2022年3月22日火曜日

五台山・竹林寺へは行けなかったが

  各寺院のご本尊さんを見てみるとお薬師様、観音様、お地蔵様が多い、病気、危難・災厄除け、また昔は多かった幼い子供の冥福の祈りが主な願いであったことからこのようなご本尊が尊崇されたのだろう。また宗派の関係もあろうが阿弥陀様、お釈迦様も結構多い。しかし文殊様は「智慧の仏様」、今は多くの人が高等教育を受ける時代だが、大昔は生きるのに精いっぱいだった庶民である、「そないに智慧をつけてどないするん?」という感じで、よほど裕福であるか、僧侶にでもならぬ限りまず文殊様にお勉強のことをお願いすることなどなかっただろうと思われる。だからであろう四国八十八ヵ寺のなかで文殊様がご本尊の寺はただ一ヵ寺のみである。

 現世ご利益には文殊様はちょっと人気がない。「智慧」というのを狭義に解釈されているためでもある。人の宗教的達成を妨げるいわば「毒」に「三毒」あるといわれる。貪瞋痴(とんじんち)がそれである。「貪」はむさぼる、執着、いわば所有欲の強さであるである。「瞋」は怒りやそのほかのいやな感情(嫉妬、恨みなど)の露出である。そして「痴」は、真理を知らないため前二つの毒である貪瞋を抑えられない「愚かさ」であるという。その「痴」を消し、真理に導くのが文殊の智慧であるとすれば、文殊さまへの尊崇はもっと重要視されてもいいような気がする。

 中国では唐の時代から現代まで山西省・五台山にある大きな寺院群は「文殊菩薩」さまをまつる聖地である。唐の後期に比叡山の名僧・慈覚大師円仁が是非にと願い遣唐使に参加し五台山を回峰し、礼拝そして修業したところでもある。彼の著作「入唐求法巡礼行記」に詳しく載っている。(だいぶ前、これを読みつつブログを書いた、調べると2015年5月今そのブログを読むと、ヤフーブログが廃止になったときこちらのブログに移し替えたためか文章は残っているが、残念ながら写真は見えなくなっている、そのブログここクリック

 このようにみると文殊菩薩様への信仰は単なる「知恵がつきますように」以上の奥深いものがある。

 巡礼札所31番の高知市の竹林寺は文殊菩薩が本尊のため寺号を中国の文殊聖地にちなんで「五台山」としている。高知の竹林寺はいけなかったが、昨日眉山中腹の周回道路にミニ八十八ヵ寺があるのでその中の31番竹林寺をお参りしてきた。

 ミニ八十八ヵ寺はこのように小さな四角いお堂である(中にご本尊さまの石仏が鎮座している)。


 しかし31番・竹林寺は小橋のかかった谷筋にあり、このように立派である。



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