前回では江戸時代の街道の中心地、日本橋を取り上げたが、この日本橋あたりは交通の中心地であるばかりでなく、商業、金融の中心地でもある。
まずは日本橋!
江戸時代、書肆から出版されたもの切絵図がある。これを元にたどっていこう。
日本橋から北に向かうと駿河町がある。ここらあたりが当時の最大の商店があったところである。その名は、『三井、越後屋』
現銀掛け値なし、の商売で全国一の店舗に発展した。
うれしいことに江戸時代から数百年たっても、この場所にはその三井、越後屋の直系の店が今も存在する。日本は世界にも誇れる老舗(創業、江戸時代なんかはザラ、中には千数百年前の飛鳥時代創業というのもある。)の多い国だ。
三井、越後屋、頭をとって、『三越』である。江戸時代とほぼ同じ場所にある。日本橋から見える。
ここは日本橋の北詰、江戸時代はここを曲がると江戸城が直線で見えてくる。そして江戸城のバックに富士山が見えるという、まさに店舗としては天下一の一等地である。
下は朝鮮使節が江戸城に上がるとき、駿河町越後屋の角を通る『図』である。
今、デパートの売り上げは伸び悩んでいるが、老舗の三井・越後屋、三越はその歴史と伝統を背負って今も雄雄しくここに存在する。
商業のシンボル、呉服屋(今は百貨店に変わったが)は江戸時代と変わらず今もここに存在することは歴史好きにとってはうれしいことである。上の写真では近代的なビルとなったが、絵図で当時の様子がしのばれる。
また、江戸東京博物館ではこの店の模型が展示されている。下は私がカメラに取った写真である。
また、金融の中心も江戸時代に変わらずこの近くにある。まず江戸時代の切絵図から
この金座そしてその隣の両替町のある辺りに今あるのは、そう、日銀、日本銀行である。このあたりには銀行の本店も多い。ここからすぐのところには銀行の父とも言われる渋沢栄一の銅像があった。
江戸時代から変わらず商業と金融のシンボル的存在の三井・越後屋、金座・両替が『三越』、『日銀』と名を変えたが、今もその伝統を受け継ぎ同じ場所に存在するのである。
2 件のコメント:
日本橋って、東京駅の近くにあったんですねw、知りませんでした。三越が三井・越後屋だったとは・・・、そもそも三越なぞは入ったことが無いです。通り過ぎたことはありますが(^o^)
日本銀行もここにあったんですか、皆さまを経済という宗教に洗脳した諸悪の原因である「お金」を発行している所ですね。なんか悪の城みたいな雰囲気ですね。絶対に入りたくないです。!(^^)!
入りたくても入れてくれません。道路から私がカメラを構えればガードマン数人の視線を浴び、門付近でウロウロしてると、どこかお探しですか、と近寄ってきます。
もし、ここらあたりでペットボトルを放り投げる格好だけでもすれば、すわ!テロだ!と、あっという間に逆放射状に大勢にとびかかられ、道路に踏みつけられるでしょう。
皇居やこの辺りはやたらと警備員、警察が多いです。チェックは厳しいです。
ただ質問したりするとガードマンもポリスもとても丁寧に教えてくれます。
お巡りさんなんかは、顔スタイルとも抜きんでたイケメンぞろいです。近衛兵の伝統を汲んでいるのか、噂によれば採用の時、みめかたちが良いのが基準だそうです。
皇室、金融、政治の中心ですから、何もかもが選りすぐり、建物、人物、本当にエグゼクティヴです。
我が国のすごいところは、皇室は1700年以上の歴史、金融は後藤家金座から数えても400年、三井家なんかも300年の歴史があるところです。ほんとうに名もない田舎者の私なんかはこの界隈、見ただけで目がくらみそうでした。
丸の内あたりを歩く、黒スーツの20代のヤッピーにも瞠目しました。
「おんなじ日本人じゃろか、どんだけ優秀なんだろ、かなわんなぁ~」
すごい世界もあるもんだわ。が感想です。
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