2020年7月26日日曜日
コニアイランド洗濯板
二年前に封切りされた映画のこのシーンの曲に妙な懐かしさを感じたので、いったいなぜかとさぐってみた。だいたいワイのような歳になって懐かしさを感じるのは感受性の高い少年から青年期にかけて似たような音楽を浴びていてたぶん好ましく聴いたからだろう。この映画は最近作られたものではあるが50年代のニューヨークコニーアイランドが舞台である。映画の色づかいはあえて今風でなく、カラーが普及しだした50年代映画のようにどぎつくけばけばしい色になっている。死語となったが「総天然色映画」という言葉がぴったりするようなレトロな色調になっている。上記以外の他の挿入音楽も懐かしいスィングあるいはデキシーランドジャズであったり、また恋情が燃え上がるところではなぜかタンゴ(エル・チョクロだった)が流れていた。
まず、上はなんちゅう曲か知らねばならない。大昔と比べ情報検索の文明開化が進んだおかげでググルとすぐ分かった。『CONEY ISLAND WASHBOARD 』日本語で言うと「コニアイランドの洗濯板」、なんか日本語にすれば不思議なネーミングだ。「ポルトガルの洗濯女」という楽曲が確か存在するがそういった意味(コニアイランドの洗濯する女)かしらんと思い、なおもググルの説明を読むと、洗濯する女という意味以上に洗濯板から発する音を楽器にみたてていることがわかった。。英語の歌詞を日本語に訳したものを下にあげておくと次のようになる。
[ヴァース]
海辺にとっても初々しい娘が住んでいた
一言すると彼女の可愛いいのは
洗濯板で音楽を奏でる姿さ
町のいたるところから人が集まって、彼女の演奏をきくんだ。
[リフレイン]
彼女が奏でるはコニーアイランドの洗濯板。
遊歩道で彼女の演奏を毎日だって聞けるよ。
石けんの泡だらけになり、地面には小さなしゃぼん玉
小さな盥からラブ・ア・ダブ・ア・ダブ、彼女には音楽が聞こえる。
小さな指抜きがはじく音で
洗濯しながら男の子たちに "チャールストン" を弾いてあげる。
新品のブルー・ジーンズの膝の間からは彼女の即興が聞こえる
ああ、コニーアイランドの洗濯板のラウンデレイ。
全曲をヨウツベから共有して貼り付けておく (1926年発表)
アメリカの洗濯板をご存じだろうか、調べると日本の洗濯板とそう変わりがない(左の写真がアメリカの洗濯板)。とはいっても今、ワイの歳より若い(ということは70歳以下)人は洗濯板そのものを知らないだろう。わかりにくいが板にはゴツゴツした起伏のある波状の横筋が刻まれていて、ここに水と洗剤で濡れた衣服を押し付けごしごし手洗いするのである、手と洗濯板双方の摩擦や圧搾の力で汚れを落とすようになっている。電気洗濯機が普及する昭和30年代後半以前は大きな盥とこの洗濯板が洗濯の必須アイテムであってどこの家庭にも備えられていた。
手と洗濯板でゴシゴシこすっても大した音はしないだろうが、歌詞を読むとこのお嬢さんは「指ぬき」をしている。その固い部分が洗濯板の規則正しく刻まれた波状の突起部分に当たると音楽の伴奏になりそうな音を出すのである。そういえばラテン音楽に使う「ギョロ」という楽器はそのような刻み目を棒でこすって音を出す楽器じゃなかったか知らん。大昔大阪の夫婦の漫才師で旦那は舞台でギター伴奏しながらヴォーカル、奥さんの方が花柄のムームーを着て太い体を醜く揺すりながら、このギョロをザッザッとこすってリズムをとり、アァィヤー、などと奇声を発しながら舞台狭しとドスドスと四股を踏むように右へ左へと跳ね回る漫才があった。そしてオチはそれを見た旦那が
「ねぐらへ急ぐダンプカー!」
とかいって笑いを誘って締めくくっていたのを思い出した。これもググルと「暁伸・ミスハワイ」の漫才師じゃった。この漫才師を知ってる人はワイ以上の歳じゃわ。漫才師のミスハワイはんは、ザッザッというギョロをこすりお笑いをとったが、コニアイランドで洗濯板をザッザッとこすって音を出すお嬢さんは、そのことによって、ブクブク泡立て洗濯をする可愛い娘、若い男の子のあこがれ、恋のロマン、そして軽快なチャールストンのリズムのイメージを醸しだす。
そこまで考えが及んで、ようやくワイの懐かしさの源がわかってきた。そう軽快な「チャールストン」のリズムである。今の若い衆にとっては「チャールストン」はヒップポップダンスの基本ステップの基礎としてけっこう知られ、ヒプホプダンスの習得の一環としてそのステップ練習をしている。そんな現状から言えば「なんで70歳のジイヤンがチャールストンを懐かしがるんぞぃ?」といわれようが、ワイらの年代にとっては結構なじみのあるものなのである。
感受性の高い子どもの時に感動したり、好ましく思ったりする曲は記憶に強く焼き付けられる。そうワイがまだ小学生の頃だ。その時の白黒テレビゴールデンタイムの番組はほとんどがアメリカのシリーズものドラマで占められていたが、その中で1920~30年の禁酒法時代を描いたドラマがあった。その時代はギャングの時代ともいわれる。ギャングや警察などと同時にギャングが出入りする華やかなクラブの踊り子にも注目が集まっていた。題名は忘れたがギャングかFBIが主人公のドラマだったと思う、その踊り子に「ピンキーピンカム嬢」というのがでてきた。題名は忘れてもその踊り子の名は覚えている。その踊り子(歌も歌った)が舞台上で踊り歌ったったのチャールストンだった。
このチャールストンの踊りにはかなり衝撃を受けた。昭和30年代、徳島のド田舎である。踊りといえばゆっくりとした二拍子の阿波踊りか、運動会で無理やり踊らされる「お遊戯」くらいが踊りと思っていたのである。テレビを見ると影響されてすぐ真似たくなった。軽快なステップを踏みたくて見様見真似で足を跳ね上げ、体をくねらせ、手を大きく振り子のようにふった。今から思うと似ても似つかぬものでむしろ「一遍はんの踊念仏」とか「ミスハワイはんのお笑いギョロ伴奏踊り」に近かったんじゃないかと思う。
猿まねの踊りに夢中になっていたため伴奏の「チャールストン音楽」には注意を払わなかったが自然とそのメロディーやリズムのパターンは耳にしみ込んでいっただろうと思われる。日本でもこれらのアメリカのテレビ番組の影響からかまもなく和製チャールストンの曲が流行した「五匹の仔豚」(昭和37年)である。こんな子供の時の経験が上記映画の挿入曲を懐かしくさせたのだろう。
五匹の仔豚はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=5OcS4PhVGRs
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