花のお江戸を歩いても先日の長崎旅行が思い出される。
『一体、お江戸と長崎とどうつながるのか?』
それは時々このブログでも取り上げた長崎出島・商館長の『江戸参府』、オランダ人は商館長と医師、書記の3~4名、残りは日本人ばかりが長崎から60人余の大名行列の格式で江戸城まで将軍に拝謁に出かける行事である。1790年までは毎年、以後は4年に一回となるが幕末まで続けられた。
目的は、ヨーロッパで唯一、貿易が許されたことへのお礼言上、それに伴い贈り物献上、そして、今後の貿易の許可である。
下は品川辺りを行くオランダ使節一行の行列の一部
オランダ使節は江戸では、外国からの賓客であるから、丁寧にもてなされた、ただ、幕府の施設には泊まらなかった(なぜだろう?)、商人の『長崎屋』を定宿としていたのである。
今回、日本橋近くの室町にその場所があるので見に行った。当時の江戸きり絵図ではこのあたりである。当時は江戸・本石町といった。
この近くには、時を知らせる、時鐘があった。
江戸の人はヨーロッパ人などめったに見られないので、オランダ人がここに泊まったときは野次馬がどっと押し寄せた。北斎の版画にその様子が残っている。
この場所は日本橋から歩いて5分ほどのところなのだが、場所がわからなくて、お巡りさんやガードマンに聞いてようやくその場所に行きあたった。
しかし、現在、残っているのは地下鉄の入り口にその長崎屋があったことを示すプレートのみで、せっかくいったのにがっかりした。
そのときのブログです。ここクリック
2 件のコメント:
長崎屋って、カステラの長崎屋とは関係ないのでしょうか?徳島にはあまりなじみのない名前ですね。カステラ最近食べないです。なんでだろな~ヽ(^。^)ノ
いつもコメントありがとうございます。
寒くなりましたね。行き帰りたいへんですね。風邪などひかないようにしてください。
長崎カステラでまた、長崎旅行の史料の中から触発されました、今日のブログで取り上げます。
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