古代から続く季節の伝統行事に「五節句」がある。この中で現代、各家庭においても廃れないで行われているのは、ほぼ三つ、上巳の節句(桃の節句)、端午の節句、七夕の節句である、後の二つの一つ「人日(ジンジツ)の節句」(七草)は、上記の三つほど一般的ではないが、「七草粥」(実際は普通の粥でもまにあわせられる)を食し、健康長寿を祈るのを家庭行事としている家もある。特に最近はスーパーで直前に「パック入りの七草」を売っているため、以前よりは注目度をあつめ行う家が増えているのかも知れない。忘れ去られたもう一つ「重陽の節句」は私の知る限り祝っている家など聞かない。
明治生まれの祖父母の家で育ったが、子どもの時にはこの日、七草の野草なんどは入れなかったが、「今日はおかゆを食べる日じゃ」といって、何の材料か忘れたが特別の箸でお粥を食べさされたのが記憶として残っている。
今、百人一首を読み、再鑑賞しているが、光孝天皇の次の歌は人日の節句前の「七草採り」になぞらえられる。
君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ
この歌は現在の感覚からすると矛盾する。一月七日が春の野になるか、まだ冬の野じゃ、というものである。しかしこれは現在の太陽暦の感覚で、この時代の旧暦からするとだいたい立春過ぎ頃になるから現在の暦では二月上~中旬である。陽光も春のようになり気温は低いが植物の生長は盛んになり始める時期で、ロゼッタ状の若草などは伸び始めているから七草も摘めたのだろう。
ちなみに今年の新暦と旧暦の関係では、旧暦の一月の短さ(29日か30日)が積もり積もって、季節に対す旧暦の月日がかなり早めとなっている。旧暦の元日(中韓では春節)はだいたい立春頃かそのすこし後に来るが、今年は新暦1月22日で立春より15日びゃぁも早くなっている。このまま行くと旧暦の月日と季節の乖離が大きくなりすぎるので、今年の旧暦二月の後にもう一つ「閏二月」をいれ調節する。だから令和五年の旧暦の一年は13ヶ月あることになる。
「粥」を食べるっつ~たって、粥に本物の七草をぶち込んで煮たところで野草だけに青臭くうまくはあるまい。まぁ縁起のよい節句の行事として少量食べるのもよいが、昔の我が家のように「粥」だけでも良いとおもう。しかし最近の人は米系の流動食は(雑炊も含め)好まないようだ。私も粥は好きでない。病人食のようであり、また歴史好きとしては大飢饉のときの「お救い小屋の粥」をイメージし、惨めったらしくおもう。
子供の頃の我が家では「粥」のことをオカイ、といい。雑炊のことをオミィサンといった。味噌汁はオツィとも言った。保温ジャーもない昔、朝しかぬくいご飯はなく冬の夜めし は固く冷たくなった、そんなとき
「朝の残りのオツイに飯ぃいれて、オミィサンにしょうや」
とまずいオミィサンを食べさせられた。
また子供の頃よく熱を出したが、そんなとき、オカイさんを無理に食べさせられた。
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