暑さのぶり返し
サルスベリは百日紅と書く。その名の通り暑いさなか4か月にわたって暑さに負けず元気よく美しい花を咲かせる。でも人間の方は今年の猛暑に参っている人が多い。ようやく初秋の涼しさでホッとしたら、今日はまた暑さがぶり返した。
そうそう聞くところによると7年後のオリンピックは猛暑のさなかに開催するという。なにをトチ狂って、そんな時期に?
公的な説明ではそのころ日本の各地で夏祭りが開かれるから、外国人客の観光にいいという。なんかこじつけのように思う。ホントは?
Pest
仏教の慈悲の心で生きるならたとえ小さな虫も殺さず、共生していければいいんだろうが、体を刺し、血を吸う虫にそうそう慈悲の心はかけられない。
なぜか猛暑の時期は蚊も他の衛生害虫も少ない。虫けらでも猛暑に参っていると思われる。この頃涼しくなったせいか増えてきた。
蚊退治は右の電気蚊取り器だ。蚊以外に古くなった家にはダニも湧いてこれが刺す。それには左の燻煙剤を使う。今日午前中部屋を閉め切って3時間燻煙した。
ところでこれらの人に害をなす虫を英語でPestという。伝染病の黒死病と同じ言葉だ。この細菌を媒介するのは蚤だ。病気もPest、蚤の害虫も同じPestだ。ちなみに殺虫剤はPesticideという。このcideはラテン語語源で『殺す』という意味だ。自殺はSuicideというが、suiはやはりラテン語語源で『自分』だから、自分を殺す、でSuicideだ。
南京豆
その衛生害虫の中で強力に痒くて炎症を起こすのが南京虫だ。我が家の虫はたぶんただのダニと思うが、以前これに刺されて大変なことになった。
若い時、京都のユースホステルにとまっていて、この虫に刺された。最初は蚊に刺されてくらいしか思っていなかったが、募ってくる痒み、そして刺された部位の発赤が拡大し熱を持って腫れてきた。
結局、病院で治療する羽目になった。この虫は特徴のある刺し方をするので医師はそのいくつかの刺し傷を見て南京虫に刺されましたよ。と教えてくれた。腫れが引くのに数週間かかった。
南京虫は大嫌いだが南京豆は大好きだ。最近、ハイボールを飲むときのおつまみがこれだ。誰かに聞いたが、ピーナツと南京豆と落花生は違うそうだ。
ピーナツは皮をむいた豆を油でいため塩味をつけたもの。南京豆はこげ茶の皮つきのもの。落花生は写真のように殻に入ったもの。ということである。
その定義でいうとワイが食べているのは落花生だ。喰うのに手間がかかる気がするが、殻を割るときバリバリ、ガサガサ、と大げさな音がし、殻から出した豆のさらに皮をむくのはけっこう楽しい。
2013年9月12日木曜日
2013年9月10日火曜日
昭和39年あの日あなたは
月曜の早朝に第二次東京オリンピックが決定した。それで過去の東京オリンピックも注目されている。
その年は昭和39年だった。その時私は中学生。今、その時の記憶を遡っている。
私のブログ仲間はどうだろう?しんちゃん、ようちゃん、は生まれている。でも幼児だったので覚えているかな。おとうさんは、ちょっと年齢がわからないが私と同世代か、もしかしたら上かも知れないのでそうなると記憶や思い出も確かだろう。モトさん、てるさん、とし君、パコさん、は生まれてもいない。
その私の記憶だが・・・
開会式はよく覚えている。冒頭のシーンを思い出すと、あの東京オリンピックの為に作られたというファンファーレの高らかな響きが頭に蘇ってくるほど鮮明である。
しかし個々の競技はというとほとんど覚えていない。この年、親戚の家から中古の白黒テレビを譲りうけていたのでテレビで見たはずだが思い出さない。半世紀もたつと記憶も薄れ、消え去るのかもしれないな・・・・・
いや、待てよ、そうだ、一つ覚えがあるぞ、熊本のアーケード街の街頭カラーテレビで重量挙げを見たんだ。鮮明なカラー画像がめずらしかったので覚えている。
そうなんだ!東京オリンピックと私の中学校の修学旅行が重なっていたのだ。四泊(そのうち二泊は船中という凄まじいスケジュールだった)の福岡熊本阿蘇別府周遊だった。その修学旅行と重なる部分ではテレビ中継も見ていなかったので、記憶もないはずだ。(たまたま熊本では自由行動で街頭でテレビを見たのだ)
当時のオリンピックの思い出はテレビを見た私の頭の記憶しかない。そしてそれも薄れ、重なった修学旅行の思い出に打ち消されている。当時の田舎の中学生が家人と一緒に東京までオリンピックを見に行けるわけもない。だから当然撮った写真なんかもあるはずがない。オリンピックグッズなんかも一つもない。しかし、修学旅行の方は確か記念アルバムがあったはずだ。
さっき探したが見つからなかった。家のどこかに眠っているのか、それとも紛失したのかわからない。引き出しをひっくり返していると集合写真が一枚出てきた。
これは別府の地獄めぐりでのクラス写真だ。ワイは最前列中央。
日付を拡大すると昭和39年10月16日となっていてまさにオリンピックのさなかだ。(10月10日が開会式、それを記念して祝日の体育の日ができた)
オリンピックのころワイは修学旅行をしていたわけだ。
その年は昭和39年だった。その時私は中学生。今、その時の記憶を遡っている。
私のブログ仲間はどうだろう?しんちゃん、ようちゃん、は生まれている。でも幼児だったので覚えているかな。おとうさんは、ちょっと年齢がわからないが私と同世代か、もしかしたら上かも知れないのでそうなると記憶や思い出も確かだろう。モトさん、てるさん、とし君、パコさん、は生まれてもいない。
その私の記憶だが・・・
開会式はよく覚えている。冒頭のシーンを思い出すと、あの東京オリンピックの為に作られたというファンファーレの高らかな響きが頭に蘇ってくるほど鮮明である。
しかし個々の競技はというとほとんど覚えていない。この年、親戚の家から中古の白黒テレビを譲りうけていたのでテレビで見たはずだが思い出さない。半世紀もたつと記憶も薄れ、消え去るのかもしれないな・・・・・
いや、待てよ、そうだ、一つ覚えがあるぞ、熊本のアーケード街の街頭カラーテレビで重量挙げを見たんだ。鮮明なカラー画像がめずらしかったので覚えている。
そうなんだ!東京オリンピックと私の中学校の修学旅行が重なっていたのだ。四泊(そのうち二泊は船中という凄まじいスケジュールだった)の福岡熊本阿蘇別府周遊だった。その修学旅行と重なる部分ではテレビ中継も見ていなかったので、記憶もないはずだ。(たまたま熊本では自由行動で街頭でテレビを見たのだ)
当時のオリンピックの思い出はテレビを見た私の頭の記憶しかない。そしてそれも薄れ、重なった修学旅行の思い出に打ち消されている。当時の田舎の中学生が家人と一緒に東京までオリンピックを見に行けるわけもない。だから当然撮った写真なんかもあるはずがない。オリンピックグッズなんかも一つもない。しかし、修学旅行の方は確か記念アルバムがあったはずだ。
さっき探したが見つからなかった。家のどこかに眠っているのか、それとも紛失したのかわからない。引き出しをひっくり返していると集合写真が一枚出てきた。
これは別府の地獄めぐりでのクラス写真だ。ワイは最前列中央。
日付を拡大すると昭和39年10月16日となっていてまさにオリンピックのさなかだ。(10月10日が開会式、それを記念して祝日の体育の日ができた)
オリンピックのころワイは修学旅行をしていたわけだ。
2013年9月9日月曜日
目ん玉えぐりだすんだぞ
とうとう手術を決意しました。よく見えるようになることを信じて目ん玉(水晶体)を抉り出します。
ダイヤモンドメスで角膜の隅を切りあけ、そこから超音波メスを入れて・・・・・・・・・
おお~~!話を聞くだに、身震いがとまらないのに、それを自分の目ん玉に実際行うとは。
腕は確かな先生で、全国的にも名高い病院ですが、心配は耐えません。もしやこんなアクシデントが起こりはすまいか、と、悪い方へ悪い方へと考えてしまいます。
歯を抜く以上の外科的処置をしたことがないので、いきなりこんな手術は正直怖いです。そして一回ではすみません。右左と二度します。二度怖い!
そして心配を倍加させるのは手術で抉りだした水晶体にかわって入れる人工の眼内レンズです。自分のオプションは焦点距離をどれだけに合わせるかの選択があります。
眼鏡なしで遠くを見られる選択もありますが、そうなると近くを見るときは眼鏡が(老眼鏡)が必要になります。
私の場合、本を読むのが好きなので、先生の勧めるように近くに焦点を合わせようかと思っています。つまり近くは眼鏡が要らないという選択です。(遠くを見るときは眼鏡がいりますが今よりずっと弱い近視になり、分厚い眼鏡とはおさらばとなります)
そのほか先生が決めてくれるオプションもあります。眼内レンズは3年前から乱視を打ち消すレンズが新しく登場しました。私の場合乱視が強いのでそのレンズの適当な乱視度数のレンズを先生が選択します。
しかしこの二つの選択で、必ず狙った効果(つまり計算上の焦点距離、乱視をうまく打ち消す計算通りいくか)が出るか?というとかなり不確定な要素があるのです。
つまり、手術はうまく行ったが眼内レンズが合わないのでよく見えないということが起こるのです。メガネ屋で眼鏡を買うときは何度でもとっかえひっかえできますが手術で挿入する眼内レンズは原則一度しかできません。
これはかなり心配な要素です。
この病院はホムペで十分情報を公開していて、その点満足なのですが、やはりそのような不確定な要素は否定していません。院長先生に直接、ネットのメールで質問のやり取りができるので、今まで3回ほど質問しました。
はたしてぴったりした眼内レンズになるか(もちろん、検査機器で精密に検査し、医者が最終判断するのですが)
あんまり専門的なことを知らない方が不安は少ないですね。私はけっこうしつこく調べまくる方ですから、情報過多になって混乱するんでしょうね。
久しぶりの投稿だなぁ
こちらのブログはしばらくぶりです。
今日は沖の浜の『サンマルク』でランチ後、食後の腹ごなしに大神子付近を散歩した。
今日は少し暑かったのと、長い距離ではなかったが山道を展望所まで歩いたのでくたびれかえりました。でもいい疲れなので今夜は安眠できそうです。
今日は沖の浜の『サンマルク』でランチ後、食後の腹ごなしに大神子付近を散歩した。
今日は少し暑かったのと、長い距離ではなかったが山道を展望所まで歩いたのでくたびれかえりました。でもいい疲れなので今夜は安眠できそうです。
2013年8月25日日曜日
2013年8月14日水曜日
2013年8月11日日曜日
このクソ暑さと暑さに負けないベトナムの狼おじさんラン
ともかく暑い、隣の県では40度を超えたとか言っていたぞ。明日からアホ踊りが始まるが、車や人出で増々徳島の街は暑くなるではないか。
そこで今年の阿波踊りのポスターをパロディって見た。
そこで今年の阿波踊りのポスターをパロディって見た。
この暑さで徳島の都市計画の貧困さがよ~~わかった。
皆さん、公共の広場に必要なものは何ですか?
ヨーロッパはローマ時代から公共の広場を作っているのでわかっていますわ。
それは都市砂漠の中にある、オアシス、憩いの場ですわ。
この中央部に噴水がなきゃあならん!
こんだけ暑うても、噴出する水がありゃぁ、見るだけでもホッとする。(もっともやまさんなんかは半裸でみずあそびするやろなぁ)
せめて木陰でもあればと思うが、このワシントン椰子はなんじゃ、こんだけ背が高くて、上の方にちょこっとしか葉がなかったら木陰にもならんではないか。
なして、こんな棒っきれみたいな椰子にしたんじゃ、普通の椰子なら葉影ができるぞい。
都市の中が死ぬほど暑うても、噴出する水と木陰があれば人は生きかえる。公共広場をつくるときの哲学なんか何にもないんじゃのぉ~
「責任者、出てこい!」
今日の新聞にベトナムで半野生のおじさんが発見されたというニュースが載っていた。幼児から野生で育ったそうだ。いわゆる狼少年とか狼少女のようなものか、もっとも年齢は41歳だそうだから、オオカミおじさんだ。名前は「ランさん」という。可愛い名だ。
褐色の肌、贅肉のない細身の体、ぼさぼさの髪を見ると大昔のアニメ『狼少年ケン』を思い出す。
見つけられてこれから社会復帰プログラムが始まるそうだが、手を摑まえられ迷惑そうな顔をしてるぞ、
「放っておいてやった方がいいんじゃない?」
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