ワクチン最初の記憶
記憶にあるもっとも古いワクチン接種は天然痘のワクチンである種痘であった。たぶん幼稚園の年少組のころではないかと思う。当時の種痘は注射ではなく先が小さなハート形になった小刀で皮膚を傷つけ種痘株を植え付けるものであった。接種については覚えていないが、傷つけられた上腕の数か所が瘡蓋になりそれが最後には黒い灰の塊のようになったことは覚えている。今もそのあとは上腕に種痘跡として残っている。
私が小ンマイとき(昭和30年ころ)は伝染性の細菌あるいはバイラス性の感染症が多かった。そのためかワクチンもいろいろな種類があり、学童に義務付けられものも多かった。そのためかワイの小学校時代は毎学年数回は何らかのワクチン注射をした。毎年のように1~2回はしたという記憶があるがはて?それが何のワクチンかはあまりよく覚えてはいない。しかしその中でも印象に残るエピソードが伴う予防接種は今でも鮮明に覚えている。
副作用
たぶん小学校の3~4年ころと思う。接種したのは『腸チビス』のワクチン、いろいろな予防接種の中で、注射が一等痛いのはこの腸チビスのワクチンだったので、注射自体嫌いだった子供のあいだでもこれはもっとも嫌われていた。しかしこの腸チビスの注射は毎年必ず受けなければならないものであった。ところがその年(3~4年生)の腸チビスのワクチンは打った後、多くの児童が発熱し手や肩の痛みが出たのである。中には学校を欠席した子もいた。私も高熱ではなかったが微熱が出て腕がだるかった。
今だとこのようなはっきりした症状が何人もの児童に出ればワクチンの副作用として大問題になるであろうが、昭和34~5年である。さして問題になったような記憶はない。昔はそのようなことにかなり鈍感だったということか。鈍感といえばこれも今だと考えられないが予防接種の注射器の針は使いまわしていた。接種時は体育館に児童は列を作って並ばされた。看護婦さんが順番にアルコール綿で注射部位を拭きつつ、注射の番を待ったが注射器の液は何人分も入っている。医師が注射器の目盛りを見ながら必要量打つと、そのままの注射器(もちろん針も同じ)で次の子にまたプスリとうった。そして注射器が空になってから注射器と針はようやく取り換えるのである。いまは肝炎ウィルスやエイズウィルスがこのような注射針の使いまわしによって容易に感染することが分かっているのでこんなことは絶対しないが、まったく今から思うと副作用や副次感染について無関心なすごい時代だった。
注射嫌いだったワイ、うまいこと忌避したとおもたらよけい痛い目をみた
注射が好きな子はまずいまいと思うが、昔の小学生の男の子というのは空威張りもしていた。そのため表面上は、注射なんか、どうっちゅうことあるか!という態度をとっていた。ワイも恐れは表面には出せなかったが、注射があるときは何日も前から憂鬱になり、前日は恐怖にわななく状態であった。できれば「学校、休みたいよ~」と真剣に考えたが、家人が許してくれるはずもなく注射日は朝から恐怖の日の幕開けであった。家人もワイが注射を恐れているのは知っていてよく、お前は「オジミソタ~レ」じゃと叱咤された。オジミソタ~レ!なんやら地方のサッカープロチームの名にありそうやが、今になった考えるとこれ、『怖じ身ぞ誰~れ』から来た幼児をからかう阿波弁じゃろうと思う。
この注射の恐怖は本能的な恐怖であった。これは今になって分析できる。なにやら得体のしれぬ液体を体に注入される。それも針を体内深々と刺して。これが理屈なしの本能的な恐怖に結びついていた。この本能的な恐怖はワン公を見るとよくわかる。十年ほど前、近所に闘犬ほどの大きさで態度もデカい飼い犬がいた。小さい犬などはその犬の前では頭を下げ、尻尾を巻いて通るようなゴッツイ犬だった。ある日、保健所の巡回予防注射の車が辻で停まり、あらかじめ連絡してあった家からは飼い犬を連れてきて予防注射がはじまった。見たところ連れてきた犬どもはどれも注射が大嫌いであり、どのワン公も個性豊かに忌避的態度をとっている。キュインキュインをなく犬、太ももの内側に注射をされないようにねずみ花火のようにくるくる舞う犬、ブスリと突き刺されないように保健所の獣医さんを威嚇して噛みつこうとする犬、さまざまであるがどの犬も注射などされまいと必死である。
面白いので辻にたって獣医さんの注射を見ていた。さすが獣医さんは慣れたもので、素知らぬ態度で注射器は後ろ手に隠している。飼い主の協力で犬の注意を他に向けたり、注射器を持っていない手の方でいかにも注射を突き刺すようにフェイントをかまし、犬がそっちに構えているうちにササッと済ましていた。さて、見ると向こうからあの闘犬のようなゴッツイ犬が飼い主に引かれてやってくる。5mびゃぁも近づいただろうか、何気に散歩と思っていたのが、ハッと危険に気づいたようだ。飼い主がリードを引っ張ってもガンとして動かなくなった。引っ張るので首だけ延びるが体は1mmも進まない。飼い主は、コレコレ動きなぃ、なんどと声をかけるがしまいには腰を落とし後ろ足もぺたりと地面についてしまった。こうなると大型犬だけに引っ張って動かすことは難しい。しかし獣医さんはこんな犬にも何度も対処しているのだろう。まるで道行く普通の通行人のように横を通るふりをして近づき、あっという間に注射をし終わってしまった。
あまり素早かったので、その犬、ワ~ンという最初のワの声が聞こえたが~ンまで出ずにすぐクゥゥ~ンと情けない声になってしまった。文字におこすと「ワックゥゥ~ン」である。犬って表情がないといわれるが、その時の犬の表情は半泣き、あるいはべそをかいた表情であったと断言する。これなどを見るとまさに注射の恐怖は生物の本能的なもので、振り返ってみると小マイ時のワイが注射を恐れたのも頷ける。
これはワイが小学校の低学年(たぶん2年生)の時であった。ともかく注射が嫌で、列にならんだがこっそりと、担任が見ていないことを幸いに済ませたふりをして教室に逃げ帰った。ところが何日かたったころまた列に並ばされ、腕の内側をなにやら物差しで測られた。先に並んだ子を見ると、どうも前の注射の後の発赤の直径を計っているようだ。ワイの前の子はワイが見てもわかるほど注射の跡が大きな発赤を示している。それを看護婦さんが測り、はい貴方は教室に帰ってよろしいといっている。そしてワイの番、前の注射はこっそりと忌避したので注射跡などあるはずもない。看護婦さんはそれを見ると、ハイ貴方はあそこの先生の所へいって注射をしてください、といわれ厭も応もない担任に手を引かれ、前よりももっと太くて大きい注射をされた。
後になって考えると、これ最初のがチベルクリン反応注射、後のはBCG注射、チベルクリンは皮内注射でごく浅く軽い注射、そして何日かたって発赤があれば陽性でBCG注射はしなくてよい。もし発赤がなければ陰性で(これが本物のワクチン)皮下注射でかなりヘビーなBCG注射を受けるというものである。ワイはそのチベルクリン反応注射をしなかったため発赤もなく陰性と考えられ、もっと太いBCG注射をされたというわけである。忌避したはよいがあとでもっと痛い目をみたというトホホな体験であった。
生ワクチン
小学校高学年や中学生になるとワクチン接種の記憶はずっと鮮明になる。この時期に普及したのがポリオ(小児麻痺)の生ワクチンである。それまではポリオは何度か小流行を繰り返していて、予防接種はあったが一般化されていなかった。この病気の悲惨なのは後遺症に四肢のマヒが残ることである。ワイらの同世代で、まだワクチンが普及しないため結構罹った子も多く学年に一人や二人はポリオが原因の身体障害児がいた。社会問題にもなっていた。そのポリオの流行を根絶させたのが「生ワクチン」であり、ようやくワイが高学年から中学になるころ全員に生ワクチンを投与し始めたのである。
この「生ワクチン」はうれしいことに注射ではなかったのである。最初の生ワクチン投与は丸くて白いキャラメルのようなものを口に入れられた。キャラメルのようにすごく甘かった。そして次回は匙に入った甘い砂糖水を飲まされた。それが生ワクチン接種というか投与であった。
高校生になると義務強制的な注射はなく希望・申し込みになった
高校生になってからした記憶のあるのはインフルエンザの予防注射である。これは義務・強制ではなく申し込みで、各自一定の接種料を払って注射を受けた。だいたい毎年のように申し込んだ。
それ以降、成人になってから今日まで、受けたのは希望申し込みのインフルエンザのみである。それも何十年も接種はしていない。
しかしここにきて、あともう残り少ない人生だが、いま新型コロナの予防接種を受けようとしている。