2021年4月30日金曜日

恩山寺参拝

  南小松島で汽車を降りて40分ほど歩くと恩山寺につく。御本尊は薬師如来である。

真言、オンコロコロ センダリ マトウギソワカ


 本堂礼拝所の上にはお札がたくさん貼ってある。かなり古い時代に貼られたと見受けられる。今、お札をお堂などに貼ったりするのは厳禁であるが。これはこれでもう歴史になっている。


 大師堂の他に地蔵堂があり、千体地蔵がまつられている。

真言、オンカカカ ビサンマエイソワカ


 その左には法体姿の木造が並ぶ、最初は羅漢さんかなと思ったが、数えると10体ある。ということは羅漢さんではなく仏の十大弟子だろう。美男の阿難はどれだろう。


 山門は道路から外れているため、この山門をくぐって参拝する人は少ない。赤い橋の右が山門


 中にかなり傷んだ仁王様がいらっしゃる。


 帰りは赤石駅まで歩き、そこから汽車に乗る。

 恩山寺境内動画

2021年4月29日木曜日

あれから一年たったが

  去年の今頃、全国は緊急事態宣言下にあった。学校はお休み、仕事もテレワクや時差出勤などが奨励され、また特別に休暇を取らせたりと、コロナウィルス蔓延を防ぐため、外出を抑える措置が大々的にとられていた。例年だとゴルデンウィクでアッチャコッチャに楽しみを求めてドッと繰り出す時期にあたっていたが、汽車の中や徳島市内の繁華街は見事なくらい人通りが絶えた。

 緊急事態宣言によって人出は大幅に抑えられたが、さてそれがコロナ蔓延に効果があるかまだその時点では何とも言えず、緊急事態宣言もいつまで続くかちょっと不安もあった。しかし、どっきゃらの国と違ってワイの身の回りや行動範囲の中でコロナに罹る人や死ぬ人が全くいなかったこともあって、生まれて初めて経験する「緊急事態宣言」に対するドキドキ感、そして政府からコロナお救い金を頂けるかもしれないというワクワク感があり、加えて信じられないような繁華街、行楽地の人少ない風景をみて気分が(決して悪くはないほうに)高揚していたことも認めなければならない。

 一年前、ガラ空きの汽車に乗って平等寺を参拝した。ゴルデンウィク中であったにもかかわらず参拝者はみたところワイ一人だった。強烈に印象に残っているのは山門の阿吽の仁王さんがお二人ともマスクをしていたことである。

 そして一年たったが、コロナはおさまってはいない。抑えられるかな、との思わせぶりな時期もあったがここにきて変異したウィルスの出現もあって再び増えだした。今首都圏大阪兵庫は第三回目の緊急事態宣言下にある。わが徳島も実質的な緊急事態下である。というのも、飲食・遊興業また大規模な店にも時短を要請しているし、県施設もゴルデンウィク中休館となっている。歳ぃいっての楽しみの図書館めぐりも軒並み休館となって出来なくなった。知事は外出はひかえるようにと言っている。

 一年前にワイのブログで百年前のパンデミック(スペイン風邪)を何回にも分けて詳しく紹介したが、これをもう一度読むと終息までには足かけ3年かかっている。やはりコロナの疫病もそれくらいかかると見るのが妥当だろうなぁとおもう。一年ではまだまだということか。

 の見ごろは過ぎつつあるが、地福寺の白藤は盛りが少し遅いのでちょうどいまが見頃である。白藤が風に揺れる姿には清楚な風情がある。


2021年4月27日火曜日

やっぱりな!の、つづき

  昨日のブログで「残念なことにこのような状態ではおそらく予約者をさばくのが最も下手な市町村の部類に入るに違いない。」と私の予想を書いたが、本日の地方新聞を見ると我が吉野川市の予約初日の混乱が記事になって載っていた。

 下が本日の地方紙の記事


記事の後半を読むと、市職員が各時間帯で設定した人数を越えて予約が入っているのに気づき、云々カンヌン、とあるが、あらかじめ何の行列整理もせずに入り口だけを解放して放ったらかしにすれば殺到して当然そうなるわな。なんでそんなことが思い当たらなんだんやろ。

 そして最後の記事を見ると気になることが書いてある。予約受付は「業者」に委託していたとある。業者に市の業務を委託するのはよくあることで悪いことではないが、これ、市が当然、業者に契約して対価の銭を払っている。

 「銭を払って、この不手際かぃ!もっとコジャンとしたところに受け負わさんかぃ!」

2021年4月26日月曜日

やっぱりな!

  わが町のワクチン接種予約解禁日が本日である。予約時間は8:30~19:00までとなっているが、案の定、予約が殺到したためであろう。予約受付のコールセンターにも何度電話しても電話はつながらない。ウェブ予約をと思ってもこちらも個人情報を入力して次に進もうと思ってクリックすると次の画面には赤文字で本日は接種予定数に達したので、明日の12:00からまたどうぞ。である。

 予約事務は市町村が管轄であるが、なんとかこのような状態をさばき、スムーズにできないものか。待つのはよい。だがアクセスができないと、いつまで待つかもわからないので不安になる。確かに電話やネットのアクセスが殺到してパンク状態になるのもわかるがそんなのは初めから予想できたであろう。それも見越して何とかさばくようあらかじめ交通整理して整然とした行列を作ってほしかった。

 これだとまるで早い者勝ち、入り口が一つしかないのに、待っている全員に、さあみなさんよ~いドンで一斉に入り口に入ってくださいよ。というようなものである。まったくカオス状態で押し合いへし合い、入り口に向かって全員が突進するようなものである。

 ワイの予想では、あらかじめアクセス入り口に並ぶ(電話やネットで)行列をさばくのが上手い市町村とそうでない市町村の差が大きくなるのではないかと思う。我が吉野川市は残念なことにこのような状態ではおそらく予約者をさばくのが最も下手な市町村の部類に入るに違いない。

 さて、いつになったら、電話あるいはネットで予約ができることやら。

2021年4月25日日曜日

椎の宮はんのツツジ

 眉山山系の山すそを少し登ったところに椎の宮さんは鎮座している。本参道は立派な石段であるが、わきにだらだら道の参詣道兼遊歩道があり、本殿までの斜面にはほぼすべてツツジが植わっている。そのためツツジの時期には鮮やかなツツジの花の色で山すその斜面がおおわれる。

 椎の宮はんのツツジは今日この頃が満開か?いやちょっと遅いかもしれないと出向いた。藤の見ごろの時期が早まったことで予想できたことではあるが、やはり満開は過ぎつつあった。ほとんどの花は開ききっていて中には萎れ黄ばんでいるものもあった。しかしかろうじて見ごろに滑り込んだようだ。

 本殿前で若い宮司さんとお話ししたが、やはり、年々はやまってますなぁ、と言っていた。宮司さんは近くで取ったのであろうか、多量のタケノコを小袋に仕分けしていた。聞くと神社隣接の竹やぶで取ったとのことである。多量なので私が「市場にでも出すんぇ~?」と聞くと、いえいえ、氏子さんに配るとのことであった。

 「あぁ、とれたてのタケノコ、うまかろうなぁ~」

 本殿に参拝したとき辺りから栗の花の匂いがした。そういえば栗の花の香って、新鮮なタケノコの皮をむいたときの匂いとよく似ている。そして中学以上の男子なら当然わかると思うが栗の花の匂いは精液の匂いにもにている。

 大昔まだワイが高校一年の純情少年だったころ、5~6人の男子の同級生とやはり山すそを歩いていた時、この栗の花の香りが強くしてきた。そのときは栗の花の匂いとはわからず、心ひそかにこの匂いは精液の匂いによく似ているなとおもったが、恥ずかしくてそんな感想は同級生の前で口には出せない。みんなも思っていたはずだ。そのとき、その中の一番ませていた同級生が

 「あ、センズリの匂いじゃ!」

 といったのにはみんな顔をみあわせて瞬時の沈黙の後、大爆笑した。

 ツツジの道入口


 上の展望の良いところから眺めたところ


 動画

2021年4月23日金曜日

いま躑躅があちらこちらを彩る

 田宮街道をぬけ鮎喰川土手にでたあたり。


鮎喰川の橋を渡り少し西へ行くと井戸寺がある。本堂の左右をみると左近の桜、右近の橘ならぬ、左近の紅ツツジと右近の白ツツジが満開である。


2021年4月21日水曜日

種蒔き大師参拝

 阿波大谷駅で降りて種蒔き大師に参拝してきた。駅から少し歩くが、これからは暑さの対策を講じておかねばならない。汗かいて喉が渇いた。




 種蒔き大師というくらいだから本堂(御本尊は愛染明王さんとお薬師さん)より大師堂の参拝に御利益があるといわれている。上の写真はその大師堂である。

 またここには国に重文指定されている「弥勒菩薩像」があり、拝みたいという人が多いためか、独立した伽藍の「弥勒堂」の建設を予定している。基礎工事が始まっているようだ。

2021年4月19日月曜日

藤色の一日

  春が闌け(たけ)ても夏が来るにあらず、日本ではその次に初夏があり、そして梅雨がすんでようやと夏が来る。その春が闌けて初夏に移り変わりつつある今日この頃、天気も良く、昼にかけて気温もぐんぐん上がってきた。寒がりの老体には遠出にちょうど良いと、今日は石井の藤祭り会場をテクテクと歩いて経めぐった。

 石井駅~地福寺~徳蔵寺~前山公園~童学寺~下浦駅である。

 さすが藤祭りの町、石井の駅である。ホームにはきれいな藤の花が出迎えてくれる。

 まず駅から歩いて数分の地福寺で藤を見る。


 さらに歩いて15分ほどのところにある徳蔵寺の藤を見る。


この寺は以前のブログにも書いたがモラエスさんゆかりの寺である。モラエスさんと徳蔵寺の関係についてのブログはここクリック


 そこから南の山すそに向かい半時間ほど歩くと前山公園着く。大きな溜池のある公園であるが、ここの藤は野性的でなかなか素敵である。フェンスに猥雑なほど絡みついている。


 藤がベンチの上に覆いかぶさるようになっている。甘い香りがただよう。


上を見上げるとこの通り、こんなの、すっきゃわ~💛、香りにみわくされ、紫の光のシャワーを身に浴びると、なんかしやわせ感いっぱいになる。


そしてさらにそこから歩いて半時間、童学寺につく

童学寺の藤棚

2021年4月18日日曜日

ワイのワクチン人生

ワクチン最初の記憶

 記憶にあるもっとも古いワクチン接種は天然痘のワクチンである種痘であった。たぶん幼稚園の年少組のころではないかと思う。当時の種痘は注射ではなく先が小さなハート形になった小刀で皮膚を傷つけ種痘株を植え付けるものであった。接種については覚えていないが、傷つけられた上腕の数か所が瘡蓋になりそれが最後には黒い灰の塊のようになったことは覚えている。今もそのあとは上腕に種痘跡として残っている。

 私が小ンマイとき(昭和30年ころ)は伝染性の細菌あるいはバイラス性の感染症が多かった。そのためかワクチンもいろいろな種類があり、学童に義務付けられものも多かった。そのためかワイの小学校時代は毎学年数回は何らかのワクチン注射をした。毎年のように1~2回はしたという記憶があるがはて?それが何のワクチンかはあまりよく覚えてはいない。しかしその中でも印象に残るエピソードが伴う予防接種は今でも鮮明に覚えている。

副作用

 たぶん小学校の3~4年ころと思う。接種したのは『腸チビス』のワクチン、いろいろな予防接種の中で、注射が一等痛いのはこの腸チビスのワクチンだったので、注射自体嫌いだった子供のあいだでもこれはもっとも嫌われていた。しかしこの腸チビスの注射は毎年必ず受けなければならないものであった。ところがその年(3~4年生)の腸チビスのワクチンは打った後、多くの児童が発熱し手や肩の痛みが出たのである。中には学校を欠席した子もいた。私も高熱ではなかったが微熱が出て腕がだるかった。 

 今だとこのようなはっきりした症状が何人もの児童に出ればワクチンの副作用として大問題になるであろうが、昭和34~5年である。さして問題になったような記憶はない。昔はそのようなことにかなり鈍感だったということか。鈍感といえばこれも今だと考えられないが予防接種の注射器の針は使いまわしていた。接種時は体育館に児童は列を作って並ばされた。看護婦さんが順番にアルコール綿で注射部位を拭きつつ、注射の番を待ったが注射器の液は何人分も入っている。医師が注射器の目盛りを見ながら必要量打つと、そのままの注射器(もちろん針も同じ)で次の子にまたプスリとうった。そして注射器が空になってから注射器と針はようやく取り換えるのである。いまは肝炎ウィルスやエイズウィルスがこのような注射針の使いまわしによって容易に感染することが分かっているのでこんなことは絶対しないが、まったく今から思うと副作用や副次感染について無関心なすごい時代だった。

注射嫌いだったワイ、うまいこと忌避したとおもたらよけい痛い目をみた

 注射が好きな子はまずいまいと思うが、昔の小学生の男の子というのは空威張りもしていた。そのため表面上は、注射なんか、どうっちゅうことあるか!という態度をとっていた。ワイも恐れは表面には出せなかったが、注射があるときは何日も前から憂鬱になり、前日は恐怖にわななく状態であった。できれば「学校、休みたいよ~」と真剣に考えたが、家人が許してくれるはずもなく注射日は朝から恐怖の日の幕開けであった。家人もワイが注射を恐れているのは知っていてよく、お前は「オジミソタ~レ」じゃと叱咤された。オジミソタ~レ!なんやら地方のサッカープロチームの名にありそうやが、今になった考えるとこれ、『怖じ身ぞ誰~れ』から来た幼児をからかう阿波弁じゃろうと思う。 

 この注射の恐怖は本能的な恐怖であった。これは今になって分析できる。なにやら得体のしれぬ液体を体に注入される。それも針を体内深々と刺して。これが理屈なしの本能的な恐怖に結びついていた。この本能的な恐怖はワン公を見るとよくわかる。十年ほど前、近所に闘犬ほどの大きさで態度もデカい飼い犬がいた。小さい犬などはその犬の前では頭を下げ、尻尾を巻いて通るようなゴッツイ犬だった。ある日、保健所の巡回予防注射の車が辻で停まり、あらかじめ連絡してあった家からは飼い犬を連れてきて予防注射がはじまった。見たところ連れてきた犬どもはどれも注射が大嫌いであり、どのワン公も個性豊かに忌避的態度をとっている。キュインキュインをなく犬、太ももの内側に注射をされないようにねずみ花火のようにくるくる舞う犬、ブスリと突き刺されないように保健所の獣医さんを威嚇して噛みつこうとする犬、さまざまであるがどの犬も注射などされまいと必死である。

 面白いので辻にたって獣医さんの注射を見ていた。さすが獣医さんは慣れたもので、素知らぬ態度で注射器は後ろ手に隠している。飼い主の協力で犬の注意を他に向けたり、注射器を持っていない手の方でいかにも注射を突き刺すようにフェイントをかまし、犬がそっちに構えているうちにササッと済ましていた。さて、見ると向こうからあの闘犬のようなゴッツイ犬が飼い主に引かれてやってくる。5mびゃぁも近づいただろうか、何気に散歩と思っていたのが、ハッと危険に気づいたようだ。飼い主がリードを引っ張ってもガンとして動かなくなった。引っ張るので首だけ延びるが体は1mmも進まない。飼い主は、コレコレ動きなぃ、なんどと声をかけるがしまいには腰を落とし後ろ足もぺたりと地面についてしまった。こうなると大型犬だけに引っ張って動かすことは難しい。しかし獣医さんはこんな犬にも何度も対処しているのだろう。まるで道行く普通の通行人のように横を通るふりをして近づき、あっという間に注射をし終わってしまった。

 あまり素早かったので、その犬、ワ~ンという最初のワの声が聞こえたが~ンまで出ずにすぐクゥゥ~ンと情けない声になってしまった。文字におこすと「ワックゥゥ~ン」である。犬って表情がないといわれるが、その時の犬の表情は半泣き、あるいはべそをかいた表情であったと断言する。これなどを見るとまさに注射の恐怖は生物の本能的なもので、振り返ってみると小マイ時のワイが注射を恐れたのも頷ける。

 これはワイが小学校の低学年(たぶん2年生)の時であった。ともかく注射が嫌で、列にならんだがこっそりと、担任が見ていないことを幸いに済ませたふりをして教室に逃げ帰った。ところが何日かたったころまた列に並ばされ、腕の内側をなにやら物差しで測られた。先に並んだ子を見ると、どうも前の注射の後の発赤の直径を計っているようだ。ワイの前の子はワイが見てもわかるほど注射の跡が大きな発赤を示している。それを看護婦さんが測り、はい貴方は教室に帰ってよろしいといっている。そしてワイの番、前の注射はこっそりと忌避したので注射跡などあるはずもない。看護婦さんはそれを見ると、ハイ貴方はあそこの先生の所へいって注射をしてください、といわれ厭も応もない担任に手を引かれ、前よりももっと太くて大きい注射をされた。

 後になって考えると、これ最初のがチベルクリン反応注射、後のはBCG注射、チベルクリンは皮内注射でごく浅く軽い注射、そして何日かたって発赤があれば陽性でBCG注射はしなくてよい。もし発赤がなければ陰性で(これが本物のワクチン)皮下注射でかなりヘビーなBCG注射を受けるというものである。ワイはそのチベルクリン反応注射をしなかったため発赤もなく陰性と考えられ、もっと太いBCG注射をされたというわけである。忌避したはよいがあとでもっと痛い目をみたというトホホな体験であった。

生ワクチン

 小学校高学年や中学生になるとワクチン接種の記憶はずっと鮮明になる。この時期に普及したのがポリオ(小児麻痺)の生ワクチンである。それまではポリオは何度か小流行を繰り返していて、予防接種はあったが一般化されていなかった。この病気の悲惨なのは後遺症に四肢のマヒが残ることである。ワイらの同世代で、まだワクチンが普及しないため結構罹った子も多く学年に一人や二人はポリオが原因の身体障害児がいた。社会問題にもなっていた。そのポリオの流行を根絶させたのが「生ワクチン」であり、ようやくワイが高学年から中学になるころ全員に生ワクチンを投与し始めたのである。

 この「生ワクチン」はうれしいことに注射ではなかったのである。最初の生ワクチン投与は丸くて白いキャラメルのようなものを口に入れられた。キャラメルのようにすごく甘かった。そして次回は匙に入った甘い砂糖水を飲まされた。それが生ワクチン接種というか投与であった。

高校生になると義務強制的な注射はなく希望・申し込みになった

 高校生になってからした記憶のあるのはインフルエンザの予防注射である。これは義務・強制ではなく申し込みで、各自一定の接種料を払って注射を受けた。だいたい毎年のように申し込んだ。

 それ以降、成人になってから今日まで、受けたのは希望申し込みのインフルエンザのみである。それも何十年も接種はしていない。

 しかしここにきて、あともう残り少ない人生だが、いま新型コロナの予防接種を受けようとしている。

2021年4月17日土曜日

ワクチンクーポン券

 

 きた~~~っ、ついにきた~~ぁ、コロナワクチンのクーポン券が郵送されてきた(4月14日)。しかしこれを手にしたからと言って、すぐに医療機関へ駆けつけただちに接種を受けられるわけではない。同封の書類をもとに各自で予約を済ませ、場所・日時が決まってからの接種となる。まぁ、そのことはあらかじめテレビ・新聞などで知らされて知ってはいるが、封筒を開けてみて6枚もある関連書類を見たときはちょっとうんざりした。

 「これを隅々まで読めってか!」

 そうはいっても仕方がない。時間をかけてすべてに一応は目を通した。本体のクーポン券は台紙の中に二回分シールとなっている。しかしこれは「予約」して、日時、接種場所がきまってから有用になる。

 まずは「予約」をしなければならない。予約手続きマニュアルの用紙をよく読むと、予約は電話あるいはネットで4月26日から受付となっている。それまでは電話などはしないようにとある。いったい電話予約あるいはネット予約がどのような形式、具体的には場所、日時は向こうがある程度指定してくれるのか、それともこちらから申し出るのか、予約者が多い場合は順番待ちとなるのか、そんなことが最も知りたいのだが、用紙には予約コールセンターの電話番号やネットのアドレスが書かれているだけで、そんなことは説明されていない。26日以降、各自が電話やウェブ上で予約センターとのやり取りの上、日時などが決まるということか。情報弱者の高齢者にはかなり厄介な仕事である。

 案の定、私がよく駅で会う顔見知りの高齢者に声をかけると、その人は、ワイはワクチンやせぇへん、という。なぜ?と聞くと、銭がいるやろ、という。私が二回とも無料で、ワクチン接種をしたほうが何かといいからと勧めると、ほな、やろうかな、という。でもどないしたらええかわからんという。もちろん市内在住だからクーポンと用紙は届いているが読んでないみたいだ。だれか民生委員さんにでも相談して代わって手続してもらいなよぉ、と勧めたが積極的に行動を起こそうという感じではなかった。

 政府は高齢者にはもれなくワクチン接種を勧めているようだが、情報弱者に対する手厚い手当をやらなければ、情報弱者の高齢者はよくわからず、結局接種に漏れてしまう人が出てくるのではないだろうか。

http://jump.mrso.jp/362051/

2021年4月14日水曜日

人参マンさん思い出した

  今日、県庁で昼飯を食べた。いつものごとく550円の県庁定食である。みるとデカい海老フリャァがついている。

 「おおしめた!ハンバーグとともに海老フリャァがついて550円とは安くて豪華ぁ~💛」

 フリャァからは二股の海老の尻尾らしきものが出ているがこれをみるとデカい。ホンマにこんなエビフリャァがついてこの値段か?

 しかしよくみるとこれ二本の長い人参をパン粉をつけフリャァにしたもの、海老フリャァでなかったわ!メインディッシュのハンバーグはメニューを見ると人参ハンバーグとある。そして別皿の野菜炒めはニンジンが多量に入っている。


 「今日はえりゃぁ、人参づくしやな、何ごつかいなぁ?」

 ワイのテーブルの横の幟を見ると


 なんと、一昨日4月12日は徳島県の人参の日(ほんな日があったんやなぁ)、そこで食堂のおばさん曰く、今週は人参週間で人参料理がおおいんじょぉ、とのこと。

 別のテーブルの幟にはこんなものが


 へぇぇ~~~っ、人参の生産高って徳島県が全国一だったんやぁな、知らなんだわ。大昔レンコンの生産が徳島は全国一って聞いたが最近はニンジンも頑張っとるんやな。

 人参の生産で思い出すのはシュンちゃんのお父さん、最近の動画投稿では趣味関係が多いが、ヨウツベを探すと、今年も春人参でがんばってますよ。楽しそうに収穫してました。

2021年4月13日火曜日

晩春 駅をいろどる紫の花

  鴨島駅ではライラックが満開の花をつけている。もともとは北国の花(北ヨーロッパや北海道に多い)。ここ暖国にあって北国のロマンを感じさせる花となっている。


 石井駅では藤の花が見ごろを迎えている。藤は御存じのようにつる性のマメ科植物、また他の大木に巻き付いたりする。これなどを見ると熱帯の植物に近い形態である。当然ながらフジは暖国の花である。ライラックとは反対にイギリスのような北国ではフジは南国のロマンを感じさせる花となっている。

 どちらの花もロマンをかきたてるようなあまい香りを漂わせている。


2021年4月7日水曜日

智拳印

  昨日、取星で大日如来像をみたが、風化か汚れか(最初は鳥の糞かとも思ったがそうではない)銅像の色に白の斑が入っていて、背景の緑の桜と一緒になってなかなかいい(神秘的)雰囲気を醸し出していた。


 ところで大日如来像の手の印の形によって大日如来様は二つに区分されている。胎蔵大日如来と金剛界大日如来である。これは胎蔵、金剛界曼荼羅によって視覚的に確認できる。

 昨日取星寺でみた大日如来様はこれをみると金剛界の大日如来であることがわかる。手の印は胸の前で右手の握った拳(少しひらいている)の中に左手の人差し指を立て下からいれて握ったように見える、これはいわゆる「智拳印」とよぶ印である。

 自分でやってみたがなんか様にならない。そういえばはるか遠い過去、幼少期にこれによく似た手の形を真似したことがあるのを思い出した。小学校二三年のころ、今でいうとファンタジー漫画とでもいうのだろうか、ハリーポッターのように魔術を使える子供忍者がいたのである。題は『猿飛佐助』、今では忍者の漫画や映画ではありえないような怪力、人並み外れた能力を発揮はしても魔術を使うというのは主流ではないが、昭和30年代の漫画、映画などでは、魔術をいうか超能力を使うのが主流だったのである。その魔術をつかうとき、例えばパッと消えて瞬間移動でほかの場所に現れる、というようなとき、胸の前で両手を結んで示した手の印がこの金剛界大日如来の智拳印に似ているのである。ちょっと当時の漫画を見てみよう。


 智拳印らしきものを結んでいるのは、主人公猿飛佐助ともう一人は敵対する忍者であろう、これを見ると確かに智拳印とよく似ているがよく見ると二人とも違っている。猿飛佐助のほうは右手の人差し指と中指を立てている。また敵方の忍者は右左の手が反対であり、上に来ている手の指を一本しか立てていない。智拳印は上の拳の指をぴんと立てたりはしない。これでもって(印をきり)ドロンと消えたり、あるいは魔術(妖術)を使うのである。

 なんで忍者が妖術を使うとき智拳印に似た印を切るのかと考えると修験道による行者を忍者と重ねているのではないかと思われる、その修験道は密教にきわめて近い教義を持っている。その密教の根本仏である大日如来に似た印を結んで験力(妖術)を示すというのは修験道の行者が加持祈祷において、あるいはもっと神秘的な効果をも期待して行ったことである。そう考えると忍者もこのように修験道の行者の行う印(様々なものがある)を結んでなにか神秘的な力を誇示したかったのであろう。

 下はインドの初期の密教仏、大日如来、すでに智拳印を結んでいる。


2021年4月6日火曜日

葉桜 八重桜もいいもんだ

  羽ノ浦駅で降りてテクテクと40分、着いたところは岩脇さくらつつみ公園、ソメイヨシノの満開も過ぎ、公園にはほとんど人がいない。葉桜になったソメイヨシノをみながら遊歩道から那賀川土手を歩いた。


 土手沿いには八重桜の並木がある。八重さくらはこれからが本番である。


 ちかくに取星寺がある。大師堂の横にある大日如来さまの背景は緑っぽい桜が満開であった。これ御衣黄っていう桜かな?

2021年4月1日木曜日

あっちゃこっちゃ桜だらけ

  黄塵で遠景はかすんでいるが、これも春の季節を感じる一つであろう。さくらは今がもうたけなわ、さくらは多くの場所に植えられているのでちょっと歩けばあっちゃこっちゃで鑑賞ができる(今のご時世、敷物を広げて花見している人はまずいない、プラプラ歩きながらである)。列車に乗っていても田舎の駅のホーム(無人)にはたいてい桜が植わっている。単線ローカルで駅で対向列車待ち合わせ時間が10分もあるので、止まっている汽車の窓から花見ができる。


 病院へ行けば、十年前までは遊園地の敷地だったところで、今も当時の桜がたくさん残っている。いい所へ立地したものだ。長くなる診察待ちに外へ出れば桜並木を散策できる。


 吹雪いた桜の花びらが病院の敷地の川(江川)を流れていく。細い筋になってゆっくりと下流に向かっていく。私に詩の才能があればいい詩歌ができそうだがもどかしい。


 徳島城の桜の風景ではここが一番好き。


 ウチの家から一番近い神社の桜、動画でとったが、見上げるとまるで雲ではないかと見まごう桜、そしてその雲間から青空が見えている。桃色の雲と青空をぬって多くの飛天(天人)がスイスイと飛んでいるのが見える・・とこのような幻が見えるようになったら極楽往生が近い?しかし残念ながら天人も迦陵頻伽も見えない。天上からのお迎えはまだか。