昨日、取星で大日如来像をみたが、風化か汚れか(最初は鳥の糞かとも思ったがそうではない)銅像の色に白の斑が入っていて、背景の緑の桜と一緒になってなかなかいい(神秘的)雰囲気を醸し出していた。
昨日取星寺でみた大日如来様はこれをみると金剛界の大日如来であることがわかる。手の印は胸の前で右手の握った拳(少しひらいている)の中に左手の人差し指を立て下からいれて握ったように見える、これはいわゆる「智拳印」とよぶ印である。
自分でやってみたがなんか様にならない。そういえばはるか遠い過去、幼少期にこれによく似た手の形を真似したことがあるのを思い出した。小学校二三年のころ、今でいうとファンタジー漫画とでもいうのだろうか、ハリーポッターのように魔術を使える子供忍者がいたのである。題は『猿飛佐助』、今では忍者の漫画や映画ではありえないような怪力、人並み外れた能力を発揮はしても魔術を使うというのは主流ではないが、昭和30年代の漫画、映画などでは、魔術をいうか超能力を使うのが主流だったのである。その魔術をつかうとき、例えばパッと消えて瞬間移動でほかの場所に現れる、というようなとき、胸の前で両手を結んで示した手の印がこの金剛界大日如来の智拳印に似ているのである。ちょっと当時の漫画を見てみよう。
智拳印らしきものを結んでいるのは、主人公猿飛佐助ともう一人は敵対する忍者であろう、これを見ると確かに智拳印とよく似ているがよく見ると二人とも違っている。猿飛佐助のほうは右手の人差し指と中指を立てている。また敵方の忍者は右左の手が反対であり、上に来ている手の指を一本しか立てていない。智拳印は上の拳の指をぴんと立てたりはしない。これでもって(印をきり)ドロンと消えたり、あるいは魔術(妖術)を使うのである。
なんで忍者が妖術を使うとき智拳印に似た印を切るのかと考えると修験道による行者を忍者と重ねているのではないかと思われる、その修験道は密教にきわめて近い教義を持っている。その密教の根本仏である大日如来に似た印を結んで験力(妖術)を示すというのは修験道の行者が加持祈祷において、あるいはもっと神秘的な効果をも期待して行ったことである。そう考えると忍者もこのように修験道の行者の行う印(様々なものがある)を結んでなにか神秘的な力を誇示したかったのであろう。
下はインドの初期の密教仏、大日如来、すでに智拳印を結んでいる。
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