城といっても城館と言った方がいいだろう。後の江戸期でも国持ち大名は天守、石垣、櫓、堀などある立派な城を持っていたが、一万石~三万石程度の大名はそんな城ではない。「陣屋」と称した城館であった。
藍住ゆめタウンの近くに住吉神社があり、その付近である。1585年蜂須賀氏が豊臣秀吉から阿波の領地を賜ったのはみんな知っているが、阿波一円が蜂須賀氏のものになったのではない。一円支配ではなく阿波板野郡住吉あたりの一万石は播磨の名族赤松の子孫・赤松則房が領有したのである。その時の城館跡である。その後、赤松氏は一万石大名として江戸時代まで存続はせず、やがて阿波一円は蜂須賀氏の領有するところとなった。つまり蜂須賀藩に吸収されたということか。
赤松氏本家は足利六代将軍義教を弑逆したため滅ぼされるが、旧臣の働きもあり、八代義政の時代に本家は赤松政則が後を襲い復活する。下が赤松政則の肖像画である。この住吉城の城主となった赤松則房はその子孫になる。
5月9日に行ってきた。田園地帯にある平城である。説明板が住吉神社近くの八坂神社の横にある。
そこから数十メートルいった畑の中に舘(城館)跡と伝えられる塚がある。

0 件のコメント:
コメントを投稿