2011年5月20日金曜日

小松海岸

前日のつづき
 堤防は土を積み上げてつくられているので、両側の斜面は初夏の草花で覆われている。種類の多いのは禾本科(イネ科)の植物である。丈高く、風になびいているのはカラスムギである。
 
 少し穂が黄色くなってきている。麦の一種だが野生のため食糧にできるわけではない。栽培種の大麦小麦も黄色くなりそろそろ刈取りの季節を迎えるころだ。麦類は野生のカラスムギを含め5~6月上旬に実りを迎えるようだ。

 自転車で風を切って障害物のない堤防上の道を疾走する。真東の追い風も力を貸してくれる。空気も澄み、正午過ぎだがすがすがしい。

 「麦秋」という言葉が思い浮かんだ。麦の秋。堤防上に広がるカラスムギの実りを見ながら、

 「今日のような日のことを言うなかなあ。」

 ところどころに色を添える野生の花が咲いている。ひときわ大きく目立つ花は
 
 「鬼アザミ」
 
 バラは茎だけだからまだ可愛げがある。こいつは葉っぱにも針のような「棘」(とげ)がたくさんある。
 美しいと思って、不用意に摘もうとでもしたなら、
 
 「血もぶれになるのは確実!」
  風に吹かれて生きよと死のと
いらぬお世話さ放っときな
触れりゃ、傷つく
鬼アザミ
蜜を吸うのは蝶のみさ
 大橋を渡るあたりから風の抵抗が強くなる。北岸にわたり堤防上を東進すると風はさっきとは違い向かい風になる。
 倍以上のエネルギーを使ったのではないだろうか。
 ようやく北岸の河口突端に着く。
 ここから小松海岸の松林が広がっている。
 ここから海岸はカクッと直角に北へ曲がる。松林に沿って堤防上を北上する。
 と、松林の中に2件のホテルが並んでいる。
 「ご休息〇〇千円。」というあれ。
 江戸時代だと「出会茶屋」。

 「松林の中になんと風流な。松風を聞きながら褥でねんごろに言葉を交わし、しんしんと更けた夜半には波音も枕のそばまで押し寄せるだろう。たまの逢瀬を嘆く女君をしっかり抱きしめ、涙を見せぬよううち臥したため乱れた黒髪を撫でてやりつつ、窓の外をみると・・・」

 「月など出ていたら最高じゃな。」

 「二人はまるで源氏物語の光君と明石の上じゃ。」

 「後朝の別れに和歌でもやり取りしたら最高じゃなぁ」

 なんどと妄想をたくましくしていたら、昼日中から、車で乗り付け、中に入って行った。
 これじゃあ源氏物語の「須磨・明石の巻」にならんだろ。明るいうちから、桃色遊戯か!
 しばらく松林に沿っていくと広い砂浜海岸が見えてきた。
 平日だけどマリンスポーツを楽しんでいる。サーフヨットや・・・
  これはなんというのでしょう。大凧にサーフボードを引っ張らせているのもあった。
 海浜には里山や野原とは形の違った植物が自生している。
 次の花が咲いてるのはなんという植物か正式な名前は知らないが、たぶんセリ科でこの仲間には、北海道でよく見られる「シシウド」、「エゾニューの花」がある。
 小さな松も海浜にたくさん生えている。「小松海岸」の由来だろうか。
 行くときは気づかなかったが河口近くの辺鄙なところに温泉があった。繁盛してるみたい。
 
 「そりゃあ、みんな、車持ってるからなあ。温泉だろが、連れ込みホテルだろうが行きほうだいじゃ」
 わたしゃ、どこまでも自転車。キーコキーコ音をさせながら、徳島駅まで漕ぐ。

2011年5月19日木曜日

遥か向こうのくが(陸)にはなにがあるんじゃろ

 正午前、北沖の洲のそのまた北、河口突端の堤防にいた。コンクリのテトラポットに坐り、ぼんやり海を見ている。
 空気は乾燥し、空は明るく輝くような青空だ。その空に呼応するかのように、海の色がライトグリーンからライトブルーまで沖合にかけて微妙に変化している。高校の化学教科書に載っていた何かの試薬の反応色一覧表のグラデュェーションみたいだ。
 
 白波が河口に向けて押し寄せている。河口というより海そのもの、少なくとも海峡ぐらいはある大きな広がり。
 はるか向こうに松林の海岸がある。

 「あそこは、小松海岸だろうか。ずいぶんむこうだな。」

 自転車でここまで来た。あそこまで行けるだろうか。そう考えたら、無性に行きたくなった。大きく迂回して行くのだけれども、相当な距離がある。体力のない身で自転車で行けて、帰ってこれるだろうか。

 いったんはあきらめかけたが、蜃気楼のようにはるか向こうにみえる海岸が、なにか現実の世界ではないような気がしてきた。そう思うと

 「よし、行こう。はるか向こうのくが(陸)になにかまってるかもしれない。」

 自転車で堤防の道をとりあえず西へ向かって進み始めました。
つづく

2011年5月18日水曜日

信貴山縁起絵巻を読む 日本人の漫画の能力はこの時代から

 最近持病が現れず安心していたら、昨夜から今朝にかけて、症状がでた。幸い、未明に病院の緊急外来へ行くということにはならかったので、ちょっと安心した。しかし、睡眠が十分とれなかったので、今日は体がしんどい。

 ブログも本日は休みにしようと思っていた。しかし、安静にしているのも退屈なので今日は体調を考慮して肩の凝らない美術全集より『信貴山縁起絵巻』を読み始めた。
 その絵巻の中より、特に描写が面白いと思われる人物を写メールに3枚撮り、ブログを作りました。他にも描写の面白い人物はこの絵巻の中にたくさんありますが、今日はブログをつくろうという気力が衰えているのでごく一部しかとりあげられませんでした。

 この4人は平安時代の庶民と言ってもいいだろう。ある長者の従者や召使である。口を大きく開け、手は左方を指さしている。
 これからわかるように右手の方にいる主人や客に向かって、さかんにジェスチャーよろしく大声で勢い込んでなにかを申し立てている。
 かまびすしさが伝わってくる。しかし、何かユーモラスな場面である。
 それぞれの4人の個性的な顔をうまく描いている。貴族だといわゆる「引き目鉤鼻」の画一的で没個性的な顔になるのに比べ、庶民の豊かな表情の描き分けは際立っている。

 絵巻物の時代(900年前)、吹き出しなどはまだ発明されていないが、巻物のところどころに文章が入っている。吹き出しのようなものである。
 何か言う僧侶。それに対して米俵を持ち上げようとしている男が見上げている。うなずいているのか、何か言っているのか、そして横でしゃがみこみそのやり取りを見守る長者。
 吹き出しがあれば現代の漫画と変わらぬ場面。

 こちらは家内労働をする女召使。左の女は台所で椀を持ち何かしている。右の二人は?
 これすべて3人とも驚いているところなんです。驚くものは、どっち方向にあります?真ん中の女が凝視してますね。
 実は、左上方、空から、米俵と米蔵が降ってきているのです。
 「そりゃあ、驚くわな。」
 そう思ってみると、台所の女は、驚いて椀を取り落しそうになっています。一番右の女は、驚いて手を広げています。
 3人とも鉄漿(お歯黒)をしているのがわかりますね。

 現代漫画の技法について詳しいことはわかりませんが、この絵巻を見ると日本人は900年も前から漫画の技法に熟達していたのではないかと思ってしまいます。
 
 ヨーロッパの絵なんかと比べると写実というわけでもない。でも人物の特徴を的確にとらえています。写実以上に人々の、動き、音声、時として香りや味までもが、雰囲気とともに生き生きと伝わってきます。
 
 これも現代の漫画に通じるものなのでしょう。

 霊験あらたかな寺の「縁起」を説くものでありながら、真面目一辺倒ではなく、この絵巻の人物のユーモラスなこと!
 これも漫画に描く人物に共通してますね。 

2011年5月17日火曜日

無縁墓

 徳島線と高徳線の合流する高架下に小さな寺がある。寺のすぐそばは、広くなった川、岸、雑草の生い茂った土手、遊歩の小道、がある。高架が上を通っているため昼でも暗い感じがする場所であり、人もほとんどいない。寺の敷地は広くないのだが、墓地があり、それがかなり大きな面積をしめている。 
 
 寂寥を感じさせる、人少ない場所だが、私はこういう場所は大好きなので、よくこの辺を歩く。ちょっと行ったところに東屋もあり、腰掛けて本を読んだりもしている。

 遊歩道が車道に入って終わるところに墓地の入り口がある。入り口付近は真新しい、立派な御影石の大きな墓が多い。
 今日は少し墓地の中に入った。中の方には苔むした小さな墓がある。御影石のような立派な石ではなく、砂岩とか、普通の山の中の岩の露頭から切り出したような石である。
 小さな舟形をした墓は正面に「南無・・・・・」の名号が彫られている。
 江戸時代の墓だ。

 墓を見学したり、散策する人は私以外あまりいないだろう。何か宗教的な意図をもっているわけではない。そして明治以降の墓には全然興味がない。
 ふるい墓の横に掘られている年号を確かめるためだ。確かめてどうするわけでもないが、歴史好きの私にとって、江戸時代、数十もあるたくさんの元号を確かめ、西暦に頭の中で直し、

 「あ、この年は、富士の噴火があった。」

 「おお、この年は永代橋が崩落してたくさんの水死人がでた年じゃ」

 など歴史上の事件なども思い浮かべるのが古い墓石散策の楽しみである。

 江戸時代はだいたい150年前に終わった。慶応の年号で4年が最後である。
 石でつくられた墓は何千年でもなくならない。永続させるため石でつくる。子子孫孫祭られることを願っているのだろう。

 ところがたかだか150年前におわった江戸時代であるが、江戸時代の年号のある墓には無縁墓(だれも祭ってくれない墓)が多い。
 
 一つ例をあげよう、今日見た無縁墓の一つに「弘化元年」というのがあった。西暦1844年である。今から167年前であるが、もう祭る人はいない。この墓で供養される人の子孫は今もいるかもしれないが、墓の祭祀をする子孫は絶えたのだろう。

 無縁墓になればたとえその敷地が畳半畳ほどであっても、『土一升、金一升』の現代で、そのままには置いてはくれない。
 「墓地整理」で縁故人を探し、一応、手続きに則って「公告」し、無縁墓だから誰も現れなかったら、そのまま取りのけられ、捨てられる、と管理者(寺など)はしたいだろうが、遺骨もあることなので、

 「そりゃあ、あんまりだわ!」

 というので、一か所にあつめられ、形ばかりの供養塔を建てられることが多い。
 そして、更地にしてまた新家の墓が建てられる。現世のことだから、これで誰か銭儲けができるのかもしらん。

 この墓地でも江戸期の墓石が多く積み重なった無縁の墓石が供養塔のまわりにある。
 仏教では悠久と思われてる「宇宙」でさえ、数十億か数百億年か知らないが(未来仏である弥勒菩薩が56億7千万年後に衆生救済に現れるというから、それ以上だろう)、「劫」が尽きて「消滅」する。
 まして人の作った墓など世々を経れば、拝む人も絶え、さらに進めば、苔むし、石でさえ風化は免れえない。それがカタチある世の「法」である。

 以前、TVコマーシャルの墓の宣伝に
 「墓を作りましょう、墓のない人生は、まさに、はかない(墓無い) 」  
 などというふざけたのがあったが、墓でも人の肉体と一緒でなくなるものである。早いか遅いかの違いでしかない。
 「墓でさえ、はかない!」

 ふと、一遍上人の次の言葉が思い浮かんできた。

 「一代の聖教(しょうぎょう)みな尽きて、南無阿弥陀仏になりはてぬ」 

 一つの無縁墓石が目に入った。瘡のように表面を苔が覆っているが、墓石の正面に彫られた文字は読み取れる。そこには、「・・・なりはてぬ。」と一遍上人が言ったように「南無阿弥陀仏」と名号があった。

 急に空が暗くなってきた。と、大ガラスが供養塔のてっぺんにとまり、ギャアギャア騒ぎだした。カラスの子育ての時期で、縄張りに私が入ってきたので威嚇しているのだろうか、カラスにせかされるようその場を離れた。

2011年5月16日月曜日

時代考証 女性の化粧

 歴史が好きな私としては、歴史本などよく読む。教養本が多いが。たまには史料も読む。
 アカデミックな本好きと「歴史小説」好きとは共通するのだろうか。歴史を学問として真面目に研究している人々なんかは、「歴史小説」だからといって特にそれを好むものではない気がする。
 
 しかし、私のように趣味や教養として歴史を勉強するものには、歴史小説好きは多いのではないだろうか。もちろん私は大好きである。
 私のような素人の歴史好きにとって、史実はもちろん動かせないものではあるけれども、歴史にイフを持ち込んだり、史料からはうかがえない歴史の空白部分を想像するのは大変楽しいものである。
 
 だからイフや想像力をもとに歴史上実在した人物に焦点を当て、創作した小説をよく読んでいる。
 また、時代劇も好きである。最近は映画館に行かなくてもDVDを安く借りられるので新作、旧作を問わず家で見ている。

 さて、その時代劇である。以前からよく言われていたが、時代考証がお粗末なものがおおい。ただあまり時代考証が忠実すぎるとドキュメンタリーのようなものになってしまい「時代劇」とはならないといわれる。
 時代劇に出てくる鬘や着物、履物、身の回りの小物などは一定の「様式化」されたものである。何かの本で読んだが、これらは「歌舞伎」の時代物から映画やTVが学んだものだそうだ。

 昨夜、最新の時代劇映画のDVDを借りてみたが、女性の化粧の時代考証の正確さに驚きました。
題『十三人の刺客』、主演、役所広司他。

 まあ、百聞は一見に如かず、映像から撮った写真を見てください。

 武士の若妻です。
 時代考証の正確さに驚く以前に、昔の既婚の若い女性のあまりにもコケティッシュな魅力に、やまさん、うっとり、ほとんどエクスタスィーを感じてしまいました。
 妖しさ、妖艶な美、神秘、神々しさ、いやいや、違う、なんといって表現していいかわかりませんが。

 「これぞ、まさしく、江戸の既婚女性の美しさ」

 そうなのです。武士の妻など既婚女性は

 眉毛を抜くか剃ってしまいます。そして、ここが大事ですが、鉄漿(お歯黒)をします。

 眉はつるつる、歯は真っ黒、口を開けると、深い穴のように、ぽっかりと暗渠のような口になります。

 「え、え、なんですって!不気味じゃ、ってか?」

 それは平成のモダンな化粧風俗に「毒されている」からです。
 
 美女の化粧法である、「眉剃り落とし。鉄漿(お歯黒)」は平安時代から明治まで千年にわたって続けられてきました。たかだか数十年のモダン化粧法なんかと重みがちゃいますわ。
 
 日本人のこのような伝統的な化粧法がやがていつか復活することに期待したいです。日本人の顔にはもっとも似合うと思うのですが。

 ともかくも女性の化粧の時代考証の忠実さに感心し、昔の化粧の美に魅せられた映画でした。
 

2011年5月15日日曜日

ゲンタとデンコの言いたい放題 そのⅠ

 最近は自然エネルギーとか再生可能エネルギーを神輿のようにかつぎ、
 「原子力発電はやがてすべて廃止しろ。」
という人々が多くなっています。
 ほんとにそれでいいんですか?
 少し冷静になって考えた方がいいのではないでしょうか?
 今日はそのことについてゲンタくんとデンコちゃんに言いたい放題述べてもらいましょう。




 私は若く見えますが、実は明治生まれ、明治に電力供給事業が始まって生まれました。徳島の田舎に限って言えば、電力が供給され電灯が家々に点いたのは、もう大正になっていました。
 昔の電力供給は、家々何キロワットと決まっていて契約されていました。たとえばやまさんの家だと、室内用の40ワット電灯が3個、トイレ・風呂共用で10ワット電球、ラヂオが40ワット、すべてで170ワット、これですべてです。もちろん電力積算メーターはありませんから、こっそりアイロンや電熱器を使うこともありますが、その場合、すべての電灯などを消さないと容量の許されないヒューズが融けてしまいました。
 また電力の質も悪いものでした。精密電子機器など家にはありませんでしたからよかったようなものの、しょっちゅうの停電、電圧低下、周波数の微妙な変動もありました。
 
 この時代、強電気関係の人ばかりではなく、一般の人も夢見ていたことがありました。それは

 「必要に応じてたっぷり質の良い電気を使うこと、供給できることでした。」

 必要なだけ使えずして、日本の現代工業社会は成り立ちません。また家庭においても自由に電気製品を使えません。その目標に向かって努力してまいりました。

 そして私はいついかなる時でも必要な電力を安定して供給できるようになりました。昔、夢見ていた目標が実現しました。

 しかし、いま、逆行しようとしています。

 「ちまちま、節電、数十パーセント電力カット」

 もし、私とゲンタの仲が裂かれたら、電力の安定供給をすることにはっきり言って自信がありません。

事故を起こしておいて、と言われれば返す言葉もありませんが、今日は言いたい放題ということでお許しください。

 どうかわたしを見捨てないでください。特にデンコとの仲を裂かないでください。
廃止という方向ではなく、より安全基準を高めることで今後も成長させてください。

 思い出してください。私が夢のエネルギーと言われたいたことを。
 少量の核燃料で膨大なエネルギーを生み出します。そして酸素も消費せず、排ガスも出しません。
 
 ノーチラス号のように北極海に深く、数か月潜航したままで、空気も消費せず、燃料補給もないまま恐るべき馬力を発した潜水艦のエンジンは何でしたか?原子炉以外は考えられません。

 私はマッチョの代表みたいなものですから、嫌う人は誰とは言いませんがいます。今、事故のため勢いを得て、廃止に持っていこうとしています。

 しかし冷静に考えてください。ほんとに自然・再生可能エネルギーだけですべてをまかなえるのですか?
 瞬時に大馬力を発するエネルギーのツールを我々の手からなくしていいんですか?

 私は成長が終わっているとは思っていません。まだまだ発展の余地があります。最終的に、宇宙の根源的なエネルギー発生の形態である、水素核融合反応炉が目標であると思っています。これは「小太陽」を我々が手にすることです。恐ろしい放射性の燃えカスも出ません。
 この核融合炉は現代の核分裂原子炉の発展したものであるのです。

 もし、原子炉から我が日本がすべて撤退したら、果たして次の発展は望めるでしょうか?

 中国、フランスは絶対やめるつもりはありません。確かです!より発展をさせていくでしょう。
 
 不器用な国に原子炉をバカスカ作らせ、ぶっ壊れ、偏西風に乗って、福島以上の放射能を飛来させるより、日本が今回の事故を教訓により安全性の高い原子炉を作って、他国の範になる方がずっといいと思うのですが。

 プロメティウスは「火」を人に教えたため神に罰せられました。神は人を牧歌的な世界に囲っておきたかったのです。人が世界を支配し、神に近ずくのを恐れたのでしょう。
 確かに、火は火事、そして悪魔の発明である火薬を使った銃、大砲、で人に災厄をもたらしました。しかし、火を使った冶金によって牧歌的世界から「鉄器時代」に移行し、神が恐れたように世界の支配に乗り出していきました。

 原子力にも同じことが言えます。プロメティウスから火を教えられた人は、逆戻りはしませんでした。
 どうか皆さん私をうまく使ってください。捨てないでください。

2011年5月14日土曜日

狸のいた町 そのⅡ

 蔵本駅近くの田宮川沿いの辺りは、「油浜」といった。いまはコンクリの護岸でガチガチに固められて想像できないが、大昔は川沿いに柳が植えられ、この油浜というあたりは、当時の(自動車などもちろんない、せいぜい陸上では大八車)唯一といってよい大量運搬手段である川船が接岸し、大量の荷を陸揚げした浜であった。
 この油浜にいた「まつひらさん」という狸は子供大好きの、ずいぶん愛嬌のある可愛い狸であったようだ。
 
 しかし、狸は愛嬌のある可愛い顔ばかりを見せるわけではない。狸は時として、人をだましたり、危害を加える恐ろしい存在でもあった。『かちかち山』では、ラスコリニコフのように老婆殺しを犯す。
 そのあとがすごい!婆さんを文字通りバラし、その肉で「婆汁」を囲炉裏の鍋でつくる。婆さんに化け、外から帰ってきた爺さんに「婆汁」を食べさせる。
 ホラー映画顔負けの展開となる。

 しかし、これは狸の立場に立って考えてみると同情の余地がないわけではない。元々この狸は爺さんによって捕えられ狸汁にされる運命であった。だから「婆汁」は、まあ、いわば仕返しである。
 ただ、いったんは婆さんに助けられながら、婆さんを殴り殺したのは情状酌量の余地はない。

 非道な狸であるが、もう少し頭が良ければこんな残虐な罪を犯さなかったのではないかとおもわれる。
 だいたい狸は狐と比べるとすこぶる頭が悪いように描かれる。もし、これが狐なら婆さんから助けられた時点で、一応、表面上は感謝し、あとで恩返しのようなホンの形ばかりのそぶりを見せれば、老夫婦は「狐は改心していい狐になったんだ。」と、コロッとだまされるに違いない。結果的により有利な状況をもたらしたり、利益にもつながるだろう。

 狐も人を馬鹿にし、だますが、このように悪知恵を使い、だましたと人に悟らせず、だますことが、もっともよい方法であることを知っている。

 狸はそのような底意地の悪い知能犯ではない。直情径行で欲望に我慢できないのである。そこに狸の短所があり、長所もある。
 だから、単純粗暴な狸であれば「かちかち山の狸」になるし、単純で子供好き、人好きの狸ならば「まつひらさんの狸」になるのである。
 常に単純さが付きまとう。

 狸が人を化かさなくなって久しいが、狸は今でも我々の住む町にいる。雑食性で、というか、残飯でもなんでも食べるから環境の変化には強い。
 私の家から4キロ離れた山のふもとに温泉がある。夜、大浴場のガラス展望の下にパンくずをおいてやると、家族だろうか3~4匹がぞろぞろあらわれ、パンを食べる姿が見られ、入浴客の目を楽しませてくれる。
 3年前入ったときは、下を見ると黒い物体がごそごそしていた。体形からは犬よりずんぐりむっくりしていて、手足も短いし細い。顔の輪郭からも狸とわかった。暗い中、目がピカリと光ったのを思い出す。

 狸の祠を見て、いろいろ考えながら再び蔵本駅に戻ると、駅舎の前に猫が4匹ゴロンと寝転がっている。近づいても知らん顔。
 ふるい町並みには猫も似合う。
一匹だけ私を見上げている。
そういえば川島の駅長猫はどなんしよんかいな。