2019年12月19日木曜日

童学寺不動尊

 今日、お参りしてきたのは四国三十六不動霊場の十一番札所である石井の童学寺である。伝説ではここがお大師さん幼少時の学問所であったことから、学業成就の御利益がある寺として有名である。そのいわれはこの寺の名前「童学寺」にも表れている。御本尊はお薬師さん、ほかにも歓喜天、稚児大師像(童子姿の弘法大師像)などが祀られている。

 本堂は一昨年の火災で焼失しており、現在、本堂横にあって火災を免れた歓喜天堂に御本尊も併せてお祀りしている。この童学寺には焼失前に何度も参拝には訪れていたが、不動霊場の一つであることに注意を払わなかった。そのため山門をくぐり境内に入ってもいったいどこにお不動さんが祀られているのか、お不動さんのお迎え童子がいるのかはわからなかった。まず仮本堂の歓喜天堂でご本尊を参拝してから、不動堂を探す。

 名勝庭園「逍遥園(しょうようえん)」に続く参道の奥に不動堂があった。

 参道の入り口にはお出迎え童子、羅多羅童子(らたら)もいた。

 ここのお不動さんは「脳天不動明王」といい、その名称の示すように脳の疾患であるぼけ封じや中風除けのご利益があるそうである。

 帰り下浦駅で汽車に乗ったが小一時間ほど時間があったので駅近くの「釈迦堂」をお参りした。

 参拝のあと、ガラス越しに御本尊を撮影させていただいた。大きな釈迦如来坐像だ。

 伝承(由来記)によればこの釈迦如来坐像は奈良時代の行基菩薩がこの地に御巡錫のみぎり、お作りして祀ったそうである。その後、兵火に罹るも、奇跡が起こり、近くの蓮池に如来坐像は自ら難を逃れて焼失を免れた、という言い伝えもある。
 
 説明板を読むと、造られたのは鎌倉時代初期のようでそれも現在残るのは頭部だけで、胴、膝は室町時代、両手は江戸時代の作と考えられている。このような大きさの仏像は「寄木造」で作られるのが普通であるが、まさに時代を跨いで作られた寄木造である。焼失、破損を修理した結果、このようになったのである。
 この説明を読んで、飛鳥寺にある飛鳥大仏を思い出した。飛鳥大仏は仏教伝来初期の仏像であるが、この仏像もやはり火災により破損し、飛鳥時代のものは頭部だけである。

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