2011年8月21日日曜日

目鼻立ち その2 

 現代女性の目鼻の好みはどうなっているのだろうか。美容整形の傾向によって知ることができるのではないだろうか。

 まあだいたい予想はつくと思うが目は瞼の脂肪をとったり、二重瞼にするのが一番多い。逆に一重まぶたにしたり腫れぼったい目を希望する女性などはほとんどいない。
 結果、二重瞼のお目めパッチリ、がもっとも好まれるようだ。

 鼻に関しては一般に高いのが好まれるようであるがむやみやたらと高いのではなく小鼻も整いキュートなのが好まれる。反対に欧米人なんかは鼻を小さく、むしろ低くする人も多いそうだ。
 日本人に関しては低くしたり、団子鼻を好む人はまずいない。

 まあごくごく大雑把にいえば

 「目は二重で大きく、鼻は高く」

 ということか。ということは欧米人とのハーフっぽい顔が好まれそれが一般的な美人となるのだろう。

 昨日、信貴山縁起絵巻を読んだついでに他の絵巻物も見ていた。これらは平安末から鎌倉期にかけてのものである。
 その中の「男衾三郎絵詞」の絵巻を見ていて特異な女性を発見した。お目めパッチリで鼻は高く顔もほっそりのまさに現代風の美女。
 私はそのモダンさに「中世絵巻物のパリジェンヌ」と勝手に名付けた。まあ百聞は一見に如かずで見てください。
びっくりするぐらい高い鼻、印象深い大きな目、袖で隠れてますが顎もかなりシャープなんじゃないでしょうか。そしてこの時代の高貴な女性にしてはめずらしく髪もカールしてます。こういう装束の女性の髪が直毛でないのは他にはまずお目にかかれません。
 これらの特徴からモダンな「中世のパリジェンヌ」と名付けました。

 この時代、絵巻物に描かれる高貴な女性はある定型化がされています。次のように
 いわゆる「引き目鉤鼻」。目は細く一本の線を引いたように。鼻は鍵 < このように。顔もほっそりタイプではなく「しもぶくれ型」。

 いかに定型化されているといっても2つを比べると上の「中世のパリジェンヌ」の方が現代風の好みに近いのではないでしょうか。このパリジェンヌ、なんとなくジャガー横田に似ていて、これどうなんだ!美人か?というご意見もありましょうが、現代風の顔ということで話を進ませてください。

 ではそもそも定型からずれたほとんど例のないこのパリジェンヌの女性、なんでこのように描かれて登場したのでしょう。

 絵巻物は絵物語になっています。この物語は関東の武蔵の国男衾郡の大きな所領をもつ武士の話なのです。
 この武士、質実剛健、武勇の武士の妻に美女はいらないというので、関東一の醜女(しこめ)を嫁にとります。
 つまりこのパリジェンヌ、関東一の醜女・ブスだったのです。

 モダンな現代風の美女?おまけに髪もパーマをかけなくてもカールしてパリジェンヌのようなのにこの女性

 「醜女醜女(しこめしこめ)しき女だったのです。」

 時代が変われば目鼻の好みもずいぶん違うものですね。

 さてこの絵巻物のパリジェンヌの女性写真に続きのおまけ写真をつけておきます。

 このパリジェンヌと武士の間に娘が誕生します下の2枚がそれです。
 まるでメンデルの遺伝学の教科書を見るようで、笑ってしまいました。
 上は小さな娘時代
そして成人した娘、父母は貴族の男性と見合いをさせようとするが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2011年8月20日土曜日

目鼻立ち

 地上波のTVを見なくなってもう一か月たつが何の不都合もない。ただニュースなどはやはり知りたいためラヂヲを聴いたりネットを見ている。
 ネットのニュースのいいところは自分で知りたいニュースを選び、それについてわりと細かく知ることができることである。興味あるニュースだとクリックしていくとどんどん深化あるいは広がっていく。

 今から振り返ってみるとあの地上波のTVニュースは一方的に垂れ流しで、当然、選択の余地などない。まあ重要度の高い順に公平にお知らせしてくれるから聴いていれば満足度は高い。しかしそれは最初の方だけで、後の方のニュースになると知りたくもない芸能だの料理、旅行などが入ってくる。
 やっぱり地デジのチュウナ買わずによかった。ラヂヲとネットだけでニュースは充分だ。TVもいまは時たま家でDVDの映画を見るのに使うぐらいである。

 さて、今日そのネットを見ていてちょっと興味を引くニュースがあった。分野は国際・芸能ニュースであるからシリアスなニュースではない。見出しは次のようなものである

 「仏俳優ジェラール・ドパルデュー、機内座席で小便 」

 やったことは軽犯罪法に触れるかどうかわからないがかなりの迷惑行為であることは間違いない。
 だが興味を引いたのはそんなやったことではなくニュースにくっついていた彼の写真である。


下の写真の方が最近の写真である。

 「う~ん!見事すぎる鼻じゃ。」

 歳がいった下の方の鼻なんか先が二股になりかけている。

 大きさといい形といい立派としか言いようがない。











何かの本で読んだが人の体の中で「鼻」だけは歳がいっても最後まで成長を続けるそうである。

 もともと大きい西洋人は年老いたらもっとでかくなることか。

 しかし、西洋人に多いとがった鼻だとこの俳優のように立派、見事な鼻にはならないだろう。

 鼻の形の分類に鷲鼻、ローマ鼻、ユダヤ鼻、などあるがこの俳優の鼻はなんというのだろう。
 西洋団子鼻か?

 私が若ければすらっとしたそれこそローマ鼻にでも憧れるが、この歳になるとこの俳優のような押しの強いというか存在感のある鼻にあこがれる。

 ちょっと不気味すぎるって?
 しかし顔の中心にあって大きく目立ち、相手を不気味にさせるほどの存在感のある鼻なんて「男」としては最高だと思うけどな。

 よく下世話にいわれる話は
「鼻は男性自身のシンボルといわれる。」
 まあ、銭湯や温泉に入ったときまじまじと他人様の鼻と男性シンボルを見て調査したことはないので真偽はわからないが、なんか「そうじゃないのか、と信じさせるものが立派な鼻にはあります。」

 日本人にはこんな大きなすごい形の立派な鼻なんかめったにいないだろうと思いますよね。同じ俳優同士、日本の男優にこんな鼻を持つ人いたっけ?
 いませんよね。

 俳優にはいないけど私、どこかで見ましたよ。朝からどこで見たか考えていました。もちろん日本人ですよ。そして夕ご飯を食べてくつろいでいたら、おお、やっと思い出しました。
 中世の絵巻物の僧侶だったのです。本の乱雑な山からそれを見つけだし写メールに撮りました。
 絵巻物は「信貴山縁起絵巻」飛び倉の巻です。この上の絵の左に数珠を持った坊さんと下の絵の子供に手習いか何かをさせている坊さんは同一人物です。
 中世の絵巻物といいながらこの「信貴山縁起絵巻」は写実性の高い絵巻なので実際このような立派な鼻を持った僧侶がいたのでしょう。

 芥川龍之介が「今昔物語」をもとに書いた小説「鼻」にもこのような立派で大きな鼻をもった僧侶が登場します。詳しくは下をクリック
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/42_15228.html

 大きな鼻(ということはでかい男性シンボル?)を持て余したから坊さんになったのかな。まさかね。

 私もどちらかというと鼻は大きい。鼻は死ぬまで成長続けるというんだったら、私も90や100歳まで生きればこんな見事な鼻になるのかもしれない。

 明日は女性の「目鼻立ち」について書きます。

2011年8月19日金曜日

電波が窮屈ってか

 スマートホンに割り当てられた周波数帯(よくわからないがたぶんメートル波かセンチメートル波と思う)の利用が多くなったため、多くの端末が集中する駅、列車などではアクセスし難くなりつつある。今後もインターネット利用の携帯端末は増えること確実なので増々混雑しつながりにくくなることが予測される。
 そのため昨日の新聞報道によればアメリカなどではスマートホンの定額制を見直そうかという話が出ているそうである。それに便乗して日本も検討に入る云々・・とあった。
 私などは今後も無線でインターネットなど使うことはないから、どうぞご勝手に、で済むが利用する人にとっては値上げにつながる大問題である。でも、この従量制の移行、あり得るかもしれない。

 もう今の若い人は知らないが、市内電話は昔は定量制でした。たとえどれだけ長くなろうと10円でした。市内電話に関しては一回つながると無制限使い放題でした。公衆電話などもそうですから勢い長くなり、待ち人で列ができているのに延々話し続け顰蹙を買う光景が見られたものです。イライラから暴力事件も多発しました。
 酢だの蒟蒻だのと埒もない話を延々続けるのは回線が勿体ないと思ったのかどうか、やがて定量制は見直され、3分以降は従量制になりました。

 経済の原則から言えば、使った量に見合う料金を払うのは当たり前のような気がするんですが、ネットの世界はこういう原則はないんでしょうか。
 瞬時に膨大な情報を遠くへ送れるネットであればそうチマチマと量のはかり売りなんかしなくても大丈夫なんでしょうか。

 しかし、これ無線だとどうなんでしょう。媒介に電波を使う場合、周波数帯の特性などから情報の容量が決まってしまいますからある 都市空間で何百万のネット端末を無線でつなぐことは無理なんじゃないでしょうか。

 とまあ、素人は思うわけですよ。でもこれってそう思わされている可能性だってありますよね。なにせ、そのように思わせ、もういっぱいいっぱい、電波も手狭でしょうがない。だから従量制にしましょうね。という方向に導く策略かもしれませんからね。

 結局のところ電波の専門家に聞かなきゃわからんということになるが、今まで我々は電波にどれだけの情報量をのせ、時代とともにその情報量を増やしてきたかを考えると、いくら利用者が増えたからといって無線回線がパンクするとは思えない。

 最初、マルコーニが火花発信機で電波を飛ばした。最初の発信機の電波は火花発信機からのものであったためたった一回線の送発信でもおそらく中波~短波全域をカバーする驚くほど広い周波数帯を必要としたはずです。そして送れる情報はモールス信号だから、効率の悪いことこの上ない。

 次にAM発信機が登場し情報量が増大し、電波帯の利用も狭くなり、多くの回線(放送局)がとれるようになった。身近な四国放送でいえば1269KヘルツだがAM変調の特性でその周波数の上下10Kヘルツぐらいは側帯波を伴うから20Kヘルツの幅で中波帯の情報回線は確保できる。
 500K~1500Kヘルツの間ではだから50の回線(放送局)がとれる。

 以後、超短波帯、極超短波帯。センチ波などに電波利用は広がり、またFM、デジタル、圧縮技術など情報変換技術も進歩した。

 今、UHF帯の電波を利用するとして、一回線利用電波帯の幅は剃刀の刃よりもっと狭いはずだ。そしてその幅の中に一回線どころか多重通信技術、圧縮技術のおかげで数百数千の回線がとれるのではないか。

 いくら無線だからといってそう簡単に回線が混雑してお手上げになるとは思えない。わたくしは専門家ではないがマルコーニから始まった120年にわたる電波の利用の歴史の流れ、情報の容量の時代軸に対する幾何級数的な上昇とそれを可能にした技術革新を見ると電波が窮屈になるなどとは信じられない。
 一般に電波は波長が短くなるほど詰め込む情報量は増大する。しかし、あまり波長が短くなると遮蔽物があると届かなくなったり遠くまで届かなかったりするが、それは地上波であるからである。、例えば波長のごく短い電波を衛星から指向性(半径わずか10mくらいの限定でスポットライトのように浴びせる)を持って地上に注ぐという方法だと無限に近い情報を送ることができると思うのだがどうだろう。

 電波が窮屈になるという話はスマホを従量制にしたいヘル・ゲイトや孫正変(そんせえへん)らのいいわけじゃないのか、と思う。

 ほうじゃわ、わっせとったわ。やまさんとこのアナログのTVをようもようも使えんようにして、

 「ああ、まるで、悪徳の地上げ屋のようにやまさんちの利用テレビをブチめぎ、VHF帯を更地にしたな!」

 あの電波帯どなんなっとんじゃ。悪代官と越後屋がつるんでええようにポッポ内々するんじゃなかろうなぁ~。許せへんぞ~。

 「開いた電波帯、高こう売って、庶民に全額還元しろ。」

 「それからついでにいうとく、TV局の電波利用料もっと大幅値上げしてその分庶民の携帯電波の利用料下げろ。あんなしょうもない番組、電波料金が上がったら全滅じゃわ。」

 最後はぼやきになってもうた!

2011年8月16日火曜日

地獄の釜の蓋の開く日、立待ちの日

 私は明治生まれの祖父母に育てられたため、昔からの言い伝えや諺、今から考えると迷信に過ぎないのではないかと思われるようなことまで、よく聞かされた。

 その中の一つに、「お盆は水遊びしたらいけない。恐ろしい禁忌に触れる。」というのがあった。
 子供の頃は水遊びが好きでよく祖父にせがんで吉野川に連れて行ってもらった。(もちろん祖父の監視の下で)しかし、盆は絶対に水遊び禁止なのである。

 なぜ?と尋ねたら祖父は

 「お盆はな、地獄の釜の蓋が開くんじゃ。そのためあの世とこの世が行き来できるんじゃ。だからな、お盆にうかうかと泳ぎよったらあの世へスルリといってしまうんじゃ。」

 人一倍怖がりの私は地獄とかあの世とか聞いただけで半泣きになったぐらいだから、この話は説得力がありその後も守ってきた。

 大きくなって諺辞典などで調べると、この「地獄の釜の蓋の開く」というのは祖父の言ってたような意味と違うことがわかった。絶え間なく責めさいなむ地獄でさえお盆は鬼も閻魔も休むそうであり、いわば地獄の休日、そのため釜も休業となりふたが開く、のである。
 つまり、「誰かれなく休む」という意味である。

 しかし、昔から、またどの地方でも死んだ人の霊が帰ってくるお盆には泳ぐことは「禁忌」であった。祖父は子供にしっかりとその禁忌を教え込むため、なんか言葉も怖そうな「地獄の釜の蓋が開く云々・・」といったのかもしれない。

 厳密には今日盆の終わり16日が「地獄の釜の蓋の開く」日である。

 今日、自転車に乗って小松海岸海水浴場へ行ったら、海水浴場を閉鎖していて工事の車、人が撤去作業をしていた。

 「やっぱり地獄の釜の開く日には泳がないんだ!」

 監視小屋も壁、床板が取り除かれフレームのみになっている。シャワー室も取り払われていた。
  暑い中ここまで来たが、せっかくだから今日は月見が丘まで自転車で行くことにした。
 というのはここから月見が丘まで「自転車専用道路」があるのである。下の看板に誘われた。
 ところがまあその距離の長かったこと。そして太陽に照らされ炎熱地獄。ぶっ倒れそうになりながら自転車を漕ぐ。
 自転車道は下のような道、これが延々つづく。
 1時間半かかってようやく「月見が丘海浜公園」へ着く。着くと同時に驟雨、ビジターセンターで雨宿り。
 下がビジターセンター
 この公園の中に面白い施設があった。「立待月鑑賞施設」。下がそれ
 この台に立ち、体を後方にもたせかけ月を見る。まさに立待の月ですな。
 実は今日はその立待月の日、旧暦の17日の月なのです。

 近くにあれば午後8時ごろ、行って、この背もたれにもたれ月を鑑賞するのだが残念。

 ちなみに旧暦で昨日の16日は「十六夜」(いざよい)
             今日17日は「立待月」
             明日18日は「居待月」
                19日は「臥待ち月」

 月は一日ごとに出るのが遅くなるから、最初は立って待っていたのが、坐り(居待)、そして寝て待つ(臥待ち)になるんでしょうね。面白い「月の相」の命名ですね。

 私にとって今日はタクラマカン砂漠横断のような真夏のサイクリングでした。顔がほてって微熱が出た時みたいです。足の筋肉、腰、自転車に乗りすぎて痛いです。
 明日、どういうことになっているか恐ろしいです。
      

2011年8月15日月曜日

お盆特別企画 その2 六道輪廻図絵・天道・修羅道編

天道図絵
 この図絵は善根をうまく積んだやまさん爺がめでたく「天道」に転生したイメージ図です。
 池があって蓮が咲いています。蓮の台(うてな)に転生したばかりのやまさんがいます。豆狸3匹も同じ台(うてな)に転生しました。これを「一蓮托生」といいます。
 誤解しないように言っておきますが「天道」は永遠ではありません。気の遠くなるような長さではありますが「天人」にも寿命があります。劫が尽きれば老衰して(これを天人五衰という)滅します。
 滅すればやはり輪廻します。ここで善が足りなければ下の5道に落ちます。天の住人といえども六道輪廻の円環からは逃れられません。


修羅道図絵
 修羅道は争い・戦が絶え間なく続き、弱肉強食、阿鼻叫喚のおどろおどろしい世界です。
 やまさんが武士になって戦っています。海に半分浸かり弓を射るところです。

 中央には永遠に戦い続ける神である「阿修羅」がいます。

 弱い人間は長生きできそうもない世界です。

 われわれの魂は永遠に六道の円環を回り続け、その因果応報の世界から逃れられないのでしょうか、
 「ありがたい教え」(仏教)によるとそれを逃れる方法は、悟り・解脱・涅槃によってこの円環から超越するのだそうです。

 六道輪廻はあの世のことならず、実はこの世にあるという人もいます。人の運命の転変を六道に例えたものでしょう。天道のような幸福から、地獄のような不幸へ、人の一生を六道輪廻のように見ます。
 平家物語の建礼門院は「大原御幸の巻」で自分の一生は六道輪廻を経験したと告白します。

 西洋は輪廻の思想と程遠いように思いますが、運命を円環(車輪)に例え、六道のように回りながら幸・不幸がめぐり来たり、抗えないものという考えがあります。

「全てのものは運命に支配されるもので、運命の女神の持つ車輪の前にはすべて服従しなければならない。」

 このような意味のドイツの中世の詩に歌がついたのがあります。「カルミナ・ブラーナ」です。
 この曲を聴くと「魂の輪廻」あるいは「運命の歯車」の回る音を聴くような気がします。

 去年11月12日のブログでも取り上げましたがもう一度、お聴きください。

わたしは個人的にこの歌を「輪廻の歌」と名付けました。