2026年10月26日月曜日

秋この頃、遊行じゃぁ~~

  古代インドでは人生を四期に分けているそうだ。若い順に「学生期」(がくしょうき)、「家住期」(かじゅうき)、「林住期」、「遊行期」である。第三期の林住期は、住するところ定まらず、家から離れて(林は象徴的な意味で)気ままに(よく言えば自由に)過ごす。そして最後の遊行期は文字通り遊行しながら終焉を迎える時期である。ただし遊行とはいってもフラフラさ迷い歩くとはちょっと違うようだ。

 後期高齢者に入った今のワイにこの四住期を当てはめると、林住期は通り越して遊行期になる。古来からいた聖(ひじり)のような深遠な遊行は(つまり哲学的、あるいは宗教的な意味で)できないが、先ほど言った一般的な遊行、ふらふら楽しみながら歩きまわる、ことは出来る。というか今のワイにはそれが最もふさわしい生き方のような気がする。

 厳しかった暑さもおさまり秋らしい気候となったこの頃、歩き、あるいは自転車でフラフラ遊行している。人少ない自然の中を行くのは気持ちよい。この歳になると山歩きはちょっとキツイので、寂しい海岸、寂寞とした野原、人より石仏の多い里などヒラ(平)地をさまよっている。

 10月16日

秋の野原で。一か月前は曼殊沙華の赤が目立った野原は今はセイタカアワダチソウの黄いろで彩られている。一本道の向こうに見えている林は、野原の神社にふさわしい?「野神社」、この道を自転車をこいでゆく


 10月19日

線路沿いの野原を行っていたとき、よい香りが漂ってきた。キンモクセイかなとおもったが、それよりももっと甘いかおりだ。鼻を頼りにさがすと、これは「ギンモクセイ」だ。この系統の香りはデオドラントや芳香剤、化粧品に使われる。よい香りといったがワイは好きではない。先日のブログで紹介した「ハマゴウの実」のにおいの方が好きだ。


 10月24日

土手沿いの三叉路にある高地蔵、なんでこんなに台座が高いか(それで高地蔵というが)、昔は頻繁に洪水が起こった、そのためこのように高くしている。


 今日

朝から雨、無人駅の小舎に猫がうずくまっている。近づいても逃げない、チョッ、チョッと呼ぶと、ネウネウと哀れげになく、ちょっといたましい風があふれている。雨の中、家はないのか、餌をくれる人はいるのか。


2026年10月18日日曜日

大学祭に行ってきました(板野町)

  自動車整備専門大学(徳島工業短期大学)の学園祭が今日あったので行ってきました。バス停および駐車場から大学まではこの日のために大学がボンネットバスを用意して送り迎えしてくれます。私も路線バスから降りて大学までこのバスに乗りました。


内部


歴史的遺物と言ってもいいフォードの自動車が展示されていました。高校の歴史教科書に、フォードが始めた自動車のライン生産(オートメーション)、それによる大量生産、そして廉価販売でアメリカでは20世紀の初頭、モータリゼーションの波が起こり、大衆に自動車が普及した。との説明とともに、このような写真の車が挿絵に乗っている。


このようなクラッシックカーもありました、シトロイエンかな?


学園祭の動画です。アトラクションもあり、キッチンカーも出ていました。


2026年10月13日火曜日

中林海岸

 


 昨日(12日)、中林海岸へ行ってきました。8月に阿南市の淡島海岸へ行きましたが、そのすぐ南にあるのが中林海岸です。両海岸を隔てるのはちょっとした岬で、中林海岸へ行く道は、岬の丘を越えるため、これもちょっとした峠になっています。




 淡島海岸から中林海岸へ行く峠道から撮った写真、8月に行った淡島海岸が見えている。


 中林海岸の全景動画、岩石のみの小島が見えているが「猫島」の名前がついている。


 以前も紹介した海浜植物の「ハマゴウ」ですが、八月には上の写真のように紫の可憐な花をつけていましたが、昨日は中の写真のように黒い実を、巫女さんの持つ鈴のように、たくさんつけていました。そして下の写真は、実をしごいてとったよい香りのするビーズのような実です。昔は匂い袋の中味にしたそうです。



2026年9月30日水曜日

定食屋

 


 最近、安くておいしい定食屋を見つけよく通っている。定食といっても、10種類ほどのおかずの皿が並んでいて、どれも一皿200円、ただし冷奴の皿とフィッシュカツ5切れの皿は100円である。その中から好きなものをとり、あとは味噌汁(100円)とごはん大200円、中150円、小100円(漬物皿はサービスで無料)のどれかを頼み、盆に自分で置き、定食セットにするのである。。

 おかず一皿と小ご飯、味噌汁をセットにすれば400円、これでも老人には十分な定食である。またおかず二皿と味噌汁、ご飯の中盛りを組み合わせると650円である。こちらはよほどお腹のすいたときでないと食べきれないほどのご飯、おかずの量である。


 今日の昼過ぎにも定食を食べに行った。二時近かったので、人気のあるおかずは売れてしまっていて3~4種類くらいしかない。その中から「里芋とイカの煮物」の皿と「フィッシュカツ」の皿(これは100円)、あと味噌汁と小ご飯(漬物付)の組み合わせで〆て500円、十分満腹した。

 なお、定食屋に関するブログは16年前にも作りました。この時の定食屋ははるか大昔、私が学生時代に通った定食屋を主題にしました。この時点(16年前)でまだ定食屋をやっていましたが、そのすぐ後、オヤジさんの高齢と持病のため廃業しました。この時のブログもあわせて読んでいただければ嬉しいです。16年前の学生向き定食屋のブログ⇒ここクリック

2026年9月23日水曜日

秋分の日

  早朝、墓参りした後、家に帰って洗濯。秋分は統計的に毎年曇りから小雨が多いが、今日は快晴で洗濯日和である。洗濯物を干した後、午前中はゴゾゴゾして時を過ごす。昼すぎ洗濯物は充分乾いたので取り込み、それからどこか札所へお参りしようと考える。昨年のブログを見ると秋分の日には立江寺へお参りしている。その数年前はまだまだ元気だったのか、切幡寺まで自転車で出かけている。今はちょっと無理だ。私はバスのフリー定期『ながいき定期』を持っているのでバス路線のあるところの札所はバスで楽に行けるが、残念なことに切幡寺への路線はない。

 今年は近くで自転車で行ける札所・藤井寺にした。私が小さい時、明治生まれの祖母と一緒に傍系の祖先の墓のある切幡寺へ毎年のようにお参りに行ったが、その時、悪天や都合で切幡寺へ春分や秋分の日に参拝できないときは、近くの藤井寺へ参拝してもよいと言っていたのを思い出した。祖母は藤井寺といわず親しみを込めてお寺のことを「ふじっさん」と言っていた。

 最短コースをとらず、ちょうど彼岸の時期でもあるのでヒガンバナの咲いていそうな飯尾川沿いの道をとって藤井寺に向かった。

 飯尾川沿いに咲く曼珠沙華(ヒガンバナ)




 それから藤井寺に着き、参拝を済ませる。下は山門と本堂


 本尊・薬師如来、真言、「オンコロコロ、センダリ、マトゥギ、ソワカ」

2026年9月15日火曜日

浜香(ハマゴウ・正式には浜栲)を嗅ぐ

  一昨日のブログにハマゴウの香りが嗅げなくて残念と書いた。機会があれば、また(行って今度は香りを嗅ぐ)、とも書いたが、今年になって物忘れが一段と進んだ。いつかなどどと悠長に構えていては、そのうち忘れてそのままになってしまう可能性が高い。そこで思い切って今日、再び一昨日の場所に出かけた。

 砂地に這うように自生し、薄紫の花をつけている。


 香りを嗅ぐため今回は採取した。

 自生している群落のまわりを見ると、一昨日見たときより心なしか花が少なく、実が目立つようになっている。ハマゴウは夏に花を咲かせ、秋に実がなる植物である。ここ数日で枯れる花が多くなり、そのぶん結実し始めたのであろう(実はまだ青い)。遠くに大鳴門橋が見える。


 花、実、茎、葉、の各部を少し揉んで香りを嗅いでみた。


 一番香りが強かったのは「実」、そして次に「葉」、花と茎はほとんど匂わなかった。さて、私の鼻が感じた香りであるが、表現するとしたら、ミントやハッカのようなさわやかな香りで、ミントやハッカよりマイルドかな。確かに、香料として名が知れているので芳香であることには間違いない。

2026年9月14日月曜日

今日、今年初めて見ましたよ曼珠沙華

  今年は例年にない暑さで、まだまだ暑い日が続いている。九月も中旬になろうかというのに今日も32度の最高気温を記録した。昔の人は「暑さ寒さも彼岸まで」といったが、暑さが治まるのも次月くらいまで後延ばししなければならないだろう。だから彼岸の入り頃から、野山のそこかしこに、ある日を境に赤い色の派手な花であるヒガンバナ目につき始めるが、それも暑さのせいで後に伸びるだろうなと思っていた。

 ところがである。今日、例によって自転車であてどもなくさまよっていると、ほとんどが緑色一色に近い夏草の中に、パッと目立つ大輪の真っ赤な花が目に入った。彼岸花である。私の大、大、大、が三つくらいつくほど好きな花である。日本人は一般的に桜の花が好きである。桜が好まれる理由はいくつかあろうが、その中でも花期が季節に合い、その花期も短いことがあげられる。ところがヒガンバナはその名の示すように季節感にもぴったり合い、その花期も彼岸頃と短いにもかかわらず。桜のようには親しまれない。

 親しまれないどころか、(今の時代はそうでもないだろうが)私の子どもの頃は露骨に嫌がられた。小学校低学年の頃、野山に咲き誇るこのヒガンバナを、時代劇に出てくるお姫様の真っ赤な美しい簪(かんざし)のように感じて、いく輪か手折って家に持ち帰った。するとそれを見た祖母から、縁起が悪い花だから捨てなさい、といわれた。そういえば子ども同士でも「あれは葬レン花じゃ」といっていたようにおもう。手折った茎から立ち上る酔うような香りとともに、なんでこんなにも美しい花を・・子ども心に理不尽に感じた。

 それからは花を手折ることはなかったが、いつだっただろうか、これも小学校時代と思うが(昭和14年に流行った)「長崎物語」の一番目の歌詞に、♪~赤ぃ~花なぁら~、曼珠沙華~~♪がある、誰か私の身近な人が歌ったのをおぼえたのか、だれかに歌を教えられたのか、今となっては定かでないが、花を見るとその歌のそのフレーズを歌った。その癖は今でも続いている。

 それから飛んで、高校時代、特に私の好きな教科は日本史であった。その高校時代の日本史の教科書の副読本である「日本史史料集」の中に、「ジャガタラ文」を発見し、それが実は私の子供時代から歌っていた長崎物語の歌のもとになっていることを知った。

鎖国が始まった江戸初期、長崎で生まれたヨーロッパ人とのハーフである「お春」が、クリスチャンであることとハーフであることを理由に国外追放され、その後、遠い異国の地から望郷の念を切々と訴える「ジャガタラ文」と呼ばれる手紙を日本に送る、その文を日本史史料集の中から発見し、読んだときには、文に込められたお春の気持ちと、歌い知った長崎物語の歌詞が同調し、目が潤む(うるむ)くらい心が動かされた。以下その原文

「千早振る 神無月(かんなづき)とよ、うらめしの嵐や、時雨(しぐれ)とともに、いづくともなき海の原に踏み迷ひ……」(あぁ恨めしい嵐と時雨のなか、どことも知れぬ大海原へと迷い出てしまいました……)「あら日本恋しや、ゆかしや、見たや、見たや」(あぁ、日本の国が恋しい、ゆかしい、一目見たい、見たい見たい……)

 なるほど、長崎物語は1~4番まで歌うと、そのお春の悲しい物語となっているのである。以後私は曼珠沙華を見るとそのお春の悲運を思い、その花の前で必ず歌うようになった。ちなみに今でもフルの歌詞で最後まで私は歌える。

 今日野原の中に一点の赤い花が・・・


 近寄ると、あぁ~私の好きな曼珠沙華だ

探すと、数メートル離れたところにもう一輪が・・・


 一年のうちでわずかなこの期間だけしか曼珠沙華は見られません。さぁ、歌いましょう(藤圭子さんの歌です)

2026年9月13日日曜日

鳴門の海

  小鳴門橋を渡り大毛島に入りすぐのトンネルを抜けると海が見えてくる。そのあたりは『竜宮の磯』と呼ばれている。その近くでバスを降りて海の方へ歩いた。

 浜から少し行った海中に見えている磯が竜宮の磯だ。足だけを浸すばかりでそこまで行けそうだが剣呑なことはしない方が良い。


 このあたりの海を見ると中世歌謡「閑吟集」の切ない歌が思い出される。

 身は鳴門舟かよ、阿波(逢は)で漕がるる(焦がるる)

 人買舟は沖をこぐとても売らるる身をただ静かにこげよ船頭殿

 一つ目は恋に身を焦がす歌、二つ目は安寿と厨子王の説話に出てくる人買い船にのせられ売られる身を嘆いた歌

 その近くに、鳥取砂丘ほどではないが砂丘と呼んでもよいような砂の丘があった。


 薄紫の可憐な花をつけた海浜植物がそこかしこに自生している。写真に撮り帰って調べると「ハマコウ」というしそ科の植物である。ハーブのようなよい香りがするそうだ。ネーミングの由来は、浜の香(はまのこう)から来ている。その時は香りのある植物とは知らず、どんな香りか嗅げなかった。ちょっと残念、また行く機会もあろう。


2026年9月12日土曜日

森本レオさんの訃報を聞く

  日が変わった深夜、先ほどパソコンを開いていて最新のニュースを見ると、森本レオさんの訃報の知らせがあった。特にファンではなかったが、私が三十代末から四十代初めにかけて、プウ太郎してて全国をふらふら旅していた頃(昭和から平成に変わる頃だ)、ユースホステルに何度か泊まったとき、幾人かの女性から「あなた、森本レオに似てるわね」と言われたことがあった。

 森本レオはその当時、女性に人気のあった芸能人であったため、そういわれて気分がよくなった。そのあとも、旅先で知り合った女性何人かに「オレ、森本レオに似てるって言われたけど、似てる?」とこちらから聞いたりした。反応は「そういえば、にてるわね」と肯定的な答え、ますます気分がよくなったことを覚えている。まぁ、それをネタに不埒な行いなどはしなかったが、女性に結構モテた森本レオ似というのは、私にとっては名誉なことであった。

 そのレオさんが亡くなった。ご冥福をお祈りします。

 下が森本レオさんの写真(左は近況、右は中年の頃)


 そしてこれがオイラの30歳後半から40にかけて、プー太郎やってた時、似てますか?


2026年9月11日金曜日

9月10日 お地蔵さんにお参り

 昨日小松島立江に行く。立江寺本堂から境内を見渡す

 本堂の御本尊のお地蔵さまは普段は入れない奥に鎮座していらっしゃる。しかし境内にある石仏の水かけ地蔵はさえぎるもののない露天で我々を見守っている。供養あるいは願いを込めて、水をかけることはもちろん、手で触れることもできる身近なお地蔵さんだ。


 このお地蔵さんは赤ちゃんをだいていらっしゃる。「子授け、安産」の祈願のお地蔵様との幟はたっているが、本来は水子供養のお地蔵様ではなからろうか。見上げながら深く合掌する。

 行のバスではひとつ手前のバス停で降り、江戸期の高野山僧侶「真念」はんが歩いた遍路道を少し歩く。センニンソウとムクゲの花が道端に咲いていて目をひいた。できれば手折ってお地蔵さんに捧げられればなぁ、と思いつつ写真にだけとった。




 道の辺の木槿(ムクゲ)は馬に喰はれけり (奥の細道、芭蕉の句)

 の句が切なく思い出される。
 

2026年9月3日木曜日

昨日の面白いヨットの名のつづきの話

  列車に乗ると時間帯によっては高校生の坊ちゃん嬢ちゃんが多く乗っているときがある。昔しゃぁ汽車やバスの中では(ワイらの高校生の時)は男女ともおしゃべりが主流だった気がするが、60年もたてばすっかり様変わりしているようだ。JT高校やJN高校生は昔のよ~できる子ぉと同じように英語の単語、又は古文単語帳、英文法書なんどを見ているが、その他の高校生はほとんどがスマホを見たり、いじったりしている。だから昔と比べれば汽車の中は静かである。まぁスマホを利用すれば効率よく英語の勉強ができるが、どうも英語や古典の勉強をしてる風には見えない。ちらりと隣に並んだ高校生のスマホを何度か見たことがあるが、スマホ漫画、自分で取ったオリジナルの、あるいは面白ぉげぇな動画、そしてゲェム、学校のオベンキョに役立つようなものではないようだ。

 60年たった今もそうだろうが、中学高校時代に習う英語は正統で清く正しいものでなければならない。つまり卑猥な言葉や、俗語、罵り語なんどは学習対象外である。ワイの経験でいうと大学卒業まではそのような英語だった。社会人になってからでも、英語の教養書や比較的易しい英文の専門書を原文で読みたいために、さらにいろいろな単語を覚え、文語的な英語の言い回しをならったが、それも卑猥な言葉や、俗語、罵り語は当然ながら対象外であった。

 またまたごく最近になって、英文の歴史書、英国欽定訳聖書、英文の仏典などいわゆるお堅い本を読むのにも飽きて、このあいだから映画の英文の脚本(ショーシャンクの空に、グリーンマイル)やそれに関連したスティーブンキングの原書小説の一節などを読んでいる。それには俗語や卑猥語はてんこ盛りに入っている。文法や品詞の位置などに無関係にやたらとshitやfuckが入っていたりする。

 さて、最近そのような卑猥語・四文字語などをよく読んでるせいか、一昨日、ヨットハーバーで見て引っかかった一語があった。『pecker』である。下は「グリーンマイル」の一節である。

"A man's mouth gets him in more trouble than his pecker ever could, most of the time."(男の口ってやつは、下半身(ペニス)が引き起こすよりも多くのトラブルを、大抵のばあいで引き起こすもんだ)

 これはチ〇ポのことである。peckerは清く正しい言葉としてはキツツキの語としても用いられるが、この文ではチ〇ポを指す以外に考えられない。


 もしワイの歳で、卑猥語てんこ盛りの英語の脚本なんどを読んでいなければ、昨日のヨットの名を見たら素直に、「あぁ、元気で陽気なキツツキ号かぁ」という印象しか持たなかったと思う。というのもワイが小学生の時、笑い声に特徴のあるキツツキのアニメが流行っていて、白黒テレビにかじりついたよく見たのである。「ウッド・ペッカー」というキツツキが主人公で、いたずら好きの陽気で楽しいキャラであった。一時、ワイらの時代の小学校でそのウッド・ペッカーの特徴的な笑い声をみんなよく真似て発声したものである。その笑い声を今、ワイが独断的に擬声語にするとすれば

「オホホ、ヘェホオ、オホホ、ヘィホォ、ケケケケケケケェ・・・」

 70年近くたった今も耳に残っています。現在でもヨウツベで当時のペッカーの笑い声を聞けますから興味があるならそっちで聞いてみてください。(ヨウツベでの鳴き声・ここクリック)

 遥か昔の漫画であるが極めて印象的なキャラ、笑い声だったので、今でも記憶に深く刻まれています。もし、最近、卑猥語オンパレードの英語脚本を見ていなければ、昨日のヨットの名のペッカーを見たらすぐそっちをイメージしたと思います。


 ちなみにこのヨット名の意味を何度もAIに聞いてみました。幾つかの切り口から複数回聞きました。語の単純な意味、ロゴマーク、船の種類、大きさ、係留地、そして画像の観点から、すると結論的な回答は

「元気あるいは陽気なキツツキ、というのは表面的な表現で、主は(元気な男性器)の意味で、実はそれが強い暗喩表現であるのは100%間違いない」そうです。AIが100%と言い切るのはすごい、信用していいんだろうな。

2026年9月2日水曜日

陽気でほろ酔い機嫌のチ〇ポ号

  九月に入ったというのに昨日(9月1日)も猛暑日(市内で35.3℃)で盛夏以上に暑かった。中洲町の飯屋で昼を済ませ外へ出たが強烈な日差しもあってクラクラするような暑さ。それでもフラリンこ、フラリコンこと歩き出したが、暑くてかなわん!大通り一本隔てて新町川が流れている。川沿いには水際緑地がある。水際だから少しでも涼しかろう、もしや川沿いに風でも吹いてるかとそちらへ歩いて行った。

 そこは県庁の対岸でヨットやレジャー船がたくさん係留されている。風はほとんどないが川沿いだけに街中より涼しい。歩きつつ、各船の船名をなにげなく見ながらかちどき橋の方へ歩いて行った。カタカナ名、英語名が大部分だが、日本名の「〇〇丸」という船もある。考えると、ここの船は漁に使うわけではなく、みんなレジャー、あるいは海での遊覧、岸あるいは港から港への小航海を楽しむものだ。海と陸との違いはあるが自家用車の用途とそう違いはない。ところがレジャー用の船でもみんな名前があるのに対し、自家用車は命名どころか愛用名もつけたりはしない。無粋なナンバーしかない。自動車にもつければ面白かろうと、しょぉもないことを考えつつ歩くと、船名に「ん?」と注意を引く様なものがあった。

 それは英語の二語の名前である。ここでその英語名を言うと、特定されその船主のプライバシーにかかわるので差し控えるが、その英語名を日本語の意味にすると(私の意訳だが)

『陽気でほろ酔い機嫌のチ〇ポ号』

 え?そんな命名ありか、帰ってネットのAIに聞いてみた。するとその回答(要約すると)

 「ヨット遊びの人は、いたずら心、あそび心があって下ネタジョークのような名を船につけることがあり、アメリカを中心に一部流行っている。ここ日本でもヨットハーバーとしては珍しい県庁前のケンチョピアに係留されている小型レジャーヨットなら、注目度も高く、戯れに、外国人が、あるいは日本人であっても英語に堪能で英語ジョークを自由に操れる人が、あえてその意味を込めて命名した可能性が大いにある。」

とのことでした。

下がその『陽気でほろ酔い機嫌のチ〇ポ号』、船名は黄色の楕円の中に英語二語が入ってますが、プライバシーのため消してあります。対岸に県庁ビルが見えている。



2026年8月25日火曜日

淡島海岸を歩いてきました

  先月の27日のブログは、友人とドライブで淡島神社に行ったときのものでした。タイトルに「淡島神社と淡島海岸」とありますが、実際に足を運んだのは淡島神社のみで、淡島海岸はその高台にある神社から見下ろしただけでした。それでもその風景を写真や動画におさめることが出来ました。境内をちょっと下りれば海岸に出られます。私一人ならば海岸を心行くまで散策するのですが、友人の車で来ているためその時は海岸の散策はやめました。


 ちょっと残念で、散策できなかったことが気にかかっていました。しかし近いうちに一人でゆっくり来ようと思いつつ帰りました。というのも私は「ながいき定期」というバスのフリー定期を持っています。この淡島海岸は徳島バスの「淡島海岸路線」の終点になるのです。ですから車を持たない私でも容易に来ることができます。

 そんなわけで一昨日の23日バスを乗り継いで淡島海岸にやってきました。ここは砂浜がきれいで青松こそありませんが美しい海岸です。遠浅になっているので海水浴場としても適しているのですが、海岸に人はほとんど見かけませんでした。


 砂浜に下りる小道には海浜植物でしょうか、下のような黄色い花の植物がたくさん咲いていました。後でググルレンズで調べると帰化植物の「メマツヨイグサ」でした。


 そう広い海岸ではないので20分も歩けば端から端まで歩けます。海岸からは陸の小山や沖の小島群が見えるのみで人工物はほとんど目につかないのですが、端まで歩くと、下のように高いプラントの塔が見えてきました。製紙工場の構造物です。これを見たとき、大昔みた有名なSF映画のラストシーンを思い出してしまいました。


 今から58年も前の映画(1968年製作)『猿の惑星』です。え?全然似ていないって、でも私はこのシーンを思い出してしまいました。もしこの海岸が人で賑わっていたらそんな印象は持たないでしょうか、みてもわかるように人は誰一人としていません。海岸の尽きるあたりには天を指す自由の女神のトーチのように赤白の煙突が屹立しています。そして同じように打ち寄せる波の音が孤独感寂寥感をいっそう際立たせているように感じます。


 下は南端にある淡島漁港から沖合の小島、淡島海岸、そして北端部を撮った動画です。

2026年8月20日木曜日

夏極まって晩夏へ

  先月30日から久しぶりの投稿です。この期間中の暑さで体も気力も参っていました。高齢者にはこたえます。

 「いやぁ~、本当にこの三週間の暑かったこと!」

 七月末日くらいから八月の初めにかけては最高気温が連日38~39度で40℃に達するのは時間の問題ではないのかと思っていました。明け方でも30度近くあり、長く生きてきた私ですがいままでに経験のない異質の暑さでした。

 ようやくボニ(盆)の支度(とはいっても仏壇の供え、墓の掃除、お参りくらいのものだが)をする時期になって、例年の暑さに戻ってきました。それでも盛夏の厳しい暑さなのですが、40℃に近い暑さを乗り越えたため、盛夏の暑さでも「おぉ、今日この頃はちょっとしのぎやすくなったぞ」と感じました。朝晩の気温が涼しさを感じるまでになってきました。


 日本の風土は四季の変化に富み、そのため季節の区分も明瞭だといわれてきましたが、近年の急激に進む地球温暖化、とくに今年は世界的に異常に暑い夏が続いたため日本でも、夏の季節が長くなる傾向があり、春も秋も短くなるのではないかといわれています。ボニ(お盆)を過ぎると時候のちょっとした変化に「初秋」を感じてきましたが、これだけ夏が大きな顔をして長くのさばると、極熱の盛夏を過ぎ朝晩を中心に気温も低下傾向が続くころでも、まだ秋というには、夏が幅を利かせています。初秋というより「晩夏」という言葉を私はこのころの時期に使っています。

 秋にはまだ間がある、しかしさすがの夏も衰え始める時期、それが晩夏である。日中の気温は盛夏と変わらぬが、太陽の運行は正直である。日出日の入りが遅くなり、太陽高度も低さをまし、影が長くなり、午後の日差しはすこし赤っぽくなったように感じる。陽の光にも夏の衰えを感じるが、大空のはるか高いところでも夏は衰えを見せ始めている。土用すぎの白く白熱したような空は、青空が広がり濃さも増している。そして高層雲である「巻雲」が白く筋をなしてたなびいている。数日前に見上げた空がこれだ。明瞭な筋雲は「飛行機雲」である。


 夜、九時半頃涼しさに誘われて少し夜の散歩に出た。昼間は枯れたようになっていたマツヨイグサが水銀灯の灯りの下で黄色い花ビラをいっぱいに広げて咲いていた。虫の音はまだ聞こえない。


 盆の送り火の時期は(新暦)では8月16日だ。ボニの最終日である。この日、わがふるさと鴨島駅前で一日だけの阿波踊りがあった。16日のボニ踊り、これも晩夏の風物詩になるだろう。

 下はその時の動画です。

2026年7月30日木曜日

淡島神社と淡島海岸その2 追加

  先日のブログ(淡島海神社と淡島海岸)に写真と動画を追加しておきます。

 神社の裏から淡島海岸が見える


動画 神社の裏からみた淡島海岸


2026年7月27日月曜日

淡島神社と淡島海岸

  今日、昼から阿南市へ友人と車でドライブしました。県内に長年住んでいますが、阿南市にある淡島神社とその下にある淡島海岸は一度も行ったことがありません。そこを目的地に定め神社にお参りし、眼下に広がる淡島海岸と海の景色を写真に撮ってきました。

 磐座のようなごつごつした大きな岩石がむきだしの小山の上に神社はありました。大きな神社ではありませんが、岩山自体が御神体のようで、いわゆる神さびた感じのする神社で、おまけに景色のよい場所にあります。


 鳥居をくぐるとすぐに急こう配の石段になる。


 途中、まるで階段の踊り場のようなところに百度石とお不動さんの石像がある。


 本殿はコンクリート製の小さなお堂である。


 その裏に回ると眼下に淡島海岸が広がっている。沖にはいくつかの小島が点在している。