2012年11月9日金曜日

秋の夜を如何にとやせん

 人恋しくなる夜、でも誰もいない。こんな夜はハイボールでも飲もう、あの懐かしい曲を聴きながら・・・・・・

これは前の方が良かった

 最近、IE8(エクスプローラ8)のブラウザでGメールやニフティーのホームページを見ていると、このIE8ではやがてこの画面はサポータされなくなり、一部機能が正しく作動しないことがあります。とのお知らせが画面に出るようになった。同時に新バージョンのブラウザを勧めるお知らせもある。

 エクスプローラの新バージョンはIE9である。指示に従ってダウンロード、インストールした。しかし、慣れないせいばかりではない。極めて扱いにくい新バージョンと称するエクスプローラ9である。
  
 あちこちせせって、クリックしたりして試したが、ググルクロムや火狐と同じようになっている。エクスプローラにはエクスプローラの長所があったが、それがなくなり、ググルクロムや火狐と扱いが変わらない。差異がないなら3つもブラウザはいらない。

 「これはなんなんだろう。だまされた。前の旧バージョンIE8の方が良かった。」

 さっそく前のものに直そうとして、アンインストールのため、コントロールパネルのインストール一覧をさがしたが、見当たらない。ウィンドーズのシステムに食い込んでインストールされたのかもしれない。
 困ってしまった。

 こんな時、パソコンには『システム復元』というのがある。これを利用して直前の状態に復元することにした。
 手順に従ってやると、前日の状態に戻り、エクスプローラ8に戻った。

 私のような年配者は、新バージョンは苦手である。以前使っていた慣れたものがいい。しかし、パソコンのソフトは次々バージョンアップされる。やがて古いのはある日、廃棄されるのだろう。
 新バージョンに慣れなければ、やっていけなくなる日が来る。

 「でも、その時までは生きてはいないだろうから、まあ、いいや」

2012年11月7日水曜日

あき色とバッハ

わずか40秒の、チェンバロのための組曲より小品を選びました。
(イギリス組曲第6番、ニ短調より)
   

2012年11月5日月曜日

長崎かすていら


 皆さんはどのようなお菓子が好みでしょうか。最近の若い人は洋菓子の好みが多いようで、チョコレート系のお菓子なんかが嫌いという人はまずいないようですね。

 このチョコレートはヨーロッパでも比較的新しいお菓子のようです。原料のカカオ豆はご存じのように新大陸原産ですから、当然、ヨーロッパに伝わったのは16世紀以降です。最初はコーヒー豆のように煎じるか何かしてココアのような飲料として用いられたようです。固形の板チョコが作られるのは19世紀中頃ですから、これからお話しする江戸時代には、皆さんのだぁ~~い好きなチョコは日本にもヨーロッパにもなかったのです。

 チョコこそありませんが、この時代(江戸期)のヨーロッパの洋菓子はだいたい現在のようなものが出そろっています。ここでその原料をちょっと見てみましょう。小麦粉はまあいいとして、バター、練乳、あとナッツ類などが使われます。
 どれもこれも脂肪分たっぷりです。それが洋菓子のおいしさの素でしょうか。でも砂糖以外はほとんどが各種の脂肪というのは健康面から感心しませんね。
 よくバランスのとれた食事をといいますが、極めてバランスの悪い『お菓子』は食事とは別のものという考えなんでしょうね。(お菓子は別口、とか別腹というのはそういうことか!)

 それに対し、江戸時代からある和菓子に注目してみましょう。ここでは長崎かすていらをとりあげます。原料は砂糖、小麦粉、水あめ、卵、その他です。原料の栄養素から見ると、脂肪過多ではありません。炭水化物、タンパク質、脂質がバランスよく入っています。カステラはずいぶん健康志向のおかしなのです。菓子でも食事と一緒で和風は健康にいいんですね。

 このかすていらのバリエーションである、小豆入りのカステラ(具体名でいえば小男鹿・さおしか、下記図)
 の場合なんかは小豆が入っているため、三大栄養のほかに『植物繊維』も豊富である。

 江戸時代長崎で作られ始めた長崎かすていら、はポルトガルから入った南蛮菓子としてのルーツが知られていますが、私に言わせればアチャラのスポンジケーキなどとは別物、日本のオリジナルといっていいでしょう。

江戸時代に日本に来たオランダ人も朝鮮人も中国人もこれを和菓子として認識しています。カステラを作る和菓子職人の腕は世界的にも一流で、これを茶菓子に食べたオランダ人も、

 『う~ん、こんなうまい菓子を作る菓子職人は世界広しと言えど、オ~ランダ!』

 と言ったとか言わなかったとか・・・

 江戸時代の長崎かすていらの世界にないおいしいところは

 これ以外にも長崎で和菓子は発展展開をみせ、多様でおいしい菓子が作られます。長崎がこのような素晴らしい菓子を生んだのはオランダとの貿易によって入ってくる豊富な「白砂糖」があったからだといわれています。
 日本人の贈答好きはこの時代から。高級和菓子のかすていらなんかは当時高級贈答品としてかなりの需要があったと思われます。

 オランダからの輸入砂糖はかなりの量にのぼりました。多くの和菓子が作られた証拠です。

 先日出島に行ったときに、輸入砂糖と、それからつくられた和菓子の動画を撮ってあります。ご覧ください。

 きょうは長崎かすていら、の宣伝になりましたね。長崎かすていら本舗から

 『宣伝料をいくらかもらいたいですわ~』

追伸、江戸のオランダ人の定宿、長崎屋はカステラ本舗とは全く別物です。当時の唐物(オランダ商品を扱う)店だったようです。

2012年11月4日日曜日

江戸を歩く 本石町 長崎屋

 花のお江戸を歩いても先日の長崎旅行が思い出される。

 『一体、お江戸と長崎とどうつながるのか?』

 それは時々このブログでも取り上げた長崎出島・商館長の『江戸参府』、オランダ人は商館長と医師、書記の3~4名、残りは日本人ばかりが長崎から60人余の大名行列の格式で江戸城まで将軍に拝謁に出かける行事である。1790年までは毎年、以後は4年に一回となるが幕末まで続けられた。

 目的は、ヨーロッパで唯一、貿易が許されたことへのお礼言上、それに伴い贈り物献上、そして、今後の貿易の許可である。

 下は品川辺りを行くオランダ使節一行の行列の一部
 オランダ使節は江戸では、外国からの賓客であるから、丁寧にもてなされた、ただ、幕府の施設には泊まらなかった(なぜだろう?)、商人の『長崎屋』を定宿としていたのである。

 今回、日本橋近くの室町にその場所があるので見に行った。当時の江戸きり絵図ではこのあたりである。当時は江戸・本石町といった。
この近くには、時を知らせる、時鐘があった。

 江戸の人はヨーロッパ人などめったに見られないので、オランダ人がここに泊まったときは野次馬がどっと押し寄せた。北斎の版画にその様子が残っている。
 この場所は日本橋から歩いて5分ほどのところなのだが、場所がわからなくて、お巡りさんやガードマンに聞いてようやくその場所に行きあたった。
 しかし、現在、残っているのは地下鉄の入り口にその長崎屋があったことを示すプレートのみで、せっかくいったのにがっかりした。

 そのときのブログです。ここクリック
 

2012年11月3日土曜日

江戸を歩く 商売と金の中心地

 今回の旅行で江戸の名残を求めて東京中心部を徹底的に歩くつもりだったが、老化による体力の衰えを忘れて、初日から無理をしたのが祟って、(スカイツリーから隅田川沿いを両国まで歩いた。)くたびれて歩けなくなった。結局、日本橋界隈を中心に比較的狭い範囲を歩くことになった。

 前回では江戸時代の街道の中心地、日本橋を取り上げたが、この日本橋あたりは交通の中心地であるばかりでなく、商業、金融の中心地でもある。

 まずは日本橋!
江戸時代、書肆から出版されたもの切絵図がある。これを元にたどっていこう。

 日本橋から北に向かうと駿河町がある。ここらあたりが当時の最大の商店があったところである。その名は、『三井、越後屋』
 現銀掛け値なし、の商売で全国一の店舗に発展した。
 うれしいことに江戸時代から数百年たっても、この場所にはその三井、越後屋の直系の店が今も存在する。日本は世界にも誇れる老舗(創業、江戸時代なんかはザラ、中には千数百年前の飛鳥時代創業というのもある。)の多い国だ。

 屋、頭をとって、『三越である。江戸時代とほぼ同じ場所にある。日本橋から見える。

 ここは日本橋の北詰、江戸時代はここを曲がると江戸城が直線で見えてくる。そして江戸城のバックに富士山が見えるという、まさに店舗としては天下一の一等地である。
 下は朝鮮使節が江戸城に上がるとき、駿河町越後屋の角を通る『図』である。

 今、デパートの売り上げは伸び悩んでいるが、老舗の三井・越後屋、三越はその歴史と伝統を背負って今も雄雄しくここに存在する。

 商業のシンボル、呉服屋(今は百貨店に変わったが)は江戸時代と変わらず今もここに存在することは歴史好きにとってはうれしいことである。上の写真では近代的なビルとなったが、絵図で当時の様子がしのばれる。
 また、江戸東京博物館ではこの店の模型が展示されている。下は私がカメラに取った写真である。
 
また、金融の中心も江戸時代に変わらずこの近くにある。まず江戸時代の切絵図から

この金座そしてその隣の両替町のある辺りに今あるのは、

 そう、日銀、日本銀行である。このあたりには銀行の本店も多い。ここからすぐのところには銀行の父とも言われる渋沢栄一の銅像があった。


 江戸時代から変わらず商業と金融のシンボル的存在の三井・越後屋、金座・両替が『三越』、『日銀』と名を変えたが、今もその伝統を受け継ぎ同じ場所に存在するのである。
 
 

2012年11月1日木曜日

早くも初冬か

 午後から北西の風が強くなり、日も雲に隠れ、寒くなった来た。

 早くも初冬か、家にじっとしているとじわっと底冷えがしてくる。ぶるると震える、身も心も寒くなる

 初老に初冬はきつい

 こんな夜、どう過ごそうか、侘しさが増してくる。

 皆さんはこんやどうされてます。

 奥さんの暖かい膝枕で、あるいは熱燗で、または熱い風呂に浸かってゆったりと

 極楽は初夏の昼下がりが永遠につづくと誰か言っていた。いい季節の設定だ。

 ホントにこれからこの寒さをどうしのごう