藤が咲く頃になると春も闌(た)けてくる。日射しのキツさや日中の汗ばむ暑さを感じるともう初夏の候である。そういやぁ藤のあとの花といえばツツジか。椎ノ宮はんのツツジはどんなだろう?自転車で藍場浜公園から佐古川添いの裏道を通って椎の宮神社にむかった。暑いので上着は脱ぎシャツ一枚である。
藤が今盛りなのでツツジはちょっと早いかなと思っていたが案の定来てみるとまだ少し早いようだ。
桜の開花状況に例えると3~5分咲きくらいだろうか、それでも中には満開に近いツツジの灌木もあった。
藤にしてもツツジにしても(どちらも日本原産だ)公園や花壇に栽培しているのも山に入れば見られる野生の山フジもツツジも花の大きさ色など全く同じである。もともと品種改良の余地がないくらいフジもツツジも自然状態のままが美しかったのか、それとも日本人の本性として自然状態の花々に手を加えるのを嫌ったためだろうか。いずれにしても山にある野生のフジもツツジも栽培種と同じように華やかで全く見劣りしない。
フジは自然状態では他の木に巻き付き曲がった蔓のような枝でジャングルっぽく絡みつき美しい花を咲かせる。下は野生の山フジ。
そんなことを考え眉山の山麓の山を歩いているといい匂いがしてきた。ふとみると白い小さな花をつけた茨がある。ノイバラつまり野生の薔薇である。これがそう。
それを見ながら自然状態のままの花を愛でるというのは昔の日本人の本性なんだなぁ、との思いをさらに強くした。ノイバラの有名な句がある。蕪村の
愁いつつ岡にのぼれば花いばら
蕪村は自然そのままの野イバラを愛でこの俳句を作った。
しかし中東や西洋の人々はこのいい香りをもった小さい白い茨の花を人工的に(選択淘汰し大輪になるよう栽培した)手を加えさまざまな大輪のバラをつくった。愛の象徴として恋人に送るのは野生の小さな野イバラではなく何代も栽培を重ね大輪になった薔薇である。現代の日本人も野イバラなんどより大輪の薔薇のほうがいいだろう。
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