速報は、病院に重篤な末期がんで入院している患者が手配犯を自称したということで警察が駆け付け事情を聴いているとのことだった。続報が気になりその後の報道を聞くと、一週間前に路上で倒れ動けない当人を病院に運んで入院したこと、そして逃亡犯人を自称していること、そして事情を聴いた警察には、最後(末期)には本名で死にたいとのことで名乗ったこと、などが知れた。
その後もいくつかではあるが、彼のそれまでの生活が知れる情報が切れ切れに報道された。数十年にわたってある土木関係の事業所で働いていたこと。そのすぐ近くの事業者が用意した木造の住宅に住んでいたこと。が分かった。そして報道され始めてからわずか3日目の昨日、朝、テレビを見ているとテロップが流れ、死亡とのこと。
いろいろ思うことはあるが、なによりも哀れさをもよおしてくる。私も彼の青春時代と同じ時を生きてきた。世の中をよりよく変えてやろうと左翼運動に入った学生はこの時代多い。それはよく理解できる。私は左翼活動はしなかったがその心情は理解できるし、選挙権を初めて得た時、応援し投票したのは左翼政党だった。彼の左翼運動(今だと極左暴力集団と指弾されるが)に入った動機も世をよくしてやろうというものだったのだろう。
「定めの針」(運命の針)は青春時代は大きく動く、西へ東へと、しかし大学の卒業が近くなると定めの針のブレは小さくなり一方向に定まってくる。大方の世間の若者は平和的な社会人となる方向へ向く、しかし彼は定めの針を暴力的革命によって世を変えてやろうとする方向に向けた。定めの針の方向による違いは、はじめは小さいが、その方向をずっとたどれば非常に大きくなる。もう元の位置には戻れぬところまで来てしまう。その結果が爆弾犯としての指名手配である。針はそこで振り切れることなく何十年もその方向に進んだ。
そして半世紀後の彼が、今、報道されている70歳の末期がんのじいさんである。
世間の人はどう思っているのだろうか、私はなにより哀れさを催してくるとかいた。一般の人の反応を知りたいためネットのコメント欄を読んだ。かなり厳しい意見が主流となっていた。
「ガン末期で、無保険なので、名乗って治療を受けようとした。ずるいやつ」
「名乗ったのも、最期になっての警察公安への勝利宣言だ」
というようなものであった。しかし私はそのようには感じなかった。一週間前に倒れるまで隠れたつつましい生活をおくり、おそらく重篤な病気とは知りながら、それまで(売薬など)なんとか自分で手当てをし、倒れて人に介抱され病院に運ばれたのである。そして3日後にはなくなるのである。上記の二つのような考えは私にはまったく浮かんでこなかった。
死の報道があった後、彼の住んでいた6畳にも満たない部屋の様子がニュースとして配信された。部屋はごみが散乱していた。そしてその住居の外観は、屋根のトタンはさびてところどころ飛ばされたのか、穴ぼこだらけ、倒れかけの廃屋のようである。そこで数十年彼は生活していたのである。最近の私の生活と、重篤な病気以外は、何が変わろうか。貧にせせられ、病を持ち、食生活さえ独り身のジジイにはきつい。やったことは確かに重罪かもしれんが、心情的に私はとても非難することはできない。
世間一般の人がみんな厳しい見方か、と思ったが、当時の公安警察の元幹部の次のコメントにはちょっと胸を揺さぶられる思いがした。そう、まさに私もそう感じたからだ。冒頭、同情はしない、と言っているが、私も同情はない、よく似た人生航路において、彼は私であったかもしれないんだ!それは情を同じくする同情ではなく、むしろ、ほとんど彼とかわらない悲惨な老後を生きている私との同一視ではないかと思っている。
「 全く同情はしないが、死亡したのが、逃亡犯本人とすれば、50年近くになる逃亡生活で彼なりに苦労して生き延びてきたのだろうから、最後は仮の姿から本来の姿に戻りたかったかったのかも知れない、犯した罪は許されないが、ある意味、時代にもてあそばされた犠牲者の側面もあり、彼を犯罪に引き込んだ人間は責任を取るべきだ」(元警察公安幹部のコメント)
そしてこの元幹部は、彼は、犯行グループの主要メンバーとは言えないとも言っている。そうであるなら早めに自首していればまた違った人生があったであろうに。合掌。
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