2023年3月29日水曜日

昼飯を食べた後の徳島の近代史跡散歩

  今日のお昼は県庁で「定食」を食べた。行きしは汽車で富田駅までいったが、帰りは新町川沿いを県庁からぶらぶら歩いて帰るつもりだった。勝鬨橋を渡らずに川沿いに曲がると、ご存じの県の重要文化財(築95年)の「三河家住宅」がある。確かにレトロな感じがよく出ている。レトロといっても赤坂離宮や旧財閥別邸のような豪華絢爛感はない(しかし当時の徳島としては途方もない西洋建築だ)。どういったらいいだろうか、ちょうど昭和の怪奇作家兼探偵小説家の「江戸川乱歩」や「横溝正史」の描く西洋館のような感じとでも言ったらいいだろうか。私の好みとしてはこのような雰囲気の西洋館は好きである。小説の中でしかお目にかかれないような建物がこの市内にあることだけでも十分価値はある。

 改めて写真を撮らせてもらった。


 中には入れないが外から見るのは自由で、また門扉にそのいわれなどを書いてある。下がそうである。


 ちょっと読みずらいがこの説明の中で私の注意を引いたのは、大文字の三河家住宅の下に小文字で付属建物が書いてあるが、その中の「岩屋」である。はて?岩屋とは、この三河家住宅を外部から見たら不思議に思う建造物がある。それはまるで巨大なアリ塚のようなものである。下がそれ、ところどころポッコリと穴が開いていたりする。時々見るたびに意味不明の構築物であると思っていたが、これが「岩屋」と名づけたものか、いったい何の用途だったのだろう?江戸川や横溝の小説の雰囲気の建物と私は勝手に決めつけたが、この岩屋なんかもその雰囲気を形成するのに預かっている。アリ塚がふさわしくなければ、巨木から流れ出て固まった樹脂とでもいうような形であり、???が三つくらいつく不思議な建造物である。


 そしてもう一つ注意を引いたのが説明版の写真にあるこれ。

 建物の屋根のこの部分である。

 これはよくお目にかかる、中世の教会堂を描く映画やテレビでおなじみである、一例をあげると「ノートルダムのセムシ男」のノートルダム寺院の屋根や庇にある。悪魔のような怪奇な生き物である。このように見て知ってはいたが、説明を読むとこれは「グロテスク」というそうだ。調べると次のように説明されている。

「グロテスク(grotesque) 」とは、装飾文様の様式の呼称です。さらにそれに類する建築分野の彫刻の呼称としても使われました。半身半獣の怪物や非実在的な植物文様を多様に組み合わせた美術様式の総称です。グロテスクは、古代ローマにおいて、フレスコ壁画や床のモザイク画などとして描かれ、建物を装飾していました。

 なにやらますます、江戸川乱歩、横溝正史の小説に出てきそうなモノである。



 そこから富田橋のほうへ百メートルほど進むと橋の南詰の小公園に前は国木田独歩の文学碑があった。彼の小説「波のあと」(出版は明治35年の舞台となったので木造の碑が建てられているはずだ。しかし見ると影も形もない。5年前撮った写真からみると左のように木の根方にあったはずだが、撤去したのか、残念だ。こういう近代文学史の史跡は保存してもらいたい。(この「波のあと」のあらすじは以前ブログで取り上げたのでそちらをご覧くださいここクリックただしこのブログはヤフーブログにアップしたのですがヤフーブログが廃止になったので今はテキストだけで写真は見られません

 今はこのように何もない

2023年3月28日火曜日

いまさらゆうものなんだが

  こんだけアッチャコッチャの花見スポットをこれ見よがしに(といっても私のブログの読者なんどは平均5人ほど!)なんどかアップしたが、実のところ、花見などと称してあらたまって見たり、ゴッツい高級カメラでセミプロのように桜の写真を撮ったりするのは趣味ではない。まして花見の下で牛飲馬食とまではいわないが飲み食いの宴会などは嫌である。

 花見の風習は新しい、江戸時代中期以降、江戸の近郊にたくさんの桜が植えられ、江戸町民が遊山がてらに桜の下で弁当をひろげたり、あるいは飲んべぃの多い江戸っ子が桜を見ての飲酒を花見酒といったのが始まりであるらしい。

 日本古来からの伝統としては桜花の鑑賞は、その花期の短さ、風で散るそのはかなさを愛で、恋や人生をそれに託して和歌をつくることにあった。観桜には必ず「和歌」がともなったが、逆に桜を読み込んだ歌を作るのには必ずしも観桜は必要なかった(古くは花見などとは言わず観桜の宴とかいう言い方をした


 しかし近世以降、「花は桜木、人は武士」だのいって雄々しく、ぱっと咲いて、散り際が見事で、有終の美がある、などというように「桜」に特別な思い入れがされるようになる。

 行き着く先が、軍人としての本懐をとげることを桜に例えるようになった。ご存じだろうか、予科練の七つボタン(戦争後期には若年者の特攻航空兵の養成がなされた)は「桜と錨」、そして究極の特攻飛行機は「桜花」と名づけられた。こんな軍歌もあった、♪~咲いた花なら、散るのが桜、見事散りましょ国のため~♪同期の桜より

 敗戦により、桜と軍人の結びつきはたたれたように思えるが、桜と死生観は戦後も人々の心の琴線に触れ続けている。昭和32年に発売された島倉千代子の「東京だよおっかさん」、この歌の二番はほぼ禁句で公の放送局で歌われることはほとんどない。その二番

やさしかった兄さんが

田舎の話を聞きたいと 

桜の下で さぞかし待つだろ

おっかさん

あれが あれが 九段坂

あったら泣くでしょ 兄さんも

 これは死んでも、靖国にきたら逢える、といって戦死した子を持つ母の手をその妹が引いて靖国神社に詣でる心象風景を歌った歌である。

 今でも残る、あまりにも強い桜への思い入れ、それは私としては理解できるが、誰もかもが同調するような桜の特質としての「見事な美しさ」とそれと対になった「刹那の美・はかなさ」をあげるのは、私としては、強い酒を忌避するように、好きになれない。酒の酩酊は気持ちよいが「本当の美」や「本質」を見誤るような気がする。

 偏屈ジジイの私としては中世の隠者が言ったように

 『花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れ籠めて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ』

 想像する美しさ、そしてむしろなにげない自然の風情に感じる趣、あるいは表面的な華やかさはないが奥深い幽玄・枯淡の美に惹かれる。

 満開の桜、花吹雪に舞う桜木は私にはあわない。

 満開を過ぎつつある今日この頃、公園の池では散った桜の「花筏」が水面を漂っている。

2023年3月27日月曜日

花見スポット その4 ゆうかの里

 丘を覆う桜


神山町鬼籠野・一の坂の「ゆうかの里」、しだれ桜の名所である。


シャワーのように桜が降り注ぐ通路の向こうに観音像がある(黄色の花の灌木はレンギョウ


動画 どこもかしこも桜、桜、また桜

花見スポット その3 西部公園

  蔵本駅から歩いて20分だが山の上りが少しキツイ


 見晴らしは良い

 上り途中の道々でも桜並木が楽しめる

2023年3月26日日曜日

花見スポット その2 泪のさくら(蔵本駅)

 蔵本の駅にある桜。桜の種類としてはしだれ桜だが、それには思いを込めた特別な名前がある。その名も「泪桜」、しかし地元でも知る人は少なく、まして全県的にその名を知っている人はほとんどいない。写真で見るように駅構内にあるしだれ桜に、なみだ桜、と唯一の表示があるが、謂われもなにも書いていない。
 以前、古老に聞いたところによると、大昔、ここ蔵本に日本陸軍の連隊があったとき、徴兵される兵士や出征する兵士と家族(恋人も含む)が、ここで別れの泪を流したことから誰言うとなくこの桜を「泪桜」と呼んだそうである。
♪~ 
     お国のためとはいいながら
     人の嫌がる軍隊に
     召されていく身の哀れさよ
     可愛いスーちゃんと泣き別れ

     腰の軍刀にしがみつき
     連れて行かんせどこまでも
     連れて行くのは易けれど
     女は乗せない輸送船


花見スポット その1

旧石井農大


石井・森本院(二枚目は森本院の前にある東王子神社)



鴨島公園(夕方6時過ぎ、雪洞の点灯がはじまったところ)



2023年3月24日金曜日

向麻山の桜は散り始め

 向麻山はJR牛島駅から徒歩15分に位置する小丘、特にしだれ桜の名所だが他の桜もある





2023年3月23日木曜日

徳島で開花宣言がでた

  午前中は結構な大雨になった。午後からは天気が回復したので藍場浜公園を歩いたら、川沿いの桜並木は1分咲きくらいの状態、ローカルニュースでは、徳島気象台の標準木が数輪咲いたので今日「開花宣言」を出したそうだ。

 雨上がりの眉山を見ると所々、山桜なのか満開の桜が見える。


2023年3月22日水曜日

またしても?ちょっと気になる感染症

  昨日のローカルニュースで、わが県で初の『サル痘』感染者が出たとのニュースを読んだ(発表は20日)。新種の感染症のようだ。いままで聞いたこともない。徳島県のホームページで「サル痘」が広報されているので見ると、

 「1970年にザイール(現在のコンゴ民主共和国)でヒトでの初めの感染が確認された、オルソポックスウイルス属のサル痘ウイルスによる感染症で、中央アフリカから西アフリカにかけて流行しています。」

 とあるからやはり近年になって人の感染症として広がった病気である。徳島でも患者が出たことでその広がりが気になるところだが、その国内総数をネットで調べると今まで確認された患者が19例、しかしそのうち10例は今年になってここ一ヶ月くらいの間に発生したようだ。その一例が徳島である。

 コロナのような空気伝染はなく、接触感染であるが、統計を見ていて「これは?」という特徴があることに気づいた。患者のほとんどが「男性」であること、特に日本ではほぼ全員が男性である。

 接触感染なら空気感染よりは予防しやすい。患者に直接あるいは間接的に触れなければよいのだ。やはり徳島県のホームページによると

 「ヒトからヒトへの感染経路は、主に感染した人や動物の皮膚の病変・体液・血液との接触(性的接触を含む。)、患者と近くで対面し、長時間の飛沫にさらされた場合、患者が使用した寝具等に触れた場合により感染します。」

 とある。ここで私が注目したのは「性的接触」である。ほぼ男性患者、年齢は30~40代、アフリカに渡航歴もなく、海外の感染蔓延地への旅行もない、聞き取りでは多くの人は心当たりがないという。結局感染経路は不明となる。

 そこで思い出すのが「エイズ」が現れたときの感染経路である。初期には血液製剤使用者、そして対人感染としては「男性同性愛者」の濃厚接触により、広がったことである。

 しかし初期にはそのような性的接触感染があったかも知れないが広がるにつれ、異性、母子間と広がり、必ずしも同性愛者だけの病気ではなくなる。しかし当時はそのようなことにより、いわれのない人々が差別迫害に遭ったりした。

 そのような差別があったことを反省し、徳島県のホームページは「・・体液・血液との接触(性的接触を含む。)」と書いている。

 しかしほぼ成人男性が患者で、蔓延地への渡航歴もない、とすれば・・はたしてどのような感染経路なのか、個人的に明かせないから、不明で報告されるのか。

 現在の所、どのような状況なのか、はたしてごく特殊な人々の接触内だけの流行ですむのか、公的なホームページだけではわからない。

 しかしネットでは一般人のコメントとして下のような記述が多い。



 これはもし事実でなければひどい差別の書き込みとなる。このような疑心暗鬼にならないためにも、県、厚労省はもう少し踏み込んだ情報を出せないものだろうか。

 ※ 幸いなことにサル痘は重症化して死亡する例は日本ではまだなく、30~40代と言うこともあり比較的軽度な経過をたどり全快するそうです。また「種痘ワクチン」がサル痘の予防に効くが、1976年以降種痘の接種は義務化されていないので40代より若い世代は免疫がない。予防として種痘ワクチンは有効である。

2023年3月19日日曜日

ほとんど祭りだ、やっとさぁ~わっしょい 徳島マラソン

 西条戻り橋付近の動画


菜の花とランナー(おまけに四国山脈もつけときます)

塩いりまへんか

みんなスリム

追伸 (午後5:30)この場所で一位だった人は、最後は二位になって、このとき二位だった人が一位になり優勝したそうです。大塚製薬の野田一貴さんです。私の動画を拡大すると二位の人のゼッケンに野田一貴の文字が読めます。

2023年3月18日土曜日

春の弥生の狂乱スポーツ週間

  このブログの表題・狂乱スポーツ週間は私が勝手に名づけたものである。

 まず今日18日甲子園で選抜高校野球大会が始まった、いわゆる春の甲子園である。夏とは違い必ずしも各都道府県の代表が出ているわけではないが、オラが地方の高校生ということで毎年盛り上がっている。ワイんくの地方は城東高校が出場したが、城東高校が選ばれるくらい上手だとは恥ずかしながらしらなんだ。今日も好カードの試合があるが明日から始まる一週間は注目の強豪校対戦が並んでいて高校野球好きには目が離せない。

 まぁ勝ち進むに従って、狂乱の地域はぐぐっと絞られていくが、おらが地元でなくともプロとは違った高校生の野球に魅せられているファンもいるだろう。私は自分から野球などはしたことはないが、この歳になって、ボテッとした贅肉ならまだええが、それがたるみ下に下がり、顔ばかりか全身あっちこっちが皺となってしまい、動きも鈍く、歩きもヨタヨタになると、まるで若鮎が吉野川の堰の急流で跳ね上がるような高校球児の体やその動きを見ているとそれだけで気色(きしょく)が良い。がんばれ、と自然と応援したくなる。野球自慢の孫をもつジイちゃんのような心境だろうか(いないから想像だが


 そして全国的に野球狂乱に陥りそうなのが21日朝のWBCの準決勝・対メキシコ戦である。始まる前はここまでにわかファンが多いとは多分予想もしていなかったんじゃないだろうか。視聴率は記録を破りそうな高率で、なぜか普段なら野球など見向きもしない若い女性がドーム球場の内外に集まり黄色い声援をあげたらしい。私もテレビ観戦だがパチパチなどと拍手しながらその熱狂の一部に入り込んでいた。21日の準決勝、そして勝ち進み決勝を迎えたら、まさに野球狂乱の一週間になるだろう。もちろんにわかファンの私もテレビ観戦し狂乱に参加する。

 各スポーツ紙も大変やろ、時によったらスポーツどころか芸能ネタもナンチャ書くこともない暇ぁ~な週間もあるが今週は日本プロ野球開幕しての試合ネタ、高校野球ネタ、そしてWBCネタ、加えてマイアミの日本チームのだれそれが屁をひったというような、野球とは関係ないようなエピソドも記事になる、もう書くことが多すぎて困りゃせんかと思う。

 野球は知る人ぞ知る世界でもマイナーなスポーツである。アメリカで生まれ、アメリカでは往時世を揺るがすような熱狂スポーツであったが、最近は本場でも衰退傾向にあるようである。とするともしかすると今この時点での瞬間風速としての野球狂乱熱は日本が世界一じゃないんだろうか。

 なぜ、日本人がこのように野球を好むのか、野球が本来好きでない私はその分析も出来ないが日本人の気質、国民性 、文武にわたって道を究めるという日本の伝統などがその根底にあるのだろうか。それにしてもアメリカで始まった野球がこれほどまでに日本人の体質に合うとは、全くの驚きである。日本史ばかりを見ていると、その説明は難しい。

 ちょっと脱線するかもしれないが、明治の導入以来これだけ野球が好きだった日本人である。本家のアメリカとの戦争が始まった後でも、六大学野球、甲子園野球、途切れはしたが(中には野球選手でありながら出征した学徒もいた)、多くの野球好きの若者の心は戦時中も変わらなかった。再開できる時を絶対的に信じていた。それだけアメリカのスポーツである野球が好きで、アメリカと似通うスポーツ志向を持っていたのである、戦前でも、ハリウッド映画、ジャズ、モータリゼーションの浸透で個々が車を持つようになった豊かな社会、そして横溢する自由、一言で言うなら民主的な大衆消費社会、それは忌避すべきものでなく、多くが憧れ、好んだアメリカの文化であり生活様式であった(皮肉なことに敗戦をへてその社会は日本に実現する)。お互いに憎み合い殺し合う動機などは思いつかない。それなのになぜ日米は戦争をしなければならなかったのか、する必要のない戦争をしたのではないかと思ってしまう(これは日本・アメリカ双方に言えることだ)。


 そして狂乱スポーツ週間の第一日目の明日19日、日曜日は「とくしまやっとさーマラソン」が開催される。参加者7500名、招待選手やその他をいれると一万近いランナーが吉野川沿いを走る。

 野球狂乱に比べたら地味かも知れないが一般人の大勢の参加を考えると各地で開催される御当地マラソンの多さは日本のマラソン熱の高さを物語っている。これもまた社会学的な分析の対象になる、「なんで日本人はこんなにもマラソンが好きなのか? なぜ見る以上に、まるで参加することが意義であるように、高齢者までが幅広く参加するのか?」、そこになにか「求道」の精神があるのだろうか?一般のおっさんやおばはんが四十数キロ走り抜くのは伊達や酔狂では出来まい。



 マラソンは省エネ型のもっとも地球環境に優しいスポーツである。身につけるのは最低限ランニングパンツとランニングシャツ、東京オリムピクのアベベのように裸足で走った人もいるから高価な運動靴がなくても良い、豪華なアリーナ、球場もいらん、天然自然に近い道さえあればできる。こんなスポーツが好きな日本人はこの意味では誇っていいと思う。マラソン体型というのがあるとしたら、ホッソリだがスタミナはある人だろうか、そう考えると先進国の中どころか中国、韓国と比べても肥満率がぐっと低く国別にみた摂取カロリーもそれらの中で低いのが日本人である。この意味でも日本人は省エネ人類である。マラソン好きなのもなんとなくわかる気がする。

 そんな高尚・高邁な理由でなく、まさにスポーツの語源となった原点「楽しむ」ためと言うこともあるかもしれない。以前見た時は仮装した人が走る、ロバの着ぐるみ、ウサちゃんもいる、猫も、杓子も、なんだか楽しそう。この私だって途中リタイヤする覚悟なら皆に交じって吉野川土手をゆるゆる走り楽しめるだろう。(ハーフマラソン、10kmマラソンも、一般人参加型のマラソンとして多く開催されている

2023年3月17日金曜日

超豪華客船

  雲が垂れ込め降りみ降らずみのうっとうしい天気。朝、墓掃除に行ってきたが今日はもう一つ済まさねばならない用事がある。昨日、小松島でランチを食べたが、友人の車でいったついでにこのパソコンの一年無料点検の案内が来ていたので、沖浜にあるそのパソコンショップに点検に持って行った(小一万する保証に入ったため一年、三年の無料点検がある)。スタッフが「24時間預かります」、というから今日の午後、も一度来にゃならん。雨の予報なのに困ったと思っていたが友人がまた車で一緒に取りに行ってくれると言ったのでよかった。

 それで今日の午後、取りに行った。パソコンは問題なかった。その前に午前、ローカルニュースをネットで見ていて小松島港に豪華客船が来ていると知り、店のある沖浜からやったらバイパスを通ればすぐ小松島港じゃ、友人に話してみて、一緒に見るというなら行ってみたいな、と店からパソコンを受け取って車に乗り込んだときその話をしたら、二つ返事で行くことを承諾してくれた。

 そこからは十数分で港に着いたが、はて?埠頭から海をみたが、どこにおるんかわからん、超豪華客船なら見上げるほと大きいはずだが、友人は、徳島港とまちごうとるんちゃうん、というが、いや確かに小松島港と書いてあった。

 しかしはるか対岸(これは和田島方向)に十階建てマンションのような大きな建物がみえる(遙か遠いから小さくは見えるが)、あれ、よく見ると下は船の下部船腹のようじゃ、間違いない。あれじゃ!


 幸い、今日持っているカメラは光学ズームができるのでズームして撮影したのがこれ。


 「ありゃ、小松島港つうより和田島じゃ」、友人はスマホを持っているのですぐ調べたのだろう、小松島港・赤石岸壁とあるわ、と言ってくれた。なんじゃ!ローカルニュース(JRT)は小松島港としか書いてなかった。いまネットで調べても小松島港までしか書いていない、残念だが、まぁズームでここまで大きく撮影出来たからいいか。と車に乗り込んで、帰ろうといったが、友人はせっかくここまで来たんならもう赤石岸壁まで行こう、と言ってくれた。もちろん私は大賛成、そこからしばらく走って赤石岸壁に着いて撮った写真が下。(船を見に来た人がかなりいたがガードマンが固く警戒していて、ここから先は私有地ですからダメと近くまでは寄せ付けない、ガードマンはワイが数えただけでも10人以上はいたぞ、どんなセレブな人々をガードしてるのか、としらけたわ、一人のガードマンに皇族でも乗っておられるのですかと皮肉をいうたったわ、しかし雇われガードマンに皮肉言うても仕方ないなぁ




 対岸は和田島、海上自衛隊の訓練だろうか、ヘリコプタがずっとホバリングしてた。


 確かに船腹を見ず居住区だけ見れば7~8階建てマンションじゃ。オランダの豪華客船ウエステルダム号総トン数は約8万2800トン。全長は285メートル)というからリッチな旅行者がのんびり旅しているんだろうなぁ、と思ったとたん、そういえば、あることを思い出した。友人と午後から徳島駅で待ち合わせをしたが、午前中少し早く着いて徳島駅付近をウロウロしていると派手な服を着たかなり年配の白人夫婦に何組も出くわした。年金生活に入り日本旅行を楽しんでいる風情である。しかし、その白人高齢カップルの中には、歩行器のような手押し車を押しながら二人並んで歩いている人もいる。二人とも足はかなり不自由で歩行器を押しながらヨタヨタ、いやぁ、歩行器を押しながら日本旅行とは(そもそも可能か?)、と驚いたが、午後にこの客船を見て、この豪華客船の白人客がその人たちだったんじゃ、と考えれば納得した。豪華客船は動く「海のホテル」である。超高齢で足腰の弱い人でも、安楽に過ごせる。寄港地っつうたっても一日びゃぁしかおらんから、タキシーを雇って寄港地の周りを回ってもそう苦労はあるまいと思う。

 それにしても同じご老体とは言いながらワイとなんという違いじゃろ。物価高で日々の食べるモンを手に入れるにも、うかつにスーパで手を出せなくなっとるちゅうのに、かたや浮かぶ海の超豪華ホテルで安楽な衣食住、毎晩もしかしてパーチー三昧かもしれん。専門の楽士がいてミニコンサート、寄港地の珍しい風土、土着民、さぞかし、人生の最後を飾る旅行としては(もしかするとリッチな人は死ぬまで船の世界周航の旅を続ける人がいるかも知れない)嬉しかろうなぁ、うらやまし。

 まる一日いたあと、夕方6時には次の寄港地に向けて出発する。天に帰っていくかぐや姫、あるいは天の羽衣の天人伝説でないが、ワイとは隔絶の世界に住む人々がチラと徳島に現れて、天人のように去っていった。

 友人の話では船室には3等(大昔乗った阿摂航路の3等思いだしたわ)もあってそこそこの一般人でも、航路限定で利用する人もあるらしい、しかし友人が聞いた話では船室は船底かどっかその辺りで、船室はお湯もでなかったそうじゃ、そりゃぁ3等じゃなぁ、昔、三等重役とか、三等なんとかは、下等(ゲットウ)を表す揶揄に使われとった。

2023年3月16日木曜日

久しぶりのランチ

  少し前から誕生月のランチを友人と一緒にする約束になっていた。しかし数日前から、花粉症のキツイ症状か、はたまた風邪かコロナか、もしかすると複数の病気に同時に罹っているのかもしれないと思う症状がでて、とくに昨日はセコかった。夜は薬を飲み早く寝たので、治ったと言いたいが、ちょっとマシになっただけで鼻のズルズル、喉の軽い痛み(咳もでてるわ)、体の節々の違和感、筋肉の脱力感がある。

 しかし熱もないようなので小松島までいって友人とランチを食べた(ちょっと無理したかなぁ)。この友人も三月生まれなのでまぁ共同の誕生お食事会である。

 高いランチではない、デザートとコヒーがついて税込1500円である。人が見れば貧相だが私にとっては豪華な食事である。下が今日のランチ


 食後のコーヒーとデェザート


 そこから車で25分びゃぁで勝浦ビッグひな祭り会場に行けるので他に特に行くところもないのでドライブがてらそこへ行った。今までに何度か見たことはあるので特に見たいものではない。ところが入り口を見ると入場料が300円と表示してある。友人と当時に「あ、やめよう!」 前はロハだった。

 隣が勝浦の道の駅だったのでそこへ入り友人は安いミカンを買っていた。私の方は車の中で友人から彼岸の入りが土曜と聞いたので、「墓掃除に行って、樒や線香あげないかんな」と思っていたところ、道の駅の農産売り場をふと見ると、青々してフレッシュな樒の花が136円(税込150円)、ずいぶん安いのでこれを買った。

 結局、買い物をしただけでビッグひな祭りは見なかった。でもまぁ来た記念にと、恐竜(この骨が勝浦で発掘されたらしい)がいる入り口付近を写真に撮った。

2023年3月12日日曜日

桜と椿

 みんな桜が好きだなぁ~、早咲き桜の一種である「蜂須賀桜」が満開に近づいたというのを聞きつけてか、午後城山の助任川沿いを歩くと大勢の花見客が桜並木をそぞろ歩いている。

 横にはテント張りの茶店もある。

 蜂須賀桜は色がソメイヨシノより少し濃く、桜色というより桃色に近い。

 私の春の花木で好みを言わしてもらうとすれば、ツバキ>もも>山桜・・・そしてソメイヨシノはず~っと下位になる。この好みは私が特殊なのであって、多くの人は花見の対象となるソメイヨシノが大好きである。ツバキなんど、だ~れも見向きもせん。

 その証拠に、この城山公園にこの蜂須賀桜並木と同じ椿並木が近くにあるのをほとんどの人は知らない。(ちょうど蜂須賀桜並木が城山の北であるのに対し、椿並木は城山を挟んで反対側南にある。蜂須賀家政の銅像の裏側)、当然、この日、そこへ回っても人っ子一人いやしない、私一人がその並木を歩いて写真を撮った。

 桜の落花は花弁片であるが、椿の落花は花ごとボタリと落ちる。桜が好きな人は花吹雪なんぞに吹かれたら恍惚とするだろうが、私はこの落ち椿が風情があって好きである。椿は桜と違い濃い緑の葉の間に隠れるように点在し、そして落花も同じように人知れずひっそりしているのが好きである。

 舌足らずの私が桜と椿の魅力の違いを例えていうとしたら、桜はあふれる色気と魅力を積極的に振りまく花、美を押しつけてくる。それに対し椿はむしろ吸引というか、人の目にその美を引きつけてくる。消極的な美とでも言ったらいいのだろうか。天邪鬼で変人の私はだから椿が好きなのである。

 だいたい字の暗喩からして、桜は次のようなもの、ある下宿屋の二階に、妖艶な年増の女がいて思わせぶりな態度をとり、時には夜、ピンクのネグリジェで何の用事か降りて来てまた帰って行く、まるで誘惑するように、だから下に下宿する童貞男は常に悩まされている。

 二(二階)の(気)にかかる、という文字の作りである。

 それに対し椿は至ってシンプル、春の木、そのもの。

 また同じ娼婦を描いてはいるが、鶴屋南北の「桜姫」より私はデュマ原作の「椿姫」のヒロインのキャラの方が好みに合っている。だからやっぱ、私は椿が桜以上に好きだ。

 以上、しょうむない私の桜椿のお好み談義でした。

2023年3月11日土曜日

WBC観戦

 一昨日から楽しませてもらっている。対中国戦、対韓国戦、大方の予想通り順調に勝ち進ませてもらっている。にわかファンの私だが、ちょっと気分がいい。勝った余裕でいうのではないが私の個人的な感想としては、中国チームはすごく好感が持てた。国や党としては気に入らぬことが多い中国だがWBCの中国は良かった。だいたいみんなスリムな体型でアップで顔など見ると、日本の高校野球のチームを見るような、若々しいかわいらしさがあった。中国は全国規模のプロリーグもないからか、日米のプロ野球選手と比べると、洗練はされてはいないが高校野球のようなひたむきな野球を感じた。プロのような悪ずれはしていないように見られた。

 今日の対戦はチェコだが、こちらもプロではない。チェコではマイナなスポーツからか、投手は消防士が本業、他の選手も教師だの音楽家だのというから、こちらも私は好感が持てる。日本に勝つことは難しかろうが頑張って少しでも点を入れて欲しい。内心は、チェコがんばれよ!である。

 私は今まで野球をすることも観戦することも全く興味はなかった。というより、実のところ、することも観戦も嫌いだった。というのも男の子が大抵好きな草野球はまったくやったことがない。だからボールを受けるのも苦手、打つのはもっと苦手、そんならしなければいいだけの話!だ。とはそうは問屋が卸さない!

 小学校の体育の時間にボール競技というのがある。小学校三年生くらいまではドッヂボールだったが4年生からはソフトボールをクラス二組に分けてやり出した。(女子はポートボールなんかしていたと思う) それも体育の時間丸々そればかり、ホンとは体育はいろいろな分野をやるはずだが(徒競走、体操、マット、跳び箱競技など)、先生が男の子の大好きな草野球に阿って大部分の時間がソフトボールで占められた。球具は学校に立派なミット、グローブ、バットがあるため、そりゃぁ草野球の、素手や手作り、あるいは不揃いの球具よりずっといいから、もう男子生徒は体育の時間にソフトボールをやらなければ、大ブーイングで、今日の体育は何をしますか?と体育係の生徒が聞く前に、男の子はすでに体育倉庫からソフトボールの準備を整えていた、だから先生も仕方なかったのかも知れない。

 さぁ、私としては嬉々としている男子を横目で見ながら、暗澹たる気持ちで運動場へ出て行った。大げさだが死ぬほど嫌だった。クラスに1人くらいいたでしょう?ボールは全然取れない、というか積極的にボール向かっても行かないし、バットを振っても恐るべきスカタン、たまたまゴロを拾って投げても、アチャァ~という声があがるような変なフォームで、距離は女子よりも飛ばない、受け手の手前で落ちてしまう。そういう運動嫌いな生徒で特にソフトボールがアカン生徒、まさに私がそれ。散々馬鹿にされまくり、順番がきてバッターボックスに立ったときは、露骨に「あぁ、これでもう終わりや!」とか、打つ前に、「下手に振らんと四球を待て」だの、ちょっと書けないような罵り言葉を浴びせられた。今だと子ども時代のトラウマとでもいうのだろう。60年以上もたったからこんな恥もサラッとかけるが、そういったトラウマもあって野球はやることは当然ながら観戦もはっきり言って大嫌いだった。

 だから社会人になってもプロ野球の話題で(特にみんなお気に入りの球団があった、それも私の感覚としてはよくわからない贔屓だったが)盛り上がったりするのにはついて行けず、沈黙を通した。しかし30代になってもうトラウマも薄れかけたころ、地元選出の池田高校野球部の甲子園のあの活躍の時、特にトーナメントで上位まで勝ち進んでいったときは、にわかファンといってもいい状態になった。すこしだけ野球ファンの味わう気分がわかった。巨人ファンや阪神ファンの中には勝ち負けによって翌日の気分の昂揚が違うというのも少しは理解できるような気がした。

 そして今、WBCのにわかファンで楽しませてもらっている。今日は佐々木が先発投手、聞くところによると、彼は小学校の時、あの東北の大震災の津波で父と祖父を失っている。その大震災の日が今日、3月11日である。義理人情にホロリとする傾向のある高齢者が感動させられずにはいられない背景を持って佐々木はマウンドに上がる、これが偶然か、それともあざとい演出かは、いまさら問うまい、益々注目度、そして声援のボルテージは上がるだろう。


 佐々木と言えば、以前、図書館の子ども室にあるDVDコーナーで「バッテリー」という野球少年の映画を見た事がある。天性の野球少年の物語である。主人公はピッチャーであるが、これがジャニーズ系のイケメン少年、現実にこんなジャニーズのようなイケメン投手が居るかいだ!と思っていたが、去年のプロリーグで初めて佐々木を見た時、この映画のイケメン投手を思い出した。私の印象ではよく似ている。


 これはなかなか面白い映画(子ども室にあるが大人が見ても楽しめる)で、主人公の投手は豪速腕を持つが、そこはいろいろ山あり谷あり、そして同じく主人公といってもいい捕手の少年も出てくるが、これも去年リーグの最後の頃、名前は忘れたが佐々木と18歳の捕手を彷彿とさせ、そのコンビを思い出させるものがあった。 


おまけ

 早咲きの桜は満開だ。おやつに買った団子とともに「花よりダンゴ」


2023年3月5日日曜日

県内バス無料の日

  今日一日、高速・空港バスを除く県内の全てのバス路線がフリーとなった。遠くても徳島県の路線内であれば無料でどこでも行ける。ただし、郊外や辺地路線になると本数がぐっと少なくなり数時間に一本、いや午前午後各一本づつという路線もあるから、それを考慮しなければならない。私がこの一日バスフリーと知ったのは昨日である。県内バス会社はどことも赤字なのに思い切ったことをしたものだ。趣旨は、普段バスを使わない人にバスに乗ってもらい利用促進につなげるというものである。一日フリーにした赤字は各会社の平均一日分の運賃の上がりを見積もって県が補填するようである。

 マイカーを持っていない私には嬉しいニュースであるが、知ったのは昨日なので考える間も計画する間もない、路線の時刻表もよくわからない。まぁそんなに本数も少なくないだろう路線を利用するとしたら、鳴門公園での汐見、勝浦あたりのビッグ雛祭り、神山の梅見はちょっと遅いか、ということで鳴門公園方面勝浦川上流方面二つのどちらかにする心づもりだった。

 朝十時過ぎ徳島駅前の徳バスターミナルに行って時刻表を眺め直近に出発するほうにしようと思ったが、なんと、鳴門行きも勝浦行きも、大勢が乗車を待っている。みんなフリーバスということでわんさか出てきたようだ。バスの容量(収容人数)からみて、いわゆる、まけまけいっぱい、乗れてもつり革にしがみつき、立ったままで鳴門公園なら一時間余、勝浦・坂本なら二時間は辛抱せにゃならん可能性大である。私は持病の前立腺の病気で二時間もバスに閉じ込められたら、バスの容量云々より、私の膀胱の容量がとても持つまいと思う。

 それでどちらも諦めた。しかしバスに乗ることそのものを諦めたわけではない。横の市バスのターミナルを見ると、待つ人は日曜もあって普段よりむしろ少ない。ただ徳バスと違い市内路線のみなので長距離路線はない。でも空いている方がいいと思い、市バスで出かけることにした。でも、予定もなくどこへ?全然考えていなくて、来たバスに乗ってやれ、と最初に来るバスを待った。すると「津田海岸町行き」のバスが来たのでそれに乗った。始発徳島駅前から乗った乗客はなんと私を入れて二人のみ(途中からは少し増えたがそれでも最高で7~8人である。

 終点まで乗って少し散策した。海岸町と言いながら、それは昔の話、今は沖に埋め立てが進み(木材団地が出来ている)海はそこからかなりある。

 それでも昔の護岸の堤防や堤防沿いの松が「海岸町」であったことを示している。下は防潮堤と立派な松



 防潮堤にそって行くと旧津田港に行くが途中でひきかえした。下は津田の外港部分、見えている橋は県南へ向かう自動車道路橋、橋を渡ったところまで部分開通している。


 一時間ほどの散策で終着バス停に戻ると徳島駅行きのバスが待機していたので乗ってまた徳島駅に引き返す。


 やっぱ、徳バスで鳴門や勝浦に行かなくてよかったわ。たった津田~徳島びゃぁの間の時間でも、膀胱を空にして乗ったが(バスの向こうに公衆トイレがある)降りるときは尿意を催した。ましてや徳島から勝浦なんどはとうていガマンできん。

 さて徳島駅に着いて駅トイレを使い、また市バスターミナルに戻ると、一台のバスが止まっていた、行き先をみると「大神子」とある。今度はそれに乗った。途中、迷路のような狭く鍵形に曲がりまくった道に入り、対向車が来たらどなにするんぞい、とハラハラするような町を通り抜けた。大原団地じゃの大原第二団地じゃのと停留所をアナウンスしてた。バスの運転手も大変やわ。

 で、無事、大神子海岸についた。下は動画

 

 降りるとき帰りの時刻表を見たが、ガァ~~~~ン!なんと帰りのバスは3時間後の4時半、どうする?待つのもシンドイので大神子から歩いて日の峯の(低い)尾根に上がり、山上の遊園で少し休憩をとり、今度は小松島側に歩いて降りた。そして小松島の町から徳バスに乗り徳島まで帰ってきた(混雑はしていなかった)

 日の峯の山上遊園から大神子海岸を見下ろして撮った写真


 山上遊園は尾根なので大神子側と小松島港側の両方が見える。