2024年1月10日水曜日

ある演歌歌手の訃報をきいて

  新人歌手、俳優としてデビューしても長らく活躍するのは、競争が激しく浮沈のある業界ではむつかしいことであろう。まして人気を数十年にわたって維持してしてきた芸能人はうんと少なくなる。昨日訃報を聞いた八代亜紀さんなんかもその一人だろう。数少ないそのような現役演歌歌手の死は、今も少なからずいるファンにはショックだろう。私もその一人である。女性演歌歌手の中では青江三奈(昔に亡くなっている)とならんで好きな歌手だった。CDも何枚か持っている。

 彼女は私と同じ歳である。十代から歌手の道に入っているが世に広く名前を知られるのは二十代に入ってからである(1970年代)。それから演歌のジャンルで次々とヒットを飛ばし、演歌が低迷と言われている現在でも人気のある現役の演歌歌手と言えばまず最初に名をあげられる。これだけ長く活躍していると彼女自身が芸能史を体現している。同世代の私が、彼女の、その時々の歌から思い出すのは芸能史をこえて「世相史」の断片になっている。

 


「8トラック」、そういえばそんな音楽機器もあったっけ、大学を卒業したころ、まだ車を持っていない私だったが、私の当時の友人は(中古のボロだったが)車を持っていた。よく私をドライブに誘ってくれたが得意げに、運転とともに、これ見よがし、これ聞きよがし、にセットするのは8トラックのミュージックビデオだった。大き目の文庫本くらいの大きさがあり、今から考えると大きいわりに入っているのは8曲だけだった。いろいろな曲をかけて聞かせてくれたが、半世紀以上たって記憶もあいまいになる中、イメージとして残されているのは八代亜紀の曲である。(写真はイメージとは違っています


 ど派手なトラックの電飾とともにトラック野郎(長距離運転手)が口ずさむ演歌も、私の頭の世相史の断片のシーンとしては八代亜紀の演歌だった。今もトラックの電飾は時々見るが、私が二十代の中頃(1970代中期~)のそれは今よりももっと派手で、満艦飾の電飾、模様などはチラと見ただけでも度肝を抜くものであった。当時(1975~79年)にかけて作られた映画シリーズ「トラック野郎」でも(今もDVDで見られる)、その当時のトラックの電飾の流行がわかる。八代亜紀もその一作に出演している。彼女の歌はトラックの運ちゃんに好まれていたのである。


 旅行好きの私が何より寂しく感じた世相史の断片は、ローカル線廃止ラッシュと、国鉄民営化とともに鉄道や駅の古い郷愁がなくなっていくことであった。その傾向がはっきりしてきたのは私が30代を迎えるころ(1980年~)である。そんな時、駅の郷愁を取り込んだ映画が公開された。「STATION・駅」(高倉健、倍賞千恵子主演)である。そのラストシーンで流れる、私にとっては最も感動した歌が、八代亜紀の「舟歌」であった。歌詞内容は、駅、旅、もっと言うなら人生行路の郷愁とは直接関係ないようなものであるが、雪、寂しい終着駅、遠ざかる夜汽車、見るだけで切なくなるそのラストシーンにその歌・歌詞がなぜかぴったりはまって、聞きながら感極まったことを思い出す。

 舟歌はその後、私の秘蔵お気に入り(感極まった時にしか歌わない)曲となった。そして映画をみた次の年、夏と冬にそのラストシーンの駅である北海道留萌線・増毛駅を訪れた。

 ご冥福をお祈りします

1 件のコメント:

Teruyuki Arashi さんのコメント...

八代亜紀さん 昔 友人の結婚式に見えられました。懐かしいです。自分も歳を行くはずです。