今日のお昼は県庁で「定食」を食べた。行きしは汽車で富田駅までいったが、帰りは新町川沿いを県庁からぶらぶら歩いて帰るつもりだった。勝鬨橋を渡らずに川沿いに曲がると、ご存じの県の重要文化財(築95年)の「三河家住宅」がある。確かにレトロな感じがよく出ている。レトロといっても赤坂離宮や旧財閥別邸のような豪華絢爛感はない(しかし当時の徳島としては途方もない西洋建築だ)。どういったらいいだろうか、ちょうど昭和の怪奇作家兼探偵小説家の「江戸川乱歩」や「横溝正史」の描く西洋館のような感じとでも言ったらいいだろうか。私の好みとしてはこのような雰囲気の西洋館は好きである。小説の中でしかお目にかかれないような建物がこの市内にあることだけでも十分価値はある。
改めて写真を撮らせてもらった。
中には入れないが外から見るのは自由で、また門扉にそのいわれなどを書いてある。下がそうである。
ちょっと読みずらいがこの説明の中で私の注意を引いたのは、大文字の三河家住宅の下に小文字で付属建物が書いてあるが、その中の「岩屋」である。はて?岩屋とは、この三河家住宅を外部から見たら不思議に思う建造物がある。それはまるで巨大なアリ塚のようなものである。下がそれ、ところどころポッコリと穴が開いていたりする。時々見るたびに意味不明の構築物であると思っていたが、これが「岩屋」と名づけたものか、いったい何の用途だったのだろう?江戸川や横溝の小説の雰囲気の建物と私は勝手に決めつけたが、この岩屋なんかもその雰囲気を形成するのに預かっている。アリ塚がふさわしくなければ、巨木から流れ出て固まった樹脂とでもいうような形であり、???が三つくらいつく不思議な建造物である。
そしてもう一つ注意を引いたのが説明版の写真にあるこれ。
建物の屋根のこの部分である。これはよくお目にかかる、中世の教会堂を描く映画やテレビでおなじみである、一例をあげると「ノートルダムのセムシ男」のノートルダム寺院の屋根や庇にある。悪魔のような怪奇な生き物である。このように見て知ってはいたが、説明を読むとこれは「グロテスク」というそうだ。調べると次のように説明されている。
「グロテスク(grotesque) 」とは、装飾文様の様式の呼称です。さらにそれに類する建築分野の彫刻の呼称としても使われました。半身半獣の怪物や非実在的な植物文様を多様に組み合わせた美術様式の総称です。グロテスクは、古代ローマにおいて、フレスコ壁画や床のモザイク画などとして描かれ、建物を装飾していました。
なにやらますます、江戸川乱歩、横溝正史の小説に出てきそうなモノである。
そこから富田橋のほうへ百メートルほど進むと橋の南詰の小公園に前は国木田独歩の文学碑があった。彼の小説「波のあと」(出版は明治35年)の舞台となったので木造の碑が建てられているはずだ。しかし見ると影も形もない。5年前撮った写真からみると左のように木の根方にあったはずだが、撤去したのか、残念だ。こういう近代文学史の史跡は保存してもらいたい。(この「波のあと」のあらすじは以前ブログで取り上げたのでそちらをご覧ください。ここクリック。ただしこのブログはヤフーブログにアップしたのですがヤフーブログが廃止になったので今はテキストだけで写真は見られません)
今はこのように何もない
2 件のコメント:
県庁の昼食如何でしたか? 三河屋住宅いい雰囲気ですね。
テルさんへ
店で昼の弁当を買うと最近の物価上昇で軒並み2割近く上がっていますが、今のところ県庁食堂は値上げしてないのがありがたいです。ちょっと用事で行ったついでに食べました。
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