2020年7月17日金曜日

廃園になった遊園地は今

 今日、成人病検診の一つを受けてきた。受けたのは市内ではもっとも大きな総合病院である。ここは十年前(正確には平成23年)まで四国内では最も大きな遊園地であった。この遊園地は私が小学校の時はすでに存在していた。病院で検査結果を待つ間、遊園地の名残がないか散策してみた。

 病院前の泉のそばに旧遊園地のいわれ(来歴)の記念碑が立っていた。これによると完成したのは昭和6年とあるから私が生まれずっと前から遊園地はあったのである。この写真の人が二万坪の土地を提供し、私財をなげうって遊園地を作ったとある。昔の大分限者(おぶげんしゃ)には徳の高い人が多かったのだと感心する。

 でも名称こそ遊園地とついていたものの私が小学校の時は鉄棒やブランコのどの簡単な遊具と猿園、そして広大な庭園が広がるばかりで、前のブログで紹介したような大遊園地の風情はなかった。いつから遊園地らしくなったのか、この記念碑の横にある説明版に解説されていた。昭和44年四国博覧会を機に遊具や遊戯機械のそろった大遊園地の改変されたとある(そういえば今思い出した!この年私は高校三年、クラスの遠足で四国博覧会の会場を見学に来たわ)。これ以後「吉野川遊園地」となり、県内外から多くの子供や遊園地ファンをひきつけたのである。

 香川県まで見通せた大観覧車の跡地は今は駐車場となっている。

 遊園地の名残を探してみたが遊園地当時のものとして残るのは老木数本と写真にある桜並木・紫陽花、そして前の泉だけである。

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