マラソンマンさんは50代だけどまだ青年のようにみえる。マラソンをしているため無駄な贅肉が全くないからそう見えるのか、走るときは無心に走るという心構えが青年のように見せているのか、どちらかわからないがたぶんその両方だろう。
フルマラソンの大会にも積極的に出ている。来月は丸亀、そして高知でも走るといっていた。もちろん徳島マラソンにも出る。仕事や家庭の雑用で忙しいのに練習の為に暇なときは走っている。
42キロ走るマラソンマンさん、無理はしないといっていたが完走するだけでも大したもんだと思う。動物の中には走ることにかけてはヒトよりずっと早いのがいるが、42キロ持続して走れる動物はヒト以外いない。まして2本足で長距離走できるのはヒトのみである。
タッタッタッタ、マラソンマンさんは今日も走る
2013年1月24日木曜日
2013年1月20日日曜日
一人プロモーション
駅前で一人プロモーションをやっていた若い女の子がいた。歌はそこそこ。CDも出しているようなのでプロかセミプロだろう。
寒い中ご苦労だ、といいつつ、暇な私は足を止めて聞いてみた。
聴衆は私だけ、近寄って発売アルバムを見てみると
名前は『おが姫』というらしい、永遠の女子高生、と書いてある、おいおい、おっさん相手のアルサロか!一人AKBとも
「ふーん、ローカルアイドルって書いてある。CD一枚500円か。演歌歌手なら応援に一枚買ってもいいんだけどな、AKBは趣味じゃない」
出でよ!振袖演歌歌手
2013年1月19日土曜日
ニュース雑感
日本人アルジェで人質にとられ心配する
大規模天然ガス採掘施設が過激派に襲われ、大勢が人質にされた。時間を置かずアルジェ政府軍が犯行グループを急襲したようだ。犯人、人質入り乱れての大混乱となった。
まず、犯人は外国人従業員を人質に狙った。価値が高いからだ。反対にアルジェ人は寛大だった(人質の価値がないからか?)、で外国人の中にはアルジェ人になりすまし逃げた人もいると聞く。
そんな話を聞くにつけ、日本人は隠れようがないなぁ、と思う。だいたい欧米系の人のホリの深い顔もアルジェ人の顔もさして変わらない。暑い砂漠でほこりまみれ日焼けすれば、欧米もアルジェも見分けがつかない。混乱の中、蜘蛛の子を散らすように逃げる中でこの両者の区別はつけにくい。
ところが外人の中で日本人はもうこれは一目瞭然である。隠しようがない。
「いや、ちゃう、ちゃう、わいはアルジェ人じゃ」
などと言っても絶対見逃すはずはない。ホリの深い野郎ばかりに取り囲まれ、へらべったい顔のわが日本人は一番わかりやすい。犯人にしてみればこれほど捜しやすい人質はないだろう。
アジアだと日本人も目立たないのだが、ここらあたりは外形容姿が目立ちすぎる。というか日本人のような顔をした人など一人もいない。たいへんなところで人質にとられたものである。
何とか無事が確認されればよいと思っている。
1ドル90円台に、100円マックも終わりか
円安にならば景気が良くなるというがインフレ傾向も出てくるという。そんな中、100円マックも見直し、値上げかも、という話しも出て来た。
200円の朝マックも終わりか・・・
共通一次テストはじまる
人は体力の衰えを気にする。体力テストをしてみれば若い人にはかなわないことがわかる。年齢と共に落ちていく。
しかし『知力』はどうだろう。知力では若い者には負けないと思っているのではないか、ここで『知力』と断っているのがミソである。決して学力といっていない、知力とは少なくとも5択の筆記テストでは測れないものである。しかし、もし測れないなとするならば、そもそも落ちていてもわからないではないか。
たまにはどうだろう、学力に限定し、高校生に比べ、どれくらい共通一次で得点できるか、自分で問題を解いて調べてみては?明日の朝刊に問題が載るだろう。
国語や英語、歴史くらいは平均点はとれるだろう 、と思っているあなた!歯が立たず、大きなショックを受けるのも、今後のためにいいかもしれませんぞ。
大規模天然ガス採掘施設が過激派に襲われ、大勢が人質にされた。時間を置かずアルジェ政府軍が犯行グループを急襲したようだ。犯人、人質入り乱れての大混乱となった。
まず、犯人は外国人従業員を人質に狙った。価値が高いからだ。反対にアルジェ人は寛大だった(人質の価値がないからか?)、で外国人の中にはアルジェ人になりすまし逃げた人もいると聞く。
そんな話を聞くにつけ、日本人は隠れようがないなぁ、と思う。だいたい欧米系の人のホリの深い顔もアルジェ人の顔もさして変わらない。暑い砂漠でほこりまみれ日焼けすれば、欧米もアルジェも見分けがつかない。混乱の中、蜘蛛の子を散らすように逃げる中でこの両者の区別はつけにくい。
ところが外人の中で日本人はもうこれは一目瞭然である。隠しようがない。
「いや、ちゃう、ちゃう、わいはアルジェ人じゃ」
などと言っても絶対見逃すはずはない。ホリの深い野郎ばかりに取り囲まれ、へらべったい顔のわが日本人は一番わかりやすい。犯人にしてみればこれほど捜しやすい人質はないだろう。
アジアだと日本人も目立たないのだが、ここらあたりは外形容姿が目立ちすぎる。というか日本人のような顔をした人など一人もいない。たいへんなところで人質にとられたものである。
何とか無事が確認されればよいと思っている。
1ドル90円台に、100円マックも終わりか
円安にならば景気が良くなるというがインフレ傾向も出てくるという。そんな中、100円マックも見直し、値上げかも、という話しも出て来た。
200円の朝マックも終わりか・・・
共通一次テストはじまる
人は体力の衰えを気にする。体力テストをしてみれば若い人にはかなわないことがわかる。年齢と共に落ちていく。
しかし『知力』はどうだろう。知力では若い者には負けないと思っているのではないか、ここで『知力』と断っているのがミソである。決して学力といっていない、知力とは少なくとも5択の筆記テストでは測れないものである。しかし、もし測れないなとするならば、そもそも落ちていてもわからないではないか。
たまにはどうだろう、学力に限定し、高校生に比べ、どれくらい共通一次で得点できるか、自分で問題を解いて調べてみては?明日の朝刊に問題が載るだろう。
国語や英語、歴史くらいは平均点はとれるだろう 、と思っているあなた!歯が立たず、大きなショックを受けるのも、今後のためにいいかもしれませんぞ。
2013年1月17日木曜日
ノラな生き方
『ノラな生き方』というとほとんどの人は野良(のら)、つまり、野良猫や野良犬のような生き方を思いますよね。よい生き方としてはあまり使いませんよね。
そんな生き方を、ふと思ったのは、夕べ久しぶりに訪れた阿波川島駅でした。
暗くなった駅舎のベンチの下にささやかな寝床と飯椀を設えてもらったあの駅長猫(私が勝手にそう名づけた)がいたのです。
以前、ブログで初めて紹介してからすでに2年がたちますが、このように丸々と太って元気なのです。
その日暮らしどころか、前後の記憶能力のきわめて低い猫などは、その時(瞬間のみを生きる)暮らし、本能の赴くまま生き、食べ物などもくれる人があればもらい、なければ猫盗人となる『あなた任せ、風任せのおいらの世界』
発情すれば、オス猫と遠慮会釈なく、まさにサカリのついた猫で、やり狂い。勝手に子猫を腹からひり出す。子猫のうちは本能で舐めもするし、乳もやるが、少し大きくなれば、わしゃしら~~ん。
まことにノラな猫人生
以前いくつも紹介したのですが過去のそのブログの一部をご覧ください。
ここクリック
ここくりっく
これでは長生きなど出来はすまいと思い、写真を撮りながら哀さを催していた。
ところがもう一年以上にもなる昨夜の川島駅でのノラとの再会・・・
「なんとしたたかに生きているものか!」
ノラな生き方、のノラは野良、ととればこのような野良犬野良猫のような飼う人もいないし保護する人もいない、しかしそれだけに頸木や絆もない自由奔放な野生に近い放浪する動物あるいはそれに例えた人のような生き方になりますね。
もう一つの『ノラな生き方』というのもあります。現代の人はノラの生き方といえば野良をイメージするでしょうが、大正から昭和の初めの頃の人が、ノラな生き方、と聞いた場合はある女性の生き方を頭にすぐ思い浮かべたはずです。
それはイプセン作・戯曲『人形の家』の女主人公ノラです。テレビもないし、映画もそれほど普及していなかったこの時代、人々は舞台によってこのノラの生き方を知ったのでした。
なぜ北欧の戯曲が日本で人気を博したのかというと、それは日本で初めて女優ともいえる松井須磨子の人気によってでした。
彼女の演じるノラ(妻)は人々、特に女性にセンセーショナルな衝撃をもたらします。
この時代、日本の女性は結婚すれば夫に従うものと思われていました。貞淑で従順な妻が美徳とされたのでした。民法上でも男性のような地位はなく、法律行為を行う場合でも妻は夫の後見が必要でした。
極端な言い方をすれば女性は自立した人格を有する人とは認められなかったのです。それじゃあ、あたい結婚なんかいやだわ、と言って結婚もせず仕事を持ち自立して生きることはほとんど不可能なものでした。
こんな時代、舞台で演じられたノラは、人格を認めてくれない夫に対し、自ら家を出る決意をするのです。
これはこの時代の日本の女性から見れば革命的な出来事でした。女性の自立、ということが劇中とはいえ社会的な問題として提起された最初といっていいでしょう。
(下は松井須磨子の演じるノラ・人形の家)
今、こんなノラの話をしても皆さん全然実感がありませんね。今、女性は法的にも平等、別に夫に縛り付けられる存在でもない。自由に離婚して家を出ることもできますからね。
『昔は一緒に歩いていても妻は夫に従うものとされ、三歩下がって夫の後をしずしずと・・・・・それが今や、気に入らねば、三歩下がって夫にとび蹴り・・・いや、言いすぎました。男女平等のイイ世の中です。』
自由な生き方をするという意味では猫の野良も女主人公のノラも同じですね。
2013年1月16日水曜日
accident
11月に自転車で走っていて段差にタイヤが滑り、
ツル、ポテ、ペタン
体が派手にコンクリの地面に打ち付けられ、みなさんご存知のように手指がみょ~な方向に曲がり、2ヶ月たってもまだ完全には治っていない。
これなどは自分で起こした『事故』というのだろうか。
今日はその自転車がパンク(空気が完全に抜けた状態)。
予想もしてなかっただけに困った。この自転車は徳島駅近くにおいてあるわが自転車で市内をあちらこちら行くのに使う。乗ろうと思って駐輪位置から引き出すとパンク状態、
今日は風もないので少し遠出をしようと思っていた。しかし、まるであてがはずれ、遠出でどこかへ行くどころか、この自転車のパンク状態をどうにかしなければならない。
パンクしてわかったが、徳島駅周辺には自転車屋がないのである。アミコの駐輪場の係りのおっさんに聞いても
「さぁ~、ここら辺にはないなぁ~」
頼りないこのおっさんに聞くのはやめて、別の人に聞くと
「そういえば、裁判所の大通り横にあるわ」
で、そこから自転車を押してJR立体交差を上り下りしてそこまで持っていった。
思わぬパンクでドキドキする困惑。ヒ~コラエンヤコラの、タイヤのへらべったくなった自転車を押して移動での困憊(こんぱい)、そして涙の出費の1200円!
何の予兆も思い当たる節もないこの出来事。
「なんぞ、おいらが悪ぃことしたんか?」
誰に言っても恨んでも仕方ない。こういう思いもかけぬ小さいが悪い出来事は人生往々にして起こるものである。
偶然の、小さいが良くない出来事は、日本語では『事故』というのだろうが、事故というには大げさだ。事故といえば何か交通事故を強くイメージしてしまう。
そもそも事故という日本語は、故(ゆえ)あって起こる事、で因果関係が付きまとっている。
今日のような小さな出来事に事故とは適当でない。そうすると日本語にはちょっと当てはまる言葉がなくなる。こういうとき英語には適当な言葉が思い当たる。accidentである。語源的に分解するとac-、-cid-,-entになる。acは自分への方向性をあらわし、cidは自分へ落ちかかる、降りかかる、entは名詞を作る接辞語である。つまり『思いもかけぬものが降りかかる・・・』というような意味がある。
まるで対象者無作為の運命の小さないたずらのような今日の出来事はaccidentと呼ぶほうがふさわしいだろう。
ツル、ポテ、ペタン
体が派手にコンクリの地面に打ち付けられ、みなさんご存知のように手指がみょ~な方向に曲がり、2ヶ月たってもまだ完全には治っていない。
これなどは自分で起こした『事故』というのだろうか。
今日はその自転車がパンク(空気が完全に抜けた状態)。
予想もしてなかっただけに困った。この自転車は徳島駅近くにおいてあるわが自転車で市内をあちらこちら行くのに使う。乗ろうと思って駐輪位置から引き出すとパンク状態、
今日は風もないので少し遠出をしようと思っていた。しかし、まるであてがはずれ、遠出でどこかへ行くどころか、この自転車のパンク状態をどうにかしなければならない。
パンクしてわかったが、徳島駅周辺には自転車屋がないのである。アミコの駐輪場の係りのおっさんに聞いても
「さぁ~、ここら辺にはないなぁ~」
頼りないこのおっさんに聞くのはやめて、別の人に聞くと
「そういえば、裁判所の大通り横にあるわ」
で、そこから自転車を押してJR立体交差を上り下りしてそこまで持っていった。
思わぬパンクでドキドキする困惑。ヒ~コラエンヤコラの、タイヤのへらべったくなった自転車を押して移動での困憊(こんぱい)、そして涙の出費の1200円!
何の予兆も思い当たる節もないこの出来事。
「なんぞ、おいらが悪ぃことしたんか?」
誰に言っても恨んでも仕方ない。こういう思いもかけぬ小さいが悪い出来事は人生往々にして起こるものである。
偶然の、小さいが良くない出来事は、日本語では『事故』というのだろうが、事故というには大げさだ。事故といえば何か交通事故を強くイメージしてしまう。
そもそも事故という日本語は、故(ゆえ)あって起こる事、で因果関係が付きまとっている。
今日のような小さな出来事に事故とは適当でない。そうすると日本語にはちょっと当てはまる言葉がなくなる。こういうとき英語には適当な言葉が思い当たる。accidentである。語源的に分解するとac-、-cid-,-entになる。acは自分への方向性をあらわし、cidは自分へ落ちかかる、降りかかる、entは名詞を作る接辞語である。つまり『思いもかけぬものが降りかかる・・・』というような意味がある。
まるで対象者無作為の運命の小さないたずらのような今日の出来事はaccidentと呼ぶほうがふさわしいだろう。
2013年1月15日火曜日
健康法 出毒素(デドクス?)
トシちゃんはいろいろ健康法をやってるみたいだ。私などは歩くこと以外何もやっていない。不健康、不養生の生活だ。それはさておきトシちゃんが時々やってる「デトックス」というのがある。私はそれについてまったく知らない。なんだろうかと思いネットで調べてみた。以下のことを知った。
ここクリック(ウィキより)
英語の文字を見てなるほどと思った。toxicは、毒の、という言葉である。de-だから毒素を対外から排出か!
「なるほどそれが基本なんだな」
病気の元になるのは体内に次第にたまっていく毒である。という考え方は大昔からある。原始時代、呪術師が病気の元となると信じられていた体に巣くう悪霊を追い出す。というのも広い意味ではデトックスだ。
古代・中世になっても毒素排出という治療法は基本であったようだ。
漢方でよく用いられる薬は「緩下剤」(ゆるい下剤)、利尿剤(おしっこの出をよくする)である。これなどは体内からの排出機能を高め、毒素も一緒に出してしまおうという考え方であろう。もともと老廃物を出すのであるから、これが滞るより、ちょっと多めに出たほうがいいだろうということか。
ほかに廃物を体から出す機能には発汗作用がある。汗にして出してしまおうというわけだ。漢方では発汗利尿作用と一くくりにされるくらい知られている。漢方では薬によるのだが、発汗はサウナ、岩盤浴でもできる。
「これがトシちゃんの言うデトックスなのかなぁ?」
西洋医学でも中世から近世にかけてよく用いられた治療法がある。漢方にはそんな荒い治療法は一般的ではないようであるが、それは『瀉血』である。体内の悪い血を出してしまおうというわけだ。
下は江戸時代の長崎出島における西洋医学の治療法の『瀉血』図を日本人画家が描いたもの。腕の小動脈をランセットで開け、瀉血している。血が噴き出ているのがわかる。
これは血を抜くことそのものが治療法である。
これも広義のデトックスのひとつであろう。
このような治療法は古代から用いられてきただけあって民間療法としても広く定着しているようだが、それだけに毒素排出という科学的メカニズムは不確かなものがあることも否めない。何でもかでもというのには注意が必要だ。排出しすぎてスルメになっても困る。
思い過ごしかも知れないがこのようなセラピーは往々にして似非科学の範疇に入りそうな理論に基づくものが多い気がする。惑わされないようにしよう。
私が子供のときからある薬にこんなものがある。『たこの吸出し』
これなどは外用的に毒素を外に吸い出すもので、メイボ、おでき、膿などに用いた。これなども広義のデトックスだろう。
生理作用で人は体内にあれば毒素になりかねない老廃物を排出する。「尿」や「便」もそうである。また排出不能の場合でも肝臓などでその毒素を無毒化する機能もある。人はデトックスになるようなことを行っているのである。糞、尿以外でも排出されるものはそのような働きがある。痰、鼻くそ、耳糞もそうであろう。女性の月一の月経血も老廃物排出と見れないこともない。
そう考えるとどうだろう?威勢のよい18・9歳くらいの男の子は毎日のようにマスをかく。これには溜まった不要なものを「抜く」という働きがある。これなどもデトックスになるのかなぁ 、もし精液射出でデトックスになるなら、これは快感も伴うし、いいデトックスになりそうだなぁ。
(いつものように、それでは下ネタ絵図で締めくくりましょう、(^m^) )
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