先のブログで「お水大師」に行けなかったことを書いたが、また行く機会もあろうと自分で慰めていた。しかし気になってしかたがない。天気予報をみるとこれから雲が厚くなり夜には雨、そして雨天が数日間続くようだ。そこでおもいきって今日、再度新野駅まで汽車で行き、月夜まで往復して「お水大師」をお参りしてきました。
行きは先日と違うコース(一部)をたどった。このような道である。目的地までの距離は短いが竹林の山を通るので歩くのはきつかった。
大杉の横にお堂があり、お大師さまをお祀りしてあるそうだ。これを月夜庵と呼ぶのだろうか。
調べるとこの建物の横(奥)に数年前まで「庵」のようなお堂があったようだ。この矢印のあたり、今は更地で礎石の石組らしいのが残っている。
さらに奥に「お水大師」がある。小さなお堂には大師像が祀られ、下は石組みの洞になっていて泉水が湧き出る小さな浅い井戸がある。(水は涸れていた)
月夜の地名のいわれとなった
説明板を探したが、お水大師付近にはなく、そこより300m手前にある、モダンな
遍路休憩所にそれに関する説明があった。
前に来たときもここで休んだがデザインに次のような意味があるのだ。
天上が円状に開いているのは月のイメージで放射状に伸びる多数の中心柱は光る石の光明(光線)を表している。前回の私のブログのいわれと、ここでの説明とはちょっと違っている。(
私の根拠はネットの参照)
まとめの動画
3 件のコメント:
6/8の記事にもコメントしたのですがどっかでミスったようです^^
歩きとはいいですね^^視野広がり身心丈夫になりますv
区切って区切ってなんとか室戸岬まで遍路するとその先の決断見えますよ
スケジュール応援かけづれしたいな^^
>>勝ぼうずさんへ
コメントありがとうございます。
私の場合、寺参拝より、大昔の巡礼古道をたどり、自分なりにもとめるものを、と思いながら歩いていますね。これを修行というのはおこがましいですね、そうですね、修行というより「修養」というほうがふさわしいですかねぇ、強固な信仰などはありませんが、インドから始まる仏教の歴史、日本の各宗派、その祖師の思想、古代から続く修験道の本など読み、ときたまこのように巡礼古道を辿るのは私の場合ほとんど趣味ですね、だから修養にもなっていないかも知れませんね。
出来れば23番から向こうも歩きたいですね。ここから最御崎寺まではとても一日ではいけませんから、泊まり覚悟です。磯の道を歩き、砕ける波にさらわれたら、まさに南海上にある補陀落渡海往生です。いいかもしれないなぁ。
まぁとりあえずは天気回復そして心身の状況をみて、残り後半の薬王寺への区切り打ちをやりたいです。活動的な勝つぼうずさんのバイタリティーが羨ましいです。
健脚で凄いですね。
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