2024年12月31日火曜日

大晦日の霊山寺

  身内が今年亡くなったこともあり、元旦の初詣は忌むため、きょうの大晦日、亡き人の供養も兼ねて一番札所霊山寺にお参りしてきた。本尊・釈迦如来さんと十三仏さんに灯明と香をささげ、心経を誦し十三仏真言を唱えてきた。

 もうすっかり正月の準備ができているようだ、山門には門松がたっていた。深夜、日が変わるころの参拝者のためだろうか、篝火の鉄製の台も用意されている(大麻比古神社へ初詣の人はこの前を通って、そう遠くない距離を露店などを見ながら歩く)。

2024年12月29日日曜日

売り暦

 


 百円均一ショップの「ダ〇ソー」には季節商品コーナがある。今の時期は「年末グッズ」が並んでいる。お正月などの飾り、正月関連の小間物が中心だが、各種の「カレンダー」もある。しかし、今日のブログのお題となっている「暦」(こよみ)と呼べる年末グッズ商品は、このダ〇ソーではただ一つ、左のようなものである。

 この暦本(運勢暦)は毎日、その日ごとの暦注その日の公的な行事や暦上特に記すること)などが書かれているばかりか、曜日はもちろんのこと旧暦では何月何日に当たるか、十干十二支、九星、さらには六輝(六曜とも)、十二直、二十八宿など、数千年の伝統はあるが、多くの人は良く知らない暦日の循環呼称が細かく記されている。今では暦日の循環呼称は七曜(いわゆる日月火水木金土)しか知らない人が多数だが、昔は上記のように様々な循環呼称があったのである。そのなかでも六曜(六輝)の循環呼称はいわゆる大安、仏滅、友引・・などで割と知られているが。

 160ページの暦本であるが、これが税込みで110円というから、その内容、ボリュームからすると信じられない安い値段である。十干十二支、九星、六輝、十二直、二十八宿などのいわれや意味なども分かりやすく説明されている。これらを知る読み本としてみても面白い。

 先に説明したいろいろな暦日の循環呼称は、吉凶を知る手段として使われる。そのためこの高島暦は運勢暦とも呼ばれ、昔から運勢をしる占いの一種として、信じる人には買われ読まれてきたのである。

 今日、私はそのダ〇ソーに足を運び、来年の暦本である運勢暦を買ってきた。毎年、買っているが、今日店に入って、この本が目に入るまでは、この内容ボリュームで110円で売るのはもしや去年(令和六年版)が最後かもしれないと思っていたのである。というのも、書店に並んでいる同じような厚さの「高島運勢暦」は800~900円はするのである。しかし去年と同じ110円ということで無事今年も購入できた。

 私はこの暦本を運勢占いのために購入しているわけではない。占いなどとは関係のない純粋に暦上のことを知るためである。まず、新暦のある日が旧暦の何月何日に当たるのか、それがわかれば月の満ち欠け形、潮の満ち干も自ずからわかる。また春分などの二十四節季がいつに当たるか、これはかなり詳しく書いてあって、日どころか、何時何分に二十四節季の黄道上の位置を通過するかも書いてある。

 天文現象の記載も見逃せない、特に月食や日食があれば、月食は旧暦の15日、日食は1日に必ず起こるので本年の暦本を買うと必ずチェックする。ところで旧暦の各月にも大の月小の月がある(大30日と小29日)が、固定した新暦と違って、旧暦では何月が大小の月になるか、この暦本を見るまではわからない。だからこの暦本から旧暦の月の大小を知るのである。

 また旧暦独特の「閏月」にも注意を払う、二十四節季の「中気」を含まぬ月が閏月となることがわかっているが、実際に今年のを見るまでは私はわからない。ちなみに来年・令和七年の旧暦では「閏六月」がある。つまり閏を含む六月が二回あるわけである。ちなみに来年の新暦7月25日が旧暦閏六月一日となる。これもこの暦本からわかる。

 以上のような理由から私は毎年高島運勢暦(暦本)を買っているのである。今は書店などで購入する暦であるが、明治以前、旧暦で暮らしていた時代は、年末になると暦売りがあらわれ町中を声を上げて売って歩いた。左は江戸職人風俗絵の「暦売り」

 

2024年12月28日土曜日

阿南牛岐公園イルミ

  タイトルが牛玖公園となっており正しくは牛岐公園です。

 

2024年12月24日火曜日

丈六寺山門と紅葉

  昨日新聞のローカル紙に徳島市丈六寺山門の紅葉が綺麗ということで写真とともにその紹介が載っていた。例年よりおそい紅葉で、最終の鑑賞に本日バスに乗って見に行ってきた。



 この寺の三門は県内最古の木造建築物で室町期の建築である。


2024年12月21日土曜日

今日は冬至、銭湯はユズ風呂だぁ~い 

  今日は冬至、どこの銭湯、温泉でもユズ風呂にするんとちゃうかいな。ワイはいつもの銭湯へいく。家の風呂でユズ風呂をするのがやっかいな人は、近くのスウパ銭湯あるいは温泉へ出かけてはどうじゃろか。


2024年12月19日木曜日

寒ぅ~い冬の夜、銭湯帰りの二人を歌った歌

  ワイらの世代で、寒ぅ~い冬の夜、銭湯帰りの二人(恋人)を歌ったフォークは?と聞くと、百人が百人とも答えるのは、かぐや姫の『神田川』であろう。

~貴方は もう 忘れたかしら赤い手拭 マフラーにして

 二人で行った 横町の風呂屋 一緒に出ようねって

 言ったのに いつも私が待たされた 洗い髪が

 芯まで冷えて~♪

 しかし、私は神田川を第一には思い浮かべない。神田川の歌は昭和48年9月にリリースされているが、その1年半ほど前に(昭和47年4月)に発売されたあがた森魚の「赤色エレジー」のシングル盤のB面に入っている「ハートのクイーン」を真っ先に思い浮かべる。

~ポッケに石鹸一個入れ 軽石手ぬぐいぶらさげて

 君の細い影踏めば お風呂上がりの 寒い道~

 B面であることもあり、今では、ワイらの世代でも知る人も、ましてや歌う人も、ワイ以外はいないだろう。今夜のような寒い夜、銭湯上がりで帰る道すがら、この歌を歌っている。歌詞の内容とは違って、一人暮らしのジジイの銭湯帰りだが、歌えばちょっぴりだけ半世紀以上前の青春時代の自分に帰った気がする。

 その歌を下に張り付けておく

2024年12月17日火曜日

スゥパのイートインコーナ

  独居老人であるワイ、生来のものぐさであったのに、気・体も衰えたジジイになってよりものぐさになった。お片付けもしんどくなって、ほったらかし。家がゴミ屋敷になるのはいいとしても、なんぞエサはあさらにゃ命に係わる。去年くらいまでは朝メシをつくっていたが、それもしんどくなって、朝は手間のかからない買い食いか店屋物である。

 バァガのファストフド店、某牛丼屋の朝定食などへ行くか、朝メシになるような出来合いの食品をスゥパで買って食べている。それでよくお世話になっているのがスゥパのイートインコゥナである。ワイがよく行くイートインコゥナのある某スゥパはうれしいことに24時間営業である。ただし、イートインコゥナは深夜12時から6時までは使用禁止となっている。今朝も朝7時過ぎにイートインコゥナでかけてサンドゥウィッチを買い、備え付けのドリップコーヒメェカでコーヒを落としそれで朝食を済ませた。

 午前6~7時ころ行くと常連のジイやんやバァやんが何人もいる。まぁ、ワイと同じような独居老人かな、と思うが、フーテンの寅さん風に言えば「そうかそうか、意地の悪い嫁や息子に冷たくされて居場所がなくてここへきたのか」のセリフのように、家に居り辛いジイやんバァやんもいるかもしれない。このように書くとなんだか侘しげぇなイートインコゥナに見えそうだが、元気そうなジジババが何人もあつまってワイワイガヤガヤやっているので、そんなことはない。またこのスゥパの方針だろうか、3人もいる掃除係りのジイやんバァやんがせっせと朝から掃除しているので、イートインコゥナは隅々まで清潔である。もちろんトイレもきれいである。イートインコゥナで朝食をとる人ら、せいぜい500円びゃぁのモノしか買わんのになぁ。全くよぉ~できたスゥパやわ、儲けを度外視して老人社会福祉の一環に貢献してる。表彰されてもエエんとちゃうか。

 先日、ここでサンドゥウィッチとコーヒの朝食をとっていると、隣の机に突っ伏してグウスカ寝ていたジイやんが(この人も常連はん)、ムクッと突然起き上がりワイの方を向いて、「すまんけどなぁ、セコぅてたまらんから、救急車よんでくれへんで」というのである。唐突なのでちょっと驚いた。救急車を呼んでくれと言いうのだからかなり苦しいのだろうし切迫しているのだろう。直接ワイの携帯から連絡することも考えたが、スゥパのイートインコゥナであることも考慮して、すぐスタッフの方を探し、スゥパから連絡してもらうことにした。店長らしき人がその人に問いかけ、救急搬送を依頼し、10分ほどで救急車は到着した。そのじいやんをストレッチャーに載せ救急車に乗せたがそこから救急車はなかなか出発しない。ワイがそのスゥパを出る頃になってもまだ停まっていた。もう乗り込んで15分は経っているだろう。一体どうしたのだろう。

 翌朝、そのスゥパのイートインコゥナに行くと、なんと!そのジイやん、昨日と同じ机に突っ伏して寝ていた。

2024年12月16日月曜日

なるほど泡立っているわ

 


 十月ころまるで原野一面に菜の花が咲いているように見えたのが帰化植物のセイタカアワダチソウの黄いろい花であった。ネーミングはセイタカ(背高)そしてアワダチソウ(泡立ち草)と言われるように人の背丈よりも高い。そしてモコモコしている微小の黄色い花は泡立っているように見えるからそのように名付けたのだろうと思っていた。

 なるほどその花が泡立っているように見えないこともないが、黄色い泡っちゅうのはあまり見たことがない。それに形も泡立つにしてはちょっと不自然だ。

 12月に入った今日、そのアワダチソウが群れていた土手をフラフラ歩いていてそのアワダッチソウの花房を見た時納得した。10月頃は真っ黄色になっていた花房は、今はまるで水中からジャグジー風呂のように銀色の泡のかたまりが放射状に吹き出てきているようになっているのだ。これならまさにアワダチソウだ。


 そして今日、このブログを書いていて知ったのだが、今までは繁殖力が強く、大きく成長して邪魔になる嫌われ者の帰化植物というイメージを持っていたのだが、長く硬い木質化した茎を持つところから、よしずの代用としてすだれにしたり出来るし、また葉は乾燥してお茶として煮出して飲めるそうだ。薬効もあるらしい。へっぇぇ~ちょっと見直したわ。

2024年12月14日土曜日

師走 師は走らず、車を走らす

 


 あと10日でジングルベェ、一週間で冬至だ。師走はあわただしいといわれているが、ジジイにはのんびりしたものだ。寒ぅなっただけで日常の生活なんどはなんちゃかわらん。あいかわらずキチャのぉてビンボなジジイ生活である。

 それでもちょっとした懸念は今月にあった。もうすんだが9日に自動車免許の高齢者講習があったのだ。座学講習だけなら心配はないが、実車指導があり、免許を取って以来、実車講習は初めてのことなので心配した。実車指導なんどは若い時に免許取って以来だからもう半世紀以上にもなる。事前にネットなどで調べて、実車講習は合否など判定するものでないことは分かっていたので少し安心したが、車はもう10年くらいまともに運転していないから、教習所でうまく運転できるかが心配だった。数日前から友人の車を借りて運転練習をしていた。そのかいもあったのか、実車指導の指導員からは、「慎重な運転で結構です、このような運転を続けてください」という言葉をもらい、無事、講習修了書を手にした。よかった。

2024年12月12日木曜日

日本のジイやんのどたま(頭)の程度 

 10日びゃぁ前、各新聞に中学生の年代を対象とした世界各国分野別学力順位が載っていた。上位五か国を示す表が下である。三つの分野は、それぞれ数学、理科、国語分野である。まず、この表を見てどない思うかだが、これは世界81ヶ国参加の順位表であって、決してアジアのみで調べられたものではない。そう思うほど、上位五か国はアジアの各国が占めている(よく見るとかろうじてアイルランドが入っているが)。そのアジアの中でも極東(地理的な極東でアジアでもっとも東に位置する)に位置する国が優位を占めている。


 わが日本も三分野で五位以内に入っているから大したものである。なぜ極東諸国が優位かということについては、アジアでは比較的早くから近代化(西洋化と言ってもいいだろう)していて、また国民所得も近年豊かになってきたこと、それに子供の教育に熱心なことがあげられる。他にも分析すれば別の要因も見えてきそうである。例えば、この上表の日本を除く国々はすべて、過去、植民地化された歴史を持っている。シンガッパ(シンガポールともいう)と香港、アイルランドは英国の植民地、阿媽港・アマコウ(マカオともいう)はポルトガルの植民地、台湾、韓国はご存じのようにかっては日本の植民地だった。その因果関係については今の私にはわからないが、研究すれば面白いことがわかるかもしれない。

 まぁともかく、極東の子ぉらは世界でもおベンキョができるのである。それにしてもシンガッパはすごいなぁ、三分野で一位でっせ、しかし人口規模は500万びゃぁである。人々はすべて大都会に住んでいる。もし日本で比較するなら、東京の裕福地である世田谷、太田、杉並、港、渋谷区など合わせたくらいの規模の都市だろうか。そう考えると、このあたりの子ぉらがおベンキョが特にできるっちゅうのも納得できる。この辺りは日本でも高所得者が多く、親も教育熱心だから当然そうなるわな。そうするとシンガッパの子ぉらの学力が異常に高いのも当たり前か。

 これらの国で中学生(15歳)の学力(数学、理科、国語)が高いというのは国の将来を考えるとたいへん望ましいことである。ではこれらの国は将来優位か、というとそうとも言えないのである。懸念は少子化である。上記の極東諸国はどの国も少子化が著しい。また高等教育も進学率が高止まりの結果、これからの伸びは鈍化することも考えられる。これに対し、グローバルサウス(南アジア、アフリカなど発展途上の国々)は子どもも多く、教育機関の整備とともに着実に学力は伸びていくであろうと思われる。むしろこちらの国々の方が将来性があるのではないか。

 なんどと考えていたら、昨日の新聞に大人の学力の順位が載った。これもたいへん興味深い。下にその表を示す。大人(定義は16歳~65歳で、働く年代の人である)の三分野(読解力、数学、問題解決能力)の各順位である。

 大人の学力順位については子どもの学力順位とは大きく違っている。日本は入っているがそれ以外、極東の国々はない。ここでは北欧諸国が上位を占めている。国別比較で大人の学力がそこそこ高くなるのは、まず過去(一世紀以上前から)から現在に至るまで比較的高い教育を受けてきた人々が多いこと、そして社会の中で、生涯学習や職業教育、また再就職のための教育が整備されていることが考えられる。そのようにみると世界でトップレベルの福祉国家が多い北欧諸国は、先ほどいった『社会の中で、生涯学習や職業教育、また再就職のための教育が整備されている』が充実しているのであろう。逆に言えば子どもの学力に関してはトップレベルの極東諸国はまだまだ北欧ほどはそれらが充実していないということだろう。極東の国々の、親の子どもに対する教育の熱意には、親は貧しくて高等教育を受けられなかったが、子どもには無理をしてでも上級の学校へ進学させたい、というようなイメージを私は抱く。だから親の学力レベルは低くても子どもの学力レベルは上昇する。

 ここで日本をみると大人の学力レベルは北欧をもしのぐ勢いである。これは日本の生涯学習や職業教育、また再就職のための教育が北欧より優っているからではない。主に江戸期から明治大正昭和と続いてきた庶民の教育熱心さと、150年以上にわたる学校教育の蓄積の賜物であろうと思われる。それは幕末、日本に来た欧米人が、自国以上に「読み書き計算」が日本の庶民に普及していることに驚嘆したことからもわかる。そのような教育の蓄積が数百年営々と(江戸期から)続いたため大人の学力でこのようなトップレベルの順位になったのであろう。

 さて、後期高齢者に近いワイがここで知りたいのは日本のジイやんやバァやんの学力はどんなもんじゃろか、っちゅうことである。そのようなジジババの学力国別順位などは、どこの調査機関も調べていないし、これからもまず調べないだろうと思う。そりゃそうだろう、中学生ならば、これからの国、社会を背負って立つ人材となるのでその学力は重要であるし、また16~65歳までの働く大人なら、その学力や能力は産業活動、社会活動を通じて国の力にも結び付く、しかしリタイアしたジジババなんどはしらべたところでまず役立たないだろう。

 しかし世界における日本のジッジバッバの頭の程度(つまり国別比較の高齢者の学力)を推測することは出来る。上述した子どもの学力順位、そして(労働世代の)大人の学力順位などから考えるにおそらくご隠居老人の学力この場合は上の大人の学力の内訳、読解力、数学、問題解決能力)は世界トップレベルであろうとおもって間違いないと思う。

 だからどうした?と言われても困る。ご隠居はんだからその学力を仕事や社会活動をつうじて役立てることもないだろうし、動かず口だけ達者で小難しい理屈をこねるのもどうかと思う。しかし人生の最後にアホなジイやんで終わるよりお利口なジイやんで終わる方がエエわな。 学力=お利口、ではないがある程度の相関関係はあるだろ

2024年12月10日火曜日

アスタムランドイルミネーション

  昨夕、アスタムランドのクリスマスイルミネーションを見に行きました。前のブログでアップしたケンチョピアや万代埠頭のイルミがショボく見えるほどの華やかさでした。

2024年12月7日土曜日

ケンチョピアと万代埠頭のイルミネーション

  12月上旬はもっとも日の入りが早い頃である。日がいるとすぐ闇が迫る侘しい季節だが、その侘しさを吹き飛ばすのがイルミネーションである。わが県の五大イルミネーションは次のように言われている。

1.あすたむらんど HAPPY XMAS 2024/板野町

2.徳島文理大学イルミネーション 文理ナリエ/徳島市

3.夢ナリエ・城内メモリアル2024 イルミネーション/徳島市(市体育館前)

4.ケンチョピア クリスマスイルミネーション/徳島市(県庁前ヨットバーバー)

5.水辺のクリスマスツリー/徳島市(万代埠頭)

 今までのブログで1,2,3は取り上げた。そこで今日のブログでは今まで記事にしていなかった4と5を取り上げる。この二つは距離も近く数百mしか離れていないので、昨夕、同時に見てきた。下はその動画である。

2024年12月4日水曜日

満月イチョウ

  昨日、神山町上分・中津にある満月イチョウを見てきました。この時期イチョウの木の全景が見えるところから見ると、まるで満月のように見えるところからこの名が付きました。まだ午後一時頃でしたが、陽は早くも山にさえぎられ、この辺りは陰になっていました。陽光が当たっていれば輝くような黄色になり、より満月に近くみえたのに残念でした。


2024年12月2日月曜日

土曜日から日曜にかけてのこと

神山映画祭

 土曜日午後から神山映画祭に行った。入場無料、神山中学校が会場である。イヴェント、バザー、出品各映画作品などあったが、私の目当ては蔦哲一朗監督の『黒い牛』である。上映前後に監督自身のあいさつや説明もあった。

 この作品、我々普段テレビ映画で見慣れている(娯楽性をもちストーリーもわかりやすい)ものに比べると、何かを暗喩する象徴的シーン、つまりわかりにくい場面が多く、また展開の意外性もあり、ちょっと難解な作品となっている。題名のように黒い牛が出てきて展開していくが、主人公の男も注目される。

 全くの予備知識もなく、また作品についての解説なども全く知らずに見始めたが、部分部分(各シーン)での象徴的意味を自分なりに解釈しながらみた。シーンのほとんどがモノクロであるが最初と最後のシーンのみ天然色(カラー)となる。

 最初は赤々ともえる山林の火災から始まる。これはおそらく焼き畑民、山岳民、もっと深くよむと縄文系の人々が、山を追われ里に住まざるをえない状況を象徴しているのではないか。主人公の男はそんな山岳民、古代縄文人の子孫じゃないかと思うと、その風貌、行動がよく理解できる。

 映画の早い段階で男は黒牛を得る。どこから来たのか、一切わからない。まるで野牛のような牛を捕獲して農作業用の牛として使う。感心したのは主人公の俳優さんの牛の扱い方のうまいことである。このひと俳優兼牛飼いじゃないかと思ってしまった。その牛とともに江戸期からワイの小まい頃まであった草ぶきの百姓家で暮らす。この牛のいる百姓家を見ていると、昭和30年代までうちらの田舎では、この映画のように同じ棟で農耕牛を飼っていたのを思い出した。

 まるで沼か湖のような深田の代掻き、そして白雨と呼んでもいいような一面白くなるほどの豪雨など、水のシーンも多い。吹き降りの雨と風、黒い土や泥(モノクロだから当然だ)、剥き出しの自然にさらされ、人牛一体となって農耕に励むシーンのなどは、仏教でいうところの地、水、火、風、空という五大と呼ばれる宇宙を構成する5つの中に人も牛も存在していることを強く思わせるものとなっている(まぁこれも、ワイ一人の感想じゃが)

 え?蔦監督はん、こんな仏教の深遠な真理を匂わすように作品作ったんじゃろか、いや、ワイの深読みのし過ぎやろか・・・しかし、寺を出て遍歴する禅僧が、唐突に男と牛の中に入ってくる。経をあげたり、禅僧らしく、禅の文句を唱えたりもする。やはり仏教の何らかのメッセージがこの作品に込められているんか知らん。

 などなど、ワイは考えつつ真剣に映画を見ていたが、周りのおっさんやおばはん連中はどうも違う感想を持っているようで、映画が半分進んだころ、後ろの三人組のおばはんがブツブツ言い始めた。「あんたわかるで?」「ストーリーがわからん」「もう、でるで?」「もうちょっとした出んでか」、そして隣のおっさんは時計をちらちら見だした。くりかえし20ぺんも腕時計を見ている。退屈しているのが態度からわかる。

 そして終わりが近づいたころ、画面は突然、真っ白にホワイトアウト、それが数分(感覚としては5分びゃぁも)つづいた。これ、故障か、あまりにも長いのでそう思った。昭和30年代の映画館ならフィルムが焼き切れてこんな状態になることがあり、そんなホワイトアウトが長く続くと、観客らは(ワイは子どもなのでしないが)ピーピー口笛を吹いて騒いだが、そんなフィルム焼き切れ事故状態であった。

 後ろのおばはんも横のおっさんもそれを切りに出て行った。ワイは辛抱強く見ているとやがてホワイトアウトの画面は徐々にモノの形を浮かび上がらせてきた。雪山か火山地帯の白い硫黄や噴煙ガスのシーンか、よくわからない展開である。

 最後にはまた天然色のシーンに戻る。隠岐の島の摩天崖の上の草地に牛がいる。そして子牛の死骸も、遠くには青い海、青い空、ところが急に火山噴火か原爆実験か、炎と黒いキノコ雲が上がる。この意味は果たして何だろう?あの黒牛や男はどうした?

 この最後の疑問は映画のあとの監督自身の解説でわかった。「人類が(水爆戦争で)滅びてしまっても、自然や生物はその後も続いていく」との意味の言葉を言っていた。下は上映後の監督のインタビュ


 この作品「黒い牛」を見終わって、率直に思ったことをブログにこのように書いてきたわけだが、ブログを書きつつ、調べると、この映画は禅宗の「十牛図」をベースに作られているのがわかった。確かに映画は十章の巻に分かれていて、その各巻の最初に下図の図が小タイトルとしてでてくる。その禅宗の「十牛図」を示すと下のような図となる。


 これで見るとあのホワイトアウトも、あ、八章にあったのだとわかる。八章・「人牛倶忘」である。そのこころは「自分のいるべき場所、たどり着いたのは無の世界」であるとある。そして最後の隠岐の島の摩天崖の上の草地の牛シーンは第九章・「返本還源」である。そのこころは「童子(この場合牛飼いの男)の姿も牛も消え、ただ自然の風景が広がる」となっている。

 今日になってブログを書きながら、この映画のベースに十牛図がなっていることを知り、多くの場面、そしてその象徴的意味が仏教思想に根差すものであることが、自分なりだがよく理解できた。最後にたどり着く「無の世界」とは何か?虚無か、いわゆる涅槃か、仏教思想は般若心経でその「無」を強く打ち出す。これは有名な経で、真言宗、禅宗で重んじられるが、その「無」(空といってもいいだろう)は、とても難解である。しかしこの世に生きながらその境地に達することができるとも。これ以上の理解は、人それぞれであろうか。蔦監督はんは、映像でそれを表現したのだろう。最後の異常に長いホワイトアウトと「隠岐の島の摩天崖の上の草地の牛シーン」である。

 じゃぁ、最終章の十章・入鄽垂手(にってんすいしゅ)はどうなった?「柔和な布袋和尚の姿になった童子が市井に出ていく」というシーンは?

 これは今になって思い当たる。映画の九章のシーン(摩天崖と牛)が終わりエンドロールが始まった。残っていた観客も大方が席を立ち始めた。私は、このような映画として、もしやエンドロール後の最後になにかひと押しがあるかもとの予感があって辛抱強く座っていた。そしてエンドロールが終わるとその十章(柔和の布袋和尚の姿になった童子が市井に出ていく)の図があらわれた。なるほど、蔦監督は、見終わった観客が席を立ち、外へ出ていくのを、十章のこころ「柔和な布袋和尚の姿になった童子が市井に出る」、にオーバーラップさせていたのである。

DJポリスみました

 日曜日図書館に行ったが、周りの道路はただことない人出、図書館横から吉野川橋へ向かう大通りは車全面通行止め、でたくさんの人がそこ(車道)を歩いている。

 「なにごつ、ぞいなぁ」

 と花畑踏切まで人混みをかき分けていくと、そこにDJポリスはんがいた。これが有名なDJポリスはんか、こんな田舎で見られるのはめんざしいので写真に撮った。そのあと紅葉見に行くのですぐ帰った。後で聞くと阿波踊りへスタが開かれていたようでデェズニのパレドや踊り子連の阿波踊りがあったそうだ。


貞光土釜と鳴滝そして紅葉

 昼から、県西部へ紅葉見に行ってきた。貞光奥の端山では道路の街路樹にカエデが植えられていてきれいに紅葉している。


 土釜と紅葉



 鳴滝、三段のカスケド滝で全落差は85mで県下一だそうだ。錦繡の山肌に数条の滝が見られる。