も世界的に行事として受け入れているようです。
今月はどこもかしこもクリスマス一色です。そんなにキリスト教徒がいるわけはないが、宗教色を抜いた行事として我々日本人は楽しんでいます。
そのクリスマス月間、信者でない私が一つの「読み物」として聖書を読み、感想をつづろうと思い立ちました。この聖書というのは私のブログでは「新約聖書」に限定しておきます。
読むのなら「原典」でといいたいところですが、これは私には歯が立ちません。ところで聖書の原典っていったい何語かわかりますか?
旧約聖書の言葉のヘブライ語か当時のパレスチナで話されていた口語のアラム語のどちらかと思われるでしょうが違います。原典はギリシャ語なんです。
当然、古典ギリシャ語なんてちんぷんかんぷん。しかし、少しでも原典に近い言葉と思い、同じ印欧語の英語で1611年に書かれたジェームズ国王欽定訳「聖書」を読むことにしました。1611年ですから英語の語彙、文法は学校で習った近代英語と変わりません。むしろシンプルな語で、現代語のように語彙数も多くありませんので現代の時事英文より読みやすいかもしれません。
さて、今日とりあげるのは、十字架刑に処せられたキリストの今わの際の言葉です。
十字架刑による処刑というと日本の時代劇に出てくる「磔」(はりつけ)のイメージがありますが、死に至らしめる方法が全然違います。
磔は十字架にかけられますが、二本の槍それぞれで左右の脇腹から肩にかけて貫き通して死に至らしめます。かなりむごいですが絶命までの時間は短いです。
ところがキリストが処せられた十字架刑は手足を十字架に釘付けにし、自分の体重をその釘付けの手で支えるもので非常に苦しみます。そのまま死ぬまで待つのですから絶命までに時間がかかります。
最後はおそらく極限の苦しみの末、呼吸困難か心臓まひで死にます。なかなか死なない時は足の骨を打ち砕きます。すると全体重が手肩にかかり、呼吸困難をもたらし死が早まります。
日本の磔と比べても苦しみは長く続く残虐な刑なのです。(映画「パッション」より)
キリストの最期の詳細については事実上、聖書しか頼るものはありません。教祖の最期を記した経典ですから、客観的に見て真実かどうか、疑問がつきますが、ほかに文献資料がない以上、これを手掛かりに考えざるを得ないでしょう。
幸いなことにキリストの言葉・事績を書きとめた福音書というのが4つありますから比較検討ができます。
その4つある福音書の2つは十字架上のキリストの最期の言葉が同じです。次のような言葉です。
Jesus cried out with a loud voice ,saying "Eli, Eli,lama sabachthani?" that is,"My God ,My God,why have You forsaken Me?"
この My God ,My God,why have You forsaken Me? が問題となります。かんたんな英文で他に訳しようもない言葉です。
「我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか?」
聖書を読んで初めてこの言葉を知ったときは正直、驚きました。キリストは全人類の罪を一身に負って十字架に上がったと聞いていましたから、気高く、父なる神を信じ、昇天したと思っていました。それがこのような弱音とも思える言葉を残していたとは意外でした。
おそらくキリスト教徒もこの言葉の解釈には迷ったと思います。信者でもない私のような考えがもっとも率直であると思うのですが、信者はそのような「弱音」とも見えるようには解釈しなかったのではないでしょうか?
キリストが今わの際に吐いた弱音と認めれば、神に対する懐疑が芽生えかねません。多分そうならないような複雑な解釈がなされているのでしょう。
しかし、私のようにこの言葉を弱音と見る人は日本人には結構いるみたいです。三島由紀夫はこのキリストの最期の言葉をモチーフに短編小説を書いています。
ほとんどキリスト教に帰依する寸前だった元武士の妻が外人の神父からこの最後の言葉を聞いて猛然と決意を翻す場面があります。
「今わの際にそんな卑怯未練な弱音を吐く教祖など武士の妻として受け入れられませぬ!」
卑怯未練なかどうかはおくとして、いくら生涯にわたって決意の人であったにしても断末魔の苦しみの中、そのような言葉が出てくるのは人間としては自然な気がします。
でもキリストは神の子で人間じゃないんですね。そうなれば自然率直にはこの最後の言葉は受け入れられず、神の子としてふさわしい解釈をしなければならないんでしょうね。
私なんかは人間の弱さを持ったキリストの方が魅力的だと思いますが、どうでしょう。
2011年12月1日木曜日
宵闇迫れば、悩みは果て無し
いよいよ今日から12月。カレンダーを破くのもとうとう最後になった。町ではクリスマスソングが早くも流れ、年の暮の雰囲気をかきたてている。
ずいぶんと日が短くなった。今日のように雨もよいの曇り空ではなおのこと増々短く感じる。一年で最も日が短いのは今月の22日の冬至であることはみんな知っているが、それじゃあ、夜が訪れるのが一番早いのも冬至かというと、そうではない。
今夜、そう今夜から5日くらいにかけてが夜が訪れるのが最も早い(つまり日が西に沈むのが最も早い)のである。
先ほどまでパラついていた今日の午後6時。もう真っ暗である。外景と同じ暗いこころを抱いて蔵本駅前に立っていた。
徳島からの列車での帰り、普段はまず下りないのに今日は蔵本駅で途中下車した。なぜか?
停車のため速度を落とした列車の中から、真っ暗になった蔵本駅前のいかにもわびしそうなイルミネーションが見えたのである。
最近は個人宅でも派手なイルミネーションを飾ることが流行している。競うような満艦飾の家を見て歩くひともいる。
イルミネーションは派手であるほうがみんな見てくれる。あたりまえである。
しかし、私はなぜか、蔵本駅前の白と青の寒々とした蛍光を放つ地味でわびしいイルミネーションい魅せられ、衝動的に列車を降りてしまった。
6時過ぎというのに駅前には人はほとんどいない。寒さとさみしさが急に募ってきた。
「衝動的に降りるんじゃなかった。」
後悔したが次の下りは25分後だ。駅前を少し歩く。
なんでこんなわびしく、まるで遠い山中に散在する民家のまたたきのようなイルミネーションにみせられたのか?
思い当たることは半月前から続いているある苦悩である。
「宵闇迫れば 悩みは果て無し 乱るるこころに 映るは・・・」
そんな詩があったっけ。
時間をつぶすため駅前を歩いた。6時台であるのにまるで深夜のよう。悲しいほどにしみいる夜景を写メールで撮った。
有馬の湯
今日、昼前にジョージ君と会った。ジョージ君と初めて知り合ったのはもう一年以上前だ。彼は私のすぐ隣の席にいて一緒に職業訓練をした仲間だ。
「おお、そういえば、昨日は訓練校の修了日からちょうど一年だったんだ。」
その話題も出て、私はちょっと感慨にふけった。
私は修了から一年、何の就職もできなかったが、彼はいくつかの仕事をして稼いでいる。私はいまだ無職であるのを年齢のせいにしているが、本気度が足りないんじゃないかと自分でも少し反省している。
今日は昼近かったので一緒にうどんを食べながら、まだ話し続けた。
その彼との話題の中で、「有馬温泉」が出てきた。彼はお母さんと一緒に行ったそうであるが、非常に良かったと話していた。
私も有馬温泉は何度か行ったが確かに上の部類に入る温泉ではある。泉質もよく、また歴史文学にゆかり深い地でもあり、そういったものの総合的な雰囲気がよい。
彼との有馬温泉の話題はまったく偶然に出てきたものであるが、実は数日前から江戸時代(文政十年1827年)に書かれた「滑稽有馬紀行」を読み始めていたのである。何週間か前、これも江戸の滑稽本「浮世風呂」を読んで面白かったので同じような風呂・温泉の古典本を見つけて読み始めたのがこの有馬紀行である。
まだ全部読み終わっていないが、ブログにその本の挿絵を紹介しておく。
江戸時代、こういった温泉地では混浴が当たり前であった。下の図でも恥ずかしがることなく、みんな仲良く入っている。
有馬の湯は「強食塩泉」である。そのことは本文のアンダーラインを引いたところからもわかる。
食塩泉なので当然、透明。清らかにして少しの濁りもなく・・・といっている。
面白いのは潮汐(満ち潮、引き潮)によって温泉の湧出量が増減することである。潮汐同様、月・太陽の引力が地下の温泉脈に力を及ぼしているのがわかる。
絵を見ると混浴とは言ってもみんな節度を持って入湯しており、不埒な男は見当たらない。
老化かな
昨夕は体がだるく、なんだか眠いような感じがして何もできなかった。6時前に風呂に入り7時には就寝した。
やはり眠かったのだろう、そのまま寝てしまった。途中トイレに一回起きたが、4時まで寝むっていたから、やはり睡眠不足だったのだろうか?
睡眠不足で思い当たることはない。前夜、そんなにいつもと比べ睡眠不足だったことはないと思うのだが・・・・・
思い当たることといえば、年齢による老化であろうか。今年春に満60歳を迎え、それを境に急に衰えを感じるようになった。
「60歳の切のいいところで、老化期の一段階に入ったのかなぁ。それとも病気の前駆症状かぁ。」
老化と一口に言ってもこれは体験したものでないとわからぬものがある。若いうちは年老いて体がだんだん衰えていく実感はわからないだろう。
昨夕のように体はだるい、眠い、あたまはぼんやりする。こんなのが老化とともに来たら、かなりつらい。まだまだ、読みたい本や勉強したいことも少しはある。いくつかのテーマで考えたいこともある。しかし、それも難しくなるのか?
時間をかけてやったり、本やテーマの難易度を落としてやればできないこともないだろうが、「退化」するようで切ない!
目と性力の老化・減退は自覚しているし覚悟もできているが、頭の老化には戸惑う。しかし、あれこれ、老化の衰えを自覚しつつ、ああ、やっぱり人は老衰して死ぬんだな!との覚悟をもたらしてくれ、死に行く準備をさせてくれているんだと思えばこれも人生の一つの
「試練かもしれない。」
ところで今日は病院へ行く。一か月ぶりだ。別に病気が重くなったとか別の症状が出たというわけではない。月一回、薬が切れるため貰うついでの診療だ(薬だけはくれない)
これで午前中は潰れる。本でも持って行って待合室で読もうかな。
昨夕は睡眠をたっぷりとったが、これでまだ寝むくて、ぼんやりしていればいよいよ老化も本格的になってきたんだろうなぁ~
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