昨日は讃岐にある札所・善通寺75番から逆向きに74~73~72~71番弥谷寺まで五ヶ寺を徒歩で参拝しました。
75番札所善通寺はお大師さんの誕生の地で有名で、その寺域に大師誕生の産屋があったと伝えられています。その場所は御影堂の奥の院・誕生院といわれている所です。この寺は本山でもあるので規模も大きく、特に五重塔は圧巻でこれに勝るのは京都東寺の五重塔くらいじゃないだろうか。
下は善通寺本堂、本尊は薬師如来さまです
そして本堂の前を過ぎて広い境内をずっと行くと「御影堂」がある。この奥の院が大師誕生の場所である。本堂から御影堂にいくとき小さな橋を渡るがその下の水面には青蓮華の花がさいていた。これは仏教では神聖な花で観音菩薩が手に持っている。アジャンタの壁画観音像(インドにある)もこの青蓮華を持っている(右手に注意)。ハスの花は大輪で白や薄い桃色が多い。このような青蓮華は大きなハスの仲間というより「睡蓮」の種類であろうが、観音様がこの花を手に捧げるときは「青蓮華」と言っている。奥の院(御影堂)行くとき橋を渡っていてふと下を見るとこの青蓮華があったので、そのことを思い出し写真に撮った。左はアジャンタの観音さん壁画、青蓮華はハスのような大きな花でないことがわかる、壁画では色が褪せているが青蓮華である。その橋の下の水面の青蓮華である。
こちら讃岐は本日は曇りで、照りつける太陽が出ていないだけ歩くにはよかった。気温も最高は27~8℃びゃぁで、まずまずの日よりである。善通寺が75番でここから逆順に進むから、次は甲山寺74番である。遍路ガイドブックをもって遍路道を探すが、この田舎者のワイからすると善通寺はかなり大きな都会(大学もありゃぁ、自衛隊駐屯地もある)、遍路道や道しるべを見つけるのは、このような都会ほど難しい。いっそ平野や山の道の人少ないほうが見つけるのは容易である、町中で結局その遍路道がわからなくなってしまった。町の人に聞くが案外地元の人でも知らないもので、結局かなりヒンズに歩いて、ようやく善通寺市郊外で遍路道をみつけた。善通寺から甲山寺までは1.5kmとあるが倍くらいは歩いたと思う。
で次は74番札所甲山寺。
山門の横に曼荼羅があったが、近づいてよく見るとなんと!これが仏さんでなくすべて「猫」の猫曼荼羅、よっぽど猫好きの信者が奉納したものだろうか。胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅があったが下は胎蔵曼荼羅の中台八葉院、なるほどニャンコばかりだ。
作法通り本堂(本尊・薬師如来)と大師堂をお参りさせていただく。先に善通寺をお参りしたからの印象か、こじんまりしたどこにでもあるようなお寺であった。境内にはこのようなウサギの石像があった。「甲山のうさぎ」として信仰を集めているようだ。掲示にそのいわれが書いてある。次の出釈迦寺を目指して歩くが、この辺りは水田地帯なので遍路道もわかりやすく、平坦な道なので出釈迦寺までの距離3.5kmも楽々歩けた。まわりではこのように水田のしろかきをしていてこれから田植えのようだ。徳島より遅い田植えだ。
次は73番札所出釈迦寺
甲山寺からは3.5km、最後の500mくらいは上りの道である。甲山寺を出てため池の横を通るあたりから、低いが特異な形をした山が迫ってくる。標高の割には急な山容である。この山が昔お大師さんが捨て身の修行をしたいわゆる捨身ヶ嶽ではないかと思いながら歩く。その通りで二つの山に囲まれたところに出釈迦寺があった。後方には捨身ヶ嶽・我拝師山があり、山の上には禅定院の建物の屋根が見える。
境内に西行の歌碑があった。この近くで西行は数年過ごしたといわれている。知らなかった。西行は昔仕えた崇徳上皇が讃岐白峰で悶死した後、鎮魂・供養のため讃岐を訪れたことは知っていたが、ここに長らく滞在したのは知らなかった。近くにその滞在地といわれる「西行庵」もあるが今回は行けなかった。下はその西行の歌碑である(記念の建立は江戸時代)境内の修行大師の後方にある山の中腹に禅定院が見えている。同じく境内にある捨身ヶ嶽遙拝所、上まではかなり険しいが、ここからその禅定院、そして下に崖を望む捨身ヶ嶽に登れる。しかし安易にかんがえると怪我をするので注意(もちろん私は登らなかった)。このような大師伝説がある。 大師幼少の時、身を捨てても仏道に邁進したいと思い、この絵のように身を投げた、するとその願いに感応したお釈迦様があらわれ、天女に抱き取らせ「一生成仏」とのたまい、かすり傷一つおわなかったそうである。境内にはその当時の幼少のお大師像「稚児大師」が祀られている。このように大師が捨身したとき釈迦が出現したため、この地の寺を「出釈迦寺」と名づけたのだろう。
次は72番曼荼羅寺
出釈迦寺から0.5kmくだると曼荼羅寺である。大師が唐から持ち帰った胎蔵、金剛界両部曼荼羅をここに安置したので寺にこの名がつけられたようである。ご本尊は大日如来さま
出釈迦寺から0.5kmくだると曼荼羅寺である。大師が唐から持ち帰った胎蔵、金剛界両部曼荼羅をここに安置したので寺にこの名がつけられたようである。ご本尊は大日如来さま
次は最後の71番弥谷寺
この寺は一ヶ月前に参拝したのだが、この寺域にある有名な「かなぶっさん」(金剛拳菩薩)をお参りしたというはっきりした記憶が無いので、もう一度(今回はその金剛拳菩薩さまのみ)お参りしてきました。
曼荼羅寺から4kmとなっているのですが、途中で山道に、それも竹藪の細い山道に入り、勾配も急になるのでかなりキツかったです。途中スモモをもいでいるおばあさんがいて、お接待にスモモをあげるとすすめられましたが胃腸の調子が良くなく謝辞しました。でもありがたいことです。
最初の歩きはこのようにいくつもあるため池に沿った道を通っていたので楽でしたが・・急勾配の竹藪の道になり、息も絶え絶え、途中で休息を取っていると、藪の中なので蚊にアッチャコッチャ刺され、安息出来ません。苦しくともすぐ歩き出しました。ようやく弥谷寺境内にある金剛拳菩薩につき、お参りすることが出来ました。金剛拳菩薩さまってあまり聞いたことがない御名かもしれません。この菩薩さまは金剛界曼荼羅にたくさんいらっしゃる金剛系菩薩さまのお一人です。病にきくそうで江戸時代から信仰を集めています。金剛拳菩薩というだけに手の形が特異です。確かに両手で拳(拳固)をつくり重ねているように見えます。
以上5ヶ寺を歩きましたが、この弥谷寺からさらに3.3kmびゃぁ歩いてJRみの駅まで行き、ようよう今日の「歩き」は終わりました。
0 件のコメント:
コメントを投稿