2020年7月4日土曜日

今日は7月4日、徳島では

図書館のカウンター近くに30冊くらいの本(パンフレットではない、最後まで読むと154pもあった)が平積みされて置いてある。確か前日はなかった記憶がある。横にご自由にお持ち帰りくださいと書いてある。左の本がそうである。表題は「語り継ごう、徳島大空襲」である。内容は徳島大空襲を受けた人の体験談を書いてある。

 パラパラとめくるとおよそ50人の空襲当時の恐怖の体験談が載せてある。目次にはその人々の現在の住所と名前が並んでいる。ふとその名前の一人を見るとなんと私の小学校6年生の時の担任だった人の名前と同じである。同姓同名もあるので住所を見ると私の住んでいる町となっている。その体験談を読むと間違いないことを確信した。その先生は若い時軍隊に入っていていろいろな訓練を受けたことを教室で話されていた。防毒マスクの使い方とか、実際に催涙ガスを使って訓練を受け、装着が甘くて涙や咳が止まらず困ったことなど面白く話してくれたのを思い出した。体験談には空襲当時は蔵本の連隊で訓練の隊長をしていたことが書いてあり、そのことからも間違いなくその先生である。昭和37年の頃、39歳だったので、昭和20年の体験談の年齢ともあっている。恩師の名前を発見したこともあり、その冊子を頂いて帰った。

 154pもある冊子であるが非売品で発行者は「徳島市」となっている。今の時点から見ると徳島大空襲は75年前であるが、この冊子の発行日は平成23年となっている。空襲から数えると66年経過している。おそらくこの平成23年頃が空襲の体験談を集められるギリギリのタイムリミットではなかったのかと思う。それからさらに9年、戦後75年もたった現在、令和2年になると体験した人もほとんどは鬼籍に入っており、原稿を集め編集するのも難しいと思われる。まだ多くは読み進んではいないが、原稿は当人が原稿用紙に文章を綴って寄稿したものばかりでなく、聞き取ってもらって文章にしたものもあり、生々しい貴重な空襲の体験談となっている。

 そして私がこの冊子を手に取ったまさにこの日、7月4日は徳島大空襲の罹災日だったのである。その日に合わせて図書館にこの無料の冊子が置かれたのであろう。75年前のこの日の午前0時を過ぎたころから空飛ぶ要塞といわれた戦略爆撃機B29の編隊による焼夷弾投下の波状攻撃を数時間にわたって受け、徳島市街は阿鼻叫喚の焦熱地獄となったのである。正確な数は不明であるが約1000人の人が亡くなったといわれている。夜が明けると徳島市の大半は焼失していたのである。

 体験者の多くが亡くなった今、このように冊子にして体験談を後世に残すのは大切なことであると思う。しっかりと読ませていただきたい(さっき35pまで読み進んだ)。この体験談を寄稿した私の恩師、生きていれば97歳だ。成人してからのち、同窓会にも参加せず、あえて恩師の消息も聞かない不義理を重ねてきたことが恥ずかしい。小人は歳ぃいくと恥多し、というがホンマやな。

1 件のコメント:

Teruyuki Arashi さんのコメント...

歴史はくり返しますね