2022年6月5日日曜日

梅雨はまだかな

  正午頃までなんとかもったがジトジト小雨が降り出した。いま四時すぎ、小雨よりはやや強い雨が降っている。いよいよこの雨で梅雨入りか?と今ネットで見てみたがまだ四国地方の「梅雨入り」の速報はない。一週間の予報を見てみると明日は雨もよいの天気だがまた火曜日からは太陽マークが数日続くようだ。まだ梅雨入りはやいのかな、四国地方の例年の梅雨入りは6月5日まさに今日だが。

 雨の中、あじさいも冴えてきた。昔は田んぼばかりでなくこの季節、花壇や路地のあじさいにもアマガエルなどをよく見つけたものだが、最近、アマガエルは見ない。専門家が言っていたのを聞いたよ~なおぼえがあるが、カエルも含めた両生類は絶滅の危機に瀕しているらしい、ホンマかいな。


 
 上は我が町(鴨島の)飲み屋街の路地のあじさいである。昭和の御代には県中央部の中心町として飲み屋も多く、幾通りかの飲み屋街もあった。しかしバブル崩壊以後、平成の年を重ねるに従い、一軒二軒と次々に飲み屋が消えていき、令和になってコロナもあり益々寂れた。今はもう「かっての飲み屋街」とまるで歴史的遺跡のような説明を加えなければならないのも寂しいものである。かろうじて残っている赤提灯がそぼ降る雨に濡れるのは、まるで演歌の世界、演歌は身の不幸を嘆く歌が多かったが、その演歌が聞こえてきた飲み屋街も演歌も今やカエルのように絶滅危惧種である。
 寂れた飲み屋街を突き切り右へ曲がってちょっと行くと新築になった鴨島駅前ロータリーである。雨の駅ロータリーを写真に撮った。

 ここで数日前(6月1日のブログ)で紹介した昭和30年の駅前広場新築オープン記念式の古い写真を思い出した。今は令和4年であるから67年前である。ずいぶん変わっているだろうなぁ、と比較すると、な、な、なんと!古ぼけた黒いビルと、外装を塗り替えてはいるがもう一軒駅前ビルが幾星霜経てまだ残っとうわ、驚き!(赤の矢印がそのビル)

2022年6月3日金曜日

6月3日雑感


 今日は消化器科の予約診療日、もう3ヶ月も前にピロリ菌除去プログラムを受けたが(一週間の抗生剤の投与)ようやく今日除去できたかどうかの検査日なのである。ずいぶん間が開いているが、抗体価が下がるのにこれくらいの期間を要するとか医師から説明をうけたがよくわからない。それなら採血で血液検査かとおもったが、15分の間隔を置いて肺からの呼気を2回とるだけの検査のみである。半時間ほどで結果が出て陰性になっているとのこと。これでピロリ菌除去は終わった。後は胃のもたれ、胃重の不調が残ったのであるが、こちらは当分の間の投薬治療、よくなれば薬の量を加減してもいいし、打ち切ってもいいと言うことで、ガスター10(これってテレビの宣伝で聞いた薬じゃ)と漢方薬「六君子湯」を2ヶ月分ももらった。医師から見て私の胃は悪化の兆候はないみたいで、市販薬風の薬と漢方薬多量、嵩張る薬袋を手にして家に帰った。

 図書館の社会人席のブースで読書をしていると後ろの席にいるリクルートスーツを着た若い女性がパソコンを広げ何か作業をしているのか、紙やビニル類を擦るようなガサゴソと耳に立つ音が聞こえる。一時的に鞄からノートか何か書類を取り出しているのかと思った。まぁそれくらいの音は誰にもあることなので、とおもっていたが、そのガサゴソが止まずずっと続く、10分ほどは我慢したが、さすが長すぎので「ガサゴソの音が長く続いています、止まないので気になります、少し静かにしてくれませんか」と後ろに向いて言った。が、完全無視、何も返ってこない、ふりむきさえしない。こうゆう若い娘の反応ってジジイは困る。いっそ「いえ音は押さえています」と反抗でもしてくれる方がまだいい。すみません、の一言くらいあってもよいがともおもうが無視、でも聞こえてはいる、その証拠にそれを境に音も小さくなり回数もへった。

 最近は若い女性にジジイが注意すると無視するのが習いなのか、それともこの女性が特別なのか。あるやはりジジイの年齢に入るエッセイストが書いていたが、女性に列車内で公共道徳に関することで注意したところ、「はぁ?」と右上がりのイントネーションで返され、何度か「はぁ?」の同じリアクションが返される。結局「はぁ?」以上のコミュニケーションができなかったそうだ、このエッセイストは人格者なのでコミュができないと嘆息気味で書いていたが、私なら小馬鹿にされたように怒りを感じるだろう。

 これをお読みの爺さん方、若い女性に公徳心に関する小言はやむにやまれずとはいえ控え、がまんするほうがええとおもいますか?やっぱ我慢するのがええんでしょうなぁ、孫のような女性からの無視だの「はぁ?」だのは、それでなくともひがみっぽいジジイには精神的にもよ~ありませんわ。いわずもがなのことだったんでしょうな。(「こら、ジジイ、おのれはヤクザみたいなんがワイのようなことしよってもよ~注意するんか!えぇ~、こぅらぁ~」とこの娘にいわれると、答えに窮す、やっぱ、そう返されることもあるとすると、万人にたいし、いらんことはいわんこっちゃな、70すぎて学習せにゃな。)

 ユーラシア史を勉強しているが定番通り、古代から現代に至る時代を下りてきて勉強している、いまちょうど話題のロシア史でロマノフ朝が終わり、ロシア革命の経緯、そして共産党一党独裁からスターリンに進んでいる。この2,3日かけて読んだのが左の本、まぁ胸が悪くなるような大量虐殺をこの男一人が原因となって引き起こしたのである。彼のために死んだロシア人だけでも少なくとも1000万人はくだらないと言われている。

 この本の著者も書いているが「ジェノサイド」はある民族、人種、宗教に狙いを定めた抹殺であるから、ヒットラーのユダヤに対する処置は完全なジェノサイトだが、スターリンの大虐殺はそれを上回るものではあっても、定義から(特定の民族、宗教、人種の狙い撃ち)いうと疑問はある。しかしそれでもソ連国内の虐殺を著者はスターリンのジェノサイドと認定している。ロシア革命史を詳しく勉強してわかったことだが、高校や大学の一般教養の世界史だとスターリンの虐殺は反対派の大量虐殺(多くの濡れ衣を含む)、一応「粛正」などときれい言葉で飾ってはいるが、そのような処刑が中心だと思わせる記述が多い(ワイもそうだった)、ところが彼のひどいところはそんな反対派の虐殺も小さく見えるほどの恐ろしい大虐殺を行ったのである。それは農民の虐殺である。スターリンは全国の農業の集団化を進めるため、無理としか言いようのないレッテル張りで小農経営や自作農を「富農」(グラーク)と決めつけ、ある地方では村の住民根こそぎ、全土に平均しても1~2割以上の富農を、銃殺または矯正収容所にぶち込んだ、よくて強制移住(それもシベリア、極北など生存の難しい地方)、これだけでも結果的に1000万の死者は出ているだろう。

 上記でよくて強制移住とあるが、その実態は、ほぼ不毛の地、極北に食料、農具、そのほかの生活用具なしに放り込まれるのである。冬を越せば春を待たず死亡率はほぼ100パーセントに近い、いくら何でもそりゃあるまいとおもうが、同じく読んだ左の本にはまさにそのような全滅必至の、反体制とレッテルを貼られた人々の強制移住の話である。

 『1933年早春、シベリアのオビ川に浮かぶナジノ島へ、モスクワとレニングラードから6000人が着のみ着のまま移送・遺棄され、そこで起きた事件だった。』

 この書名「共食いの島」は比喩ではなくギリギリの飢餓状態に置かれ人肉嗜食も行ったことから来ている。

 そもそも国の命名にもなっている「ソビエト」は労働者+農民の評議会がルーツである。当然共産党のイデオロギーから言っても労働者とともに農民も国の主体でなければならない。それなのにスターリンは工業化を急ぐあまり農民を犠牲にする。前記のように富農は撲滅され農業の集団化が完成した後、スターリンは農業を犠牲にして工業化に邁進する(第一次五カ年計画)、工業の資材、資金を得るため農民に過度の穀物の強制供出を押しつけ(西側に輸出して資金、機械類を手に入れる)、農民の糧食どころか次年度の種籾までも召し上げたのである。これを「飢餓輸出」という(こんな言葉があったんや)、結局、ウクライナを中心に本来豊かな穀倉地帯であるはずの南ロシアで数百万~からこれまた1000万人以上が餓死したのである。

 これについては小難しい上記の本を読むより左のDVDをツタヤで借りて見れば百聞は一見にしかずでよくわかります。ここでもやはり人肉嗜食がでてきます。オカルトやホラーではなく現実に1930年代ロシアで起こった事実です。日本でも戦前、小作は虐げられ苦労し、また昭和初期は東北の飢饉で娘の身売りが多く行われたと言いますが、ここまでのことはさすが日本ではないです。独裁者が独善に陥ったかあるいはこれも権力確立の手段の一つかもわかりませんが、反対派をほぼ一掃した尽くした独裁者の誤った政策は、誰もただすものがないだけにその被害は大きいものがあります。もうスターリン一人の責任に帰されてもいいと思います。

 ヒトラー、スターリン、毛沢東、は多くの人を、彼らが原因で(というのももし彼らが違った政策をとっていれば死ななくてすんだという意味で、これでいかに独裁者が恐ろしいものかわかります)死なせました。ヒトラーはユダヤ人600万人、スターリンは反対派、農民そのほか諸々で1000万以上、毛沢東はもっと多いと言われています。そのほぼ全員は死なねばならぬような罪は犯していないのです。

 梅雨入りはもうすぐかな?晴れた日が続いています。今日は布団を干しました。梅雨入り頃あまい実がなるビワの木を見ると、お。もう食べられそうじゃが。よそんちのビワじゃからとっては食べれんが。

2022年6月1日水曜日

文化の森・文書館の町場の古写真展示会

  文書館で「町場の古写真」の展示会をやっていたので見学した。

 徳島全域の市町村の大正から昭和にかけての古写真が展示されていたが、わが鴨島町からは駅前広場完成記念式典の写真が展示されていた。昭和30年代とある。


 他にも鴨島町の展示がもう一点あったが、こちらは「鴨島大菊人形」の入場口付近、小学校低学年の時この前でうろうろしてなんとか隙あらばただで入ってやろうとしたものである。それはなぜかよく成功して無事に入れた。私の子供の頃の家はこの写真の前の道、右50m位のところのホン近くで切符のもぎりのおっさんもワイのことをよく知っていて、大目に見てくれたからだろうと思う。


 ここは広い敷地にパビリオンのような臨時のブースがいくつもありそこで菊人形展をやっていて回遊しながら見るのである。しかし入り口を入ったすぐ正面は有楽座という芝居小屋があり、菊人形期間中、ドサ回り劇団がお芝居をやっていた。ほかにも舞台では今から考えると非常に珍しい「連鎖劇」(映画と芝居がコラボした一連の演劇)もやっていた。下は別の資料から引用したその劇場正面である。(しかし昭和35年大火で焼失して以後このような大きな規模の菊人形はもう過去のものとなった)


 町場の古写真展というだけに、ワイのチンマイときの町のロウジ(路地)の写真があり懐かしさでしばらく見入った。

 夏、5円玉を握りしめ、カランカランという鐘の音をならし売り歩くアイスキャンディを買いに走った。


 ゴム跳び遊び、女の子はこんな遊びをよくしていたなぁ、男の子といえばベェゴマ、メンコなんどやっていた。ワイはどちらもまるっきりのヘタクソで、そういえばチンマイ時からなにするでもなくウロウロしていたような気がする。(いまもそうだわ!)



 キャプションに「憧れのヤングマリン」とある。たしかにあこがれの・・だったわ、成人を迎える頃、ワイもかなりサカリがついてきたが、田舎者でブサメン、かつ銭のないオイラ、もてるはずもない。でもビンボー学生にも夏休はくる、太陽、海、恋、などはこの当時の青春の輝かしいキーワード、だがそんなもんワイには全然関係ごわへなんだわ、せめてヤング(な)マリンでそれらしい青春をちょろっと舐(ねぶ)りたいと、同じような立場のあわれな友人をさそい行ったもんだわ。内実はギャルに声をかけるどころか、小学生の子供と同じように流れるプールで単純にウキウキしながら水遊びしただけじゃったわ、まったくトホホな青春じゃわ。

2022年5月31日火曜日

徳新の記事から

  一昨日の新聞に阿南で竹下景子さんの童話朗読会があったとの記事が載っていた。主題は「あらしのよるに」これ、ワイが40代の時にこの童話がでて世にもてはやされていたので読んだ覚えがある。中年になっていても結構いい童話だな、と思ったのを覚えている。ただこのときは1話のみで完結だったが、ずいぶんと人気が上がり続編も切望されたためか2、3~となんと7話までできてしまった。

 それでちょっとその続きはどうなっているのだろうと、今70歳を超えた爺になってオリジナルの1話とその続きの2~7話まで読んでみた。40代の1話を読んだときとは違う感想を持ったので、そのことを昨日友人に話したその内容に基づいて以下のワイの粗略な感想を書いておきます。(ガブは狼、メイは羊の、二匹のあり得ないような友情を描いた作品)

 『最後悲劇的な結末かとちょっと憂鬱になったが、なんと!オオカミのガブは大雪崩に遭って助かるが、そのかわり記憶喪失って・・ちょっと待てい!、三昔前の韓国ドラマかと突っ込みを入れとうなったわ。この7話のはなしは、全体的にはよくできた作品だが、その(7話)部分は不自然すぎる。二人の取り決めた合い言葉で思い出し記憶喪失は霧消するが、なんやらやっぱ韓国ドラマ風の感じがする。7話まで二人の友情はこれでもかという具合に繰り返されちょっとうんざり感も漂うから、それに対し緊張した山場を作るためか、ここで危機を持ってきたのかもしれない。7話まで話を延ばせばどうも新鮮味がないというか安易に危機を作りすぎるような気がする。

 結局、私が読んだ一話が一番よくできた作品だと思う。それにしてもこの童話・というからには子供向けだろうが、一体何歳が対象だろう。これかなり深読みができる作品だから、作品にちりばめられている何かの象徴を読み取るとすれば、子供向けと言うより、大人向けであっても不思議ではない。

 その隠れた象徴だが、第一話で闇の中で、チョンチョンと手を触れあうところなどは、初めての「愛撫」ととれないこともない。またガブとメイの性ははっきり出てこないがこれ両方オスである。嵐の一夜、天地を引き裂くような雷の中、二匹の言動を見てみると、友情の芽生えともとれるが「同性愛の一夜」ともとれないことはない。

 禁断の友情、というのはあまり例を知らない、禁断の愛、というのはテーマとしてはよくある。ロミオとジュリエッタのように敵同士の異性愛もあるが、その場合、少なくとも同族は二人の結びつきには反対しても、いざとなって相手から狙われれば匿い保護するだろう。同族からも完全に排除され、天地に二人の身の置き所がないと言うことは、キリスト教圏の同性愛のようだ、

 それなら、ガブがメイを食べるのを、友情のため我慢するのはどういう位置づけか、というとこれは男同士の肉の交わりを意味し、そうならないよう純血でプラトニックな愛に昇華させようとする努力や苦悩の象徴とも見ることができる。

 一話の最後は太陽がでて、果たしてこの二人の行く末は、太陽でも知らない、という終わり方。そして7話の最後は、まぁるいお月様が出て、それが二人のシルエットを浮かび上がらせる、これは単なる友情の耽美というには濃厚すぎる。

 で、私は象徴としてプラトニックな男同士の愛、と見たわけだが、実際そのような分析も評論家にはあるのだろうか、私は知らないが私独特のいびつな解釈ではなくかなりそのような読み方はできる気がする。

 でも、もしかすると、昔、母を亡くした小猿が、里に下りてきて飼い犬の背中にしがみつき離さなくなった。どこへ行くにもしっっかり背中にしがみついている。犬も嫌がることなくむしろ、小猿が離れたら、近寄って背に乗せる、というような動物の行動をテレビで見たことがある。犬猿の仲と言われるがこんなこともあるのかと思った、作者も、禁断の愛云々、というより案外このようなニュースを見てヒントをえたのかしれん。

 歳ぃ行くと何でも単純に考えずひねくれた見方をするもんじゃわ。

 あ!それと、ガブは山羊を食べずに生きていけるのか、という疑問にはちゃんと、隠れて小動物(ウサギや鳥)を食べるのが出てくる。これも単純な童話ではなく、生き物は他の生き物の命を食べて生きるという、生物の宿命が象徴されている気がする。ただし、これも幼児向けの話ではない。があえて入れている。』

2022年5月25日水曜日

徳島城公園のバラ園

  今日の徳島新聞の花だよりはお城のバラ園だった。昼飯を市役所の食堂で喰ったあとロビーで新聞を広げているとその掲載写真が目に入った。お城のバラ園ならこっからじゃとすぐ近くじゃ、行ってみよう、と出かけた。

 このバラ園はたくさんの種類を植えていてほとんど四季を通してバラの花がみられるが、やはりバラは元々の原種がそうであるように5月が盛りである。まえにこの横を通ったときはまだ寒かったからかバラの花の数もそう多くはなかったことを記憶しているが、今日は数といい色といい大きさといいド派手に咲きまくっている。



 いっちょうバラらしいのはやはり深紅のバラである。写真ではちょっとわかりにくいが自然にみた感じではその深紅の花びらはまるで天鵞絨(びろーど)のよう。お!この「天鵞絨」ってなんか漢字がカッコいい。そういやバラもバラっちゅうより、「そうび・薔薇」と呼び、漢字で書いた方が俄然かっこいい。バラっちゅう呼び名、外国由来っぽいけど、イバラから来ているのだ。赤いバラの花言葉は「愛や美」なので深紅のバラは恋人に送ったりするとよろこばれる。ま、ジジイには関係ないか。


 バラはもともと原種から品種改良されていろいろな種類ができた。花弁の色は赤~ピンクが主だったが、長年にわたる品種改良の努力の結果、黄色いバラも誕生した(18世紀頃といわれる)。ここの花壇にも美しい黄色いバラがある。そうそう来月の第三日曜(6月19日)は父の日ですね。母の日の花はカーネーションっちゅうのはみんな知ってますね(ワイらが小学校の時、母の日に造花のカーネィション買わされたわ!)。じゃぁ父の日の花は?母の日と違いごく近年に知られるようになったから、カーネーションほど一般化していないが、おおむね黄色い花が選ばれるそうで、その中で黄色いバラが一番人気だそうです。これも子泣き爺には関係ないか、ショボン。



 白薔薇もありまっせ!

2022年5月24日火曜日

オロシャその4 平均寿命 え!そんなに短いの

  前のブログで紹介した週刊誌に(ニューズウィーク)にロシア人の男性の平均寿命が載っていた。驚くなかれ66.92歳である。日本人男性の平均寿命と比べると約15歳も短い。日本では法的に満65歳から(前期)高齢者、75歳から後期高齢者と呼ばれている。ロシアでは高齢者になるまでに大方の人は人生を終えてしまうことになる。ただし女性の平均寿命は78.3歳である。世界各国の平均と比べてそう低いわけではない。男性のみが短いのである。

 なぜだろうかと考える。週刊誌にその大きな原因の一つが載っている。寒い国なので度数の高い酒で体を内部から温めるようとするのだろうが、酒の飲み過ぎによる影響で死期が早まるのである。そんなに誰も彼も大酒を飲むのかと疑問だが、どうも誰も彼もが大酒ないし度数の濃い酒を飲んで中年以降内臓を壊す人が続出するとのことである。そういえば日本にまで聞こえてくるニュースとして酒がないため代わりに工業用アルコールを飲んで何人もが中毒したとか、さらには化粧品、溶剤、化学薬品などに入っているアルコールを抽出して飲んで、これまた中毒になるという。なんとおバカな、と思うが、アル中体質で理性までぶっ飛んだ人が多いのだろうと推測する。

 65歳になるまでに大方の男性が死亡すると言うことは、相対的に若い人の比率が多くなる。老人が多すぎる日本社会からすると一見うらやましい社会に見えるが、自分に当てはめて考えると高齢者になるやならずで死ぬのはいやだろう。年金なんかももらえずに死んでしまう確率が高い。それなら酒なんか控えればよいと思うのだが、ロシアでは飲まずにいられない事情もあるのだろう。飲まない私はそのような心情は理解できないが、やけのやんぱち、憂さを晴らす、いやなことを忘れる、ために飲むというのはよく聞く。ロシアもそうなのだろうか、むしろ体質的に飲酒が常習化しているほうが多い気がする。

 ロシアの平均寿命の短さが生きとし生けるものに対する慈悲(愛)を深めるものとして作用すればよいが、どうせみんな最後には死ぬんだ、と妙な悟りを啓き、(ウクライナ戦争の結果ますますロシア社会が悲惨になれば)こうなりゃ核兵器でみんな一緒に仲良く昇天しましょうなんどと言うことにはまさかなるまいな。

オロシャその3 今週発売のある週刊誌からロシャの国民性をみる

  ユーラシア史(北方民族から見た中国史も含む)そしてそれから発展してロシア史を勉強していると、ユーラシアの大国、中国とロシアの、「国柄」が見えてくる。では学習した結果、その歴史的な国柄とはどんなものかについて(ブログでの)私なりの説明を考えていると、今週発売の『ニューズウィーク 日本語版』にまさにそのとおり、うんうんと納得できるロシアの国民性について、かなりまとめて簡潔に説明がされていた。私が思うことを代弁してくれているようなものである。

 左の雑誌が今週号発売のニューズウィークである。タイトルに「歴史で読み解くロシア超入門」とある。歴史からみてなぜロシア人(現今のロシアの国際的な対応を見ていると西側諸国からは?がつくような国民性)は独特の心性をもっているのかが簡単に読み解けるようになっている。

 図書館でそのタイトルの主題に魅せられて本をとって一瞥したとき、その表紙の絵が何なのかすぐ分かった。16世紀にモスクワ大公国にその身分を置くコサック兵の一団がウラル山脈を越えて、シベリアの(モンゴル系のシビルハン国に戦いを挑み勝利を挙げ、シベリア領有の端緒を開いた戦闘を後の画家がそのエポックメーキングを記念した描いた絵画である。

読む前にそれを見て思ったことだが、もともと現代のロシアの起源はキエフ・ルーシにある。約1100年ほど昔である。それから中心は東に移り、モスクワ公国が有力になり、15~16世紀にはイワン3・4世が現れ、完全にモンゴル帝国のくびきを脱し、逆にユーラシアの東方に向かって膨張していくのである。その打ち立てとなる記念する戦いが上記の絵なのである。16世紀からヨーロッパ諸国は海外に植民地を領有し領土を広げてきた。しかし今はどうだ?ほとんどの植民地は独立し、現在のヨーロッパ諸国は本来の領土の広さになった。

 ところがロシアだけは違う。地続きで植民帝国を広げていったため、それを見る我々はあまり自覚はないが、ロシアは16世紀以来の領土の膨張を求めて広がる「帝国」であった。上記の絵に見えるように火器で武装し軍事的優位により広大な東の領土、シベリアから満州北方、沿海州にかけて植民地をして支配したが、現在になってもその広大な植民地を領有している国なのである。イギリスもフランスも前世紀の中頃まではあった広大な植民地はほぼ手放し、本来の国の形になっている。これは何度かの大戦を経て植民地の民族の独立の動きが強まったためもあるが、ヨーロッパ諸国の内的変化も見逃せない。広範でより深化した民主化、人権尊重、異民族に対する平等意識、などが高まり、20世紀後半になると旧来のような帝国主義時代の植民地領有は本国政治の上からでも妥当とはみなされなくなったことが大きい。しかしロシアはいまだに16~19世紀にかけて他民族の上にのしかかり領有した広大な領土をいまだに引きずって今日に至っているのである。(ソ連も20世紀の最後の10年になって連邦が崩壊し、中央アジアの南方のイスラム教徒の多い地方や、ヨーロッパの影響の大きい西側の自治共和国、コーカサス諸国などの一部は独立したが依然ウラル以東から太平洋までの広大な領土はそのままである)

 このように、ロシャはいまだにある面では旧帝国としての「体」(てい)・国体といったほうがいいか、をひこずっているのじゃないかと、まず読む前にこのシベリア制服の表紙の絵を見ながら思った次第である。膨張し一ミリでも領土を獲得することを使命とした帝国主義は第一次世界大戦直前ピークを迎えた。その時点で多くの帝国が存在した。しかし第一次世界大戦でドイツ帝国、オーストラリア帝国が崩壊し解体された。そして第二次世界大戦が終わると大日本帝国も崩壊解体され、最大の帝国であった大英帝国もインド独立とともに帝国としては実質終わり、第二次大戦後もまだ多くの植民地を有したフランスもやがて多くの植民地が独立しフランス本来の大きさになった。

 ロシアはどうか、確かに1917年の二度の革命により帝国はなくなったが、帝国の領土、特にウラル以東のユーラシアはそっくりそのままソビエト連邦に引き継がれている。上記に述べた植民地帝国はそれが解体されると同時に植民地も放棄(多くは独立した)されたのに比べるとロシアは旧帝国の大きな図体をそのまま引き継いでいるのである。ロシア以外の旧帝国諸国はその植民地のほとんどが海外領土(つまり海によって隔てられていた)であったが、ロシアはどこまでも(植民地は)地続きであった。これがよかったのかどうか、地続きであるため植民地領有しているという意識が薄くなる、そのことは21世紀まで広大な旧帝国領を維持するのに有利に働いたかもしれないが、ロシアは多くの民族を含む世界一の広さの領土を統治しなければならない、その場合、植民地という贅肉を落としこじんまりした本来の国の大きさになった英国、フランス、ドイツ、そして日本のように民主的で分権的な統治がロシアにできるか、と問えばこれはどうも不利に働くのじゃないかと思ってしまう。

 そのように考えながらこの本を読むと、やっぱりだ!私の予想したようなロシアの国体、社会、国民性が記述されて説明されている。興味がある方は読んでもらうのが一番良いとして、その概略を知るためにあえて紹介するとすると、その論文の文節の見出しに注目したい。

①力でしか治められない悲劇、中世のモンゴルの支配、そして近世になっても長く続く農奴制を基本としたツァーリ(聖俗両権を持つ専制皇帝)制、そしてそれが倒れても続く共産党の一党支配と権力集中、それらが世界一広大な領土を治めるのである。上から力による統治が基本になるのは自然である。それをロシアの悲劇と呼んでいる。

②他民族の大帝国と権威主義、上記①を別の側面からみたものでほぼ同じことを言っている。

③民主主義は混乱を招くだけ、西ヨーロッパ、少し遅れてドイツも立憲制に基づく議会制度が確立する。ところがロシアはなんと日本より(憲法、議会制度は1889年)遅れて20世紀に入り日露戦争の敗北後ようやく立憲政治・議会開設を行う、日欧に比べるとかなり遅れている。そして始まった立憲政治・議会政治も結局は皇帝の専制的な権力に圧倒されてしまい根付かない。1917年の二月革命で皇帝は廃され民主的な議会制度に基づく政治が定着することを期待されたがレーニンは自らの権力奪取に強い意志を持ち、兵士農民の支持をもとに結局は10月革命でボルシェビキへの権力集中、その実共産党の独裁的政体となる。なんどか民主主義的な制度改革の機会はあったがいずれも失敗し根付かなかった。さらに20世紀末ソ連の崩壊により民主的な制度・政府ができるかと期待したが、結局はプーチンが大衆の圧倒的支持のもと、今の権威主義・専制的な統治になってしまった。結局、「ロシアでは民主主義は根付かない」ということが何度も繰り返され、民主主義は根付かないのではないかと懐疑的な見方がされるようになった。

 そしてなぜそのようになるかもこの論文は分析している。詳しい説明は省いて要点だけを箇条書きにすると

④「個」がなければ「全体主義」になる

⑤遅れた経済が「権威主義」を生む

そして世界初の「共産革命」を起こしながら、なぜマルクスの理想としたような社会に進まず、(マルクスが生きていてこれを見れば仰天するような)ゆがんだソビエト連邦が誕生しのか、を考えるうえで次の指摘は重要である。

⑥ロシア革命はインテリによる(上記に示したように大衆の文盲率は高かった)革命運動(ボルシェビキ独裁)だったこと

⑦上からの農業集団化により、共産主義で農奴制に逆戻り、というような皮肉が見られたこと。

 ロシアの国民性をかたちづくる上で重要なのは③、④、⑤であろうと思われる。31年前にソ連が崩壊し、西洋型の議会民主制度を採用したが、経済的社会的に混乱し、結局(選挙を通して)大衆が望んだのは権威主義・専制的なプーチン大統領であった。まさに③の失望があったのである。④も長く続く皇帝専制、共産党独裁、となじんできた大衆は自然と「個」を出さずに全体に自分を順応させるのが習性のようになったのではないか。そして⑤は並んで貧富の格差拡大ということも付け加えなければならない。ロシアは世界最大の領土を持つ国でありながらそのGDPは韓国と同程度であるという。これらの③、④、⑤が相まって今日のロシアの国民性を生んでいるのであろう。