2011年7月31日日曜日

月が終わり、月が始まる

 今日が7月の最終日で明日から8月が始まるのは誰でも知っている。じゃあ、旧暦で今日は何日か知ってますか。と問うとまず知らない。当たり前である。今や旧暦の月暦で生活してる人なんかいないから、知らなくて当然。
 月の相に関心がある人や古来からの神事で未だ旧暦を順守してる宗教関係者なら旧暦を使っている場合があるかもしれない。ごく少数派であることは間違いない。

 私も旧暦に関心はあり、暦(最近は旧暦を載せていない暦もあるが私は旧暦、干支、六曜、雑節など記してある暦を使っている。)の旧暦の日付を時々見る。
 しかし、それも時々で、急に
 「今日は旧暦の何日だっけ?」
 などと聞かれてもたぶんわからないだろう。

 ところが前にもブログに書いたと思うが、今月はめずらしく新暦の日付と旧暦の日付が一致する月なのである。旧暦では月遅れの同日になるから、今月を6月と読み替えれば新暦の暦そのままに使えた。
 ただし、昨日までは。
 昨日は新旧とも30日、しかし今日は、新暦では当然31日、旧暦では1日となる。旧暦で月が31日になることなどは金輪際あり得ぬのである。旧暦では月は30日(大の月)、か29日(小の月)のどちらかである。月の相(満ち欠け)のサイクルが29日と端数、であるところからこうなるのである。

 昨日は旧暦6月大の月の30日だから、月の最終日、晦日とか「つごもり」(月こもる、からきている)とかいう。そして今日は旧暦7月の1日、朔とか「ついたち」(月立つ、からきている)といわれる。

 つまり今日は7月の月の終わりであるとともに旧暦7月の始まりの日でもある。

 先ほど「御所の郷温泉」のローマ風呂に入って外へ出た。
 暗い夜空を見上げながら

 「今日は、月立つ、ついたち、新しい月はだんだん成長してゆく、ボニ踊りの頃には、まあるいお月さんになっているだろう。」

 「新町橋上で踊り狂う人々、その中空には満月、さぞや美しい絵になるだろう。」

 などと思いつつ

 「宵待草のやるせなさ 今宵は月も 出ぬそうな」

 と口ずさんでいました。

 ファンタスティックな「夜の世界」。ちょっと想像してしまいました。

 夜が永遠に続き、いつまでも沈まぬ月が中空で行きつ戻りつしながら、満ち欠けを繰り返す。

 そんな不思議な世界を支配するのは「夜の女王」。

 空想の産物だろうな。

 いや待てよ。

 そんなところが・・・・・・あったあった。

 夜が何か月もつづく、北極。太陽は地平に沈み姿を見せぬかわりに、月は沈まず、夜空を行ったり来たり。
 
 極寒期の北極はそんなファンタスティックな世界。
 ※実際は半月まったく月が沈まず、あと半月はまったく月が地平から姿を見せない。(冬至頃)

2011年7月30日土曜日

真夏の果実

 こう暑くなっちゃあ、食べたいものは限定されてくる。暑~い真昼の飯は徳島で一番安いといわれる198円の「冷やしうどんと助六寿司」のセットがお得で、最近こればかり続いている。

 なにせ百円コインを2つ握りしめてスウパに行けば、これと割り箸と2円のおつりをくれる。おいしいしやすいしやめられなくなる。
 家の冷蔵庫の奥に眠るこぶし大の「生姜」を少し切りとりすりおろせば、昼の用意は出来上がり。
 しかし、いくらものぐさ爺の貧乏垂れやまさんでも、こんな食事が続けばよくないことはわかっている。

 「ビタミンを摂らにゃ。いけん」

 ビタミンを摂るのにいちばん手っ取り早いのは「果物類」である。林檎、あるいはグレプフルツなどが一個売りで山積みされているから買っていたが、いつ取れたモノやら真夏の林檎は全くおいしくない。またグレプフルツは南アフリカ産で地球を半周回ってきていて、防腐剤べたべたでビタミンよりこっちが恐ろしい。

 果物は地元でとれた旬のものが一番いい。おいしいし、新鮮だから栄養も豊富で、あやしげな化学薬品の心配も比較的少ない。

 真夏の旬の果物といえば、トマト(野菜に含まれそうだが丸ごと食べられて甘くおいしいから私はあえて「真夏の果実」に含める。)、桃、西瓜、葡萄などがある。
 この中でトマトは特に栄養が豊富でお値段もそう高くもなく、私のお好みの果実である。昔から

 「トマトが赤くなると、医者が青くなる。」

 といわれるほどの健康的な食品である。ただ最近はブチトマトと称する小さく真っ赤のものが多く出回っているようだが、これは工場で生産されるもので、私はあまり好きでない。
 やはりこの近所でとれた太陽の申し子のようなところどころにちょっと青味の残っている大ぶりの不細工なトマトがよろしい。

 のどが渇いた時などには西瓜が欲しいと思う今日この頃であるが、西瓜は高すぎて手が出ない。薄く半月状に切った西瓜でも300~400円以上する。

 西瓜に比べるとまだ今が旬の水分たっぷりの甘い「桃」の方が安く手に入る。
 うちの家から真北、吉野川を渡り、讃岐の山越えの手前に「御所」という地域があるが、ここは南向きの扇状地で果樹栽培に適した土地である。ここまで買いに行くと安く新鮮な果実が手に入る。この間は大きな桃を買ったが、今日は赤ちゃんの頭ほどある
 
 「真桑瓜」(金瓜)を買った。

 メロンほど「どびつこい甘さ」はなく、瓜独特の味と程よい甘味のコンビネーションが私は好きである。メロンの果肉より少し硬く、ショリショリした歯触りで水分たっぷりで冷蔵庫で冷やしていただけば西瓜以上に

 「あ~、やってきました日本の夏が。」

 と食感を楽しめます。


 

2011年7月29日金曜日

夏の風物より ガス灯、常夏、月見草

ガス灯 
 昨夕は夕涼みに南福島から南末広の岸壁に沿って長々と続いている公園を逍遥した。午後7時過ぎ、日は先ほど沈んだ。川面というより海面と呼んだ方がいいだろう、そこを渡って吹いてくる風は涼しくて気持ちよい。まったく暑さは感じない。時折、散歩やジョギングの人とすれ違う。

 「夏の夕涼みってこんなに心地の良いものなのか!」

 末広大橋の下まで来たとき、ガス灯が橙色の光を放ち始めた。
 2~3日前、BSのNHKでイングリッド・バーグマン主演の「ガス灯」を見たのを思い出した。

ガス灯・・・・・・・霧深いロンドンの街にガス灯の点燈夫がまわり、一つ、また一つと灯される頃、イングリット・バークマンは・・・・

 ガス灯は夏の風物詩ではないかもしれないが、夕涼みに見た「ガス灯の灯る頃」。なんか哀愁と郷愁をこきまぜたような感傷的な気分にさせられました。

ガス灯に似せたもので本当のガスで輝いているのではありません

常夏 
 「常夏」で連想するのは、ハワイやタヒチでしょうか。でも別の連想を働かせてください。高校の「古典」、どうです?もう少し言いましょう、「源氏物語」。この54帖の中の一つの巻名が「常夏」なのです。
 「常夏」とは常夏の花、から来ています。常夏の花とは「撫子(なでしこ)」のことなんです。

 今日の3時過ぎ焼けるような暑さの中、吉野川の土手でこの花を発見しました。この暑さにもめげず咲いてる可憐なナデシコ、なるほど「常夏」の花にふさわしい気がします。



月見草
 上記では焼け付く中、土手で・・・・と書いてますが、なんでそんな暑い時刻にそんな場所へ行ったかといいますと、「月見草」(マツヨイグサ)を探しに行ったのです。昼のうちに探しておかないと暗くなってからだと探すのに苦労するからです。
河原をあちこち探して歩いて、ようやく見つけました。もちろん昼ですからしぼんでいますが、間違いなく「月見草」(マツヨイグサ)です。
 日中の写真を撮りました。

 そして、夕方暗くなる頃、7時半頃再び出かけました。家から2Kmと離れていないので行くのは楽です。しかし、まだこの写真のようにしぼんだまま。20分待ちました。
 西の空の一部分だけに明るさが残っていますが周りは暗闇に閉ざされようとしています。しかし、まだしぼんだままです。
 この花は「待つの花」別名、月見草。完全に夜にならなければ花開かないのです。もし今頃から開けば名前に「夕」とつくでしょう。たとえば「夕顔」のように。

 いったん家に帰り、夜9時過ぎてまた出かけました。広い吉野川の河原で、照明などは全くありませんから真っ暗闇です。懐中電灯を頼りに、2度も来て位置も確かめてあるから、その場所に行きました。
 咲いてる咲いてる。意外なほど大輪で懐中電灯の明かりに浮かび上がっています。懐中電灯の明かりで写メールに撮ろうとしましたが、何回やってもことごとくダメ。
 仕方ないので、2輪だけ摘み取り家に持ち帰り撮影しました。
 月見草。3度足をはこんでようやく手にしました。野生とはいえ貴重な花。そして夜、月光のもとに咲くロマンの花。
    

2011年7月28日木曜日

夏休み やまさんの絵日記

 きょうはおとといやきのうとちがって、朝からお日ぃさんが出てます。
 早くかわくと思い、せんたくをしました。

 せんたくをしていると、グェ、グェ、グェとなき声が聞こえました。
 前の川を見るとカモが泳いでいます。おいしそうです。
 うちにやってくるノラねことそうだんして、つかまえてカモなべにしようかなと考えました。


 十時すぎにくらもと駅から自転車で駅のうらにある「お城のあと」を見にいきました。
 しんちゃんち、も近くにあるそうだけど、家はしりません。

 モトちゃんに会いたかったので、えっちらおっちら、自転車をこいで田宮のプールに行きました。
 モトちゃんはいませんでした。来たきねんに写真をとりました。

 海を見たかったので、常三島の土手を進んで吉野川河口に行きました。
 だれもいませんでした。風と波が気持ちよかったです。年が寄って用がなくなったらここから海へ帰ろうと思いました。

 しゅくだいは今日はしませんでした。まだまだ夏休みはあります。うれしいです。

2011年7月27日水曜日

平安京・未知との遭遇 中世説話より

 この世ではありえぬもの、理性で考えれば存在できぬものに人は時として遭遇することがある。

 「見たいものを人は見る。」

 という人もいる。確かに感覚、知覚、認識もすべて「脳内」の脳細胞ネットワークの処理であるから、自己の脳内ですべての見たいものを作り出すこともできる。それゆえ
 「見たいものを人は見る。」
 ということも納得できる。

 愛しながらも死別した人、「神、仏」などは、「見たい、会いたい」という願望が心の底にあるため、人の前に「姿、形」をとって現れるのだろうか。

 しかし、全く未知の「モノ」に遭遇する場合もある。これなどは本当に「脳内」の外からもたらされたものと考えざるを得ない。

 ところが「全く未知のモノ」は「知覚」が極めて難しい。感覚を感じてもそれは「何か?」を知る「知覚」は「全く未知」であるがゆえに、「知覚」に結びかつ収斂しないのである。

 中世においてこのような「未知のモノ」に遭遇すると、中世人は正面からの「知覚」はあきらめ、「見たいものを見る。」という心性に引き寄せる。

 2通り考えられる。望ましいものとしての「神、仏」、忌むべきものとしての「悪魔、鬼の類」である。

 さて、今日はその中世人の未知との遭遇をある「説話」からご紹介します。


これは私が編集したイメージ


平安京は大騒ぎになっていた。
なんと、木の上に突然、仏が出現したのである。

北欧神話などでは「神」は巨木にまるで濃緑の毬のように寄生する「ヤドリギ」に宿る。と言われているが、本邦ではあまり聞かぬことである。

古老などの言い伝えによれば、実のならぬ柿木に仏が現ずることがあるそうである。
 その現れた木も柿の老木であった。

 忽然と現れ、燦然と光り輝き、空中から花びらを降らしたりしたため、
 「仏に間違いなし」
 「ああ、ありがたや」
 手すり、足すり、拝みに大挙して群集した。

 老若男女、おしかけ、拝まれると、増々輝き、馥郁とした香りみち、花びらが降るのも

 「今日はサービスのためちょっとよけいに降らしております。」
 と、言わんばかりの大盤振る舞い。

かくて信仰を集め賑わうこと6~7日になった。

これもイメージ、「一遍聖絵」より、群集する人々

しかし世の中には理性的と云おうか、懐疑的と云おうか、信じない者もいた。
 庶民ならばどうってことないが、この人、大臣だった。

「まことの仏が突如このように木の上に現れなさるはずがない。これはおそらく天狗のしわざであろう。こうした幻術は七日を過ぎることはないから、今日行ってその正体を見届けてやろう」

 牛車に乗り、ペカペカとでかけ、この仏の現じた木に到着した。群集をどかせ、牛車に乗ったまま簾をあげさせ、じっと一刻(2時間)まばたきもせず(ほんまかいな!)みつめた。
 こんなに見つめられたら花も恥じらう18のお姉ちゃんでなくても、「こっぱづかしい」わな。
 しばらくは光を放ったり、花を降らせたりしていたが、耐え切れなくなったのだろう。「クソトビ(鵟)」(ノスリ・鳶の一種)の姿をあらわし、木にぶつけてつばさを折りながら転げ落ちてきた。

 ばたつく「クソトビ」は近所の悪ガキどもによってたかって打ち殺されてしまった。信心深い大人の止める間もあらばこそ、まんで獲物にとびかかるノラ猫のようなガキどもですわ。

 口あんぐりの群集をしり目に

 「おっほほほほほ、アホな者どもでおじゃる。真の仏が突然木の上になんど現れるものか、マロが愚か者の目を覚まさせてやったぞぇ。」

 といいながら威風堂々とご帰還あそばしたとか。

 と話はここまでである。この話、どうもこの大臣の「知力・胆力・真偽を見抜く力」の称賛の話かと思うのですが、これ、見ようによってはひどい話ではありませんか。

 これね、たぶん、鳥類型異星人(エイリアン)ではないでしょうか。木の上にとまり、中世人の信仰深い性格を読み取り、また異星人という知覚ができぬ中世人であらば、和親的な接触方法としてこのようなパフォーマンスをしたのではないでしょうかね。

 優しい、道化者の異星人だったと思います。いらざる大臣が出てきて穴の開くほど見つめられ、うろたえて、結果、ガキにぶち殺されたのはかわいそうです。


2011年7月26日火曜日

お得な温泉の話

 我が家から真北に4~5Km行ったところに「天然温泉」がある。名付けて「御所温泉」という。
 
 この名を聞くと徳島自動車道の土成インターの近くにある温泉だとたいていの人は思う。平日でも大繁盛の大規模な収容能力のある温泉である。

 しかし、真正の「御所温泉」はここではない。ここよりまだ数キロ宮川内川 を上流に遡ったところにある。こちらの方が歴史も古く、宿泊もできる温泉宿の温泉である。

 まわりは緑濃い阿讃の山にかこまれ、すぐ前には宮川内川を堰いたダム湖があり、自然の素晴らしいところである。
 時間があればダム湖の周囲を1時間以上かけて回るのもよい。ほっとするような自然にふれ身も心もリフレッシュすること請け合いである。

 こんな素晴らしい自然に囲まれた「御所温泉」は山奥という雰囲気も漂っているが、実は国道318号線がすぐ横を通っているため交通の便は極めてよい。
 県内の人がちょっと日帰り、あるいは半日、の入浴を求めるのにはお勧めの温泉である。

 今日、高校時代の友人に誘われてこの「御所温泉」に行った。大昔、行った覚えはあるが、もうどんな温泉かも忘れていた。

 友人の話によると月一回、26日は、風呂の日ということで

 「500円で入浴できる。」 ※普段は800円

 とのことで、さらには、この上に

 「ここの名物のたらいうどんが入浴者にサービスで振る舞われる。」

 つまり、たった500円で、露天付天然温泉入浴+名物たらいうどん
 なのである。

 もう、もう、涙が出るほどお得な「御所温泉風呂の日」である。
 ただ、たらいうどんサービスは午後6時までですから、3~4時ごろ来て、温泉を十分満喫し、6時前にお腹もすいたところでたらいうどんを食べるのがいいと思います。われわれもそうでしたから。

 月に一度しかありませんが、8月、9月、10月・・・、とありますから、26日をあらかじめ計画して、遠い人は昼過ぎから、この辺りの自然も含め楽しむつもりでお出かけになってはどうでしょうか。

 たった500円で天然温泉を満喫し、なお名物「たらいうどん」に舌鼓を打つ、なんとすばらしいことでしょう。

露天風呂からは阿讃の深い山懐に囲まれたダム湖が見える。
 下の写真からはダム湖が見えている







露天から湖面をみる















無料サービスのたらいうどん、おいしくて腹いっぱいになった












ああ~、極楽、極楽。
 下をクリックしてください
http://www.gosyo-sparesort.com/news/topics/

2011年7月25日月曜日

今日の出来事

 持病が本復せず、延び延びになっていたが、今日、自転車に乗り蔵本まで持ってきた。石井で少し休んだが、蔵本駅の駐輪場まで2時間半で来られた。

 あ、そうそう忘れてた。蔵本のプールでも寄り道した。一緒に職業訓練を受けた仲間がここで監視員をしてると聞き、フェンスの外から声をかけ10分くらい話をした。

 彼はとても元気で陽気で、私が死ぬほど落ち込んでいても彼と話すとこっちまで陽気・元気がもらえる。ガタイもよく180cmをこえる身長があり、昔のシュワちゃんみたいなキン肉マンである。
 なんかごっつそうだが、優しい人で、恐妻家、子煩悩の父でもある。

 しばらく話をつづけ、パワーをもらいたかったのだが、プールの監視という安全にかかわる仕事をしているので私の話で仕事の邪魔はできない。再開を約し別れた。

 蔵本駅の駐輪場に自転車をいれると、列車の接近を知らせる第一踏切の警報が鳴り始めた。

 「いいタイミングだ。」

 家へ帰っても今日からはテレビはもう見られない。無料のBSデジタルはみえるが、ニュースなどはなく、延々流れるコマーシャルか、韓国ドラマが中心でとても見る気にはなれない。

 それでラヂヲを聴いている。

 「そうなのである!まだラヂヲというもっとも古く、これからも続くであろうアナログ放送があったのだ!」

 「いいねえ、アナログの真打、そしてわざと旧かなで書く、ラヂヲ。」

 雑音でさえいい。清少納言の言いかたを真似ると

 「だいやるなどをまわせども、ととのはず、があ、ぴひ、などかまびすしきなかに、かすかに声きこえたるも、いとおかし。」

 それでも動画のニュースも見たいので、ネットのニコ動のニュースを検索しました。
 これはすごい!目からウロコものでした。
 もうどれもこれも立ち位置がはっきりしてます。右、左、おちょくり、シニカルなどなど、パンチがきいてて、スカッとします。
 
 それに比べると、今まで見てたTVニュースなんかは
 「夢の中で屁を踏んづけたようなもの」
 立ち位置は右には寄らず、若干左寄りを標榜しつつ中立のフリをする、というややこしい立場をとり、放送禁止用語は絶対使わない。だから面白くない。

 「ニコ動のニュースってなんでこんなに面白いの?」

 「流れるコメントがまたまたおもしろい」

 こりゃ、ネットニュースがおもろいわぁ~

 昨日のブログはアナログ放送の惜別だったんだけれど、今日、ニコ動を見てたらアナログの惜別の歌がありました。
 おなじ歌がヨウツベにもあったので貼り付けました。

 

2011年7月24日日曜日

終焉

 もうはるか昔、高校一年生の夏休みだったか、科学クラブでエジソン式の「蓄音機」を作ったことがあった。円筒形の表面に錫箔を貼り、パーチメント紙やケント紙で朝顔形の漏斗や振動帯を作り、支点を与え、振動が拡大されるようにした長い針を振動帯につけ、針先を錫箔表面につけるようにしたものであった。手回しクランクで円筒を回し、錫箔面に針で音声の振動を刻み込むのである。

 大声で「夏の思い出」を歌い、クランクを回し再生した。間延びしたような不思議な音声だったが、微かに歌が聞こえてきた。

 振動波形を針で持って錫箔に刻み込む。逆をたどれば振動が針によみがえり音声となる。
 その原理、理屈は一点の曇りもなく明確であった。そうではあっても、そのかすかに音声が聞こえたときは神秘的ともいえる感動を体験した。
 まったく一から作り上げた喜びも同時に体験した。

 しかし、その音声記録方式は「アナログ」と呼ばれ、時代にそぐわないものとして20年前に終わらせられた。

 そして今日、正午、TVのアナログ放送が終了した。

 廃止、廃線になる鉄道でもそうだがその日を迎えると何とも言えない惜別の情が沸き起こってくる。あまり利用しない若者でもそうであるという。
 まして何十年もそれに慣れ親しんできた人のおもいは一入である。

 昭和30年代に貧しい子供時代を過ごしたものにとって、「白黒テレビ」はあこがれであり、そしてそれを通じてもたらされる「放送」は夢でありおとぎであった。その渇望は、今人が欲しがる車や家電製品に対する比ではなかった。

 やがて大人になるに従い普及し、カラーとなり、テレビは特別あこがれる製品でもなくなった。しかし、心の底ではあの「白黒テレビ」が高嶺の花として燦然と輝いていたのは残っている。

 今日まではその当時の「白黒テレビ」であっても映りさえすれば、見られた。今日からは電波が飛ばなくなるのでもう永遠に
 「おしまい」
 思い出として過去となってしまった。

 今日、アナログ放送の終焉を「惜別」をもって、正午、画面が切り替わるのを見送った人はどれくらいいるのだろう、
 わたしは昭和28年から続いたアナログ放送の終焉を看取ってやった。

 「さようなら、きょうまで、いいものを見せてくれてありがとう。」


2011年7月23日土曜日

田舎町のアミューズメント

我が町のアミューズメントです。遊園地は来月でなくなるので入れておりません。

2011年7月22日金曜日

ハイボール一杯

 喫煙できる人に対してはうらやましいとは思わないが、酒を程よくのみ、少し酩酊、いわゆるほろ酔いになれる人に対してはうらやましいと思う。というのも私は体質的にアルコールに弱いようで、昔からずっと変わっていない。なんか、体内にアルコル分解酵素だったかアセトアルデヒド分解酵素だったかが無いか、非常に少なく、私の場合、ほろ酔いで気分がよくなる前に、頭痛で気分が悪くなる。

 初めて大学のコンパで酒を飲まされたときは、嘔吐して、その後「じんましん」が体にビッシリでて数日間、痒くて掻きさがし、最後は掻きすぎて、血が出てかさぶたになり大変でした。
 その後、ちょっとは慣れたみたいでしたが、すぐ悪酔いするのは変わらず、14%の日本酒換算で1合(180ml)位が精いっぱいでした。
 今は年寄ってもっと弱くなっています。

 酒に弱くて、悪酔いするくせに、なぜ、飲める人を羨ましく思うのか。私だって酒を飲んだら全く猶予なくすぐ悪酔いするわけではありません。180mlのコップをちびちび飲み始め、半分過ぎたあたりから、
 酩酊になり、浮いたような、なんかコセコセしたことはどうでもいいような、そして原因もないのに楽しいような、何とも言えない気持ちになります。急に陽気になって鼻歌が出たり、また逆にむやみやたらと悲壮感に浸かって、悲劇のヒーローのような詩的気分になったりします。

 しかし、そのあわいは短く、すぐ頭痛がし、気分が悪くなります。
 だから、酩酊状態を続けられ、頭痛もなく、気分も悪くならない「程よく飲める人」が羨ましいのです。

 ここ数日は病気やら何やらで気分がずいぶんふさぎました。後で頭痛覚悟で、あの酩酊状態の気分の良さが忘れられず、今夜も入れて3日間続けて飲んでおります。
 とはいえ、体質的のこともあり、最も合う酒である「ハイボール」8%を180mlちびちび、それも酩酊になった時点で、捨てますから、体に入るのは130~150mlくらいでしょうか。

 今夜もハイボール、飲んでます。3日間も続けるのはめづらしいです。

 「それだけ落ち込みが激しいのかなあ。」

 ふるい演歌の歌じゃないけれども

 「酒は涙か溜息か、心の憂さの捨て所」

 あすは、また頭痛か・・・・・

2011年7月21日木曜日

なあぅ~、まけてえな、いや、まけん!

 昨日は持病で思わぬ出費をした。きょうも国保税の第一期の払込みに役場へ行った。

 収入がないのにいくら義務とはいえ正直言ってキツイ。まあ、所得税と違い、医療サービスを担保する保険の税だから無収入でも払わなければならないのは理屈では分かるが、「無い袖を振らなければならないこっちの身にもなってよ。」といいたくなる。

 払う金を握りしめ役場へ行くが、そうそう、簡単には「お宝」を手放しがたい。で、いつものように支払窓口へは最初に向かわず、金を握ったまま税務課へ
 そして係り員へ、一応、免除の特例措置はないか、減免の手段はないか、国保税の算出方法が高いほうに間違っていないか聞いてみる。
 いつものように

 「免除、減免はありません。算出方法は高いほうに間違っていなですよ。というか、あなたの場合最低賦課ですよ。」

 それを聞くと、あ、そうですか。ともうあきらめざるを得ないのだが、あきらめの悪いやまさんは、ひとくさり、無収入、生活苦を訴え、なんとかならぬものかとかきくどく。

 まあ、結果はいつものように見えているが、それを済まさないと気色が悪くてすんなり払い込めない。

 支払いを済ませ役場のホールを歩いていると、隅の方に折りたたみの机をおいて3人がその前に坐っている。

 「なんじゃろかい?」

 と近寄って見ると、地デジサポートなんとかかんとか、とのぼりが立っている。
 時間はたっぷりあるのでその相談の椅子に座り、しばらくその係りの人とお話しする。

 私がもう地デジは見ない、というとその人は驚いていた。
 まあ、緊急ニュースなどもありますので、地元ローカルとNHKくらいは見えた方がいいのではないですか、といって地デジ用の室内アンテナをくれた。

 無料でもらったのでやまさん、大喜び、これで地デジが見られると思い、聞くと、

 「いえ、これにチューナが入ります。チュウナはお買いください。」

 「なあんだ、この無料アンテナだけで見えるんじゃないのか。」

 しかし、聞くと、チュウナは3~4千円ぐらいとのこと、それくらいだと、手が届く、買おうかしら。

 そうそう、この時、役場に対しある情報開示請求して、開示されたら、それをもとにある「レポート」を作成しようと考え付いた。「行路病死人と直葬」。なかなか面白いテーマのレポートでしょ。
 でも今日は時間がなくて無理だし、構想をちょっとあたためる時間もいる。

 行路病死人(いきだおれ)と直葬、我ながらいいアイデアで、いいレポートができそうだ。税金はろうたんだから役場の資料も活用せにゃ!

今日のかほり

 昨日からしんどいのでなにかつくる元気もなく、もうじき昼だがスウパで昼飯を買ってきた。冷やしうどんと大稲荷ずし一個。

 店頭では豪勢に煙をだし、ウナギかば焼き実演販売をしていて、外は辺り一面蒲焼臭が立ち込めている。

 「今日は、土用丑の日か。」

 1300円の値の紙がぶら下がっている。かなり人だかりがしている。皆さん買っているのだろう。

 198円の冷やしうどんと98円の大稲荷寿司一個しめて296円の昼飯を買い、別に欲しいとは思わぬ蒲焼を横目で見、スウパから帰るさ、うちの家の近所が近づくと蒲焼の匂いがまたしてきた。

 部屋の窓を開け、扇風機をまわすと、どこかから、また蒲焼の匂いが漂う。

 「落語でケチな奴が蒲焼の匂いで飯を食う、というおもろいネタがあったなと思い出す。」

 今日の昼時、夕飯時、あちこちでこの匂いがするんだろうな。

2011年7月20日水曜日

台風、どうでしたか、お見舞い申し上げます

 ここ徳島県では台風の風、大雨のピークは過ぎたようですが、皆さんのお住いのところはどうでしょうか。
 ご無事なことを願っております。

 我が家の前川も道路に冠水する直前、水が引き始め、幸い水の被害はありませんでした。外回りも見ましたが、風の被害も無いようで、自転車がひっくりこけたくらいです。
 ネットの線も切れることなくこのようにブログを更新しております。

 台風の方はこのまますみそうですが、未明から持病発作が5か月ぶりに起こり、早朝に病院のお世話になりました。

 今日はちょっと元気がないです。

2011年7月19日火曜日

常にいませどもうつつならぬぞあはれなる 

 人は自惚れでなく「万物の霊長」として地球上のあらゆる動物の頂点に立っていると自覚しており、事実、地球上の科学的知見に立脚する限りその通りである。

 しかし、人はまた人間存在を越えた高次元な、科学的知見では知られぬ「あるもの」の実在を信じ、欣求(喜び願うこと)することも事実である。

 わたしも2つの相反するこのアンビバレントな認識を同時にもっている。

 この「あるもの」とは具体的には
 霊的存在・神・死者(霊界人)・宇宙人・未来人などがあげられると思うのだが、他にもあるかもしれない。
 この「あるもの」は、私の考えではUnidentified Flying Objectと呼ぶのが近いような気がする。無理に日本語に訳せば「未確認飛行物体」、UFOとなるのだろうが、なんかわたしのイメージとニュアンスが違う。

 Objectを日本語では「物体」としか訳せないことによるのだが、Objectはsubjectに対義する語である。subjectは「絶対者・客観・神」に対した時の「主体・自我・主観」の意味がある。
 ということはObjectは「絶対者・客観・神」の意味を持つ。Objectの頭がsubjectに対し大文字であるのも絶対者・神を指し示すからである。

 もちろんObjectは多義語であり「物体」という意味に使われる場合が一番多いが、日本語の「物体」と訳してしまえば、「絶対者・客観・神」のニュアンスは全くなくなる。

 だから先ほどの、高次元な、科学的知見では知られぬ「あるもの」、は「未確認飛行物体」、UFOというより英語でそのままUnidentified Flying Objectと称するのがよい。

 それからUFOというのも安っぽくてよくありません。やまさんはUFOときくとピンクレディーの「ユゥッ~ホー!」といいながらの振り付けを思い出すか、焼きそばを思い出します。

 さて、Unidentified Flying Objectですが、アンビバレントなこころを持ち、かつ信じる人は、このありがたい「あるもの」をいつまでもUnidentified Flying Objectとして置いておくのがいいと思ったのではないでしょうか。
 少なくとも私はそうです。ありがたいものと信じるがゆえに、そうそう「安易」に「認識」などされてたまるかという気持ち。subjectという下位者の「ヒト」であるがゆえに上位者のObjectを人知で知れるものか!という気持ちがあります。

 平安末の「今様」はこれを歌に託し、このように教え、諭します。

仏は常に在せども 現ならぬぞあわれなる 人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見えたまう 

 (拙訳)
 仏様は確かにいらっしゃいますよ、でもね、現実には目にみえず、触れることもできぬのがいっそうしみじみと心にしみるものなのです。人静かな明け方の夢とうつつの境においでになって、見えるものなのですよ。

 次回はこのありがたい「あるもの」がはっきりとカタチをとって柿の木の上に現れ、見物人が押し寄せ大騒ぎした話をしたいと思います。正体は何だったんでしょうか。

道路冠水まであとわずか

 午前7時半頃、我が家の前の川はあと残すところ15cmほどで道路にあふれ冠水状態になる。
 台風が遅いので丸一日この雨が続けば、どうなるだろう。

 「畳の上の水練」

 という諺があるが、このぶんだと本当に

 「畳の上で水泳ができる。どうしょうに!」

2011年7月18日月曜日

海の日雑感

夏祭り、ゆかた、花火、残念でした
 海の日に合わせるように小松島市では「港祭り」「大花火大会」を計画していたのに誠に残念でしたね。
 数日、悪天がつづくとのことで、順延もなく、今年は中止とのこと。祭り好きの「お兄ちゃんや、お姉ちゃん」はさぞがっかりしていることでしょう。

 中高生の一夏は我らのような年長けたおっさんやおばはんの飽きるほど過ごした夏とはその価値、輝きが違うもの。

 中学2年、高校2年の夏は2度とない。淡いロマンがあるかもしれぬ夏祭り、花火大会をできれば体験させてあげたかった。

 しかし、まあその償いというか、中止になった理由の数日続く悪天によって、どうもこのまま学校が臨時休校になり、そのまま夏休みに突入しそうですよ。
 夏休みが前倒しに長くなったとちょっと喜べることですよ。

 それに夏祭りは来月にかけてあちこちでありますから、遠征してあちこち行きましょう。
 わが鴨島町では8月6日に花火大会がありますからよかったらどうぞ。

 ゆかた、カラコロ下駄、うちわ、夏祭りの必要アイテムも忘れぬよう用意しましょう。

海の日は、海で、産みの日、なにが生まれた?
 今、四国に南海で生まれた超大型台風が近づいている。その影響で今日は一日雨、時々驟雨になるのは台風の影響である。

 こいつはちょっと悪質でまず本土に近づいても衰えない、そして、ゆっくりである。ということは大雨・暴風が長く続くことである。どうせ来るものならせめてさっさと通り過ぎれば苦しみも短いのだが残念である。

 今日は「海の日」で祝日だが「海」は祝福されるばかりではない。「台風」、「津波」、「温帯性暴風雨」を産むのも「海」である。
 海の日に海で生まれた台風を迎えようとし、祭り中止、船欠航、海の家一時解体避難と騒いでいるのも皮肉な話である。海の日といえば大方は「マリンスポーツ」くらいしか思い浮かばなかったかもしれないのに、ちょうどこの日、港祭り・花火大会が中止になって

 「どっこい、皆さん、海にはこういうもの(台風)もあるんですよ、付録に大雨、高潮もお付けしますよ」

 とデンコのように「海」が啓蒙しているのかもしれない。

 海を甘く見てはいけませんよ。


桃山日記が途絶えたら
 台風が近づいているので我が家の外回りを見た。
 まあボロいのは仕方ないが瓦やトタンが飛んだら困る。とおもいつつ見回る。
 家の軒から何か頼りなげなか細い電線が山の裾を引くように一本長~く川向こうの高い電信柱に伸びている。 
 鳥がひっかけてもちぎれそうな感じがする。

 「これ、何の線だろ。」

 軒から入った電線の配線は直接は見えないが推測するに、これネットのADSLである。

 「え~っ、こんなに細くはかなげな電線!台風で切断されるわ。」

 明日、明後日やってくる台風、超大型とのこと、もしやまさんの桃山日記が途絶えたら

 台風により線が引きちぎられたものと思ってください。

 そして私は天災に対しては極めて受容的で、無駄な抵抗はしないのでそのままネットはやめると思います。台風の後、桃山日記が途切れたら、その前日が最終回と思ってください。

 家が吹き飛ばされても命があれば「四国遍路の長旅」にでます。その時は、あらかじめ言っておきます。
 
 「皆さんさようなら。」

今、外、激しい風雨、明後日までつづく、うんざり
 一日、悪天で家に閉じ込められたのに、予報では明後日が一番台風が近づくとのこと、まだまだ続く、くさくさするので農産直売所で100円で買ったアスパラを塩茹でし、これを肴に酎ハイを一杯飲む。
 早くも台風の影響か、画面の切変わりに時間がかかる。

 「ああ、やだな、直撃はやめてよ。無事だといいが。」

やまさん、部屋で阿波踊りをする

 「えらい奴っちゃ、えらい奴っちゃ、よ~ぃ、よい、よい」

  内心、アメリカには負けるだろうと、思っていました。それだけに最後の最後にPK戦で優勝を決めた瞬間
 家の中で、思わず万歳の格好のまま、チャンカチャンカ、チャンカチャンカ、口三味線に合わせて阿波踊りを踊っていました。

 日本の女性はすごいですね。
 幕末に日本に来た「欧米人」は、日本人の女性をほめそやしています。それは内面の繊細さなど「こころ」が中心なんですね。
 「大和撫子(なでしこ)」という可憐な花に例えたのもこういう意味が強いんですけど、今や21世紀も11年すぎて、こういう「力技」でも世界に冠たるものになった。

 「男も頑張らねば」という言い方がこの次に来そうですが、まあ頑張るにやぶさかではないんですが、女性に勝とうなどとはもう思わない方がいいです。
 もともと日本の女性は強く、ひ弱な男の比ではないのです。
 ここはもう、男は後ろに一歩ひいて、世界に躍進する女性のサポート役に徹すればどうでしょう。

 そもそも日本の最高神は「アマテラス神」ですばらしい「女神」なのです。
 中国・朝鮮から文化・制度を取り入れ、表面を見ると「擬制父系」をとっているが、実のところは「母系社会」ではないかと思うのです。これについて話すとまたぐだぐだ長くなるのでやめますが、ともかく

 「日本の女性は強い」

 ということです。もう頑張ることに疲れたお父さん、旦那さん、「つっころばし」の息子さん。これからは「おっかさん」や「妻」に前面に出てもらい、自分は一歩ひいて裏方の仕事をしましょう。

2011年7月17日日曜日

季節の話 もうすぐ土用の入りだが

 いよいよ夏真っ盛りの時期がやってきた。盛夏とほとんどイコールの言い方に「夏の土用」という言い方がある。
 夏の土用は18~19日間あり、今年は7月20日から立秋の前日の8月7日までである。この土用を過ぎれば暦上、あるいは歳時記の上でもう夏とは称せなくなる。だからこの期間を過ぎれば暑気のお見舞いの言葉は、

 「残暑云々、とか、初秋とはいえ・・・」

 という言い方になる。土用を過ぎれば、どんなに暑くても堂々と「秋」という言葉が使える。逆に「盛夏」は使えなくなる。

 ところで土用という言葉を冠した言葉を皆さんいくつ知っていますか?
 だれでも知っている言葉としては「土用の丑の日」というのがありますね。他にはなにかあったっけ?私はそれ以外は「土用波」と「土用干し」くらいしか思い当りません。

 この「土用」と「土用丑の日」に関し案外皆さん知らないことがあるので今日はその話をしたいと思います。

 まずその一、「土用丑の日は」ウナギを食べること日ということでTV,マスコミにとりあげられるから、その日が近づけば嫌でもわかる。今年は7月21日(木)である。
 今年は震災の影響で値上げしているとはいえその日はウナギ、特にかば焼きが大いに売れるに違いない。
 バレンタインデーはチョコレートが売れチョコレート屋さんが大いに儲かるように、これは「ウナギ屋」さんの戦略だったのではないかと疑ってしまうが、始まりは実はそのとおりだそうである。
 江戸期の平賀源内が売り上げが落ちるこの時期にウナギ屋さんに頼まれあみだした
 「土用の丑の日はウナギ」
 というキャッチコピに起源を求めている。

 そのことはけっこう知られており、これが案外みんなが知らないことではない。
 意外と知らないのは土用丑の日は
 「2回あるときもある」
 ということである。
 今年は実は2回ある。7月21日と8月2日である。1回しかない年もあり、去年は1回だった。

  これは土用の期間が19日あり、12支がその中で配列されると(土用の入りの日の12支はどれも平等に毎年違う干支がくる)、19÷12=1,583・・となり1~2回、年によって違ってくる。商の値から丑の日が2回ある年は、2年に1回より少し多いことになる。

 今年は2回あるからウナギ屋も2倍儲かるかというと、そういうことはない。1回目の丑の日が大きく取り上げられるし、12日後にくる第2の丑の日にそうもそうもウナギを食べられない。高価なこともあり、いくら2度あると知らされてもせいぜい1回だろう。

 ビンボ人のやまさんなんかは土用丑の日だといっても食べることもないし、普段も高価だから食べない。
 今年はサンマが豊漁なのでせいぜい「サンマの蒲焼」を秋口に食べるのが精いっぱいである。

 案外知られていないことのその2は、

 「土用」は夏のみでなく、春、秋、冬にも同じように18~19日あるということである。


 そもそもこの土用の「土」は中国の「五行思想」から来ている。
 木、火、土、金、水。の5つの要素で万物を説明しようという思想である。
 それを季節にも適用した。しかし季節は春夏秋冬、四季で4である。5要素とは合わない。

 「どうする?」

 昔も頭の良い人はいるもので、5要素のうち4要素を春夏秋冬に当て、残りの1要素は各季節が推移する季節の変わり目に四分割して当てたのである。この要素が「土」であったのである。だからこの「土」は春、夏、秋、冬の終わりに入ることになった。春の土用、秋の土用、冬の土用もあるのである。
 ちなみに「木」は春。「火」は夏、「金」は秋、「水」は冬となる。

 そうすると土用が18~19日あるのも簡単に計算で納得できる。
 365日を5要素で割ると73日、これが純粋の春夏秋冬の4つに割り振られ、残りは推移季節の分であるが、73を4で割ると18~19日となり計算が合う。

 夏の土用が有名であるが、決して夏のみでなく、春も、秋の土用もあるのである。

 五行思想の万物に対する適用は他にもあるが詳しくは

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%8C%E6%80%9D%E6%83%B3

 をどうぞ。

2011年7月16日土曜日

尽き 果て 返る

 涼を求めると称して海やら山やら行っているが、今日はうちから近い天然の涼場を考え求めてみた。
 いちばんよさそうなところは4Km離れたところにある「水神の滝」、

 「4Kmか、自転車で暑い中、行くのは大変だ。一昨日の山歩きの筋肉痛もまだ残っているからやめにしよう」

 「他にはと、えぇ~と、おお、吉野川があるではないか」

 吉野川までだとうちから1Kmもないんじゃないか。ちょうどうちの真北の吉野川は中高生のときよく言った「堰堤」もある。そうじゃそこにしよう。

 で、ごく近くということで自転車で行きました。土手に自転車を置いて歩きましたが、流れまでのコンクリの護岸、河原の長いこと。当然そこは水流などはなし、ぎらぎらする照り返しで、暑いことこの上なし。細かい砂が覆ったコンクリや河原を歩いていると

 「ここはサハラ砂漠か?」

 延々、砂漠状態の河原を歩き、さんざん後悔したころようやく水の流れに到達。でも遠くから聞こえてくる堰堤のゴーゴーいう音は、近ずくにつれ迫力を増し、涼しさを予感させ、オアシスが見えた砂漠の旅人のように元気づける。

 「堰堤」、落差のある滑り台のような堰を(洗濯板といいたいが若い人は知らんわな)流れが下る。

左の上流側と右の下流側とは落差1,5mくらい。白く泡立ち、薄く平たい流れだが非常に速い。音もすごい。足をつけて危なくないとこまでいく。冷たくて気持ちいい。

 水苔や急な流れで滑れば滑り台で下流へつつつつつ~と流される。昔からこれで幾多の人が河童とお友達になり帰ってこなかった。

 音も聴いてください。

 帰り、土手のすぐ横に立派な建物がある。最新設備でもはや煙突すらない。「火葬場」。やがて私もお世話になる。

自分の好みとしては、山中に埋まり竹筒を地表にちょっとだし、息をしながら、鈴を叩き、そのまま即身仏となるのがいいが、たぶんここで焼かれるだろう。

 火葬は広く日本人に根付いた葬法である。というか特殊な地域、状況下でなければ法律でこれしか選択できない。
 なかにははく製や死蠟にしてもらって生前の姿のままとどまりたいという人がいてもいいと思うが、許されない。ちなみにレーニンさんや毛沢東さんはこのような姿を今でも拝めるそうである。

 火葬もわるくない。もともと構成された元素に近い形に返るのであるから、自然の法かもしれない。
 
 昔の墓は下のような形をしている。(江戸期以前だが)
変わった形だが、これは我らの体も含めたモノは5つの元素からなるという自然哲学の考えがある。
 死んですべてが5大元素に返るというのは、今の科学論からも受け入れやすい。

 ウィキペディアによると

五輪塔は、下から方形=地輪(ちりん)、円形=水輪(すいりん)、三角形(または笠形、屋根形)=火輪(かりん)、半月形=風輪(ふうりん)、宝珠形=空輪(くうりん)によって構成され、古代インドにおいて宇宙の構成要素・元素と考えられた五大を象徴する。


地、水、火、風、空の5大元素である。

死ねばこれに還元される。なんかいいね~。思い切りよくて。


命、尽き、果て、そして5大素に、返る。

 ここでちょっと思い当ることがある。それは「葬制」と5大元素である。
 地、水、火、風、空、はそれぞれ対応した「葬制」がある。

 地 土葬
 水 水葬
 火 火葬
 風 風葬 昔は沖縄奄美、インドネシアにもあった
 空 鳥葬 チベットが有名

 これは誰かの説ではなくやまさんの思い付きだからね。鵜呑みにしないよう。

2011年7月15日金曜日

つるぎ山 そのⅡ

 ゆうべ寝る時から足が引きつり、筋肉痛あった。こうゆうのは一晩寝ると増々ひどくなる。昨日の山歩きがこたえている。
 今日は足をひこずって歩いているのが自分でも自覚できる。

 夕べはくたぶれかえって湯船にお湯を入れ入浴することもできなかった。今日は関節・筋肉の突っ張り、痛みがあることでもあるから、家で入浴せずに温泉に行くことにした。

 大枚600両もとられるから最近は滅多にいかない。600も銭があれば、例の198円の昼弁当が3食も買え、6円もおつりがある。だが今夜は「湯治」の名目で清水の大舞台の上から飛び降りるつもりで行った。

 効能は四国の冷泉だから怪しいものだが、ゆったりの湯船。すこしヌルッとした泉質、で肌のなじみはよい。
 夏だから露天もいい。露天は豪勢に湧き立つような一面の泡、泡、あわわ。多少屁をひってもわかりはすまい。
 泡に体をふんわり浮かせて、ふと東の空を見ると、まん丸の黄色っぽい月が出ている。

 「おう、今日は望月じゃ。」

 まえのブログで書いたように今月は旧暦とは月遅れで、日数は同じ。つまり今日15日は旧15日でもあり満月。
 露天に浮かみながら、じっとみていると、確かしんさまが満月を見るのはよくないといっていなかったかなあ。と思い出した。
 でも、夏の月って、冬のように青白くもなく、柔らかく暖色っぽいよ。癒される感じがするんだけどな。

 この温泉での私の一番のお気に入りメニューは、ローマ帝国のカラカラ浴場をまねたといわれる「低温蒸気浴室」、高温乾燥サウナや高温蒸気浴室ほど人気はなく、いつもガラガラだが私はのぼせ体質でもあり、古代妄想癖があるから、カラカラ浴場はだあ~い好き。占拠して充分堪能しました。

 で、先ほど、10時前に帰宅。金はろうただけあって効きましたわ。

 剣山は毎年必ず2回は行く。若い時から変わらない。しかし、歩く時間、休息の回数や時間、後の体の痛みや疲れは年とともに衰えを見せている。

 「来年は登れるだろうか、いや、そもそも、命があるだろうか?」

 西行の次の和歌が浮かぶ

 年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山

2011年7月14日木曜日

つるぎ山 そのⅠ

まるでライラックのよう
 剣山貞光ルートの最奥の集落は桑平である。そこを過ぎれば人家は途絶える。

 その集落の辺りにはまだアジサイがきれいに咲いている。平地では梅雨が明け、アジサイも枯れているがこのあたりは冷涼でアジサイも元気に咲いている。
 その中で紫の小さな毬のようなアジサイが特に目を引いた。

 写メールでは美しい色が再現できないのが残念だが色といい形といい通り過ぎながら見ていると北海道のライラックのようだ。
めおと(夫婦)もどちらかが先に遷(ゆ)くのか
 一宇村にあるスキー場を過ぎると道はほとんど平坦になる。
 少し行くと標高は1400mを越える。そのあたりからは山が鞍部(馬の鞍状)になっていてそこを越えると剣山が見えてくる。
 その鞍部を横切る道を挟むように両側に2つの池がある。

 道の左にあるのが男池で上の写真である。下の写真は道の右側の女池である。
 名前からわかるようにこの池、ペアで「夫婦池」と名付けられている


 男池の方は満々と水をたたえているが女池はご覧のように水は枯れていて湿地状態である。
 面積は女池がうんと小さい。
 自然は長い年月をかけて土砂を堆積させ乾燥化し、湖~池~沼~湿原~平原というように変えていく。「遷移」と呼んでいる。
 これは自然の法則である。夫婦池の女池も昔は満々ときれいな水をたたえていたこともあったであろうが、今や雨季を除くとご覧のように乾燥化が進み、湿原のようになりつつある。
 もともと小さい池だったので「遷移」がはやいのだろう。
 大昔の誰が夫婦池と呼んだのか知らないが、夫婦のようにいつまでも変わらぬ2つの池の姿を願ったのではあるまいか。
 しかし、女池が先に遷(ゆ)く。自然の法とはいえちょっと切なくなる。
めづらしい植物をみた
 女池の写真を撮って道に帰ってくると近くのロッジの主人が声をかけてくれてめづらしい植物を教えてくれた。
 下の写真がそれである。後でみたら露出がまずくうまく撮れていない。非常に変わった形をしていてもちろん見るのは初めてである。
 全体が茶色っぽく、葉緑素がない。しかし大きくて幹に当たる部分はかなり固く木質みたいな感じだから「菌体類」(きのこの仲間)ではないようだ。
 このロッジのご主人、かなり植物に詳しいらしく、大体見当をつけているみたいで、ロッジに招かれ、一緒に植物図鑑やインターネット(こんな山奥でインターネットが通じていて触れることができたのに大感動しました)の画像検索結果を見た。なぜかついでに私の桃山日記もロッジのご主人と一緒に見た。
 そして、おそらくこれは「つちあけび」ではないかという結論に達しました。


下はロッジでみた植物図鑑、こちらは実がなっている状態。

「腐生植物」の一種という。葉緑素がないため「光合成」はできない。当然、従属栄養によるのであろうがそれは「共生菌」に依存してるとのこと。
 「う~ん、むつかしゅうて、その仕組み、よおわからん!」
 ウィキペディア(百科事典)によると
ツチアケビ (Galeola septentrionalis Reichb. fil) は、森林内に生育するラン科植物である。ラン科植物として、また腐生植物(菌従属栄養植物)としては非常に丈が高く、しかも大きな真っ赤な果実がつくので、大変人目を引く植物である。日本固有種。
 だそうである。
森の王様の木は
 四国の平地部は気候・植生では「照葉樹林帯」と呼ばれていて四国の広い面積を覆っている。剣山のこの辺りは「落葉広葉樹林帯」である。四国山地の高山に現れるため面積も照葉樹林帯にくらべれば広くない。
 その「落葉広葉樹林」の代表種は「ぶな」である。
 しっかりと大地に大きな根を張り、その根で森の土や森の水分を守る。そして秋の落葉やその実によって幾多の動物・植物を育てている。
 幾抱えもある大きな幹、灰色の樹皮でところどころ苔むしている。そのどっしりして見上げるようなブナの巨木は
 「森の王様だ」


さいごにダケカンバの疎林が
 森を構成する主要な樹種は気候によって決まってくる。1450mの見ノ越からえっちらおっちらゆっくり周りを観察しながら登るとその気候が標高が上がるにつれ冷帯、寒帯に近づいているのが木を見ることによってわかる。
 気候の垂直分布を表すのには冷帯、寒帯(こちらが私にはわかりやすいが)というよりも「亜高山帯」、「高山帯」という言い方をする。
 剣山は2000mはない。この高さだと高山帯は現れない。
 1900mから上は樹木は少なく熊笹が覆っている。その1900m付近にダケカンバの疎林があった。
 ペラッとめくりたい誘惑にかられそうな(決してしてはいけませんよ!)樹皮、白樺に似た葉の形が特徴の木である。

 これより高くなると下のように樹木はなく熊笹の原、「平家の馬場」というそうだ。頂上のベンチが見える。

>>ロッジのご主人さんへ
 珍しい植物を教えていただき、いい勉強になりました。またロッジでお茶までごちそうになり恐縮しております。
 ロッジでネットができることに驚きました。ウェブ網は日本津々浦々山奥まで覆っているんですね。
 次回はお客として売り上げに貢献したいと思います。
 これから忙しい季節を迎えますがお体をおたいせつに。ロッジが増々繁盛することを願っております。
 どうもありがとうございました。

2011年7月13日水曜日

さようなら吉野川遊園地


訂正・動画中の花「リュウゼツラン」は間違いで正しくは「ノウゼンカズラ」でした。

これはおかしい

 ゲンタ君とデンコちゃんにこのところ啓発され、電気の需給や料金についての関心が高まった。
 ところで今朝、電気のメータ見回りの人が今月の電気使用量のお知らせを置いて行った。普段は見ないが、おかげで関心も高まっているのでよ~くみた。すると・・・・・・・・

 太陽光促進付加金が上乗せされている。なんじゃあ~これは?

 ちょっと調べてみた。するといや~な危惧が的中しているようだ。

 ごくごくかいつまんで、なおかつ短絡的に考えると、家に太陽パネルを設置できる財力のある人は、定額買取で自分の発電の余剰を高く買い取ってもらい、お得である。
 ところがビンボ人のやまさんのように太陽パネル設置の財力もなくひたすら買うだけの人にもこの太陽発電の買い取り費用を負担させるというもの。つまりなにもないビンボ人は金持ちの家の太陽光発電にお金を払うもので、そのぶん電気料金が高くなる。

 「金持ち優遇、ビンボ人からむしりとるつもりか?」

 これがゲンタの言っていた、やがて貧富の差が、エネルギー格差になるということか。

 「お代官様と越後屋がつるんでやっとことじゃないのか」

 やがて世直し一揆が起こるぞ!

これから電気料金は上がり続けるだろう。困る。

 ビンボ人は大昔から、打つ手は節約のみ。でも健康を害するおそれあり。夏はクーラなくても水かぶっても過ごせるが、冬は電気なかったら死ぬかもしれん。

 自家発電もなあ~、高校生の時は毎日のように・・・・あ、これ意味がちごうとる。

2011年7月12日火曜日

鳴神(なるかみ)

 数日前に梅雨は明けたはずだが、今日は朝から梅雨に戻ったような天気。そのうちにかなりの雨が降り始めた。窓をちょっと開けてみると豪雨に近いような降り。
 暗くなったので部屋の灯りをつけた。雨音に混じって遠くでゴロゴロいう音が聞こえる。雷が鳴っている。

 天気は悪いが気温は上がらず締め切った部屋にいても蒸し暑さは感じない。ここ数日非常に暑かったので「いいおしめりだ。」という具合で、気分よくネットでニュースなどを見ていた。

 雷の音も大したことなく、もちろん落雷したような大音響は響かない。おなかがグルグルいうようなものだ。
 しかし、4~5回くらいだろうか、つけている電灯の明るさがが不安定に変化する。停電することはなかったが、電圧がかなり揺らめいているのを感じる。

 「大雨でもこのようなことはないのになあ。」

 電気の安定供給については、いま電力不足などが問題になっていることでもあり、ふと、不安がよぎる。するとそれに反応したようにまた一瞬、暗くなり、すぐ元に戻った。落雷したような音も気配も感じない。そのうちその不安定な揺らめきもなくなった。

 しかし、しばらくたって昼前のニュースでここから20Km離れた徳島市内が落雷で大変なことになっていると知った。大雨とすごい落雷で市内各所で「停電」したそうだ。まだ、停電が続いている地区もあるらしい。

 「おおおおおおお~、マイ、ガット!あのデンコの神通力の仕業じゃあるまいか」

このあいだ鼎談したときデンコは、恋しいゲンタを守るために雷雲を起こし「教育的停電」をするだのなんだのと言っていた。
 
 「まさか、始まったんじゃないだろうか。」

 夏の電気需要のピーク時、ドンドンガラガラとあちこちに雷を落とされれば停電が起こる。原発抜きで供給が脆弱になっているから大停電に結びつく可能性がある。

 今日は涼しく需要はさほどない。しかし、これはデンコの予行演習かもしれない。


 歌舞伎十八番で『鳴神』という演目がある。これは雷雲を神通力で封じ込めるものだが、デンコの場合は反対に神通力で雷雲を起こすという。どちらも「色欲・恋情」が話の展開に絡み付いてくる。

 「デンコさん、早まらんといてえな~」

 昼飯に日本で一番安いといわれている「弁当」を買った。
 なんと!お値段、198円

冷やしうどんとメンチカツご飯のセット、メンチカツご飯はソース味でキャベツの千切りもご飯の上に載っている。
 「味?」
 これが申し訳ないほどうまい。量もたっぷり。うどんは讃岐うどん風でコシコシした歯触りで、つけ麺で
 「チュルン」
 と食べるのど越しも最高。

 「なんで、これが198円なのだ。うれしい~、し・あ・わ・せ!」

 デザートは同じところで買った林檎、98円、またこのパターンの昼飯をしようや!

 雨が小降りになり、西を見ると目で見てもわかる「前線の通過雲」が、小さな寒冷前線の境目に違いないと思い写真に撮った。

2011年7月11日月曜日

宵待草

 梅雨も明け、今日も炎暑の一日となりました。普通は陽が傾き夕方近くになると気温も下がり、日中暑くても幾分しのぎやすくなるものなんですけど、日本の盛夏の夕方の暑さは一入きついものになります。
 西日に照らされ焼かれ、風もどういうわけか止まり、暑さも格別耐え難いものになります。

 ようやくしのぎやすくなるのは完全に暗くなってからです。
 冷房もなかった昔、炎暑から解放される夜がきたらホッとしたでしょうね。

 夜がせまってくる薄明時、涼しさに誘われて家を出た。出たときはそぞろ歩きのつもりであったが、歩きはじめてから、夏の宵に咲く花を見に行くことを決め、土手の方へ向かった。

 「宵待草」(よいまちぐさ)、正式な名前はマツヨイグサ、黄色からオレンジに近い色の花を夕方から夜にかけて花開かせる。日中はしおれたようにしぼんでいるが、夜が来ると美しく花びらを開かせる。
 ロマンチックな感じの花に似合わず、帰化植物で生命力が強く、繁殖力旺盛で、やせ地に原野に広く繁茂し、ほとんど雑草扱いである。

 しかし、炎熱地獄のような日中とは様変わりしたホッとする真夏の夜の世界。その夜の世界の訪れを告げるように可憐に花開く「宵待草」。これから見に行くにはこれほど素晴らしいものはないでしょう。
 土手に着いた頃にはすっかり暗くなっていました。西の方にわずかに浅黄色の空が残っているだけです。
 土手のまわりを見渡しましたが、

 「ない、どこにもない」

 「宵待草」・マツヨイグサは、海浜や川の土手に雑草状態で自生しています。このあいだからよく行った沖の洲の吉野川堤防上や小松海岸でたくさん見ました。昼だからもちろんしぼんでいました。こちらは遠いので夜は無理です。
 当然、我が町の吉野川堤防上にもあると思ったのですが、わかりません。

 今から堤防上をあちこち探すには暗くなりすぎています。
 失敗しました。昼のうちに群生地をあらかじめ見つけ、目星をつけておくべきだった。
 
 「月の光を浴びて咲く、宵待草、いいだろうになあ~」

 土手から見ると、旧暦11日の月はもうすでに中天高く上がっています。これで「宵待草」があればいうことなしなんですけど。残念!
 そういえば今月はなんと、旧暦と新暦の日付が一致する珍しい月です。つまり今週の金曜日の15日は旧暦でも15日、つまり満月だ。今月ほど月の形が予測できやすい月はないな。今日は11日だから旧暦11日の上弦の月。

 などと考えつつぶらぶら土手を歩いていると、月が大観覧車にかかってきました。そこをパチリ、撮りました。(土手のすぐ横に吉野川遊園地がある。ここはあと一か月で閉鎖になる)

 待てど暮らせど 来ぬ人を
 宵待草の やるせなさ
 今宵は月も 出ぬそうな
 
 暮れて河原に 星一つ
 宵待草の 花が散る
 更けては風も 泣くそうな  (作詞:竹久夢二)

2011年7月10日日曜日

高越大権現

 梅雨が明けたと思ったら、朝から水分がすっかり抜けきったようないきなりの「真夏の朝」。すごい日差しと抜けるような青空、セミこそまだ鳴いていないが、すっかり盛夏。

 わたしは昨日からもの参りづいている。  ※もの参り:寺社の参詣

 『今日もどっか「もの参り」しよう。』

 「そうだ、今日は避暑をかねて、オコーッツアンへ行こう。」

 パタパタと急いで用意をし、ポンコツの軽四に乗って出発。途中スーパでバラ寿司と冷やしうどんの小さなパック入りの弁当を買う。

 このオコーッツアンは我が地元、麻植郡の山岳宗教の霊地です。標高1122メートルの秀麗な山で頂上部に高越寺があり、多くの人の信仰を集めています。

 一口に山岳宗教と云いましたが、この宗教は非常に古い信仰に根ざしています。おそらくこの地に我々の祖先が初めて来たときからのものです。高山を霊地とするのは仏教以前からの宗教観です。
 だからこの山頂部にある高越寺、一応仏教の「寺」とはなっていますが、古来日本人の古い「神」の信仰と一体となっております。いわゆる「神仏習合」です。

 ヨーロッパなどは、古来のケルトの神々、あるいは北欧神話の神々を完全に滅ぼすことによってキリスト教が確立しました。同じように中東アラビアも古来の多くの神がいましたが、こちらもイスラム教が広まることで徹底して滅ぼされました。
 仏教もキリスト教、イスラム教と同じ「世界宗教」なんですけど、地元の古い神々とどういうわけか非常に親和性が高いのです。仏教の中にその神が入り新たに「仏」となったりしました。
 キリスト教やイスラム教は人に対しては慈悲、寛容、愛を説きますが、こと異端の神に対しては無慈悲で情け容赦がない。その点仏教はそんな無慈悲はしません。やはり『慈悲』を最重要視する仏教はいいですね。

 日本の場合は独特の方法で仏と神が一体化しました。「本地垂迹説」です。
 この高越山の神は「蔵王権現」といいます。じつはこれは仮の名で本当は「釈迦」だというのです。
 つまり「本地」(そもそもは)はお釈迦さんで、日本のこの地では便宜上、神としてその(あと・姿形)を人々の前にれている。(わかりやすいように土着の神としてあらわれる)のです。
 これが「本地垂迹説」

 こんなすごい考えを発明したものだから、どんな日本の神々でも

 「いやいや、実は、あれは、これこれの仏さんが別の姿で日本に現れたものだ。」
 
 と云えるわけで、この考えによると神も仏もみんな一体化したものになります。

 おかげでみんな仲良くこの国に存在できました。神も仏も滅びることがないからこの日本は世界で最も神仏が多い国となりました。

 まあ、そんな「神仏習合」の霊地に、「霊気」と「冷気」を感じようといってまいりました。

 あとはいつものようにムウビメエカで作った動画をご覧ください。

 

2011年7月9日土曜日

佐古から自転車に乗って家まで帰る

 今日でJR定期も切れる。今までは毎日徳島へ出て行っていた。自転車を佐古駅か蔵本駅に置いておいて、乗り回し、市内をうろちょろしていた。目的はこれといってないんだけど、そこはそれ、昔より
 『犬も歩けば、棒に当たる。』
 でなにかよい話に(当然就職も含め)当たらないかと、ひそかに期待するところはありました。

 しかし、いい話には行き当たらず、暑い中このまま自転車に乗って徳島市内をふらふらしてると、
 車に当たるか、暑気当りにでもなりそうなので、しばらくは徳島へ通うのはやめにしようと思いました。

 そこで定期も切れることではあるし、当分地元で落ち着こうと思い、今日は佐古駅に置いてある自転車に乗って家まで帰ってきました。

 行きは冷房のきいた列車で、冷たい缶コーヒーを飲みながら快適でした。しかし、帰りは暑い中、自転車を漕ぎ、汗だくになっての20数キロの旅、ずいぶんと疲れました。

 途中、56億7千万年後の世界に現れ、衆生を救済するという未来仏、「弥勒菩薩」がご本尊の「常楽寺」を参拝しました。
 気が遠くなるような未来ですね。

2011年7月8日金曜日

いやなものを見た・聞いた

 できれば世の中軋轢もなく、平安に暮らしたいというのが、大方の人の人情というものであろう。

 平和な世、協調的な社会、お互いの心の平安。そんな状態が永久に続けばいいのにと願っているが、あの世とやらに理想の「極楽・天国」というのでも作らなければ、現実の人の世ではそんなことあり得ないのかもしれない。

 今日は人のこころの中の嫌な部分を見た。「怒り」である。それもかなり理不尽な怒りである。私は傍観者であったのでその怒りを発した者、向けられた者も客観的に見ることができたが、どう考えても怒りを発した者が理不尽であった。

 直接、自分に関係していることではないとはいえ、これを見聞きしてかなり嫌な気分になり、一日、正直言って落ち込むことになった。

 理不尽な怒りに対してどうこう言うのではない、「怒り」というものを持たざるを得ない人のこころに嫌気がさしてきたのである。

 始まりは些細なこと。ある公共交通機関に乗っていた。途中で乗り込もうとした婦人が自転車を持っていて自転車も一緒にのせてくれないかと云った。旅客用の乗り物だから、運転手が「ハイいいですよ。」という方が問題で、当然、断った。
 単に断ったのでは悪いと思ったのか、「他のお客さんの迷惑になるのでだめです。」といった。

 それで話は終わり出発したが、乗っていた70歳以上と思われるおじいさんが、
 「融通きかせてのせてあげれがいいのに。」 と始めはわりと普通にいっていた。
 運転手が
 「規則ですので。」
 すると、
 わしも昔、運転手していたときはのせてあげた。とか、情をみせて大目に見てやればよかったのにとか、言い始めて、だんだん感情がエスカレート、
 最後は罵詈雑言、名前を言えの、家はどこだ、お決まりの文句、やめさせてやるの、あきれるほどの怒りを見せました。

 運転席にまで詰め寄りましたもの。
 ほとんど一人芝居の状態で、例えれば
 「怒り」がどのような段階を踏んで激発するかの心理学の教科書のような事例でした。
 ご老体ではありましたが、情緒的か神経性のご病気のような気もしました。

 運転手も理不尽な怒りの矛先になって、体が震えてましたが、より理性的であったのか、客商売なので辛抱したのか、
 「なんで、そこまで突っかかるのか?」と一回反論しただけで、黙ってました。

 老人性の病気かもしれないと、無視してもよいのかもしれないが、「怒り」そのものは誰のこころにもきざす。この老人は極端にしても、きざした「怒り」は往々にして独りで大きくなり、外部へ暴発する傾向を持つ。

 「正義のための怒り」といえば理不尽な怒りではなく、許される正当な「怒り」のような気もするが、「怒り」はむけられた人はもちろんのこと、「怒り」に身をまかせた人の「心の荒廃」をもたらす。「怒り」を抱けばどのような人でも「無慈悲」「残酷」の方に大きく針は振れ、制動メカニズムに負担がかかる。精神衛生にも悪い。
 第一、怒る人は、だいたい正義は自分にあると思っている。この点、戦争を仕掛けるものは自分こそ「正義」であると信じているのとよく似ている。
 「正義」を実現するため「戦争」が許される。という論理と「正義」のための「怒り」なら許される。という論理は相似形ではあるまいか。

 「正義」を求め実現するにしても「怒り」を抱かなければならぬものなのだろうか?

 このような質問がむなしくなるほど、「怒り」は人のこころの中に小さな泡のように常に湧いてくる。全く断てた人はいるのだろうか?

 「大きな愛」を持った人や「人を思いやる」気持ちを持った人は「怒り」を抑え、消し去ることもできるのだろう。

 しかし世の中にはなんと「凡夫」の多いことよ!かくいう私もその一人、ふつふつと湧いてくる「怒り」の小さな泡、大体は抑えれるが、抑えられたとしても外部へ漏れ出さないだけで、心はその汚い泡でいっぱいになり、心は暗い迷路にはいり、くるしむ。
 そして、もしかすると何かの拍子に、この爺さんのように「怒り」の泡がかってに巨大になり外へ向かって噴出するかもしれぬ可能性は、常にある。

 「ああ、怒りの湧いて出てくる心の奥のベント(湧き出る穴)そのものを無くせぬものか」

 これは倫理・宗教の一大テーマであり私がやすやすとこうだといえるものではないだろう。

 人生の終着駅に近づいても、悟るには程遠く、凡夫は人や自分に「怒り」を見なければならない。むしろ終着駅に近い人が、このような「暴走老人」として怒りに身をまかせる。
 嫌なものを見た・聞いたといったが、それはまったく自分のこころの中にあるものである。決してひとごとではない。

 若い頃なら嫌なことはすぐ忘れられたが、今はこれ以後の一日を重く、暗いものにする。バスを降りて歩いていると満開のきれいな花をつけた木が目に入った。

 「木槿の花だ。」 と、ふと芭蕉の句を思い出した。

 道の辺(べ)の木槿(むくげ)は馬に喰われけり  (松尾芭蕉・野ざらし紀行より)

嫌なことも、人に根ざす「怒り」も芭蕉さんが見た木槿の花のようにパクリと食べられればいいのに。

2011年7月7日木曜日

川島駅猫駅長子育てをする

 川島駅の待合室のベンチの下に猫駅長の寝床がある。のぞくと顔を上向きにしてピクリとも動かず横になっている。

 「まさか、死んでいるのでは?」

 不安になり、指でチョンチョンと突っつくと体を延ばし、あくびをした。

 「ああ、よかった。」

 えっとぶりだから写真か動画に撮ろうと携帯を出していると、どこからか小ぶりの黒猫がこの駅長猫のところへやってきた。

 少し大きくなった子猫のようだ。数か月前に子を産んでいるから、大きくなって当然だ。
 私が見ているためかかばうように後ろに隠し、ペロペロ舐めてやっている。

 周りを見回したがこの黒い子猫以外に子猫はいないようだ。他はどうしたのだろう。
 なめおわると子猫は母猫の腹に顔をうずめて一緒に横になった。まだ授乳しているのだろうか。

 ベンチの下の薄汚い寝床で子猫に授乳している姿を見ると、なんか哀れになってくる。
 多くの子猫を生んだのだろうがもしかすると生き残ったのはこれ一匹かもしれない。これからもノラ猫生活がつづくだろう、駅に来る人の好意でエサは足りているが、未来は不安だ。

 「この母子の運命、どうなるのだろう。」

 しかし、この母子猫を見ていると屈託がない。健康保険や介護保険、いざとなりゃあ生活保護がある人様よりずっと幸せそうな顔をしてるのはなぜだ!

2011年7月6日水曜日

裁判所へ行こう

 別に悪いことして被告とか、証人とか、はたまた離婚調停裁判とか、そんな刑事、利害関係とは全く関係なく、われわれは裁判所に大手を振っていけるのです。それは

 「裁判傍聴人」

 日本の裁判は「公開」が原則です。どのような人にも公開されているのです。公開裁判は民主主義の基本ルール、みなさん、どんどん傍聴しましょう。

 裁判傍聴といえばなにか、法学部の学生とか、社会見学の生徒のような人たちの学習目的が本来ではないかという気がしますが、全然そんなことないですよ。

 下世話な興味、野次馬根性、人間観察、小説のネタ探し、動機は何でも構いません。静かに行儀よく傍聴しさえすればいいんです。
 途中入室、退出もOK。

 それで、今日裁判所に傍聴に行きました。

 午前11時前だったんですけど、もう刑事裁判の午前の審理は終わってるみたいで見られませんでした。受付にいた人は

 「昼からまた来れば。午後1時半からだよ。」
 
と言ってくれたんですけど、昼からは用事があるので今日はもう傍聴するのはやめました。

 一応、午前の部の刑事事件の案件を言うと、「窃盗」と「覚せい剤取締法違反」でした。男女の痴情のもつれから云々の事件はないかと掲示板を見ましたが今日のところはなかったみたいです。

 受付横で掲示板を見たあと、小法廷室を確認しようと廊下をウロウロしてたら、親切な廷吏(いまどきこんな言葉があるのかなあ)さんがいろいろ教えてくれました。それで、裁判の傍聴はかなり気楽にできることを知りました。裸でなければ服装自由、髪形も色を含めやりたい放題結構。許可証もいらない、出入り自由、もちろん木戸賃もいらない。

 ただ、帽子・被り物は裁判が始まったら脱がねばならない。私がかつらは?と突っ込みを入れるとそれはいいという返事だった。
 それと裁判官が入廷の時は「起立」の礼があるそうで、なんか小中学校の授業を思い出した。

 また説明する人とは別の人がパンフレットをお読みくださいと言って持ってきてくれた。
 下がそれ

 今日は見られなくて残念だった。次回は見逃さないように9時くらいに来ようと思っている。
 傍聴したらまた感想などブログに載せます。

科学的予測もまんざらじゃない

 昨日、午後7時過ぎ衛星放送で「J,F,ケネディー」のシリーズドラマを見ていたら、画面に大きく
 「緊急地震速報」
 が出た。強い揺れに警戒してくださいとある。
 
 それから数秒後、ホントに揺れが来て、少しガタガタいった。

 数秒前でも揺れの予測は予測である。わずかでも事前であれば身構え、あるいは火の始末ぐらいできる。

 今まで緊急地震速報はよくお目にかかったが、このように実際に揺れたのを体験したのは初めてで、しかも事前だったので(これ事後だと、よく、6日のアヤメ。10日の菊。といわれ馬鹿にされるがオチだが)ちょっと感心した。

 「ほ~、科学的予測もまんざらじゃない!」

2011年7月5日火曜日

やまさんの海岸物語

 昨日は(ムシデリー)「蒸し照り」で印度のニューデリーのような耐え難い暑さだったが、今日は湿度が低いのかなあ。日照りはきつく暑いが、陰に入ったり、風に吹かれると(サワデリー)「さわやかな照り」の一日でした。

 きょうは海岸に向かいました。
 ムウビメエカで編集したので見てください。音楽以外は面白くありませんのでそのつもりで。

2011年7月4日月曜日

県庁前ヨットハーバー

ムウビメエカで動画を作りました

新しいタブ「天文・地象」を作りました。見てください。上のページの天文・地象をクリックしてください。

2011年7月3日日曜日

骨の折れること

 連日気温が高く、雨も多い。庭に雑草がはびこるにはもってこいの条件である。
 先週草抜きをしたが今日も庭の半分の草抜きをした。頻繁にやらないと雑草はすぐ大きくなり、根付く。
 腰が悪いので雑草取りは体にこたえる。そのため小さな庭だが一度に除草をやると次の日、痛くて体がひん曲がることになるので、半分づつ日を分けて除草する。

 除草はまったくなんの生産性もない。雑草は食べれるものもあると聞いたが、最近うちに生える雑草はわけのわからない外来種なので食べることなどできないだろう。
 いっそ庭全体を木々で覆えば雑草も隠れるか、生育が妨げられるのでよいのだが、今から木を植えて何十年も待てない。
 20年前に果物の木でも植えておけばよかった。

 花壇でも作ればよいのだがそういうのは性に合っていない。

 子どもの時の思い出で何が嫌って、小中高生の時学校でやらされた「草取り」「花壇の係り」が大嫌いだった。先生は教育活動の一環じゃ、などと屁理屈をおっしゃいましたが、学校は勉強するとこで、なんで、草取りや、花壇の世話をせなあかんのじゃ。と思いましたもの。

 でも自分の家の庭じゃからしゃ~ない。いやいや、しました。
 蚊が出てきてせせるから、暑いのに長袖、靴下をはき、蚊取り線香を炊きながらしました。
 山や海を歩いたり、車窓から眺めたりすれば趣もありますが、除草なんてやっていてもなんの風雅な考えも湧いてこない、ただただ苦役!腰の鈍痛。足の突っ張り、けいれん、ろくなことない。

 私がインドの原始仏教の坊主だったら、たくさん考え出した多くの「地獄」中に「延々と無くならない雑草取りの苦役」をいれますわ。

 いっそのこと中世の隠者や落ちぶれた平安貴族のように八重葎(やえむぐら・雑草の生え放題)の中に暮らすのもよいかなと考えたりする今日この頃です。また「浅茅が宿」(丈の高い茅などが生えた荒れ放題の庭に囲まれた家)という風雅な言い方もあるぞ!
 しかし、これも洗濯とは無縁に暮らせるか、とまえのブログでも書きましたが、世間体もあり、いまのとこは、「ちょっと・・・」

2011年7月2日土曜日

くすしき世界

 今よりずっと目が良かった頃、10代後半から20歳くらいにかけて、夜空を眺め星を眺めたのを思い出す。

 昨日から、ある人の影響で占星術について考えていた。占星術については全く勉強したことがなかったが、若い頃夜空をよく眺めていたのを思い出し、
 「あれはなぜだったんだろう」
と記憶を探っていった。
 一晩中眺めたこともあった。星座表をみながら天空にギリシャ神話の絵を想像した。また、望遠鏡が手に入って惑星などを眺めたこともある。

 40年以上たった今でも「星座」について比較的よく知っているのは、この時星座表を手に実地で夜空を眺め覚えたからである。しかし、別に星座を覚えることが目的ではなかった。

 19、20の頃であるから動機もいまひとつ定かではないが、一つ言えるのは、星々が輝く夜空に魅せられたことである。夜の天空に広がる星を見ているとその悠久さ深遠さに打たれたのは覚えている。

 晩秋の誰もいない深夜の野原に一人ぼっちで夜空を見上げると降るような星空。
 私を中心に天空が広がる。
 ちっぽけなちっぽけな自分に対し、周りを取り囲む天空、宇宙といってもいいだろう、その広大・無限なこと。こせこせした人の営み、その中での悩みなどが馬鹿らしくなってくる。
 よくこころが洗われるというが、本当に心が清くなり、苦悩も無くなっていく気がした。胸が震えるような感動そしてなぜかしら喜びもともに湧いてきた。

 あの時の体験はなんだったんだろう、
 「普段は絶対聴くことのできない天上の音楽を聴いたんだろうか。」
 それとも、プラトン流にいえば
 「魂の故郷のイデアの世界を恋い慕う気持ちのあらわれだったのだろうか。」

 星の世界を思うとき「くすしき」という古語が思い浮かぶ。馴染み薄い古臭い言葉と思われるかもしれないが、小中学校の時必ず歌った歌で「冬の星座」があるが、この詩の中にも「くすしき」が出ているし、同じ中学校の時の歌の「ローレライ」の中にも「くすしき」が入っている。
 「くすしき」、意味は「不思議で、霊妙な」。
 夜空の星々の世界は「くすしき世界」である。

 私は霊感のある人間ではないが、若い時に素晴らしい夜空を見たときの感動は、今から考えると霊感に限りなく近かったんじゃないかと思っている。

 自分があの時もう少し霊感を強く感じていたら、「星の世界が人間界に及ぼす影響」を究めようとその方面の勉強をしたかもしれない。
 すごく魅力のある分野である。それは今でも持ち続けている。

 「星の世界と人間界の関係への興味」はその時以来封印してきた。それ以後、歴史の勉強の興味が続いている。歴史は「人間界の関係のみ」を究めるものともいえるが、ときどき星の世界がかかわってくるというような史料が出てくると、星の世界が人間界に及ぼす影響について、俄然、興味が沸き起こってくる。

 中世史料の中にはその類が多い。多くあり過ぎて例を出すのに迷うが、鎌倉幕府滅亡に関するある星の影響について、ちょっと紹介する。

 「太平記」に「妖霊星」(ようれぼし)というのが出てくる。昔、これを読んだとき強く興味をひかれた。執権北条高時の時、「妖霊星」があらわる。それは兵革が起こり、幕府が滅亡するという予言であり、結果、的中する。
 歴史はあまりその意味を深くは追究しない。まして因果関係についてあれこれ言うことはない。しかし、わたしは、もっと知りたかった。オカルト研究と言われても。しかし史料・文献研究が中心の歴史ではなかなか難しい。

 私は史料を読んでいてその字面にゾクゾクとすることなどまずないがこの「妖霊星」という文字、音読の音、にゾク~ッとした。

 「この妖霊星の正体はなんじゃろ、他にどんな影響があったんじゃろ。もっと知りたい。」

 これも20代のある時期だった。結局これもわからぬまま封印。
 そして夕べから今朝にかけてある人の影響で占星術について考えていてこの史料を思い出した。
 ネットで調べると、なんと、この「妖霊星」の正体についてある説を述べている。

 この人、天文学者か歴史家かはたまた占星術師かどうかわからないが、私は大変勉強になり、昔、疑問だったことがかなり明らかになったのでリンクを張り付けておきますので興味があれば見てください。

http://ch08180.kitaguni.tv/e1659981.html

 ネットってすごいですよね。長年の疑問もキーワードを打ち込めば、真偽はともかく、パシャパシャズラズラと箇条書きに表示されますものね。あ~、20代の時にネットがあったらもっと賢くなってるのに残念。

 そうそう、今日は七曜について意外なことを知りましたがこれについてはまた別の機会に。
 ネットでコメントなどを通じてコミュをとるといろいろな興味を新に刺激され、勉強できますね。感謝です。
 

カウントダウンが始まった

 地上波TVを見るのは7月24日で終わりだなあ。と思っていた。地デジ対応は一切していないから覚悟を決めていた。(DVDの映画や衛星波は見られる)
 ところが、昨日からアナログの画面の四半分もの大きな面積に日数のカウントダウンが表示されるようになった。じゃまになって番組がよく見えない。

 仕方ない、昨日で地上波のTVとはおさらばした。だから昨日はずっとTVは切ったままだった。考えれば、まるで時計代わりに無駄にテレビをつけっぱなしていた。

 省エネ以外にもいいことがある。本を今までよりよく読めるようになったことである。今朝はTVの代わりにラヂヲを流している。

 本、パソコン、たまにDVDの映画、これから家での余暇の過ごし方になるだろう。

 勉強もしたいが若い人のように集中力・理解力はない。ゆっくりとやる以外にない。とりあえず言語学の一分野の語源学の簡単な本でも読んでお勉強しようと思っている。

 はやく新しい変化に慣れねばと思う。

2011年7月1日金曜日

スローロックにいきたいね

 映画を見るにつれて15年も前に読んでほとんど忘れていた小説も蘇ってきた。
 この映画、小説を読んでいなければよくわからない映画になるのではないかという気がする。
 もし小説を読まずに見ようと思ってる人は、一度読んでからにされた方がいいと思います。

 主人公は死なないんだが、身近な友、その恋人だった人で自分にとっても大切な女性の自殺、2人の自殺が大きなテーマである。
 二人の自殺の間には数年の間隔がある。恋人に自殺された女性は強度の神経症に罹り、自然豊かな山の中にある開放的な療養所に入院している。その女性もやがて自殺の道を選ぶ。

 青少年期のまだ柔らかく脆い「自我」、「神経症」それと「自殺」、その3つのキーワードは青年期を考えるとき私の中で強烈な光を放っている。

 みんなはそんな危うい、例えれば、滑りやすい一本の丸木橋、あるいは崖に懸垂されるようにさしかけられた数十センチの狭い桟道を通って大人になるものなのか。
 何かの拍子に足を滑らし奈落へ落ちるものなのだろうか。

 確かに青年期の自殺は多く、推定される理由も生活苦や病苦ではないため、その意味について深く考えさせられる。
 明治期に華厳の滝で自殺した藤村某(旧制高校生)などは人間の存在そのものの苦悩の果て、いわば実存哲学の深奥に達した故の自殺であるような気がする(遺書はあるが解釈は人それぞれ、まさかとは思うが衒ったものという見方もある、フリか)

 しかし、わたしは振り返ってみると、そのような危うい道をかろうじて通過して大人になったという感慨はない。
 大多数の大人はそうだろうか。わからない。

 身近に自殺した人間はいる。高校3年の時の同クラスの男子生徒である(といってもこのクラス男子ばかりしかいなかった)。陽気な奴で、よく友達とキックボクシングをしていた。
 一浪して某国立大学の医学部に入学した。そして1~2年たったころに自殺した。詳しい理由はわからない。
 顔見知りくらいで他にも自殺した青年も何人かしっている。
 外見上、みんな陽気な感じだった。それだけに一層、なぜ、という不可解さが心に刻まれた。そしてなぜかみんな勉強もよくできて、話し上手で、頭の回転も速かった。

 馬鹿な私は、

 「自殺についても考えない自分は頭もよくないんだ。青年期の苦悩もないんだ。したがって高級な人間じゃないんだ。ここは自殺について深く考えるべきだ。」

 と考えたりもした。今から考えると単純すぎて可笑しい。でも、自殺を考えることはおしゃれなんだ。というような傾向が青少年にあることも否定はできない。
 それが嵩じてほんとに自殺したら、正真正銘の馬鹿になる。

 そう考えるとこの「ノルゥエイの森」の小説、世界的な大ベストセラーになってるが、そのようなおバカな青年の自殺を助長すまいかと心配になるが、ま、私のような馬鹿はそうそういないから安心してもよいのかもしれない。

 「ノルゥエイの森」の小説は87年に発売されたが、実はこの「ノルゥエイの森」という言葉はその10年ほど前から知っていた。
 20代の時、エレクトーンを習っていて、ビートルズのこの「ノルゥエイの森」を弾いた。大好きでよく弾いた。
 メロディーが中世あるいはジプシー的な感じがちょっとするし、エレクトーンではスローロックのリズムにのせたのもよかった。
 スローロック、4拍の三連符で、二拍目の三連符の最後の♪にエレクトーンの足ベースでビートを効かせたのを思い出す。

 劇的でもなく、そう深刻にも悩まず、ちょうどスローロックのようにゆったり生きて天寿をまっとうしたいね。



 

今日から7月

 零時をまわり7月になった。最近、ブログが長くなり、投稿も増えた。体調や精神状態が良いのではなく逆で、ブログに逃避するのはよくないと反省している。

 今月からは長さも、投稿数もほどほどにしようと思っている。先月は54も投稿してる。
 
 「異常じゃ~」 ((+_+))