正月だからと言ってどこへ行くでもなし、何をするのでもないが、一人で「百人一首」を読んでいる。若い時にすべてソラでいえるように覚えていたが、大昔の記憶は歳ぃいっても強く残っているものと見え今でもスラスラいえる。単に読み込み、その味わいを知るだけでは毎回のことで退屈するから、もう少し想像力を働かせ、通説にはない意味を推理したり、違った情景を思い浮かべたりしている(おそらく私のこじ付けだろうが、趣味でそう読むぶんにはいいだろう)、同時に英訳の百人一首、別々の(外国人翻訳者)二人が訳したもの、も読んでいる。この日本文学専門の外人二人の訳がちょっと面白い。一人のほうは、中学生でもわかるくらいの簡単な英文が基本で、百人一首の現代語訳の意訳に忠実ではあるが、英詩としてはどうだろうかと疑問がつく。もう一人のほうは、無理に現代日本語になった百人一首を英文になおすのではなく、大胆にも異訳を恐れず、中にはほとんど換骨奪胎じゃないかと思えるような英文もあるが、英詩としてはこちらのほうが型になっている。まぁどちらも一長一短だから、原文とともにこの二つの英詩も読んでいる。
さて、百人一首で一番多いテーマは「恋の歌」である。四割以上を占める。大体は(一旦は恋しむすばれた)男女のお互いの、会えぬ嘆き、相手の不実を責める、大人の恋の歌が多い。現代の恋の詩ならば、純愛もの、すなわち片思いの恋、まだ肉体関係も結んでいないプラトニックな恋、が人気だが、百人一首の恋の歌にそれは少ない。
全然ないかといえば、そうでもない。例えば、崇徳院の一首
瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われてもすえに 会わむとぞ思ふ
なんぞはちょっと純愛詩に近いのではないと思われないこともない。そう思うのは落語の「崇徳院」を聞いたからかもしれない。落語「崇徳院」の内容は、江戸の町の両者とも大店の、ウブな坊ちゃん嬢ちゃんの初恋を、この百人一首の崇徳院の歌に込めているからである。平安朝のこの一首の恋情が、純愛に近いものだったかどうかは断定できないが、落語「崇徳院」聞く限り、この一首はすんなりとそのように理解できる。
ある寺社参りに行ったとき、たまたまの出会いで坊ちゃんは嬢ちゃんに一目惚れする(最初は坊ちゃんだけかと思たが実は娘もそうだったと後でわかる)、この一目ぼれ(キリスト教のボンさんによれば、まだ肉体的結合に至らず思いをかけるのは純愛、プラトニックラブとなるからこの時点では純愛だ)は、お互い相手も知らず刹那の出会いで別れてしまうが、その時、百人一首の一句「瀬をはやみ・・」の短冊を渡すのがこの展開のミソだ、そののち坊ちゃん嬢ちゃん両方とも重度の「恋煩い」となり、命まで危うくなるが、残された一首と周りの努力の甲斐あって再び巡り合い、ハッピーエンドとなる。しかし、これは相手が見つかり、両者の親も(どちらも大店だからか)祝福したからハッピーになったのであって、これもし、会えなかったり、相手がわかっても「釣り合わぬ恋」と親が猛反対すれば、「思ふ人には添い遂げられず、わが身は今ぞ、消え果てぬめる」といって悲劇的失恋死となったかもしれない。
昔の日本人は、純愛(何度も言うようだが、まだ肉体的結合に至っていない)の男女を、童貞、処女のまま、キリスト教のボンさんがいうように、これぞまさにプラトニックラブが昇華したものだ!といって両者純潔のまま殺したりすることを好まないのではないか私は思っている。
落語「崇徳院」は、江戸が舞台で、エエとこのボンボンと嬢ちゃんが別れても最後はハーピーエンドになったが、所変わればで、名家の一人息子と一人娘が一緒に添い遂げられず最後は二人とも死んでしまう悲劇は、ご存じルネサンス期のイタリアを舞台にした「ロミオとジュリエット」がある。一見、心中のようにも見えるが、不幸な行き違いのため結果として心中のような悲劇的相対死を迎えてしまう。
これはシェクスピア作の悲劇だが、日本でも添い遂げられぬ恋のため死ぬ心中物語は、日本のシェクスピアと言われた近松門左衛門が得意とするところではある。しかし近松では純潔のまま男女が心中したりするのはない。だいたい遊女、あるいは娘であってももう男の味をしった女である。また実話がもとになった八百屋お七の話などは、娘ではあるが、火事の避難先となった若くて美男の寺小姓と、「しっぽり濡れた」関係をなんども持っているから、未通女(おぼこ)ではない。果たせぬ恋に燃え上がるのはジュリエットもお七も同じであろうが、やはり愛しい男との肉の喜びを知った女の狂乱のほうが、ずっと向こう見ずで大胆である。ジュリエットは仮死の薬を飲み死を装うだけだが、お七の方は愛しい男の寺にまた行けると思って放火をする。どちらの娘も崇徳院の下の句のように「われても末に会わむと思ふ」ことを目的に行動を起こしたのではあるがどちらも悲劇で終わった。
と、ここまでロミオとジュリエットの話は両者とも純潔のまま死を迎える、と思い込んでいたが、西洋でも解釈はいろいろあるようで、秘密裏だが結婚式も神の前で挙げたので、初夜も迎えたはずだ、という意見もあるし、いややはり純潔だったというのもある(ロミオは分からんが少なくともジュリエットのほうは)。しかし結婚しとるのに純潔っておかしぃないか、と思いたくなるが、聖母マリアは大工ヨセフの処女妻であり、処女のままイエスを懐胎する西洋では結婚していても純潔を保つのはありなのかも知れない。
これは1968年製作の映画のロミオとジュリエットだが、私が見たのは高校二年か三年の時、わざわざ徳島まで行って封切館で見たからボニか正月だったが、それを見ると、初夜の床入りのような場面があった。両者とも素っ裸で(毛布は一部分被っているが)抱き合って目覚めるシーンがある。
晩稲(おくて)でウブな高校生だった私はそれでも、例え裸で抱き合って一夜を過ごしても、純潔はあり得ると、思い込んでそのシーンをそのように解釈した。西洋中世の神学者アベラールなんぞは、例え裸で抱き合って、局所にふれあう(今だとペッチングというのだろう)までいっても、最後の挿入に至らなければ、それは純潔なるプラトニックラブの範疇に入る、という定義を言った人だ。私も当時はそのように思っていたのだろう。
しかしこの歳になると、そんなことはあり得ぬ、やはり初夜は遂げたのだ。と思うようになった。物語のロミオとジュリエットは15歳(西洋だから満年齢)と14歳である。女性はいざ知らず健康な15歳の男が愛しい女性と裸で一夜過ごして、中世の学僧アベラールの言うようなところで「寸止め」なんぞ、できるはずがない。今となると少なくとも一度は処女の開通式をすませたと思っている。映画の意図はどちらに組するか知らないが、私は日本人の感性からか、近松のように、愛し合いながらも死ぬる男女に事前に肉体の結合をさせるのは当然だとおもう。
ところでこの1968年製作の映画ロミオとジュリエットについて昨日、実に面白いニュースに接した。この映画は製作当時、ヒーローとヒロインは原作に最も近い年齢であると評判になった。ロミオ役はレナード・ホワイテング16歳、ジュリエット役はオリビア・ハッセィ15歳である(こちらは後に布施明の嫁はんとなるので知られている)。その二人が共同で55年も前の製作の映画のその床入りのシーンは児童ポルノに当たり、また児童の性的虐待で、当時の我々の意志にも反し、監督から半強制されたと、数百億円の慰謝料を払うように映画会社を訴えたのだ。
確かに15や16の少年少女を素っ裸にして(ジュリエットの方は布きれで下半身は隠れている)撮影するのは今の時代は完全にアウトである。しかし55年も昔、またヌードシーンも含め文芸的価値の高い作品として数々の賞も取り大人気となった映画である。いまさらそれを言うか、と思う。
まぁここは、私も55年ぶりにもう一度みて判断しようと、幸い図書館のDVDコーナーにその映画があったので借りて昨夜みた。
二人の初夜シーン
おお!これは!生の15歳少女のチチ、これは児童ポルノといわれてもしかたない。青いといおうか、まだ熟さない固めの果実のようなチチ、ニップル(乳首)などはまだ蕾にもなってなく小さくてあるかなきか、乳暈(乳首の周りの色素沈着した暈のような)はとっても薄く、本物の少女のチチであることがわかる。
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